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祠 1
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夜闇の中・・・・・女の部屋を後にした久遠は、絶望に打ちひしがれ呆然としている様子を無心で演じ続けた。
自室へ戻ると、久遠はさっと表情を引き締め、少しの間をおいてから、再び部屋を抜け出した。
明日の日暮れには、恐らく翡翠は人柱として冷たい土の中へ埋められてしまうだろう。
夜闇に乗じて用意しておかねばならないものがあった。
久遠は父の書斎に音もなく忍び込むと、文机の前に跪いた。
引き出しの底に手を入れ、カタリとかすかな音を立てて奥にある小さな閂をずらすと、隠されていたもう一つの引き出しが出てくる。
久遠はその引き出しの中から、小さな薬瓶を一つ取り出し蓋を開け、手で扇いで匂いを確かめた。
じわりと痺れるようなその香りにかすかにうなずいてから、引き出しを戻して素早く部屋に帰る。
一連の動作は淀みなく、誰に気づかれることもなく済まされた。
・・・・・机のからくりとその中身のことは、いずれ自分の跡目となる久遠へと、父が先日彼に伝えたばかりのものだった。
隠された引き出しの中には、人に言えない類の危険な薬や、道具がいくつも隠されている。
この引き出しの存在を知り、父という人間の冷徹さを思い知らされていたことで、久遠は女から聞いた残酷な話が、偽りのない事実であると・・・・哀しいことに、大きな抵抗を持たず、ストンと心に受け入れることができてしまったのだ。
久遠が持ち出した小さな瓶の中には、身体を痺れさせ眠らせる薬が入っている。
久遠は揺るがない決意を胸に抱いてはいたが、14歳のまだ若い心は緊張と不安と恐怖に早鐘を打っていた。
夜明けまでの時は、幼い久遠には永遠にも感じられるほど、あまりにも長すぎて・・・・ほんのり薄明かりが空を染め上げ始めると、久遠は耐えきれず外へ出た。
最期に何かに祈りを捧げたくて、雨の降る中、真新しい豪奢な神殿に向かい歩き始めたところで、はたと「あの川の為に建てられた新しい神殿に祈ることは、まるで女をあがめるようだ」と思い直し、足を止める。
踵を返したところで、外れにある小高い山が目に入った。
あの山には、新たな神社ができる以前、久遠の祖先が祭っていた、もう一つの祠がある。
久遠は小山へ急ぐと、枝をかき分け、わずかに拓いた獣道を泥に足を取られながら登ると、ようやく小山の頂にある祠の前に立った。
乱れた息を整え、濡れた髪を手で横へ流し、静かに祠と向き合う・・・・・。
祠は苔むし、雨に濡れ深みを帯びたそのたたずまいは、こじんまりとしているが重厚感がある。
よくみれば、ちりばめられた細工は非常に手が込んでいて、久遠はしばしその意外なほど繊細な造りに目を奪われた。
雨に叩かれた古い木々と苔むした石から漂う清涼とした蒼くしなびた香りが、頭の芯をぼんやりと包み込むように染み入ってくる。
ガサリと祠の奥の藪が立てた突然の音に、久遠はハッとして我に返った。
狢か何かでもいたのだろうか、その動きは素早く気配はすでに消えていた。
再び久遠が祠に向き合うと、格子戸の向こうに続く深い闇は、厳かに澄んで見えて・・・・吸い込まれるように見つめていた久遠は、自然と手を合わせ目を閉じた。
自室へ戻ると、久遠はさっと表情を引き締め、少しの間をおいてから、再び部屋を抜け出した。
明日の日暮れには、恐らく翡翠は人柱として冷たい土の中へ埋められてしまうだろう。
夜闇に乗じて用意しておかねばならないものがあった。
久遠は父の書斎に音もなく忍び込むと、文机の前に跪いた。
引き出しの底に手を入れ、カタリとかすかな音を立てて奥にある小さな閂をずらすと、隠されていたもう一つの引き出しが出てくる。
久遠はその引き出しの中から、小さな薬瓶を一つ取り出し蓋を開け、手で扇いで匂いを確かめた。
じわりと痺れるようなその香りにかすかにうなずいてから、引き出しを戻して素早く部屋に帰る。
一連の動作は淀みなく、誰に気づかれることもなく済まされた。
・・・・・机のからくりとその中身のことは、いずれ自分の跡目となる久遠へと、父が先日彼に伝えたばかりのものだった。
隠された引き出しの中には、人に言えない類の危険な薬や、道具がいくつも隠されている。
この引き出しの存在を知り、父という人間の冷徹さを思い知らされていたことで、久遠は女から聞いた残酷な話が、偽りのない事実であると・・・・哀しいことに、大きな抵抗を持たず、ストンと心に受け入れることができてしまったのだ。
久遠が持ち出した小さな瓶の中には、身体を痺れさせ眠らせる薬が入っている。
久遠は揺るがない決意を胸に抱いてはいたが、14歳のまだ若い心は緊張と不安と恐怖に早鐘を打っていた。
夜明けまでの時は、幼い久遠には永遠にも感じられるほど、あまりにも長すぎて・・・・ほんのり薄明かりが空を染め上げ始めると、久遠は耐えきれず外へ出た。
最期に何かに祈りを捧げたくて、雨の降る中、真新しい豪奢な神殿に向かい歩き始めたところで、はたと「あの川の為に建てられた新しい神殿に祈ることは、まるで女をあがめるようだ」と思い直し、足を止める。
踵を返したところで、外れにある小高い山が目に入った。
あの山には、新たな神社ができる以前、久遠の祖先が祭っていた、もう一つの祠がある。
久遠は小山へ急ぐと、枝をかき分け、わずかに拓いた獣道を泥に足を取られながら登ると、ようやく小山の頂にある祠の前に立った。
乱れた息を整え、濡れた髪を手で横へ流し、静かに祠と向き合う・・・・・。
祠は苔むし、雨に濡れ深みを帯びたそのたたずまいは、こじんまりとしているが重厚感がある。
よくみれば、ちりばめられた細工は非常に手が込んでいて、久遠はしばしその意外なほど繊細な造りに目を奪われた。
雨に叩かれた古い木々と苔むした石から漂う清涼とした蒼くしなびた香りが、頭の芯をぼんやりと包み込むように染み入ってくる。
ガサリと祠の奥の藪が立てた突然の音に、久遠はハッとして我に返った。
狢か何かでもいたのだろうか、その動きは素早く気配はすでに消えていた。
再び久遠が祠に向き合うと、格子戸の向こうに続く深い闇は、厳かに澄んで見えて・・・・吸い込まれるように見つめていた久遠は、自然と手を合わせ目を閉じた。
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