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第93話 パティシエクマちゃんと助手のリオと便利なお兄さん

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 リオがクマちゃんを連れ一階酒場内にある〈クマちゃんのお店〉へ向かおうと、ベッドから立ち上がると、腕の中から幼く愛らしい、

「クマちゃん、クマちゃん」

という声が聞こえた。
『クマちゃん、お着替え』と言っているようだ。
 
「え、クマちゃんまた着替えんの? ……えーと、ちょっと待って」

 ――どうやらお料理をする時の格好があるらしい。普段はあまり察しの良くないリオにも、それが分かった。
 ずっとクマちゃんと一緒にいたおかげだろうか。
 いつもは何を考えているのか分からない謎のもこもこの思考が、少しだけ、理解できるようになった――気がする。
 お料理する時の格好とはなんなのか。
 ――頭をすっぽり何かで覆って、首元はいつものあれでいいだろう。
「えーと……」クマちゃんをベッドへ降ろしたリオは、散らかした其処から被れそうなものを探す。

「――これ、頭のやつっぽい……多分」

 彼がもこもこお着替えセットの中から何かを見つけ出す。
 いかにも赤ちゃんが被っていそうな薄い水色のそれは、顔の周りをレースのヒラヒラがくるりと囲う、すっぽりと頭部全体を隠し、顎の下で紐を結ぶ、可愛らしいお帽子だ。
 もこもこの頭の上からどんぐりっぽい帽子を外すリオ。
 彼が、スポッともこもこの頭にそれを被らせると、クマちゃんがお耳をパタリと前へ倒す。――非常に協力的だ。
 顎の下の紐を固結びにしようとすると、ずっと座っていたお兄さんが立ち上がり、

「――私がやろう」

とリオのベッドでお着替え中のクマちゃんのもとへ近付く。
 ――なんでも固結びで解決しようとするリオに思う所があったらしい。
 少し屈んだお兄さんは、お着替えクマちゃんをリオの腕の中へ戻し、赤ちゃん用のお帽子の紐を、器用にサッと蝶々結びにする。
 彼が掌に闇色の球体を出現させ、もこもこを抱いているリオが「いや近い近い近い」と言い、騒音を聞き流したお兄さんが闇の代わりに現れた薄い水色のよだれかけをクマちゃんに着せた。
 
 お着替えが終わったクマちゃんは、もこもこの頭に非常に赤ちゃんらしい帽子を被り、何かに納得したように深くうなずいている。
 もこもこしたお腹の周りのレースの腹巻きと、リオが作ったてるてる坊主のような靴はそのままだが、誰かが固結びにしたせいで垂れたままの紐はお兄さんがササッと蝶々結びに整えた。 

「やばいめっちゃかわいい……」

 難問に遭遇してしまった人のように目を細めたリオの口から、悔しそうなささやきが漏れる。
 耳が隠れ、丸っこくなった頭。その周りを花びらのように囲うレース。囲われた中にある、つぶらな瞳、小さな黒い湿った鼻、もこもこの口。
 ベッドの上に転がっているおしゃぶりをくわえさせたくてたまらない気持ちになるが、今からケーキを作るのにおしゃぶりは必要ないだろう。
 リオはお花のような赤ちゃん帽を被ったもこもこ、お花ちゃんを抱えたまま、ベッドの上のおしゃぶりへ手を伸ばし、そのままクマちゃんに近付けそうになるそれを、こらえるようにギュッと握りしめ――ズボンのポケットにそれを仕舞った。



 リオはクマちゃんの耳に余計な情報が入らないように、腕の中のお花ちゃんにどうでもいい話を「あそこの椅子床にくっついてるらしいよ」「あっちのやつも」「なんでだろ」と振りながら、急ぎ足で〈クマちゃんのお店〉へ向かう。
 後ろには荷物持ち――闇の球体に仕舞われている――をしているお兄さんと、その後ろでふわふわ浮かんでいるゴリラちゃんが居る。
 ――急ぐのが似合わない黒髪の怪しいお兄さんは、その高貴な風体の通り、ゆったりと優雅に歩いていた。   
 
 一足先に到着したリオが、チリン、という涼し気な音と共に開いたドアを抜け、真っ白な店へと足を踏み入れる。

「クマちゃんケーキの作り方知ってんの? 俺そういうの全然わかんないんだけど」

 腕の中の赤ちゃんもこもこにリオが尋ねる。
 お花ちゃんの丸い頭が、少し横に倒れた。

「かわい――クマちゃんも分からないんだ。……お兄さん作り方知ってたりすっかな」

 うっかり何かを言いかけたリオは、すぐに強い心を取り戻し、目を細め、腕の中に咲いてしまったお花ちゃんから視線を引きはがすと、部屋の隅の輝くクマちゃん像を見つめる。

「本に載っているのではないか?」

 いつの間にか店内に居たお兄さんがリオへ答える。

「――お兄さん今絶対ドア開けてないよねチリンって音してないもんね」

 背後から聞こえた不思議な声と、急に頭に響いたそれにビビったリオが、クマちゃんを腕の中にギュッと隠し、まるで犯人を見つけたとでもいうように、早口で追及する。
 しかし、振り返ったリオの目に映った犯人、お兄さんは『しまった!!』という顔はしておらず、無表情で偉そうな態度のままだ。
 偉いお兄さんが闇色の球体からリュックを取り出すと、リオの腕の中に咲いた大輪のお花ちゃんの、幼く愛らしい、

「クマちゃん、クマちゃん」

という声が聞こえる。
『クマちゃん、おりょうりの本』と言っているようだ。

「お料理の本? へー。すげークマちゃん料理の本とか読むんだ」

 リオが感心した声を出すと、腕の中の可愛いもこもこした水色のお花ちゃんが、肉球が付いたもこもこの両手をもこもこの頬に当て、幼く愛らしい声で「クマちゃん」と言った。
 ――照れているらしい。 
  
「か――いや、その本どこにあんの?」

 か、から始まるあの言葉を言ってしまいそうになり、そんな自身を戒めるように極限まで目を細め、自分の視界にお花が咲かないようにしたリオが、お兄さんに話を振る。
 お兄さんはクマちゃんのリュックから勝手に一冊の本、〈はじめてのりょうり〉を取り出すと、リオの腕の中、頬に手を当てていたもこもこに、それを渡した。

 料理をしそうにないお兄さんが、店内に大きな闇の球体を出現させ、見覚えのある、濃い木の色のテーブル、同じ素材で作られた椅子四脚と入れ替える。
 ――店の外、酒場の方から冒険者達の叫び声が聞こえる。

『何かが闇に吞まれた!』
『敵襲か!』
『狙いは――テーブルだ!!』

 騒いではいるが、特に問題はなさそうだ。
 自由なお兄さんはゴリラちゃんに酒場からいただいた椅子を引かせ、腰を下ろすと、長い脚を組み、背凭れに体を預けた。

「えぇ……普通にパクってるし」

 腕の中でふんふんと小さな本を読んでいるお花クマちゃんから視線をそらしていたリオが、好き勝手やっているお兄さんへ肯定的ではない言葉を掛ける。
 もこもこしたお花ちゃんがリオの腕を肉球でムニッと押した。――お料理を始めるらしい。

「えーと、俺も何か手伝う?」

 クマちゃんのケーキ作りにやや不安を感じたリオが、手伝いを申し出る。
 もふ、と床に降ろされた両足がてるてる坊主なクマちゃんが、幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と言う。
『クマちゃん、説明する』と言っているようだ。
 ――本からケーキ作りのすべてを学んだクマちゃんが、何も知らないリオのために作り方を教えてくれるらしい。 

「ありがとークマちゃん」

 素直なリオが、ケーキ作りのプロ、パティシエお花クマちゃんに礼を言った。
 頷いたお花ちゃんがもこもこの両手で本を開き、説明を開始する。
 幼く愛らしい、

「クマちゃん……クマちゃん……クマちゃん……クマちゃん……――――」 

という呟きが聞こえる。
『たまご……バター……クマちゃん……砂糖……こな……クマちゃん……きのみちゃん……』と言っているようだ。

「……何か途中クマちゃん混じってんだけど。――えーと、ここから出せばいい?」

 もこもこしたお花ちゃんの『クマちゃん……』という呟きに合わせ、ひんやりする箱から材料を取り出すリオ。
 量が分からないためすべて適当だ。――木の実は一個で良いだろう。


 リオが材料を取り出してくれたのを見たクマちゃんは、うむと頷き考える。
 ここからは、料理のプロであるクマちゃんの出番だろう。
 最初に卵の重さをはかる必要があるらしい。
 ピンク色の肉球の上に、ヒヤッと冷たい卵をのせ、頷く。
 ――ちょっと重いが、持てなくはない。
 ちょっとしか重くないということは、たくさん入れたほうがいいということだろうか。
 もこもこの口から「……クマちゃん……」という呟きが漏れる。

「クマちゃん今たくさんって言った? たくさんて……取り合えず二十個あればいい?」

 風のささやきが聞こえる。きっと風がクマちゃんかっこいいと言っているのだろう。
 深く頷き、次の作業へ移る。
 バターも卵と同じ重さが必要らしい。冷たいそれを肉球の上にのせてみる。
 ――手が凄く震える。重すぎるが、持てなくはない。
 もこもこの口から「……クマちゃん……」という呟きが漏れる。
 
「同じ? え、同じって二十個? まじかぁ。バター二十個も入ってないっぽい。六個しかないんだけど」

 今日は何度も風が吹く。そういう日もあるだろう、とクマちゃんは頷いた。
 クマちゃんが粉の入った袋を持ち上げ――ようとして、肉球が滑ってしまい、袋を落としてしまう。
 真っ白な床の上に、パンを砕いたような、パンの匂いがする何かが散らばった。

「うわ、ごめん――クマちゃんにはちょっと重かったかも。……えーと、他の粉でもいい? こっちならたくさんあるっぽい」

 クマちゃんが下を向き床を見つめる。このパンの匂いの何かは、とてもパンの匂いが強い。食べたらパンの味なのだろうか。
 気になる物の匂いを嗅ぎたがる猫のようなクマちゃんが、肉球が付いたもこもこの手でそれを掴もうとするが、闇色の球体に邪魔をされてしまった。
 そして、ハッと思い出す。
 そうだ。ケーキを作っているのだった。プロであるクマちゃんがしっかりしなければ。
 材料を混ぜ合わせるために丸っぽい入れ物を探す。――あれでは小さい気がする。
 もこもこの口から「……クマちゃん……」という悲し気な呟きが漏れた。

「丸い大きいのってなんだろ……。お兄さん何か大きいやつ持ってない?」

 風が何かをささやくが、大きい丸っぽいやつを探すクマちゃんの耳には届かない。

「お兄さんすげー。何これ。でけーヘルメットみてぇ。……これどっから持ってきたの?」

 気付けばクマちゃんの目の前に大きな丸っぽい入れ物があった。
 近すぎて気付かなかったのかもしれない。これならば全部の材料が入るだろう。 
 次の作業は――もう一度本を確認すると、卵を割るようだ。うむ。プロのクマちゃんであれば、簡単にできるはずだ。
 クマちゃんは卵をもこもこの手に取り、背伸びをすると、大きな入れ物の中にそれを入れてみた。

 ――半球の入れ物の中で、卵がゴロンゴロン転がっている。

「……卵めっちゃ転がってんだけど。これ割って使うんじゃないの?」

 リオが半球のそれへ手を入れ、転がる卵を取り出し、クマちゃんのピンク色の肉球にのせた。
 ――卵が戻って来た。
 クマちゃんが頷き、もこもこの腕を目いっぱい上げ、調理台の上へそれを振り下ろ「いや待って待って待って。何かやばい感じがする」そうとして、卵を再び奪われた。
 
「お兄さん……卵割れたりしないよね」

 風がささやく。
 ――この時、半球の入れ物の中に、闇色の球体がたくさん現れたのだが、背の低いクマちゃんにその様子は見えなかった。

「めっちゃキモい!!! キモいしこわい……」

 手伝うと言っていたリオが、何か騒いでいる。「あ。でも卵の中身だけになってる。お兄さんすげー」そして、風のささやきも聞こえた。
 クマちゃんは、容器の中が見えないと作業がしにくいことに気が付き、リオへ「クマちゃん、クマちゃん」と声を掛ける。

「あー、そっか。――じゃあ俺が抱き上げればいい?」

 お手伝い中のリオに抱き上げてもらうと、中には卵の中身がたくさん入っていた。うむ。気が付いたら割れていたようだ。
 今日初めて知ったが、プロであるクマちゃんの肉球にかかれば、何もしなくても卵くらいは割れてしまうものなのだろう。
 取り合えず材料を全部入れなければ。
 クマちゃんは「……クマちゃん……クマちゃん……」と呟く。

「砂糖とバターと粉と――木の実? お兄さんこのやばい木の実の種抜いて欲しいんだけど」

 お手伝いのリオがプロであるクマちゃんの指示に従い、次々と材料を入れていく。
 ――リオがお兄さんを便利な道具扱いしているが、クマちゃんの耳には届いていない。
 砂糖と木の実が少ない。これではいけない。リオに「クマちゃん!」――砂糖と木の実が足りないですよ!――と厳しく注意する。
 ――因みにリオが聞き取ったクマちゃんの言葉は『クマちゃん! 砂糖、木の実ちゃん!』だったが、クマちゃんはビシッと敬語で注意しているつもりである。
 

「えぇ……砂糖もっと入れんの? 結構入ってると思うんだけど……。お兄さん別の木の実持ってない?」

 サラサラとリオが砂糖を入れる音を聞き、頷くクマちゃん。
 ――リオがお兄さんに無茶振りしているが、おりょうりの本を確認中のもこもこの耳には届かない。

「――いやいやいや別の木の実って違う色のがいいって意味じゃないから。……つーか何でアレの色違い持ってんの? まさかこれ元々お兄さんの――」
 
 本の確認が終わったクマちゃんが半球の入れ物を覗くと、綺麗な色の木の実の種類が増えている。うむ――素晴らしい。
 新しい色の木の実は黄色と水色のシマシマ模様だ。とても爽やかである。
 お手伝いのリオに次の指示を「クマちゃん」と出す。

 ――全部混ぜるんですよ、と。


「――無理じゃね? すげー四角いの入ってんじゃん」

 ――リオが四角いのと言っているのは、半球の入れ物――ボウル――の底に沈んだまま、全く溶けていないバターのことだ。冷えたままの鈍器のようなバターを他の材料と混ぜ合わせることは出来ない。
 お手伝いのリオは「無理無理無理めっちゃ固い」と言いながらクマちゃんの指示に従い、木で出来たヘラを入れ物に、ガン! と突き立てたが、バターがヘラに少し刺さっただけだった。
 その間クマちゃんは本を見て頷いていた。 
   
「…………お兄さんこれ混ぜたいんだけど――」

 リオは入れ物の中の、粉、卵、砂糖、木の実、底に沈む四角とそれに刺さるヘラ、すべてが確固たる意志を持ち己の姿を保っているのを見て、小さく「無理」と呟くと、酒場からパクったテーブル席で静かにワイン――どこから持ってきたのか分からない――を飲んでいる、お兄さんへ助けを求めた。 

 ――ボウルが闇に吞まれ、再び現れる。

「わーすげー混ざってるー。……お兄さん何かこれさっきと入れ物違わない?」

 綺麗に混ざり、クリームのようになったそれ――何故か細かく切られた木の実も入っている――を見たリオが、大根のような演技で驚き、先程と大きさの違う入れ物について尋ねたが、当然黙殺された。

 本の確認が終わったらしいクマちゃんが、綺麗に混ざったそれを見て、うむ、と頷く。
 クマちゃんはふわふわと飛んできたゴリラちゃんから杖を受け取った。
 お友達のゴリラちゃんもクマちゃん頑張ってと言ってくれているようだ。

 もこもこは、小さな黒い湿った鼻にキュッと力をいれると、クリーム状のそれに向け、肉球が付いたもこもこの手で杖を振った。

 静かに、うむ、と頷いた、プロのパティシエクマちゃんが、重要な指示、「クマちゃん」――これを焼くのです――をリオへ伝える。

「このまま? 焼くのって、火の魔法――は何かやばい気がする。ケーキって……丸いのと長方形のくらいしか見たことないんだけど」
 
 パティシエクマちゃんを抱えているリオが、片手でガチャガチャとケーキを焼けそうな何かを探す。
 ――彼に知識は無かったが、半球のケーキを見たことは無かった。

 ガチャガチャしている彼の前に、闇色の球体が現れ「……俺どっか欠けてね? 今かすったんだけど」消えると、丁度ケーキの形らしき長方形の入れ物が残る。
 苦情が誰にも届かないことを知っているリオは、大人しくそれにクリーム状の材料を流し込んだ。

 入れ物が一つしかなかったため、残ったものをそのままにして、発見したオーブンらしきものの中へケーキの素が入ったそれを突っ込む。
 良く分からないリオは、取り合えずクマの絵が描いてあるボタンを押してみる。

 ――押した瞬間に、ボタンからキュオーという音が鳴った。
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