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1話 薬師になります
しおりを挟む私の名前はソウカ=グローリア。
グローリア男爵家の一人娘として産まれた私は、幼い頃に母親を亡くし、父親は私が十六歳の時に亡くなった。
私の家は、男爵家の中では比較的裕福で、お金に困ったことは無いし、お父様はお母様亡き後も、私に愛情を一杯注いで育ててくれた。そんなお父様も、私が十五歳になった頃、病気を発症してしまった。
ここ、メリエルラシア帝国では、女性は爵位は継げず、跡継ぎとなる男児がいない家は、帝国に爵位と領土を返還しなくてはならず、親戚に頼れる者がなく、跡を継ぐ者がいなかったグローリア男爵家は、父親が亡くなった後、全てを返還することになった。
このままでは私が一人になってしまうと心配したお父様は、急いで私の結婚相手を見つけた。
その相手が、今の私の夫であるジェイド=クレオパス子爵。
ジェイド様はお父様が娘の結婚相手を探していると知ると、笑顔でお父様に近寄り、自分も結婚相手を探していたと、ジェイド様の方から縁談を持ち掛けた。
お父様は、爵位も上の良い縁談を見つけることが出来たと喜び、これで安心して私を任せられると、病床に伏せたまま、ジェイド様の手を握り締めた。
ジェイド様は、『娘さんの事は僕に任せて下さい』とお父様の手を握り返していたけれど、部屋から出たジェイド様は、まるで汚いものに触れたかのように、ハンカチで何度も手を拭き取った。
その時から嫌な予感はしたけど、もう手遅れ。
結婚の話は進んでいたし、何より、もうすぐ息を引き取るであろうお父様に、安心して旅立って欲しかった。天国にいるお母様に、『娘は大丈夫だよ、幸せな結婚をしたよ』と伝えてもらって、安心して二人で過ごして欲しかった。
結婚前は優しかったジェイド様。予想通り、結婚後、彼はすぐに豹変した。
「おいソウカ。これは何だ? 何のために家のお金を使った?」
家の帳簿を片手に、険しい表情で私を睨み付けるジェイド様。
「それは……お義母様の薬代です。最近、お義母様の容態が良くなくて、少し良い薬草が欲しかったんです」
「馬鹿が! 薬草が無いなら、勝手に森でも何でも行って採ってくればいいだろう!」
「この近くの森には生息していない薬草だってありますし、最近は魔物もよく出るから、業者から買わないと手に入らなくて……」
「言い訳するな!」
ゴッっと、強い衝撃が頬を走った。
殴られた衝撃で口の中を切ってしまい、血の味がする。
「無駄な出費をして僕の金を勝手に使うな! 僕に寄生している分際で、養われている自覚があるなら、少しは嫁としての役目を果たせ!」
「……申し訳ありませんでした」
私の体には、至る所に痣がある。気に障ることをすれば殴られるのは日常茶飯事で、彼はお父様が私のためにと残した財産を全て奪い、嫁とは名ばかりの家政婦のような扱いをした。
クレオパス子爵夫人として一度だって私を社交の場に連れて行ったことは無く、愛を囁かれたことも無いが、嫁としての役目を果たせと、家や使用人の管理、病弱なお義母様のお世話も命じた。家の管理は、貴族夫人の役目としてするべきことではあるが、ジェイド様は満足なお金を渡してはくれなかった。クレオパス子爵邸はそれになりに大きな屋敷なのだから、その分、庭の手入れや家の維持費、使用人達へ支払う給金が必要なのに、渡されるお金の額は、必要経費の半分にも満たなかった。
それでも頑張ってやり繰りしているが、ジェイド様は私が使ったお金を帳簿で逐一確認されており、何か少しでも彼の気に障る金の使い方をしたら、ああやって私を呼び出し、怒鳴り散らす。
「いたた……」
私がいつもここで過ごしているのは、ジェイド様がいる本邸では無く、別邸――あれを別邸と言っていいのだろうか? どちらかと言えば、物置小屋のような小さな小さな小屋。
本邸から別邸に帰る道すがら、私はジェイド様に殴られた頬に触れた。きっと赤く染まり、腫れているだろう。
「女を殴るなんて最低」
結婚して六年――私はずっと、こんな生活を送り続けている。
「お義母様、ただ今戻りました」
「ソウカさん、お帰りなさい」
別邸の扉を開けると、私の義理の母親であり、ジェイド様のお義母様が、この家に似つかわしくない豪華なベッドで体を起こしながら、笑顔で私を迎え入れた。
「起きていて大丈夫なのですか? お義母様」
「ええ、今日は調子が良いみたい。ソウカさんが作ってくれた薬のおかげね」
「それは良かったです」
お義母様はジェイド様と似つかわしくない、心の優しい方だった。この家で、私に唯一優しく接してくれる人。
「ソウカさん、その傷……また、息子が?」
「いいえ、転んでぶつけちゃっただけです」
お義母様に悲しい顔をさせたくなくて、私は嘘をついた。
「傷薬を使って頂戴」
「これくらい大丈夫です! それより、食事にしましょう! 今から食事を作りますね」
クレオパス子爵邸に料理人はいるが、私とお義母様の食事の準備はされない。もっと言えば、別邸にはメイドもいない。だから掃除も洗濯も、全てを自分でしなくてはならなかった。
「お義母様、どうぞ」
「ありがとうソウカさん」
お義母様が食べやすいお粥と、梅干し一つ。本当は、新鮮な果物でも用意したいのに、お金が足りなくて用意出来ないのがもどかしい。
お義母様の病気は、この世界特有の病気の一つで、魔力を持つ者だけが罹る魔力病と呼ばれるもの。
魔力を持ちながら魔法を使う事が出来ず、上手く放出出来ないために起こる病気で、この病気が発症した者は徐々に体が弱り、食事をとることも出来なくなって、最終的には死んでしまう。有効的な治療薬も無く、私の両親も、同じ魔力病で亡くなった。
「ごめんなさいね、ソウカさん……貴女にばっかり負担をかけてしまって」
「そんな! お義母様のことを負担だなんて思ったことはありません」
「亡くなった貴女のご両親に申し訳が無いわ」
お義母様とジェイド様は血が繋がっていない。
お義母様は後妻で、ジェイド様の本当の母親は不貞を働き、離婚して家を追い出されたらしい。
ジェイド様は、本当の母親を追い出した父親を憎み、後妻として迎え入れたお義母様のことも毛嫌いしている。
「旦那様が生きていらした時は、あの子もまだ大人しくしていたのだけどね」
父親が亡くなり、クレオパス子爵を継いだ後、病気になったお義母様を別邸に追いやり、私が両親から継いだ遺産と、身寄りが無く好き勝手に扱える家政婦を目当てに、私と結婚した。
質素なこの別邸に似合わないお義母様の豪華なベッドは、本邸に住んでいた頃の物を使用しているからだ。
「……ソウカさんが、私の本当の子供だったら良かったのに」
「お義母様……」
ジェイド様は、一度だって別邸に足を踏み入れたことは無い。
魔力を待たないジェイド様は魔力病にならない。そもそも、魔力病は人に伝染るものではなく、魔力が原因で発症するものなのに、まるでお義母様のことを病原菌の塊のようなものだと思っている。そう言えば、私のお父様にも、ジェイド様はそんな態度でしたね。
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