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番外編
魔王陛下のとある一日②
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「……エリック、朝の挨拶は『遅い』じゃないだろう?」
「うっ、おはようございます……」
腰を折って鼻先をツンツン突きながら穏やかにたしなめれば、やばいと顔を引きつらせながらちゃんと挨拶をする。
微笑ましいボディタッチに見えて、この『鼻先ツンツン』は叱る一歩手前のサインだ。
自分で過ちに気づいて修正できればそれでよし、意味が分かっていない様子なら説明し、注意してもやらないなら叱る、というのがルールになっている。
そしてちゃんとできれば、きちんと褒めるのもワンセットである。
叱るのも叱られるのも気力体力を使うし、よかれと思って叱った結果、我が子に嫌われては本末転倒だ。
エリックは素直で賢い子なので、『鼻先ツンツン』さえすれば自分で軌道修正できるため、叱らなくて済んでいるのはありがたい。使用人たちも真似をしているらしいが、その子の個性と合う合わないがあるようで、効果はマチマチのようだ。
「うん、おはよう。ちゃんと挨拶できて偉いな。楽しみにしてたのに、遅くなって悪かった」
「だ、大丈夫。ちょっとしか待ってないし……」
頭をなでてやると、嬉しさと恥ずかしさが入り混じった表情で見上げてくる。
ジゼルがよく「うちの子、マジ天使!」と悶絶している、実に愛らしい顔である。
実に言い得て妙だ。あからさまに賛同すると、そっくりな顔のせいか「ナルシストか」とジト目で見られるので、心の中でのみ激しく同意する。
「おはようございます、陛下」
離れたところでやり取りを見守っていたハワードが寄って来て、騎士の礼で挨拶をする。
彼は年齢を理由に五年前に騎士団長の職を辞し、今は新米騎士の教官役として働く傍ら、第一王子付きの剣術指南役を買って出てくれている。
過去の“第一王子”がろくでもない問題児だった反動か、真面目で意欲旺盛なエリックを非常に可愛がっており、業務外の朝の鍛錬でも面倒を看てくれて助かっている。
ちなみその問題児ことパックは、テッドが即位するなり放浪の画家へと戻り、エリックが生まれた年に王籍から抜けて、形だけの公爵位を得た。
ここ数年は遠い異国まで足を運んでいるらしく、見たこともない風景や建築物を描いた自作の絵葉書が、生存報告がてら届くのみだが……まあ、あの愚兄がどこで野垂れ死のうと知ったことではない。
「おはよう、ハワード。今日もよろしく頼む」
「ふふ、エリック殿下も待ちくたびれておいでですから、さっそく始めましょうか」
「うん! やろう、やろう! ねぇ、ハワード先生、今日は素振りするんだよね? いっぱいビュンビュンってしたら、いっぱい強くなるんだよね?」
「殿下、剣はむやみに振ればいいというものではありませんよ。それに、まずは準備体操からです。体がびっくりしてしまいますからね」
「はーい」
子供らしく無邪気にはしゃぎつつも素直に先生の言うことに従い、屈伸やストレッチ、腹筋、腕立て、軽いランニングと続く。
テッドも重しをつけたバンドを手足に巻き付けて負荷をかけつつ、エリックのペースに付き合い、時に手伝いながら一緒に体を動かす。
一通りの準備体操を経て水分補給と小休止を挟み、お待ちかねの素振りにたどり着いたが、
「あれ、おかしいなぁ。父上も先生もビュンビュン振ってたのに、全然できないー」
「はは、確かにビュンビュン振るとカッコイイですが、素振りとは本来そうして連続で振ることではなく、正しい動きを体に覚えさせるための反復訓練です。私が教えたフォームを崩さず、一回一回確実に振っていきましょうね」
「どのくらいで、父上みたいにできるようになる?」
「さて、どのくらいでしょうなぁ。お父上と同じくらいとなると、やはり半年は頑張っていただかないと」
「えー、どうしよう……ルーナの誕生日に、超カッコイイ素振り見せるって約束したのに……」
(カッコイイ素振りってなんなんだ……?)
心の中で同じ突っ込みをしたであろうハワードと目配せをし、苦笑を交わし合う。
ルーナは妹、つまりはテッドの娘だ。現在二歳で、あとひと月で三歳になる。
ハンスのような重度のシスコンではないが、妹を大変可愛がっており、お年頃のせいか何かにつけてお兄ちゃんぶって、格好つけたがる癖がある。
そのために努力を惜しまないのは美徳だが、時々後先考えない見栄を張って後悔するのが玉に瑕だ。
そういうところも子供らしくて可愛いのだが、ほのぼのしている場合ではない。
現実の高く分厚い壁を突き付けられたエリックは、可哀想なくらい肩を落としてしょぼくれている。
「エリック。これから一か月頑張って練習すれば、今よりずっとうまくなる。目指していたところには到達しないかもしれないが、何もしなければずっと下手くそのままだ。ルーナの前で無様を晒したくなければ、うなだれている時間はないぞ。今この瞬間も、練習あるのみだ」
「父上……」
「陛下のおっしゃる通りですよ、殿下。私もお付き合いしますので、一緒に頑張りましょう」
「先生……うん、僕、頑張る!」
大好きな父と先生に励まされ、俄然やる気を取り戻したエリック。
単純なのもまた可愛い。でも、口のうまい奴に騙されそうで怖い。
親としてはいつまでも無邪気な子供のままでいてほしいが、今のところ男児は彼一人なので、近い将来立太子されることはほぼ決まっている。そろそろずる賢く生きる処世術を教え込まないと、変な友人をこしらえて身を滅ぼしかねない。
時期や内容を含めて家庭教師に相談する、と脳内メモに記しておく。
それから三十分ほどフォームを叩き込まれ、七時を少し過ぎたところでお開きになった。
いつもよりクタクタになったエリックを抱えて部屋に送り、お付きの侍女にあとの世話を任せて自室に戻る。
用意されていた井戸水とタオルで体を清めて着替えたところで、ドアがノックされた。
「うっ、おはようございます……」
腰を折って鼻先をツンツン突きながら穏やかにたしなめれば、やばいと顔を引きつらせながらちゃんと挨拶をする。
微笑ましいボディタッチに見えて、この『鼻先ツンツン』は叱る一歩手前のサインだ。
自分で過ちに気づいて修正できればそれでよし、意味が分かっていない様子なら説明し、注意してもやらないなら叱る、というのがルールになっている。
そしてちゃんとできれば、きちんと褒めるのもワンセットである。
叱るのも叱られるのも気力体力を使うし、よかれと思って叱った結果、我が子に嫌われては本末転倒だ。
エリックは素直で賢い子なので、『鼻先ツンツン』さえすれば自分で軌道修正できるため、叱らなくて済んでいるのはありがたい。使用人たちも真似をしているらしいが、その子の個性と合う合わないがあるようで、効果はマチマチのようだ。
「うん、おはよう。ちゃんと挨拶できて偉いな。楽しみにしてたのに、遅くなって悪かった」
「だ、大丈夫。ちょっとしか待ってないし……」
頭をなでてやると、嬉しさと恥ずかしさが入り混じった表情で見上げてくる。
ジゼルがよく「うちの子、マジ天使!」と悶絶している、実に愛らしい顔である。
実に言い得て妙だ。あからさまに賛同すると、そっくりな顔のせいか「ナルシストか」とジト目で見られるので、心の中でのみ激しく同意する。
「おはようございます、陛下」
離れたところでやり取りを見守っていたハワードが寄って来て、騎士の礼で挨拶をする。
彼は年齢を理由に五年前に騎士団長の職を辞し、今は新米騎士の教官役として働く傍ら、第一王子付きの剣術指南役を買って出てくれている。
過去の“第一王子”がろくでもない問題児だった反動か、真面目で意欲旺盛なエリックを非常に可愛がっており、業務外の朝の鍛錬でも面倒を看てくれて助かっている。
ちなみその問題児ことパックは、テッドが即位するなり放浪の画家へと戻り、エリックが生まれた年に王籍から抜けて、形だけの公爵位を得た。
ここ数年は遠い異国まで足を運んでいるらしく、見たこともない風景や建築物を描いた自作の絵葉書が、生存報告がてら届くのみだが……まあ、あの愚兄がどこで野垂れ死のうと知ったことではない。
「おはよう、ハワード。今日もよろしく頼む」
「ふふ、エリック殿下も待ちくたびれておいでですから、さっそく始めましょうか」
「うん! やろう、やろう! ねぇ、ハワード先生、今日は素振りするんだよね? いっぱいビュンビュンってしたら、いっぱい強くなるんだよね?」
「殿下、剣はむやみに振ればいいというものではありませんよ。それに、まずは準備体操からです。体がびっくりしてしまいますからね」
「はーい」
子供らしく無邪気にはしゃぎつつも素直に先生の言うことに従い、屈伸やストレッチ、腹筋、腕立て、軽いランニングと続く。
テッドも重しをつけたバンドを手足に巻き付けて負荷をかけつつ、エリックのペースに付き合い、時に手伝いながら一緒に体を動かす。
一通りの準備体操を経て水分補給と小休止を挟み、お待ちかねの素振りにたどり着いたが、
「あれ、おかしいなぁ。父上も先生もビュンビュン振ってたのに、全然できないー」
「はは、確かにビュンビュン振るとカッコイイですが、素振りとは本来そうして連続で振ることではなく、正しい動きを体に覚えさせるための反復訓練です。私が教えたフォームを崩さず、一回一回確実に振っていきましょうね」
「どのくらいで、父上みたいにできるようになる?」
「さて、どのくらいでしょうなぁ。お父上と同じくらいとなると、やはり半年は頑張っていただかないと」
「えー、どうしよう……ルーナの誕生日に、超カッコイイ素振り見せるって約束したのに……」
(カッコイイ素振りってなんなんだ……?)
心の中で同じ突っ込みをしたであろうハワードと目配せをし、苦笑を交わし合う。
ルーナは妹、つまりはテッドの娘だ。現在二歳で、あとひと月で三歳になる。
ハンスのような重度のシスコンではないが、妹を大変可愛がっており、お年頃のせいか何かにつけてお兄ちゃんぶって、格好つけたがる癖がある。
そのために努力を惜しまないのは美徳だが、時々後先考えない見栄を張って後悔するのが玉に瑕だ。
そういうところも子供らしくて可愛いのだが、ほのぼのしている場合ではない。
現実の高く分厚い壁を突き付けられたエリックは、可哀想なくらい肩を落としてしょぼくれている。
「エリック。これから一か月頑張って練習すれば、今よりずっとうまくなる。目指していたところには到達しないかもしれないが、何もしなければずっと下手くそのままだ。ルーナの前で無様を晒したくなければ、うなだれている時間はないぞ。今この瞬間も、練習あるのみだ」
「父上……」
「陛下のおっしゃる通りですよ、殿下。私もお付き合いしますので、一緒に頑張りましょう」
「先生……うん、僕、頑張る!」
大好きな父と先生に励まされ、俄然やる気を取り戻したエリック。
単純なのもまた可愛い。でも、口のうまい奴に騙されそうで怖い。
親としてはいつまでも無邪気な子供のままでいてほしいが、今のところ男児は彼一人なので、近い将来立太子されることはほぼ決まっている。そろそろずる賢く生きる処世術を教え込まないと、変な友人をこしらえて身を滅ぼしかねない。
時期や内容を含めて家庭教師に相談する、と脳内メモに記しておく。
それから三十分ほどフォームを叩き込まれ、七時を少し過ぎたところでお開きになった。
いつもよりクタクタになったエリックを抱えて部屋に送り、お付きの侍女にあとの世話を任せて自室に戻る。
用意されていた井戸水とタオルで体を清めて着替えたところで、ドアがノックされた。
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