ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。

光子

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1巻

1-3

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 ◇


 マルクス伯爵邸。
 朝この家を出てきた時は、メトとの契約を絶対に成功させなければって、そればかり考えていた。
 今、無事に契約を成立させて戻ってこられて、ホッとしている。

「ルエル!」

 玄関の扉を開け中に入るとすぐに、カインが心配そうに駆け寄ってきた。

「どこに行ってたんだ⁉ 朝早くから姿が見えなかったから、父様も母様も心配してたんだぞ⁉」

 本当に、カインは私を馬鹿にしているよね。あんな酷く裏切っておいて、何事もなかったように普通に話せるんだもの。頭が空っぽ過ぎて、逆に感心しちゃう。

「心配? 暴言の間違いでしょ? どうせ、食事の準備をしていないと怒っているんでしょう?」
「それはそうだ。だって、朝と昼の食事の準備をするのは君の仕事だろ?」
「馬鹿なの? 私達はもう離縁してるのよ? 貴方達の世話なんてするわけないじゃない」

 水面下で離縁の手続きが進められていた間、何も気づかず世話していたなんて……自分が惨めで仕方ないわ。

「それは、君に子供が――」
「馬鹿の一つ覚えね」
「ルエルさん!」

 おっと。元お義父様とお義母様もお出ましね。
 予想していた通り、大変怒っていらっしゃるみたい。

「お前、どこに行っていたんだい⁉ 嫁の仕事もせずに! サボるんじゃないよ!」

 子が子なら親も親ね。同じような事をぐだぐだと。鬱陶うっとうしい。

「お言葉ですが、私はもうカインと離縁しています。そちらの嫁ではなくなったのですから、嫁の仕事をする必要はなくなりましたよね」
「お前が出て行ってから新しい料理人を雇う予定なんだ! それまでは家に置いてやってるんだから、ちゃんと働かんか!」

 働いていましたけど? 貴方達がろくに家の事も仕事もせず、私に全てを押し付けてぐうたらしている間、私はずっと馬車馬のように働いていたのよ? 本当、今思えば馬鹿みたい。

「なら、今すぐに出て行きますので、嫁の仕事をする必要はなくなりますね」
「え⁉ もう出て行くのかい⁉」

 私の台詞セリフに、悲しそうな表情を浮かべるカインの神経が分からないわ。
 貴方が私を裏切ったから、私は出て行くの。

「ええ。ここには荷物を取りにきただけです」
「何言ってるんだい⁉ あんたが持っていく荷物なんて一つもないよ! あんたの荷物は、うちが出した金で買ったうちのもんだ。まさか勝手に持っていく気かい⁉ 盗人猛々ぬすっとたけだけしいね!」

 実家でも、この家にいる間も、私は必要最低限の買い物しかさせてもらえなかった。そんな少ない荷物すら、貴方達は私から取り上げるつもりなのね。

「母様、父様、そのくらいにしとこうよ。ルエルは世間知らずだから、僕達の物を自分の物と勘違いしちゃっただけなんだ。な? 盗むつもりなんてなかったよな? 大丈夫、僕はちゃんと分かってるよ」

 ここで私が何を言っても無駄ね。

「分かりました。このまま出て行きます」
「ふん、さっさと出て行け! このハズレ嫁が!」
「ルエル、幸せになってね」

 幸せになってなんて、どの口が言っているの?
 本当に私が、あのままで幸せになれたと思っているの?
 カインが私を不幸にしたのに、その口で私の幸せを願うのね。本当に、私をめてる。

「ええ。幸せになるわ」

 貴方達から全てを奪い取って、貴方達がどん底に落ちるのを見るのが、私の幸せよ。

「――ルエル。迎えに来たよ」

 メト、とても良いタイミングですね。

「ルルルルル、ルーフェス公爵様⁉」

 何食わぬ顔で、扉を開け玄関ホールに入ってくるメト。
 元お義母様もお義父様も、予想だにしない上級貴族の登場に、腰を抜かしそうなくらい驚いておられますね。そう、今回はわざと、目立たないようにルーフェス公爵家の馬車を門口に停めなかった。私が普段言われている罵声ばせいをメトに聞かせるために。

「彼女が出てくるのを外で待っていたんだが、俺の愛する人に随分酷い言葉を投げ掛けてくれたものだな。ルエル、大丈夫か?」

 メトは私の頬に優しく触れながら、私に気遣いの言葉をかけた。

「ななななななんで⁉ ル、ルエルと……一体どういう事だ⁉ お前なんかが!」

 元お義父様――マルクス伯爵様、取り乱し過ぎじゃありません?
 その口調、ルーフェス公爵様に対してのものではありませんね。
 流石、伯爵家を没落ぼつらくにまで追い込んだ無能な領主。

「お前? 口の利き方に気を付けてもらおう。ルエルは、今日から俺の妻になった」
「――つま⁉ そんな馬鹿な!」
「嘘でしょう⁉ その女は欠陥品けっかんひんです! ルーフェス様、騙されないで下さいまし!」

 お二人とも、本当に私の事がお嫌いですね。

「それ以上、ルエルを侮辱ぶじょくする事は許さない」
「メト」

 本当に私のために怒ってくれているのが、肩に乗せたメトの手から伝わってきてとても嬉しい。おかげで、冷静にこの人達と向き合える。

「メト。折角荷物を取りに来ましたが、勝手に持ち出せば盗人ぬすっとになると言われたので、私が持ち出せる物は一つもありませんでした」
「いや、待てっ」

 私から出てくる言葉を慌てて止めようとしますが、止めるはずありません。
 なんせ、貴方達にハッキリと私の立場を分からせてあげるために、わざとメトに遅れて中に入ってきてもらったんだから。

「マルクス伯爵家は、離縁する元嫁には何も持たせず、出て行かせるわけか」
「ご、ごご誤解でございます! ちゃんと! 持って行かせようとしましたとも!」

 媚びへつらうように身を低くし、手を揉むマルクス伯爵様。今更、持って行かせようとしてたなんて、誰が信じるのよ。

「いえ。もういりません。盗人ぬすっと扱いされたくありませんし、元から私の物は殆どありませんから」

 三年間ここで過ごして手にしたのは、必要最低限の仕事に着ていく服と化粧品だけ。後は何もない。カインからも贈り物の一つも貰った事がない。

「そうか。なら、今度俺が君に指輪をプレゼントするよ。誰よりも豪華な指輪を贈ろう」
「とても嬉しいです、メト」

 それは良い考え。その指輪を付けた私を見る度に、きっとエレノアは顔を歪めるでしょうね。

「では、元、家族の皆様。今までお世話になりました。今日から赤の他人です。次にお会いする時がありましたら、今までみたいな馴れ馴れしい態度は止めて下さいね」
「ル、ルエルっ!」

 何故か自分が裏切られたみたいな、傷付いた顔をするカインあなたが嫌い。
 元お義母様、お義父様の引き攣った顔も見られたし、今日は満足。まだまだ足りないけど。
 もっともっと、不幸にしてあげるから、楽しみにしていてね。



   第二章 ルーフェス公爵家


「ふぅ」

 元義実家との決別けつべつも終え馬車の中に戻ると、張り詰めていた糸が緩んだのか自然と息が漏れた。

「中々に愉快でクズな義実家だったね」
「お付き合い頂きありがとうございます」

 これで、私は無事に望まぬ縁談えんだんから脱出出来たし、義実家と決別けつべつも済んだ。

「構わない。さっきも伝えたが、復讐に俺が必要なら遠慮なく使えば良い。俺ほど魅力的で強力なカードはそうない。有り難く使え」
「その通りですけど……自分で言っちゃうんですね」
「事実だからな」

 実際、メトのおかげでこんなにスムーズに物事が進んだ。彼が契約結婚を了承してくれなかったらと思うと、悲惨ひさんな未来しか見えなくて身震いする。

「メト、私のために怒って下さって、本当にありがとうございます」

 純粋に嬉しかった。どちらの家でも、私の味方をしてくれる人はいなかったから。

「……君のためだけじゃない」
「え?」
「もうすぐ公爵家に着くぞ」

 意味深な事を言われたけど、詳しく話したくはなさそう。それなら無理に聞き出そうとは思わない。話したくなったら、向こうから話して下さるかな。


 ◇


 ルーフェス公爵邸――帝国で一番の大富豪。その名に恥じない立派な家を、馬車の中から見上げる。勢いで契約結婚をしたけど、私、こんな立派な家の夫人になるのね。
 前回は使用人が誰一人もいなかったけど、ここには当たり前だけど沢山の使用人がいる。

「さっき知らせを送っておいたから、俺が結婚相手を連れて帰るのは知られているはずだ」

 それは、今頃屋敷は大パニックでしょうね。今まで沢山の縁談えんだんを断り続けてきたメトが、急に結婚相手を連れて帰ってくるんだから。それも訳ありの伯爵令嬢。
 生家や元義実家とは規模が違う、広くて手入れの行き届いた綺麗な庭を抜けた先にある大きなエントランスに着くと、馬車は止まった。
 ガチャッと馬車の扉が開かれ、メトにエスコートされ外に出る。

「お、メト、本当に結婚相手を連れてきたんだな!」

 だ、誰この人?
 馬車を降りると、凄くフランクにメトに話し掛ける人物が、まじまじと物珍しそうに私を見た。
 この服、執事? 執事が何故、主人であるメトにそんなに馴れ馴れしく話し掛けてるの?

「ラット、止めろ」

 ラットと呼ばれる男の人の視線から庇うように、間に立つメト。

「メト、本当に好きな相手が出来たんだな! おめでとう、今日はご馳走ちそうだ! 早速、料理長に注文して――」
「待て無能」

 無能って、結構な言われようですね。でも、確かに執事っぽくない。少なくとも、私はこんな明るくて陽気な執事は見た事がありません。

「なんだよ?」

 否定もせず、すんなりと無能を受け入れましたね。もしや、言われ慣れてます?

「余計な事をするな。第一、人目があるところでは言葉遣いに気を付けろと言っているだろう」
「メトのお嫁さんなら大丈夫だろ?」
「……はぁ、もういい」

 頭を抱えながら溜め息を吐くメト。
 でも、メトも本気で怒ってないみたい。なんか、凄く仲良く見える。かも。

「ルエルだっけ?」
「あ、はい。ルエル=クリプトと申します。本日より、メト様の妻としてお世話になります。どうぞ、よろしくお願い致します」
「ルエルは良い子そうだな! 流石メト、性格ちょっとひねくれてるけど人を見る目だけは良いな!」
「ラット、いい加減にしないと査定さていに響かせるぞ」
「それは勘弁! では、俺――いや、私も自己紹介させて頂きます。私の名前はラット=アルファイン。アルファイン侯爵家の五男で、メト様とは幼馴染、そして今はルーフェス公爵家の執事です。以後お見知りおきを」
「ラット=アルファイン……アルファインって……あの有名な侯爵家のアルファイン様ですか⁉」

 アルファイン侯爵。皇帝陛下より主に重要な国境防衛を任されている貴族の一つ。
 さ、流石ルーフェス公爵家。屈指くっしの貴族のご子息が執事にいらっしゃるなんて!

「ルエル様、馬車での移動大変お疲れでしょう? すぐに部屋をご用意致しますので、こちらへどうぞ」

 先程までの砕けた口調を改めると、丁寧に私を屋敷の中に案内したアルファイン様。初めてお会いしたけど、想像とは全く違います。想像よりも明るくて陽気で、悪い人ではなさそう。
 応接室に案内され、用意された高級なティーカップで紅茶を頂く。

「ルエルはどこでメトと出会ったんだ?」

 アルファイン様、ぐいぐい質問されますね。
 メトは一旦自室に戻り、残されたのは私とアルファイン様の二人。他のメイドや使用人がいる時はきちんとした口調で話していたのに、二人っきりになった途端すぐに元のくだけた口調に戻った。

「えっと、仕事先で出会いました」
「仕事先? ああ、もしかしてルエル、マルクス伯爵子息の超有能夫人か?」

 ――超有能夫人とは?

「そっかそっか。離縁したから、メトが口説き落としたのか!」

 勝手に納得されてる。超有能夫人?
 私、貴族間でそんな呼び方をされてるんですか?
 他家の皆様からお茶会やサロン、パーティの紹介状を頂いても、そんなものに参加するくらいなら仕事を優先しろと言って、元お義母様達は参加を許さなかった。
 だから私は、貴族令嬢としての噂話に弱いのよね。

「ルエル目当てでマルクス伯爵家のお茶会の招待を受けたのに、君がお茶会にいないと残念がっていた令嬢の話を聞いたことがあるぜ!」

 事業が安定し、お金に余裕が出るようになると、元お義母様はすぐにお茶会を開いた。でも私は、準備だけ押し付けられ、参加するのは元お義母様だけ。

「マルクス伯爵夫人は、私が参加するのを嫌がっていましたから」

 一瞬、いつものように適当な理由――仕事が忙しくて参加出来なかったと言おうと思ったけど、今はもうあの人達を気にする必要もなくなったし、事実を伝えた。

「そんな意地悪をされんのか?」

 私に仕事以外で貴族との繋がりを持たせたくなかったんでしょうね。元お義母様は、私宛に送られた招待状の返信すら許さなかったのだから。

「それで? 仕事先で出会って、メトの方から求婚したのか⁉ プロポーズの言葉は⁉」
「えっと」

 本当にぐいぐいきますね!
 ど、どうしよう。あんまり話したら、ボロが出ちゃいそうで怖いんだけど。

「――ラット、いい加減にしろ」
「メト!」

 自室から戻ってきたメトは、質問攻めにあっている私を助けるように、アルファイン様に声を掛けた。

「いいだろ、気になるんだから! このまま一生独身を貫くと思ってた親友の結婚、気にならない方がおかしいって!」
「契約結婚だ」
「!」
「契約結婚?」

 聞いた言葉を、そのまま復唱するアルファイン様。
 契約結婚をする際に取り決めた誓約書には、《契約結婚の事は、協力者以外に口外しない》と記した。私には協力者になるべき信頼に値する人はいないけど……
 アルファイン様が、私達の協力者なの⁉

「へぇ、それはそれは」

 契約結婚に至るまでの過程の説明を受けたアルファイン様は、チラリとこちらに視線を向けた。

壮絶そうぜつな人生を送ってるな」
「そうですよね」

 人払いを済ませてある応接室で、豪華なテーブルを囲み、三人で密談する。
 今までメトの結婚を手放しで喜んでいたアルファイン様だけど、契約結婚の話を聞いてもそんなに驚かず、どちらかと言えばすんなり受け入れた。

「おかしいと思ったんだよな。メトが一目惚れとか有り得ない。契約結婚の方が断然納得するぜ」

 さっきまでアルファイン様、めちゃくちゃ喜んでいましたけどね。

「ああ、これで俺にきている全ての縁談えんだんを断れるだろ。今日中に全てに断りの連絡を入れろ」
「無茶言うなよ! お前宛の縁談えんだんがいくらきてると思ってるんだ⁉」

 仕事先で話には聞いていましたけど、やっぱりメトには大量の縁談えんだんが持ち掛けられていたんですね。

「こんな奴と結婚していいのか? メト、血も涙もない冷たい奴だけど」

 メトを指差しながら私に尋ねるアルファイン様。

「……私は、契約とはいえこうやって結婚出来たのがメトで良かったと思っています」
「お、本当か?」

 何故か目を輝かせながら私の方に身を乗り出すアルファイン様と、少し険しい表情を浮かべるメト。
 仕事先で耳に入るルーフェス公爵様の噂は、目的のためなら手段を選ばない冷たくて残忍ざんにんな人だというもの。でも実際は、私が家族にされた仕打ちを聞いて、自分の事のように怒ってくれる優しい人。それに――

「頭の回転も早くて、臨機応変に対応できて決断力もある。こんなに素敵な仕事相手、他にいません!」

 力強く答える。だってメトは、今まで出会ったどの仕事相手よりも、有能で頼りになって一緒に契約結婚しごとがし易い!

「仕事相手かよ!」
「それ以外に何が? 私達の関係はビジネスです」

 恋愛感情なんて、恐れ多くて持てません!
 それに、絶対に貴方からの愛を望みませんって口説き落として、契約を結んでもらいましたからね。約束を破るのは、仕事において信用問題に関わります!

「甘い展開を期待してたのになー」
「上出来だ。流石、俺が認めた契約相手」

 文句を言うアルファイン様の隣で、私の答えに満足した様子のメトは笑みを浮かべた。

「ふふ。お褒め頂きありがとうございます」

 ――それに、メトだけじゃない。きっと、私はもう誰も好きにならない。
 どうせエレノアに奪われてしまうなら、初めから誰も好きにならなければ良い。
 愛する人に裏切られるのは、もう嫌。


 ◇


 夜が明けて目を覚まし、見知らぬ天井が目に入ってきて、全てが夢でないと実感する。
 カインに離縁されたのも、メトと結婚したのも、全部全部、現実で起こった事なのだと。
 ここに来てからもう数週間経つのに、まだ全然、私に用意されたこの広くて綺麗な部屋に慣れない。私には不釣ふついだと思える大きなベッドの上には、あちらこちらに散らばる書類と私宛の招待状の山。
 公爵夫人になってから今日まで、私は休む暇なく働いていた。
 メトに任された事業の挨拶回りに、経営の確認、マルクス伯爵家時代にお世話になっていたお客様や取引先への謝罪と、ルーフェス公爵家での仕事のお知らせ。
 さらに、私宛に届いた大量のお茶会やパーティの招待状への返信。
 やるべきことが多すぎて目が回るほど忙しかったけど、不思議と苦ではなかった。
 マルクス伯爵家でも毎日忙しくしていたけど、ここでは、仕事終わりに使用人の皆さんが労ってくれるし、温かい食事が勝手に出てくるし、部屋も綺麗に掃除そうじしてくれるし、ハズレ嫁なんて罵倒ばとうされないし、もう快適! 仕事だけに集中出来るなんて、なんて素晴らしい環境なの!

「ルエル様。朝食の準備が整いました」
「ありがとう。すぐ行きます」

 着替えながら、公爵家のメイドに返事をする。
 公爵家当主であるメトの発言力もあるのでしょうけど、訳ありの私を妻にするとの突然の報告にもかかわらず、公爵家の皆様は私を快く受け入れてくれた。
 着替えを終え一階にあるダイニングルームに向かうと、久しぶりに顔を見る旦那様の姿があった。

「おはよう。少しはこちらに生活に慣れたか?」

 私の旦那様は、私と同じくらい忙しい人みたいで、結婚してから今日まですれ違いばかりで全く顔を合わさなかった。

「おかげさまで。公爵家の皆様にも、とても良くして頂いています」

 彼のすぐ隣に用意された席に座る。起きたら朝食の準備がされているなんて、本当に幸せ!
 おかげさまで、朝もゆっくり目を覚ます事が出来る。

「君に任せた仕事は上手くいっているようだな」
「はい。以前贔屓ひいきにして頂いていたお客様や取引先への挨拶回りもすみましたし、何も問題ありません」
「部下達から、君の仕事ぶりはとても丁寧できめ細やかだと聞いている。マルクス伯爵家でも販売の事業を手掛けていたようだが、まだ我が家の名産品についての事業を任せて数週間しか経っていないのに、新規の顧客こきゃくも増えて結果を出しているとね」
「それは、以前から懇意こんいにして頂いたお客様が、マルクス伯爵家ではなく私を選んで下さったからです」

 マルクス伯爵家時代のお客様や取引先も、私の離縁と再婚を好意的に受け入れてくれたのが幸いだった。まぁ、挨拶のついでに、離縁の経緯を簡単にお話ししたら同情的になってくれて、離縁して当然だとまで言ってくれたのだ。
 嬉しい事に、契約を新たに私と結び直すとまで言って下さる方もいて、本当に家族には恵まれませんでしたが、仕事相手には恵まれました。
 元お義父様に押し付けられて始めたことだけど、頑張ってきて良かったと心から思う。

「ところで、今日の予定は?」
「ひと段落したので、今日はお休みを頂いて、家で招待状の返信をしようと思っています」

 なんせ、公爵家に仕えている方々は質が良い。私の言う事を瞬時に理解してくれるし、自分達から進んで仕事をしてくれる。皆になら、ある程度仕事を任せても大丈夫だと思えるから、以前のように全ての仕事に張り付いている必要もない。
 今の忙しさを乗り越えれば、マルクス伯爵家の時よりもゆっくりと仕事が出来そう。

「それは良かった。実は今日は、君に本命の仕事をお願いしようと思ってね」

 本命の仕事――即ちそれは、契約結婚にまつわるもの。

「かしこまりました」

 私という妻を迎えた事で縁談えんだんは全て断ったようだけど、それでもまだ、容姿端麗ようしたんれい、お金持ちで公爵位の彼とお近づきになりたい人は山ほどいるらしい。
 既婚者相手に娘の売り込みをする父親に、密会のお誘いなんかもきているらしい。
 まぁ、相手が訳アリ伯爵令嬢ですものね。隙あらばと思われても仕方ありませんか。
 そんな方々には、私達の仲睦なかむつまじい姿を見せつけて、貴女達が入り込む隙なんてありませんよ、と思わせる必要があります。
 メトのおかげで、無事にマルクス伯爵家、クリプト伯爵家から逃げてこれたんだもの。
 私もしっかり、虫除むしよけとして彼のお役に立たないといけません!
 どんな仕事よりも最優先事項! しっかりと務めあげてみせます!

「今から会いに行くのは、もっとも、俺が幸せな結婚をしたと思って欲しい人物だ」
「それは誰なんですか?」

 ここで彼から出てくる名前は、きっと誘いを断りにくい彼と同じくらい爵位の高い貴族や、仕事関係の大切なお客様だと思っていた。

「フィーリン、俺の義理の姉だ」

 だけど、出てきたのは全く想像していなかった名前だった。
 ルーフェス公爵家と大切な商談をするにあたって、私は彼の事を調べた。彼の功績、評判、経済状況、家族関係まで事細かに。フィーリン様は亡くなったお兄様の妻であり、おいの母親の名前。

「何を驚く? 俺の事は調べてあるんだろう? 俺に義理の姉がいるのは知っているはずだ」
「知ってはいますが……」
「義姉が妻を紹介しろとうるさくてな。今まではお互い仕事で忙しいからと断っていたんだが、いい加減、断るのも面倒になってきた」
「いえ。ご挨拶が遅くなってしまって、フィーリン様に申し訳ないです」
「別にいい。詳しい話は移動中の馬車の中で話す」


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