クマちゃんと森の街の冒険者とものづくり ～転生赤ちゃんクマちゃんのもふもふ溺愛スローライフ～

第44話 現場職人クマちゃん

　再びマスターが合流した湖畔の展望台。
　辺りは柔らかい光に照らされ、夜の湖面に映る景色はキラキラと輝きながら風に吹かれ、揺らめいている。

　何でも〝皆と一緒〟が嬉しいクマちゃんは、マスターも皆と一緒が嬉しいだろうと、先程と同じ料理を作り――世界最強の男ルークを調理補助として――、それを蒸し焼きにしている間、先程の野外コンサートと同じ曲を同じ曲順で、合流したばかりの彼に聴かせるために吹くことにした。

「ああ、演奏会か。昨日のは、仕事で聴きに行けなかったからな」

　大きな焚き火を背に、縦笛を持ってゆっくりとお辞儀をする可愛らしすぎるもこもこに、マスターは愛おしい者を見る目を向け、渋い声でしみじみと言った。
　彼だって愛しのクマちゃんの最初の演奏会を聴きたかったのだが、仕事に追われどうしても行けなかった。それを心底残念に思っていたマスターにとって、この野外コンサートは何よりも嬉しい。
　クマちゃんの素晴らしい縦笛がもう一度聴けると喜んだ冒険者達も、大きな焚き火の周りに集まる。一番近くにはマスターとルークたち、その側には当然クライヴがいる。

　一曲目――たぬきが大変なことになってしまう曲――が始まるとマスターは真剣な顔で顎髭をさわり、

「まさかこれは、森の……」　　

と、他の皆と同じように美しい森に潜む狂気を思い浮かべた。
　天才音楽家クマちゃんの素晴らしい演奏は、曲の内容ではなく、もこもこの感情を聴くものに伝えるようだ。
　今のクマちゃんは、楽しい森で起こった突然の悲劇、苦しみ、無念さを心に抱え演奏している。

　側で聞いている冒険者達も、もこもこの演奏を聴き、激しく心を揺らしていた。

「幸せだった生活が……」
「俺は、俺は散歩をしていただけだったのに……」
「不意打ちとは卑怯なり……！」
「まさか、まさか俺はここで終わるのか……」
「やめろ……！　鍋には入りたくない……！」
「クソ！　もこもこの才能のせいで鳥肌がおさまらねぇ……」
「すげぇな……あのもこもこ」
「ああ……恐ろしいくらいだ」

　演奏するたび鮮明になる曲の中の物語。クマちゃんの心に浮かぶたぬきは幸せな生活の中、突然何者かにそれを奪われ、鍋に入れられるようだ。　
　冒険者達も悲しみと苦しみを味わっている。演奏中のクマちゃんのまなじりに、キラリと一粒しずくが光った。

「今の森はそこまで危険だってのか……」

　涙を見せ演奏し続ける、もこもこした天才音楽家が自分達へ伝える森の危険。
　それは、いつ命を奪われてもおかしくないと感じさせるものだ。

　すべての演奏が終わると、全員が立ち上がり、天才音楽家クマちゃんへ力いっぱい拍手を送った。指笛をならす者も居る。やはり、一番大きな拍手はクライヴの方から聞こえるようだ。

「……すごいな、お前は。俺達に、森の危険を教えてくれたんだな。――感謝する。お前の想いは絶対に、無駄にしない」

　皆の拍手や歓声に応えるように丁寧におじぎをしたクマちゃんを、フワリ、と抱き上げたマスターは、もこもこの目元に浮かんだ涙をそっと人差し指で拭い、頬をくすぐるように撫で、感動と感謝を伝えた。
　深く頷いているクマちゃんをもう一度撫でていると、吹雪の男クライヴが寄ってきて、黒い革の手袋に包まれた手をマスターの腕の中のもこもこへ差し出した。離れたところから「ヒィ」という風の音が聞こえる。

「今日もお前の演奏は素晴らしかった。――今はこんな物しか渡せないが、受け取ってくれ」

　クマちゃんへ差し出されたそれは、布で覆われ、袋状の口の部分は繊細な雪色のリボンで結ばれていた。
　中身の分からない、もこもこが受け取るには大きいそれを、マスターが代わりに受け取る。ジャラ、と固いものが複数ぶつかるような音が聞こえた。

「……お前――いや、良い」

　音で中身が分かった察しのいいマスターが一瞬目を細めたが、これはもこもこが喜ぶ物だろうと思い、口を噤んだ。
　彼の予想が間違っていなければ、これは本来ギルドが買い取るものの筈だが、今までのクマちゃんの働きを考えれば、ここにいる全員分のそれを回収して渡しても足りないくらいだろう。
　クライヴがこれをどこに仕舞っていたのか気になったが、戦闘の邪魔になるからと、どこかに適当に集めていたに違いない。
　マスターは、貴重品を適当に外に放る街の人間の大雑把さを憂い、しかし今更かとすぐに諦めた。

　中身が分からなくてもクマちゃんは嬉しいらしく、クライヴの黒い革の手袋に包まれた指先を、ピンク色の肉球がついたもこもこの両手で、もふ、と挟み上下に揺らしている。どうやら感謝を伝えているらしい。
　クライヴは美しく冷たい表情で目を細め頷いている。クマちゃん以外には絶対に伝わらない、吹雪の男の喜びの表情だ。――再び離れた場所から「ヒィ」という風の音が聞こえる。

　その時クライヴは（これが、あのピンク色の肉球の……）と思っていたが、それを読み取れる者は今後も現れないだろう。


　クマちゃんはクライヴが喜んでいるのを見て、自分も嬉しく思いながら考えていた。
　袋の中身がとても気になる。クライヴはクマちゃんに何をくれたのだろう。
　リボンをほどけば中身がわかる筈だ。

　
　クライヴからの贈り物を持つマスターの手をカリカリする、物欲の強いクマちゃん。
　
「ん？　ああ。中が見てぇのか」

　クマちゃんを抱えたまま、地面に座り胡座の上にもこもこを乗せると、その前で袋の口のリボンを解く。
　ジャラ、と音を立て布の上で山になっているのは加工前の魔石だ。

「やべぇ……貢物の規模がちげぇ」
「すげぇな……一番高い店のねぇちゃんだって一晩でこんなに貢がれねぇだろ」
「もこもこが高級店の美女を超えたってことか……」
「確かに、毛並みが輝いてるもんな……」
「ああ、有名な店の美女より毛につやがあるぜ……」
「街の酒場のナンバーワンが決まったな……」
「ナンバーワンはもこもこ、か……」
「うちの酒場も入り口に肖像画飾ったほうが良いのか？」
「ああ、ナンバーワンだからな」
「じゃあ、赤いドレス注文しとくわ」
「バラもな」
「ああ、それは外せねぇ」
「首飾りもいるだろ」
「もこもこの首ってどこだよ」
「頭の下のとこだろ」
「あれは肩じゃねーか……？」　

　とんでもない量の大小の魔石の山を目にした冒険者達も興奮し、盛り上がっている。


　クマちゃんは魔石の山を見て大いに喜び、考えた。
　これはクマちゃんが個人的に使って良い魔石なのではないだろうか。
　マスターと交渉して手に入れた魔石は、元気になる飲み物の瓶や酒場の冒険者の為に使うものだ。
　クライヴがくれたこの魔石なら、この湖で必要なものを作るのに使ってもいいだろう。

　まずは、あれをたくさん集めなければ。

　
「嬉しそうだな。……ん？　どうした？」

　興奮してふんふんしているクマちゃんを見て嬉しそうにしていたマスターだったが、膝の上のもこもこが急に立ち上がった為、袋を元通りにリボンで結びつつ、尋ねた。
　もこもこは辺りを見回すと、小さな石を拾い、少し歩き、別の石の上に石を置く。そしてすぐにまた近くの石を拾い一箇所に石を集めていった。

「……よくわからんが、石を集めればいいんだな。――おいお前ら、もこもこを手伝ってやれ」

　マスターがクマちゃんを手伝い、石を拾い集めながら周りの冒険者に声を掛ける。
　全員が一斉に石を拾うと、すぐにそれは山になった。
　ルークとウィル、クライヴが魔法を使ったおかげでより早く集まったようだ。


　素晴らしい成果にクマちゃんは大喜びだ。
　では、今からつくる場所を決めなければならない。どこが一番いいだろうか。
　景色がよくて、少し周りから隠れるところがいいような気がする。
　ちょっとだけ森に入るくらいの場所はどうだろう。

「ん？　森は危ないから入るなよ。…………そんな目で見るな」

　クマちゃんが森に近づこうとすると、マスターがそれはいけないと言う。
　ショックを受けたクマちゃんは、ピンク色の肉球がついた手でサッともふもふの口を隠し悲しげに彼を見つめる。

「……分かった。分かったからその目でこっちを見るな。ついていってやるから、あまり奥に行くなよ」

　うむ、と頷き森へ進む。ここらへんでいいだろう。クマちゃんが、クライヴからの贈り物を持つマスターの手をカリカリする。

「ここで使うのか？　……まぁ考えてもわからんか。一つで良いのか？　――もう一つか」

　二つの魔石を地面に置いてもらう。広いほうがいいだろうから、一応二つ使っておこう。　
　リュックから杖を取り出し、広い場所を想像しながらそれを振る。

「……とんでもねぇ力だな……」

　マスターが何か言っているが、忙しいクマちゃんには聞こえない。次の作業に移ろう。


　近くで見ていたリオ達とクライヴも、それを見て驚いた。

「クマちゃんやべー。マジどうやったらそうなんの？」　

「本当に凄いね。……リーダーや僕が同じ事をするのなら、何度かに分けて魔法を使う必要がある。でも、クマちゃんの今の魔法は僕たちのどの力とも違う」

「ああ」

「…………」

　クマちゃんが魔石に向かって杖を振っただけで、その場所は煌めき、整地されたように広がり、湖からほんの少し森に入ったその場所は、背の高い樹々に隠された天然の広場のようになった。
　魔法の扱いに長けたルークとウィル、クライヴであっても、クマちゃんがつくった広場と似たものをつくるには、一度邪魔な物を排除するため風の魔法で樹々を切り倒し、余計なものを高温で消滅させ、更に石や岩を取り除くなど、いくつかの工程が必要となる。
　しかも、それを元々あった場所のように自然に見せるのは彼らの魔法では無理だろう。
　
「ナンバーワンすげぇな……」
「土木もナンバーワンか……」
「かっこよすぎるだろナンバーワン……」
「肖像画にはツルハシも入れたほうがいいんじゃねぇか？」
「ああ。――ただのもこもこだと思われるわけにはいかねーからな」

　少し離れて見ていた冒険者達も興奮し、盛り上がっている。肖像画のイメージがかたまってきたようだ。
　

　クマちゃんが先程皆に集めてもらった石の山に向かうと後ろについてきていたマスターが、

「これをあの広場に持っていきたいのか？」

と、すぐに察してくれた。
　クマちゃんは、うむ、と頷き彼の言葉を肯定する。　

「わかった。――お前たちも魔法で運んでくれ」
　
　すぐ後ろにいたルーク達にマスターが声を掛ける。

「ああ」
　
　魅惑的な声で一言だけ返したルークが片手を上げると、その場にあった石の山が重さをなくしたように浮かんだ。
　彼はその手を少しだけ広場へ向けて振り、作業を終えたように腕を下ろす。するとルークがその場所に目を向けずとも、それらは吸い込まれるように次々と広場へ運ばれていった。

「……お前も本当にとんでもねぇな……」

　少し嫌そうに顔を顰めマスターが言うが、ルークはどうでもよさそうだ。

　クマちゃんは格好いいルークをきらきらとした目で見つめたが、折角運んで貰った石をそのままにするわけにはいかない。
　トテトテと走り出すと、すぐに体がふわりと抱えられた。
　広場に行きたがっているクマちゃんをルークが運んでくれるようだ。長い指でもこもこの頬をくすぐる彼が長い脚で移動すると、目的の場所にはすぐに着いた。

　ポフ、と地面に下ろしてもらい、石の山から一つ持ちそれを並べていく。

「……もしかして、クマちゃんは石をこの広場に円形に並べたいのではない？」

　意外とクマちゃんの気持ちを真面目に考えてくれるウィルが尋ねてくれたので、うむ、と頷いてみせた。

「おっけー。円形にならべればいーんでしょ？　大きさは？」

　リオも手伝ってくれるようだ。
　
「最初の位置からすると、この広場の端を二メートル弱残して中央に直径四メートルか、それより少し大きいくらいでいいと思うのだけれど」

　直径八から九メートル程度の大きさらしい広場を眺めながらウィルが言う。
　クマちゃんから見ればなんでも大きく見えてしまうので、この場所の広さはよくわからないが、ウィルがそういうならそうなのだろう。
　うむ、と頷くとルーク達やクライヴ、マスターが石を大体円形になるように置いてくれた。
　少しだけ余った石は円形の石の一部に重ね、纏めて置いてくれるように、そのあたりを肉球でペチペチと叩いておいた。

「なにそのテチテチって音。可愛いんだけど」

　何故か悔しそうに言いながら、リオは余った石をクマちゃんが叩いている石の上に置いた。

「愛らしい音だね」

「ああ」

　皆も余った石を置いてくれたので、あとは魔石を使って魔力を注げば、きっと目的のものは完成するだろう。
　もう一度マスターの手をカリカリして、魔石を広場の中央に置いてもらう。「なんかやべー儀式とかじゃないよねこれ」風の音に意識をとられないよう集中し、願いを込めて杖を振る。

　するとそこには、クマちゃんが想像した通り、高い樹々に隠された広場の中央に、石で囲まれた素敵な露天風呂が出来上がっていた。


「すっげぇー！！　なにこれ！　温泉じゃね？！」

　湯気に手をかざしながら興奮した声でリオが言う。　

「……本当に。一体どんな魔法を使えばこんな事が出来るのだろう」
　
　ウィルは、少しだけ指先を温泉に入れ、静かに呟く。
　リオにはわからないようだが、こんなことは人間の使う魔法では絶対に真似出来ない。
　どうやっているのか全く不明だが、先程余った石を積み上げた場所には倒すように置かれたツボ――ツボの上には石で出来た可愛らしいクマちゃんが座っている――が出来ており、そこから温泉が湧き出ているようだ。
　溢れることのない露天風呂は誰も仕組みを解明出来ぬまま、新しい温泉がツボからわき続け、溢れたものはどこかへ消えてゆく。
　展望台の白い光が葉の隙間から射し込み、うっすらと青みがかって光る温泉は、元々青いお湯なのだろうか。少しだけすくい、手の平で確認しようとするが、薄暗いこの場所では難しい。

「すげぇな」

　ルークは謎の露天風呂の仕組みよりも、クマちゃんが頑張ったということが大事なようで、ひと仕事終えたクマちゃんを抱き上げ、褒めるように頬をくすぐっている。

「…………一体どういう魔法を使ったら、こんな不思議なもんが出来上がるんだろうなぁ……」

　マスターは遠い目で、神秘的にうっすらと青みがかって光る温泉を眺め呟いた。

「……どういう理屈か解らないが、白いのが凄いということに間違いはないだろう」

　吹雪の男クライヴは、魔法が得意ではあるが、温泉の不思議を解明するよりもマスターがクマちゃんをきちんと褒めないことが気になるようだ。凍えるような瞳で彼を見ている。

「――ああ、そうだな。大事なことは白いのが頑張って露天風呂を造り上げたってことだ。凄いぞ。お前は本当に、可愛い上に優秀だ」

　氷のつぶてのような声を掛けられ正気に戻ったマスターは、すぐにクマちゃんを褒め、頬を撫でた。
　そうだ。この吹雪のような男の言う通りだ。どんな魔法かなど関係ない。可愛いもこもこが頑張って露天風呂を造ったというのに、すぐに褒めてやらないなど、上司失格だ。

　　
　こうして、クマちゃんの別荘はどんどん観光名所へと近付いてゆく。
　危険な森の中で少しずつ整っていく設備。
　次は一体何をつくる気なのか。
　皆で快適に過ごすため、酒場のナンバーワン、現場職人クマちゃんの奮闘は続く。