乙女ゲームの転生ヒロインは、悪役令嬢のザマァフラグを回避したい

神無月りく

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カーライルの独白

恋は突然に

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 社交場は苦手、というよりも嫌いだった。

 廃嫡されて王子という立場を捨て、姓を変え、一軍人として身をやつしても、誰も彼もが俺を厄介者のように扱う。

 王太子暗殺未遂――母の犯した罪の重さは理解しているが、俺は何も悪いことはしていないのに、何故悪しざまに言われなければならないのかは理解不能だった。
 時には俺さえいなければ側妃は今でも生きていたのでは、と母の肩を持つ輩もいて、自分ではどうしようもないことで責められるばかりの社交場は、ただただ苦痛でしかなかった。

 しかし、末席とはいえ王族に名を連ねる俺が、社交場と無縁でいることは難しい。
 特に今回は“恩人”から是非にとの誘いだったので、余計に断れなかった。

 クラリッサ・マクレイン。

 公爵令嬢である彼女は、あの忌まわしい事件により長い間絶縁状態だったフロリアンと俺の間を取り持ち、ありふれた兄弟のような関係にまで修復してくれた。“恋のキューピット”なるものを自称し数多の恋人を成立させてきた彼女は、絆を結ぶことに関して長けていたのだろう。

 フロリアンから持ちかけられた相談だったそうだが、母のことで負い目も罪悪感もあるものの、血が半分しか繋がらないとはいえたった二人の兄弟だし、いずれこの国を継ぐ弟の支えになるためには相互理解は必要だと思っていたから、俺にとっても渡りに船の提案だった。

 個人的には、兄弟間でわだかまりがなくなったのでそれで満足していたのだが、彼女は「もっと多くの人にご兄弟が和解したことを知らしめるべきですわ」と言い放ち、いくつもの社交場への招待状を公爵家の伝手で手に入れ、その記念すべき第一回目がこの王宮主催の舞踏会だった。

 正直ありがた迷惑ではあったが、間の悪いことに辺境から王都警備に転属になったので、嫌でもこの手の会に参加する機会も増える。仕方なく場慣れも含めて顔を出した。

 しかし、案の定居心地は最悪だった。

 直接苦言を呈する者はいなかったが、周りはみんな「どの面下げて来た」と言わんばかりの目で俺を見てくる。そんな視線に辟易して、どこか逃れられる場所はないかとあたりを見回していると、一人の壁の花と目が合った。

 肩より上で切りそろえられている癖のある栗毛。澄んだペリドットの瞳。特段優れている容姿ではなく、目立つ要素はどこにもなかったが、物憂げを通り越してうんざりしているような顔に親近感を覚えた。

 ――声をかけてみたい。

 だが、悪しき側妃の子カーライル・ジードに話しかけられて、喜ぶ令嬢がいるとは思えない。
 不快な気持ちにさせては悪いし、俺と関わって変な噂を流されては可哀想だ。

 名残を惜しみつつも彼女から意識を逸らそうとした時、

「まあ、カーライル様。ごきげんよう」

 マクレイン嬢が俺に歩み寄り、挨拶をした。

 自分で言うのもおかしいが、この美しい令嬢が俺に恋愛感情を抱いているのは一目瞭然。
 単純に態度が分かりやすいというのもあるが、こちらが贈ったわけでもないのに、俺の瞳の色に合わせたドレスやアクセサリーで着飾って『わたくしはカーライル様のもの』と言わんばかりにアピールしてくるのだ。
 
 社交界で浮いている俺に味方してくれるのはありがたい。
 しかし、それを逆手にとるような真似をして好意を押し付けてくる彼女は、はっきり言って鬱陶しい。
 恩人でなければ確実に縁を切りたい人間の筆頭だし、恋愛対象として見ることは不可能だ。

 外堀から埋められたくないので、人前に出る時は瞳を見られないよう、制帽を目深に被って隠しているものの、どうしても脱がねばならない場面も存在する。噂になるのも時間の問題か、と思うと嫌気がさす。

 とはいえ、相手は自分より七歳も年下の少女で、社交界で最も著名な令嬢といっても過言ではない存在だ。あからさまに嫌悪を示しては余計な波風が立つ。心を無にして肩の力を抜き、マクレイン嬢に礼を返す。

「こんばんは、マクレイン嬢」
「あら、わたくしのことはクラリッサとお呼びくださいと、いつも申しているではありませんか。いつまでも他人行儀な呼び方では寂しいです」

 可能な限り他人でいたいから他人行儀に呼んでいるのだが、その察しがつかないほどこの令嬢の頭のネジは緩んでいる……というわけではなく、気づいていながらも無垢を装っているだけだ、と俺は踏んでいる。
 
 こういう令嬢は最も苦手なタイプだ。
 たった二、三言交わしただけでどっと疲労感が湧いてくる。
 さっさとこの場を切り上げたい。切実に。

 虚弱な貴族令息であれば仮病という手が使えるが、生憎俺は何年も辺境の地で風邪ひとつ引かず暮らしてきた超健康体だ。
 そもそも、俺は嘘を吐くのが苦手、というか体質的に受け付けない。有り余る体力も愚直さも、軍人としてはプラスに働く要素だが、貴族同士の駆け引きではまったく役に立たない。

 どうしたものかと思いつつ、マクレイン嬢の話に適当に相槌を打っていると、女性の悲鳴が聞こえてきた。

 何事かと視線を巡らせると、先ほどの令嬢が床に倒れており、やけに肉肉しい令嬢が彼女に罵声を浴びせている。キンキン響く声で遠くからだと聞き取りにくいが、あからさまに罵っていることだけは確かだ。

 周囲は彼女に同情的な空気を醸し出しつつ、誰も助けようとしない。
 被害者ぶっている方の令嬢の地位が彼女より高いからか、彼女が自分たちにとって取りに足らない地位の令嬢だからか。

 しかも、もう一人婚約者らしい男が肉感豊かな令嬢の援護に加わり、ますます彼女の旗色が悪くなってきた。
 これ以上は見ていられない。

「お待ちになって、カーライル様。ここで出ていかれては悪目立ちしますわ。まだカーライル様の立ち位置は盤石ではございません。かの令嬢にもご迷惑がかかりますわ」

 一歩あちら側に踏み出そうとしたところで、袖口を引っ張られてマクレイン嬢に止められる。不安そうな表情をしていても、こちらを射抜く瞳には冷淡な光が宿っていた。

 ――俺は、このマクレイン嬢の瞳がとても苦手だ。

 貴族らしい計算高さや狡猾さもそうだが、どういうわけかこの紫の瞳に見つめられると、心の奥底を撫でられるような不快感に襲われる。ひどい時には吐き気すらする。

 何気ない仕草を装って制帽を目深に被り直し、不快感を遮断する。
 俺が制帽を手放せないのは、単に瞳の色を知られたくないのと同時に、この視線からできるだけ逃れるためだ。

「マクレイン嬢――」
「お言葉ですが、爵位と家名を振りかざして不当な罰を与えるなど、貴族として恥ずべき行為ではありませんか? 貴族は民の手本であるべき存在です」

 決して大きな声ではなかったが、澄んでよく通る声は野次馬のざわめきなどものともせず、俺の耳に届き心に響いた。

 貴族は民の手本――平和と豊かさの上に胡坐をかき、腹黒い駆け引きに溺れ見栄の張り合うばかりの貴族が溢れる社交界で、こんなにも真っすぐな理念と矜持を持っている令嬢がいることは驚きで……多分この瞬間、彼女に心を奪われた。

 それが愛とか恋とかいうものなのかは分からなかったが、何に替えても彼女を守らねばという気持ちに突き動かされ、俺は短く「失礼」とだけ告げ、すがるようなマクレイン嬢の手を払って彼女の元に急いだ。

 殴られる寸前だった彼女を助けられたのはよかったが、結局その場を収めたのはあとから来たフロリアンだった。マクレイン嬢が呼んで来たらしい。

 俺一人では余計にこじれていただろうから、その采配は正しかったのだとは思うが……ホワイトリー嬢なるかの令嬢はフロリアンとばかりを話をしているし、マクレイン嬢はフロリアンを彼女にたきつけようとする。

 面白くない、というか俺だけ蚊帳の外に置かれそうな状況に焦っていると、思わぬところから助け船が出た。

「じゃあ兄上、侍女には話を通しておくので、ホワイトリー嬢のエスコート、よろしくお願いしますね」

 そう言ってフロリアンは意味深に笑い、マクレイン嬢を有無を言わさず連れ去った。

 気を利かせてくれた、と思っていいのだろうか。
 いや、それよりも俺がホワイトリー嬢に好意を持っていると、数分足らずで勘づかれたことの方が問題ではないか?
 そんなに分かりやすいのか、俺?

 この感情が彼女にも漏れているのでは、と懸念したがそういう感じもなく、むしろ見えない壁がそびえ立つ雰囲気すらする。やっぱり俺よりもフロリアンの方がよかったのだろうと気落ちしつつ、エスコートに乗じてその手に触れたいと願う邪な感情をねじ伏せて休憩室へ案内した。

 ……が、ここでもフロリアンのお節介、あるいは陰謀が仕組まれていた。

 誰もいない休憩室。あるのは救急箱だけ。

 急いで周囲を確認したが、まるで人払いでもされているかのように使用人の一人もいない。
 このような人気のない場所で男女二人きりにさせるなど、正気の沙汰とは思えない。

 あとで絶対に文句を言おう。
 そう誓い、渋る彼女を説き伏せて治療する許可をもらった。

 仕事柄この手の処置には慣れているが……彼女の細くて白い足首はあっけなく折れそうで、気恥ずかしさよりも力加減を間違えないようにという緊張感の方が勝り、一周回って冷静な状態で彼女に触れていた。

 それから他愛ない話をいくつかし、彼女に想い人がいるのかどうかを確かめようとした時、不審者が飛び込んできた。それを倒して株が上がったかと思いきや、それが彼女の父だと言われたのでかなり焦った。

 子爵は随分心が広い御仁のようで、俺の無体も笑って許してくれただけでなく、娘の“運命の人”と勝手に解釈し感動してくれた。
 いい意味で誤解してくれそうだと思いきや、ホワイトリー嬢は俺との関係を真っ向から、それはもうバッサリと斬り捨ててくれた。

「カーライル様はフロリアン殿下に頼まれて、私の手当てをしてくださっただけなの。仕方なく、渋々、嫌々、ね」
 ……そんな風に思われていたこともショックだったが、見送りすら断固拒否されてしまったこともさらにショックだった。

 でも、素足のまま颯爽と去っていく彼女の後姿は大変凛々しく、これほど無下にされても気持ちが冷めるどころかさらに胸が高鳴るのだから、自分でも相当重症だなと思わざるを得なかった。
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