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第四章 『呪いの真実』

第四章4  『呪い』

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 火が導火線の根本まで辿り着く。早希は首を背け、目を瞑った。爆発で了の体が吹き飛ぶ姿など見てはいられない。なんで、こんなことでしか、殺人鬼は止められないの、他に方法はなかったの? 殺人鬼、あいつは何者なの、なぜあんなやつが……。思考していると不自然なことに気付く。待って、何も起こらない?

 時間が経っても、爆発音は聞こえてこなかった。早希が目を開けると、やはり爆発は起きてはおらず、状況は何一つ変わってはいなかった。

「くそ、思った通り湿気ってやがったか」了は顔をひくつかせ、苦笑いをした。

 口元は笑ってはいなかったが、殺人鬼が高笑いをしているように了は感じた。死を意識した了の顔からは、表情が失われていく。膝をつき、ただ殺されることを待つしかなかった。

「まだよ!」力強い早希の声が聞こえる。

 早希は諦めてはいなかった。いつの間にか了の傍まで駆け寄って来ていた早希は、了が落とした鉈を素早く拾う。両手で鉈を握ると全力で振り、了の左腕を掴んでいた殺人鬼の腕を叩き斬る。殺人鬼は断末魔に似た叫び声を上げた。

 早希は了に肩を貸し、立ち上がらせると、急ぎ車から離れていく。殺人鬼も車内から出ようとするが、両腕を失った上、その巨体が邪魔して出ることができない。

 息を切らして進む二人の背後で、チリッと燻ぶった音が聞こえると、湿気っていたはずのダイナマイトが爆発した。火は瞬く間に車体に引火し、更なる爆発を引き起こす。爆発の衝撃で二人は宙に舞うように吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられた。

 爆破した車体からは炎と煙が立ち昇っている。炎の揺らめきと音に起こされるように、仰向けに倒れている了が、次第に目を開けていく。視界はぼやけ、耳鳴りで聞こえづらい。横たわっている早希が薄っすら見えた。体重差のせいか、爆風のタイミングか、早希は了よりも遠くへ飛ばされていた。

「……お、おい。大丈夫かよ」了は咳き込みながら呼びかけた。了の声に気付くと、早希は目を開け、辛うじて顔を上げた。

「だ、だいじょうぶ、とは言いきれない、けどね。なんとか生きてる、みたい……」

 二人は疲労と痛みで、笑顔になりきれない表情を作り、乾いた笑いをした。しかし、早希の笑顔は一瞬で消え、目にする光景に戦慄する。

 どうしたんだよ、と聞くまでもない。もうこの展開は飽きたぜ、と了が車のほうを向くと、燃え盛る炎によって、佇む殺人鬼のシルエットが浮かび上がっていた。殺人鬼は早希が斬ったはずの手を仮面の口に咥えている。肩を動かし、斬られた部分に合わせると、手がみるみるうちに接合されていく。手、そのものが生きているようだった。

「それは、なしだろ。マジで化け物じゃねえかよ」と了は呟き、早希は絶句した。

 殺人鬼は車に弾かれた際に落とした大鎌に向い、歩き始める。

「に、逃げろ。今度こそ俺が、引き留める」了が膝をガクつかせながら、立ち上がると両手を広げ、殺人鬼に立ち塞がった。

「来いよ、呪いはここだ。俺を殺せ!」

 大鎌を手にした殺人鬼は了に視線を定め、向かっていく。鉈も、車も、ダイナマイトも、体力も、気力も無い。了に手段は残されていなかった。死はすでに覚悟していたはずだったが、体の芯から沸き起こってくる震えを止めることは、できなかった。

「お、俺が助けるんだ、俺が助けるんだ」了は念じるように言葉を繰り返し、絞り出した。

 背後では早希が覚束ない足で、立ち上がったところだった。少しでも早希を逃がす時間を作ってやりたい。その一心で、両手を目一杯広げ、了は殺人鬼に立ち塞がった時、了は自身の横をかすめる何かを感じる。直後、聞こえてきたのは、無情にも早希の悲鳴だった。

 ただ振り返るという単純な動作が、状況を確認したいという欲求と、事実を知りたくないという欲求が葛藤したからか、酷くゆっくりと感じた。

 早希の胸元には殺人鬼が投げた大鎌が深く突き刺さっていた。早希の口からは血が溢れ、何かを言おうと動いてはいたが、言葉になることはなかった。早希の体は地面へと崩れ落ちていった。

 守れなかった、早希は殺された……。

 了は裂けてしまうのではないかというほど口を大きく開け、声にならない叫びを発した。声が枯れるのと同時に、身体からすべての力が抜けるのを感じると、了は後ろへ大の字に倒れた。

 了の元へと歩いてきた殺人鬼は立ち止まると、了を凝視する。了は見返す気力も失っていた。もう了を奮い立たせる理由はどこにもない。

「……俺が最後だ。早く、殺れよ。自分なりに頑張ったつもりだったけどな、救いたい人は誰も救えなかった。諦めるなんて言ったら、またあいつに怒られるかもしれねえけど、流石にもう諦めたよ」了は自身に語り掛けるように、殺人鬼に言った。

 殺人鬼は沈黙したまま、了、そして了の腕にある手の形の痣をただ見つめている。

 何もしてこない殺人鬼に業を煮やした了が、「早く殺せって、言ってんだろ!」と喚くと、殺人鬼は了に迫っていく。

「そうだよ、殺ればいいんだ」了には最早、目を瞑る力すらも残っていない。

 目の前まで迫った殺人鬼。大きな足に踏み潰されるだけでも、致命傷になる。ゆっくりと降ろされていく殺人鬼の足は、顔を避け、真横の土を踏みつけた。泥が了の顔に撥ねる。殺人鬼は止まらなかった。そのまま、了を通り過ぎていくと、どういうわけか殺したはずの早希に向かい進んでいく。

「武器なんざなくたって、俺ぐらい殺せるだろうによ」と了が呟く。

 了が予想した通り、殺人鬼は早希のところまで着くと、無造作に大鎌を引き抜く。早希の体からは血が溢れたが、幸か不幸か、苦しむ声は聞こえてこない。早希は絶命していた。何もできないまでも、了がわずかに抱いていた、早希が生きているという希望は、ここで消えさった。たった数時間の時間を過ごした。それだけの相手。そう理解していたつもりでも、悲しみがまた込み上げてくる。声は枯れて出ない。涙だけが流れ続けた。

 大鎌を携えた殺人鬼は、そこから動かない。了に目をやると、何かを確認するようにじっと見つめた。

「なに、ぼさっとしてんだ、早く殺せ。殺してくれよ」やけではない、本心だった。それほど、了の体も、心も、疲れ果てていた。

 了に答えたのかは定かではない。殺人鬼は少し顔を上げ、呻きのような何かを小さく発した。それは子供の泣き声のようにも聞こえた。

 それから、殺人鬼は了に背を向けると、森のほうへ向かい、進んでいく。そして、そのまま暗闇の中へと消えていってしまった、消えていってしまったのだ。パチパチと炎が燃える音だけが聞こえてくる。

 いったい何が起きた、なんで俺を殺さずに去っていった。了は状況が飲み込めず、思案を巡らせたが、理解などできるはずもない。殺人鬼の理不尽な行動に、助かった、などとは到底思えず、代わりに怒りが込み上げてくる。

「ふざけんな! どうして殺さねぇ! なんでだ、なんでだよ! 俺を殺せ、殺せよ!」了の悲痛な叫びが山中に鳴り渡る。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 燃えていた車体は、いつしか沈下し、煙が燻ぶっている。森には朝日の淡い光が差してきた。数時間が経過しても、了は同じ仰向けの体勢で、薄目を開けたまま、放心していた。目尻には枯れはてた涙の跡が見える。殺人鬼が去った後も、なぜ、早希を守れなかった、なぜ、自分は殺されなかった、と後悔と疑問が頭の中を廻り続けるが、答えは出ないでいた。

 暫くすると、了は死体が動きだすように、のっそりと立ち上がり、小屋に向かって、とぼとぼと歩き始める。視点が定まらない顔つきで小屋に辿り着くと、鍬を手に取り、早希の元へと戻っていった。早希を見ることなく、横に穴を掘り始めた。愚痴や文句を言うこともなく、無心に穴を掘っていく。

 人が入る程度の穴を二つ掘り終えると、手を止め、早希を優しく穴の中へと入れ、土をかけていく。少しずつ、早希の体、顔へと土をかけ、早希の体は埋もれていった。早希を埋め終えると、次は西村の体を運び、粛々と同じ作業をこなした。土をかけ、老人にしたように近くにあった石を載せると、二人に向い手を合わせた。助けられなくてすいません、すいません……。何度も何度も二人に謝った。

 小屋へと戻った了は居間へ上がると腰を落とし、脱力するように壁に寄りかかった。疲れ果てた。考える気力もないはずなのに、一点を見つめていると、嫌でも考えを巡らせてしまう。

 吸う気などはなかったのに、つい癖でたばこに火をつけようと、ライターを手にした。疲れからライターを持つ手にすら力が入らず落としてしまう。ライターを拾おうと、ふと床を見ると、早希が読んでいた老人の日記が目に入った。日記の内容など、全く気にもしていなかったはずなのに、昨夜の早希のことを思い出してか、無意識にそれを手にした。ぱらぱらと捲り、早希が読んでいた続きを読んでいく。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 一九四八年

 土間では腕に痣を持つ千代が、息子の清を見つめている。

「きよし……いいか、おめえは……」胸が刺されたことで口から湧き出る血で、言葉が詰まる千代。息子の肩を掴んだまま、話を続ける。

「よく聞け。おめえは、一生、人様に触らずに生きなきゃなんねえ。き、きっと、これは呪いだ。他の人に触って呪いを感染しちゃなんねえ。いいか、触ったら、触った人間が殺されるんだ」

 千代は嗚咽を漏らした。

「ごめんなぁ、清。かあちゃんのせいで、おめえも呪われたんだ。おめえも他の人に触ったら、こ、殺される。だから、絶対、絶対に他の人さ、触っちゃなんねえぞ」

 清はじっと涙が出るのを堪え、うん、うん、と頭を縦に振った。

「ごめんなぁ。道連れにしようとして。おっかぁを許し……」千代は言葉を言い切る前に息絶えた。千代が死んでいく様を待つかのように見ていた殺人鬼は、清に目をやると、何も言わずに去っていく。

「おっかぁ!」清は動かなくなった母にすがりつき、泣きじゃくった。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 現在

「母に起きたこと、村の状況を見た私は一人で生きていく覚悟をした。一生、誰にも触らずに、生きていくことを決めたのだ」了が日記に書かれている内容を読みあげた。

 了は全身の力が抜けたように、日記を脇に放り投げ、起こったことを思い出してく。目を見開くと、マグマのように込み上げてくる吐き気に耐えられずに、囲炉裏に胃の中の物を全部ぶちまけた。

「ふざけんな。俺じゃねえかよ。俺が触らせさえしなけりゃ。なんで、余計なことした! 触らせなきゃ、あいつは、まだ生きてたんじゃねえかよ。馬鹿かよ、俺は。俺が、あいつを殺したんだ……俺が……」

 早希を殺した原因が自分にあった、と分かると同時に、老人のように、この先誰にも触れることができないことも悟り、了は絶望した。囲炉裏に刺さっていた火箸を掴むと、自身の喉元にあて、突き刺そうとする。火箸は喉の皮を破り、血が垂れ流れてくる。

「西村さん、言われたこと守れなくてすいません。俺もそっちに行きます……」と西村の名前を口にしたところで、了は思い出す。西村が来た場面、早希の言葉を。

「だから、分かんないってば、あたしに言われても。けど、きっとこの人は呪いを持っていた。持っていたからこそ、ここまで来れたんだと思う。呪いの力で。そして呪いは、今、あたしに感染された」

 そうだ、殺されたはずの西村は死んだ状態のまま小屋に現れ、早希に呪いを感染したのだ。

 了は火箸を落とした。歩く屍。例え自分が死んでも、この体は誰かに触るまで、呪いを感染させるまで、動き続けるであろうことに気付いてしまった。

〈呪い〉の意味を知ったのだ。

 枯れ果てたはずの喉から、地獄の底から聞こえるような叫び声が溢れ出ると、小屋を囲む森一帯へと響き渡った。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 同日

 太陽が燦燦と森を照らしている。山道を中年男女の四人がハイキングを楽しんでいる。

「雨が上がって、よかった」と女は空を見上げて言う。

「ああ。昨夜の雨が続いてたら、無理だったが。山の天気は分からんもんだ。暑くてたまらん。少しは曇ってくれていいんだが」男が答えた。

「もう、そんなこと言ってると、ほんとに曇って雨が降ってきちゃうよ」

「そうだぞ、おまえ、ただでさえ雨男なんだからな」

「それを言うなって。これでも結構気にして――」と男は話を途中で止めると、何かを食い入るように目を凝らした。

「どうした?」

「おい。あれ見てみろよ。人か? 人が倒れていないか?」男は道の先を指差した。

 一同が男の示したほうを見つめると、確かに人が倒れているようだった。

「休んでいるようには見えんな」

 急ぎ足で、四人は倒れている人物に近づいていく。

 地面には肩を負傷した男が横たわっていた。傷口からは血が流れている。それは殺人鬼に殺された黒谷大の姿だった。ひゅう、ひゅう、と大の口元からわずかな呼吸音が聞こえてくる。
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