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第一章 『死の始まり』

第一章2  『骨』

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 生い茂る木々の下、木漏れ日で照らされた古ぼけた看板には、「森のキャンプ場」と紫外線と経年劣化で消えかけた文字が書かれている。看板横の砂利道を曲がり、学生を乗せたワゴンが森の奥へと向かう山道に入っていった。

 整備のされていない山道に揺られて進んでいくと、大きな三角屋根のログハウスが現れてくる。ログハウス前には、地面を均しただけの駐車場らしき場所があり、ワゴンはそこへ停止した。ドアが開くと、一番後ろの座席にいたみさえが、晴斗たちを押しのけるように飛び出し、開口一言、「疲れたぁ」と背伸びをした。何でこの子は……。気遣いということを一切しない自由奔放なみさえを共子は辟易した眼差しで見た。続いて、他の大学生たちも車から降りてくる。

「お、いい感じじゃないっすか。ここ、マジでただで泊まれるんすか」

「おう。と言っても、親戚のもんだけどな。数年前から営業はしてなくて、普段はほとんど使ってない。でも電気は通っているし、掃除もされている。使ってあげないともったいないだろ」晴斗の問いに、和真は誇らしげそうな笑顔を見せた。

「まずは荷物をログハウスへ持っていけよ」

 和真の指示に従い、各自は荷物をワゴンから取り出して、ログハウスへと運んでいく。トランクの奥に荷物を入れていた早希が、最後にバックを取り出そうとすると、大がその手に触れた。早希は反射的に手を引っ込める。その仕草に大は寂し気な表情で早希を見つめた。早希は何事もなかったかのように、笑顔で取り繕う。

「ほらっ、もう皆、先行っちゃったよ」

「早希、少しいいか? あの話し、なんだけどさ」

 やっぱり訊かれた。分かってはいたけど、まだ旅は始まったばかりでしょ、何も着いてすぐに話さなくたって……。

 早希は困った顔で、「うん」とうなずくと、ログハウスの前から和真が手を振っている。

「何やってんだ、早く来いよ」

「あ、待ってよ」渡りに船だと、早希も手を挙げ、小走りで皆を追いかける。

 早希の後ろ姿に向け、大は眉をひそめると、静かに舌打ちをした。

 鍵を外した和真が、ログハウスの扉をもったいぶるように開けると、外光がリビングルームを照らしていく。ソファが二つと机が一つ、そして椅子が幾つかあるだけの至ってシンプルな内装。天井の高さも相まって、六人が過ごすには充分な広さに見える。

 みさえ、晴斗、共子が遅れて部屋にやってきた。みさえは荷物を床に置くと、周りを見渡すように手を広げ、くるりと回転した。丸太で造られた壁。コンクリートでは決して味わえない木の温かみが、みさえの高揚感を高めた。

「いいねぇ。なんか、キャンプに来た、って感じ」

「ね、いいでしょ。何かワクワクしてくるっしょ」晴斗が、さも自分の物件を語るように、両手を腰にあて、胸を張る。

「いつ、おまえのもんになったんだよ」扉の近くから、大が突っ込みをいれた。

「いいじゃないっすか、もう今日は皆のもんっすよ。ほら、好きなとこ座りなよ」

 みさえに笑顔を振りまく晴斗の横に来た共子は、携帯電話を取り出して掲げると、眼鏡に手をかけ、画面を見つめる。

「でも、ここ電波は入らないみたいね」と共子が言うと、晴斗とみさえが泡を食って携帯電話をバッグから取り出し、掲げると、辺りをうろついた。

「ちょ、マジ?」

「嘘でしょ。あたし、聞いてない、聞いてない。最悪なんだけど」

 遅れて、早希と大が入ってきた。大は携帯の電波が入らないと騒いでいる二人に呆れた表情をする。

「行く前にちゃんと伝えただろ、この辺りは入らないかもしれないって」

「え、携帯つながんないと、あたし、死んじゃう」

「たった一晩ぐらい我慢してくれよ。俺たち以外には誰もいない、いくら騒いでもいい、こんな贅沢な状況は滅多にない。楽しまないと勿体ないだろ。そんなことより――」

「おう、早く川行こうぜ、暑くてたまんねぇよ」せっかちに服を脱ぎながら和真が大の言葉を奪った。

「そうだな。じゃあ各自、部屋に行って着替えてから」大は腕時計を確認して、「十五分後に集合な」と皆に指示を出す。

 大学生たちは、まばらな返事をしてから、リビングの奥にある部屋へと向かった。早希も部屋に向おうとするが、落ち着かない様子の共子に気付き、声をかける。

「共子、どうかした?」早希が共子の肩に軽く触れると、共子は必要以上に体をびくつかせた。

早希がきょとんとした顔つきで、「どうしたの。もしかして、車でしてくれた話のこと、気になってるの?」と共子に訊く。

「あ、うん。少し、ね」と答えた通り、言葉ではうまく表現できないが、なぜか事件についての不安がつきまとっていた。和真の言う通り、捕まっていない犯人が生きているはずもない。怖がる必要などあるはずもないのに……。ただ、話を聞いた相手があの人でなければ。

「だよね、ごめんね。ほんと、言ってよ。誘ったときに知ってたらさ、海に手を挙げたのに。共子も楽しめなかったら、せっかく一緒に来た意味ない。でも、安心して。仮に変な奴がやって来ても、あたしが共子を守るから」と言うと、両手を構え、ファイティングポーズをとってみせた。

「大丈夫。もう気にしないよ」共子が笑顔を向ける。

 共子が嘘をつく時は、左の口角があがる。そして、今も。早希は共子の仕草に気付いた。何か言いたくはない事情があるのだろうと、言葉を飲み込み、「ほんとに? なら、いいけど」と釈然としない顔つきで言った。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 森の中、全身を覆うスイミングジャケットを身に着け、着替えを入れたリュックを背負った大学生たちは、木や草を掻き分け、獣道を進んでいく。

 彼らは、サークルと名乗るほどの集まりではない。和真を通じて皆は知り合っていき、自然と普段から遊ぶ仲になっていった。昨年はみさえと共子を除く四人での旅行だったため、この六人のメンバーで来るのは、今回が初めてだった。目的地が海と山で意見が分かれたが、川をダイナミックに滑るアクティビティー、言わば自然のウォータースライダーができるキャニオニングであれば、水も山の自然も両方楽しめる、との和真の意見が今年も決定打となり、山が選ばれた。

 歩き始めは森を見て自然を満喫しながら、動物の鳴き声などに一喜一憂していた学生たちも、三十分も歩くと、足取りが重くなり、口数も減っていった。

「ねぇ、まだなのー?」燦燦と輝く太陽とジャケットのせいで、汗だくになったみさえが文句を言うと、「和真さん。遊ぶ前に体力がなくなっちゃいますよ」と晴斗も続いた。

「だらしねえなぁ」和真が嘆息交じりに言ったところで、川の音が聞こえ始める。

 犬のように舌を垂らし、背中を丸めて歩く晴斗の背を叩き、「ほら、もうすぐだから頑張れよ」と檄を飛ばした。

 川辺に辿り着くと、幅一メートルほどの緩やかな傾斜の川が、スライダー上に形成され、流れている。和真は早速、インストラクターさながらに滑る際のコツを得意げに女の子たちに指導していく。和真は親の財力を頼りに遊びほうけた結果、留年を繰り返した。ただ、遊ぶにしても運動能力があったわけでもないため、サーフィンやスノーボードの類は得意ではない。技術のいらないキャニオニングは遊べる上に、教えることもできる。少しでもかっこよく見られたい。和真が山を推した理由でもあった。

 ストレッチをしながら、和真の様子を横目で見ていた晴斗は、「女子がいると張り切っちゃうねえ、和真さん」と大に話しかけた。

「しょうがないだろ。あの人もこんなイベントでもないと普段女っ気がないからな」大が晴斗に耳打ちをする。

「だね。悪い人じゃないんだけど、モテないよなぁ。ま、そんなことより、先に行っちゃいますか。暑くてたまんないよ」

「ああ、行くか」

 和真たちを待っていられないと、大と晴斗は川の先にある小さな滝壺へと駆けていき、無邪気に飛び込んだ。

「え、ずるい」

 二人の様子を見て、いても経ってもいられなくなったみさえが、晴斗たちの後を追っていく。わたしも、と早希と共子も指導をしている和真を一人残し、次々に飛び込んでいった。

「おまえらな、いきなり入って、死んでも知らねぇぞ」と、ふくれっ面をする和真。しかし、最後、誰よりも勢いをつけて走っていくと、大きくジャンプし、くるりと回転しながら水面へと飛び込む。反動で大きな水しぶきが起き、それを浴びた大学生たちは歓声を上げて喜んだ。

 皆の笑い声が途切れるころ、一同は異変に気付く。和真が一向に水面に上がってこないのだ。皆の表情は一変し、心配した顔で周りを探し始める。

「え、上がってこないの、やばくない?」みさえが晴斗に訊く。

「ちょっと、これ、冗談じゃなく、マジ? 和真さん!」晴斗は大きな声で呼びかけた。

 すると、晴斗の後ろの水面が盛り上がり、うぉー、と声を出して和真が跳ね上がってきた。和真はそのまま晴斗を掴み、水の中に引きずり込んでいく。

「助けてぇ」晴斗は大げさな動作で救いを求めた。明らかに和真がふざけてやっている、と感じた大学生たちの表情は和らぎ、笑いが漏れる。和真は笑顔で、晴斗が浮かび上がってくる度に頭を押し込み、水の中へ沈めてく。

「……許して、ください……よ、か、ずま……さん……」

「許すわけねぇだろ、勝手に飛び込みやがってよ」


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 山の中に木々が開けた場所がぽつんとあり、自然には似つかわしくない黒い四角い物体が見える。それは黒いセダンだった。川のせせらぎを搔き消すほどの蝉が鳴く下では、佐々木が片目を瞑り、開いたトランクを覗きこんでいる。そこには、西村に撃たれた鈴木がぐったりとしていた。口を縛っている布が紅く染まっている。トランクからは汗と血と尿が混じった、むわっとした臭いが漂い、佐々木は口を塞いだ。

 鈴木は系列の風俗店を任されていたヤクザだった。女好きが過ぎて、何度も店の商品に手を出してしまう。吟味せにゃ、美味いか不味いか分からんだろ、食材は。客に出す前に素材をよく知る。料理と一緒だ、というのが口癖の男だった。通常、そんなことぐらいでは殺される処分が下されることは滅多にない。まずかったのは、組長のお気に入りの子にまで手を出してしまったことだった。それも一度でなく、何度も。西村に車で殺されなかったとしても、遅かれ早かれ、鈴木はこの森で始末をされる運命にあった。腹上死が俺の夢だな。そう語っていた鈴木を思い出し、夢が叶えられなかったな、と憐れんだ目で佐々木は首を振った。

 車から少し離れたところでは、西村と了は、鈴木を埋めるべくシャベルを使い、地面に穴を掘っている。穴はすでに数十センチ程の深さまで掘られていた。スーツ姿の男たちが穴を掘る異様な光景。本来であれば、盃を受けていない手下にさせるような仕事だ。ったく、佐々木の野郎、こんな分かりやすい嫌がらせしやがって。俺はまだいい。けど、西村さんにさせるのは忍びない。了は滝のように流れる汗を拭うことなく、作業を続けながら、西村に小声で話しかける。

「いいっすよ、西村さん。後は、俺がやりますから」

 西村も手を止めずに、「気にするな、これも仕事だ。それに、おまえとは立場はもう同じなんだ。いいかげん、さん付けで呼ぶな」と言ってくる。

 了はぴくりと反応し、手を止め、西村を見た。

「いやいやいや、それだけは、いくら西村さんに言われても無理っすよ。どんだけ俺が前の組で世話になったと思ってんすか。俺にとって、立場がどうのこうのは関係ないんすよ。西村さんは何があっても、一生俺の兄貴分ですからね。憧れなんす。それに、今の組だって、佐々木の野郎がオヤジの力を使いさえしなきゃ、西村さんがこんな立場に――」

「あ? オヤジがどうしたって?」興奮気味で語っている了を、佐々木が止めた。

 いつの間にか穴の傍に来ていた佐々木が、すぱすぱとたばこを吸いながら、不機嫌そうに二人を見下げている。二人をこき使ってやろうと、鈴木の始末を喜んで引き受けたまではよかった。しかし、避暑地だと思われた山の暑さは予想外で、佐々木はすでに参っていた。

「手が止まってるじゃねえか。お喋りはいいから、ちゃっちゃとやってくれよ、了ちゃん。こんな辺鄙な田舎のくそ暑いところに、俺は一日中居たくねえんだ。分かんだろ?」

 てめえが仕事受けたからだろうが。どんだけ理不尽なんだよ、この野郎は……。

「もちろん、分かってますよ。やりゃあいいんでしょ、やりゃあ」了は不貞腐れた態度で答え、シャベルを手にする。

「あ、なんだその言い方。おまえ、また――」

「すいませんね、佐々木さん。もうすぐ、済むんで」西村が口を挟み、佐々木を見つめた。

 この目つき。西村と初めて出会ったのが知り合いのキャバクラ店だった。その日は嫌なことが重なり、系列店ではないことをすっかり忘れて、飲み過ぎて大暴れをした。いくら知り合いといえども見過ごせないレベルの暴れっぷりだったが、佐々木の素性も知っていたので店長は何もできない。そこへやって来たのが、当時、店のケツ持ちをしていた組の西村だった。蛇に睨まれた蛙。西村の凄みの利いた目に佐々木はそそくさと支払いを済ませ、出ていった。人生で初めて味わった屈辱。西村との因縁の始まりだった。

 心の底から嫌な目だ。西村の眼力に耐えられない佐々木は目を逸らすと、「早く済ませろよ。ったく。何でこの俺様が、こんな仕事やらなきゃなんねぇんだよ」と理屈に合わない愚痴を言いながら、離れていく。

 おめえが言うな、おめえが。手を動かしてすらないにも関わらず、汗を拭い、一番苦労をしていそうな顔をしている佐々木を、了は不満げに横目で見ながら、土を穴の外に出す単純作業を反復していった。土が積み上げられていく付近には、長い年月により木や草に覆われて目立たないが、石碑のような物が設置されていた。高さは一メートルにも及ばない石を荒く削っただけの小さな石碑。表面には、「封」という文字が刻まれている。二人はそれに気付くことなく、作業を続けていった。

 自然の岩で作られたスライダーを、個人や、六人全員一緒に繋がった状態で滑るなどして、大学生たちはキャニオニングを満喫している。滑る川の岩は水流により滑らかになっており、また苔も生えているので、思いのほか滑りやすい。始めは、ただウェットスーツを着て川を滑るだけと聞き、そんなものが面白いのかと、半信半疑だったみさえや共子も、あっという間に慣れ、はしゃいでいた。

「疲れるけど、やっぱり、すっごく楽しい」川から上がる早希から、笑顔をこぼした。和真は、また得意げな顔つきで、「な、だから言ったろ」と誇ってみせた。

「うん。海は海でいいけど、これはこれで気持ちいいね」みさえがウェットスーツの上を脱ぎ、豊満な水着姿を露わにする。和真と横にいた晴斗は、唾を飲み込んだ。そんな二人の視線を遮断するように、共子が前に立ち塞がる。

「でも、そろそろ帰らない?」

「そ、そうだな。そろそろ時間か。じゃ、帰ろうか。な、晴斗」と和真は目を泳がせて晴斗に顔を向けた。

「そ、そっすね。お腹も減ってきちゃいましたしね」


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 真上にあったはずの太陽も、気がつけば斜めの位置にあった。学生たちは着替えを済まし、リュックを背負うと、ログハウスへ向かい歩き始める。

 滑っているとき、プールでは味わえない楽しさがあった。飛び込んだ瞬間の爽快感は最高だ。などと皆がキャニオニングの感想を言い合いながら進んでいると、分かれ道に差しかかる。えっ、ちょっとなに。不意に早希の手首が誰かに掴まれたかと思うと、大学生たちが進む道とは別の道へと引っ張られていく。

「ちょ、ちょっと、待って」と早希は手を振りほどいた。目の前では、ばつの悪そうな顔をした大が早希を見つめている。

「話がある。分かっているだろ」

 大の言葉を聞くと、これ以上は引き延ばせないか……、と今度は早希が、ばつの悪そうな顔をした。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 積まれた土の山の横で、暑さで温くなってしまった缶コーヒーを飲み、佐々木はたばこに火をつける。暑さは嫌だ。でも、大自然の中で吸うたばこは、どうしてこうも美味いのか。綺麗な空気を吸い、肺を汚す。背徳感がそう感じさせるのかもしれない。ましてや、あくせく働く者たちの横だと格別な美味さだ。と思いながら佐々木は煙を吐き出した。視線を落とすと、穴は人が埋まるぐらいの深さまで掘られていた。了が大量に出た汗を拭っている。

「こんなもんでいいっすよね」と了は西村に訊ねる。

「ああ」

「じゃあ、これで最後っと」

 了が仕上げとばかりに、力強くシャベルを土に深く突き刺す。土の中から鋭い金属音が聞こえ、「いってぇ!」と了が痛がる声を発した。

「どうした」西村はシャベルの柄に手をかけ、了を向く。

「いや、なんかにぶつかって。石っすかね」了は痛さを取り除こうと手をぶらぶらと振った。

 了がシャベルを退け、西村がその音がした辺りを手で掘っていくと、土の中から固く四角い物体が現れる。了は土を払いのける。それはティッシュペーパーの箱ぐらいの大きさ、形状をした鉄の小箱だった。小箱の蓋には古びた札で封がされている。札にはお経のような文字がびっしりと書かれていたが、読むことはできず、それが何を意味するのか、二人とも見当がつかないでいる。

「何すか、これ」了は不思議そうに小箱と札を見つめる。

「分からんな」西村がサングラスの位置を直した。

 騒いでる二人が気になり、穴に近寄ってくる佐々木が不機嫌そうに覗き込む。

「ったく、何やってんだよ。まだ終わんねえのかよ」

 佐々木は了が持っている鉄の小箱に気付くと、「何だそれ」と不意に了から小箱を取り上げ、上下左右に動かして、じろじろと観察する。

「何だ、この文字。何て書いてあんだ」

「そういうのは無下に扱うもんじゃない。元に戻しといたほうがいい」西村が佐々木に忠告する。

「あ? もしかして、こんなもんにびびってんの、西村さん?」

 顎を突き出して首を傾げる、人を馬鹿にした佐々木の仕草に、手が出そうになっている了を西村が目で抑止した。佐々木は舌打ちをして、興味を鉄の小箱へと戻す。宅急便の送付書を剥がすように箱についている札をさっと取り除き、小箱を開けると、なぜか佐々木は声を上げて仰け反り、怯えるように小箱を投げ捨てた。

 西村と了は、佐々木の行動を不思議そうに見つめた。二人の視線は地面に落とされた小箱へ移り、穴から這い出て、近づいていく。鉄の小箱からは何やら白っぽい物体がはみ出ていた。了は座り込み、注視する。経年劣化により薄い茶色に変色した、それは、人間の手の骨だった。了は木の枝を使い、骨を調べ始める。手首から下の部分は、刃物で綺麗に切断されたようになくなっている。上の部分はすべての指が残っていた。不思議なことに、バラバラになるはずの骨は人体模型のように繋がっていて、手の形状を保っていた。

「人の骨、っすよねえ、これ。小学校の理科の教室で見た以来だなぁ」

「了。おまえ、小学校まではちゃんと行ってたのか」西村は関心した素振りをみせる。

「えっ、西村さん、俺のこと馬鹿にしてます? ちゃんと行ってましたよ、中学までは。卒業式行ってないから、卒業できてるのかは知らないですけどね」

「そうか」西村は思いがけず、笑みをこぼした。怖い風貌と不器用な物言いから、理解がされにくく、周りからは恐れしか抱かれたことがない。そのため、西村が人生で心を許し、冗談を言える相手は片手で数えるぐらいしかいない。了との付き合いはそれほど長くはなかった。それでも、了はいつの間にか、そのうちの一人となっていた。

 佐々木は落ち着きを取り戻し、立ち上がる。

「何見てんだよ、気持ちわりぃな。早くどっかに捨ててこいよ」

「え、単なる骨っすよ。どうせ鈴木を埋めるんだから、一緒に埋めちゃえばいいじゃないっすか」

「そういう気色悪いのは、昔から嫌いなんだよ」

 佐々木の態度は、了に辞めたバイト先の店長を思い出させる。上には媚を売り、下には権威を振るう。面接の短い時間ですら、それが分かった。金のためだと仕方なく働き始めた了。狐に良く似た目をしたその男は、バイト初日の一時間後には、店の奥のテーブルへと吹っ飛んでいた。当時、忍耐という二文字は持ち合わせてはいなかった。現在は殴った相手次第で、殺される可能性もある世界だということは理解している。自分が大人になったのか、日和ったのか。嘆きと怒りが混じり合った感情が了の心に込み上げてくる。

「てめえが一番びびり野郎じゃねえかよ」佐々木に聞こえないぐらいの音量で、了は文句を言い、軽く舌打ちをすることが精一杯だった。

「あ? なんか言ったか? いいから、早く行け。できるだけ遠くへ捨てて来いよ」

「はいはい」と了はやる気のない返事をする。

 気怠るそうに、木の枝で手の骨を元の鉄の箱に納めると、了は歩き始めた。

西村が何気なく森を向くと、風に吹かれて木の葉が揺れている。ざわざわと聞こえる葉が重なる音は、どこか警戒音のようにも感じた。なんだ、この胸騒ぎは……。西村は奇妙な感覚を覚えた。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 佐々木の野郎、いつかぶっ飛ばしてやる。とぼやきながら、了が鉄の小箱をセカンドバッグのように脇に抱え、肩を揺らして森の中を歩いていく。森の木々や動物の音に交ざり、川の音が聞こえてきた。了が音のするほうへ足を運ぶと、崖に辿り着いた。地盤が緩みやすくなっていたのか、了が崖下を覗き込もうと一歩踏み出すと、足元が崩れた。土と砂利がぱらぱらと崖下から十数メートル下にある川へと落ちていく。小箱を見つめ、これは不法投棄になるのか、と自問してみるも、ここに来た目的を思い出すと、笑みを浮かべた。ま、死体を捨てるわけじゃねぇしな。了は小箱を川へ目掛け投げ捨てる。ドボンと音を立て、手の骨が入った鉄の小箱は川に落ちると、沈みながら下流へと流されていった。
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