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第七部 革命編
不穏の兆し(下)
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半年ほど前にレーリアの宮に派遣した近衛たちも、任務終了後に死んだ魚のような目をして「辞めたい」と訴えてきたのを思い出した。
レーリアの血族は基本頭のネジが一本か二本ぶっ飛んでいるので、不当な扱いに対する抗議として多大なストレスを与える何かをやらかしたのだろう。
ハワードの制止を振り切って辞職した者もいたが、大半は丸々一週間休暇を与えて静養させたら、復職を申し出てくれたので助かった。
ただ、今回は賊相手に翻弄され、武人としてのプライドをへし折られる事態だ。ゆっくり休めば解決する問題とも思えない。
答えがそう簡単に出そうもないので、一旦部下を下がらせて一人思案に耽っていると、
「随分と暇そうにしているじゃないか、ハワードくん」
わざとらしい靴音をコツコツ響かせ、執務室に現れた者がいた。
ドミニオン・エーゼル。
皺が深く刻まれた厳めしい髭面の老人で、七十となってもがっしりとした体格を維持し、長いマントのついた軍服を着こなす姿は威厳に満ちているが……戦争もないのにずっと将軍職に居座り権力を握り続ける前国王の弟という、立派な老害でもある。
ちなみに彼は筋金入りの男色家で、いつも周りにはやたらと見目のいい若い軍人を何人も侍らせている。今日も三人ほど、それらしい色男がいた。
「……エーゼル閣下……」
ハワードは苦虫を噛み潰したような表情を隠すように、最敬礼で招かれざる客を迎え入れた。
彼は男色家の老害だから毛嫌いしているわけではない。
個人の性癖に口出しする気はないし、年をとってもお盛んなのは健康の証で大いに結構。ただ、目のやり場に困るので、あまり大っぴらにしてほしくないのが本音だが……ドミニオンに嫌悪感を生じてしまうのは、それとは別に職業上の理由が大きい。
軍と騎士団は平和を謳歌するこの五十年の間、ずっと犬猿の仲である。
戦争という非常事態とはいえ、人殺しで成り上る軍人が嫌われ者の代表格であるのに対し、日々犯罪を取り締まり治安を維持する騎士は、いつの世も人々の憧れと尊敬の的。
どちらも国民の命と財産を守る尊い職であるにも関わらず、軍人は無辜の民からは表面上の行動で差別され人殺しのレッテルを張られる傾向にあった。年々軍縮傾向で給料もそれに応じてどんどん下がり、そのくせ騎士より厳しい訓練を強いられる待遇の悪さもあり、軍人の不満は募る一方だ。
騎士の中にもあからさまに軍人差別をする輩もいるが、過半数は相手の職務に理解と敬意を示し対立姿勢を見せる者はほとんどいない。
しかし、長年蓄積された鬱屈は彼らの神聖な職務意識を曲げさせるだけではなく、身勝手な反騎士思想を増長させ、一方的に突っかかってきたり小さなミスの揚げ足取りをしたりと、悪意ある行動で騎士たちの神経を逆なでするばかり。
時代の流れや国政の采配など、個々人の心の持ちようだけではどうにもならない溝で両者は深く別たれた彼らは、お互い加害者でもあり被害者でもある複雑な関係に陥っている。
ハワードは四十代で戦争を知らない世代だが、軍が国防の要であることは認めているし、いつ起こるか分からない有事に備えて必要不可欠な存在だとも思っている。
この老人のように、自分の欲を満たすためだけに前途ある若者たちを死地へ扇動しようとする、クソッタレどもさえいなれば。
……という私情ともかく、わざわざドミニオン自らが敵地に足を運んだことに、嫌な予感を覚えた。
「エーゼル閣下……このようなむさくるしい場所へ前王弟殿下自らご足労いただき、まことに恐悦至極でございます。ご命令をいただければ、我々が御前へはせ参じましたのに」
「ほう、この私を足腰の悪い老人扱いするのか? 将軍職にあるこの私を? 祖国の英雄であり今なお王位継承権を保持する、この私ドミニオン・エーゼルを?」
ゆっくりとした口調ながらも反論を許さず矢継ぎ早に問い詰め、眼光鋭くハワードを睨みつける。
社交辞令の常套句すら揚げ足取りの材料にするとは、嫌味な老人そのものである。
しかも英雄などとうそぶいているが、当時王子の身分でありながら最前線に立っていたとはいえ、本人は大した功績を上げておらず、他人の手柄を横取りしたともっぱらの噂だ。
ハワードは根拠のない流言を鵜飲みにするタイプではないが……こういう態度を見ていると、真実はどうあれそんな噂を流されてもおかしくない人間だとは思う。
レーリアの血族は基本頭のネジが一本か二本ぶっ飛んでいるので、不当な扱いに対する抗議として多大なストレスを与える何かをやらかしたのだろう。
ハワードの制止を振り切って辞職した者もいたが、大半は丸々一週間休暇を与えて静養させたら、復職を申し出てくれたので助かった。
ただ、今回は賊相手に翻弄され、武人としてのプライドをへし折られる事態だ。ゆっくり休めば解決する問題とも思えない。
答えがそう簡単に出そうもないので、一旦部下を下がらせて一人思案に耽っていると、
「随分と暇そうにしているじゃないか、ハワードくん」
わざとらしい靴音をコツコツ響かせ、執務室に現れた者がいた。
ドミニオン・エーゼル。
皺が深く刻まれた厳めしい髭面の老人で、七十となってもがっしりとした体格を維持し、長いマントのついた軍服を着こなす姿は威厳に満ちているが……戦争もないのにずっと将軍職に居座り権力を握り続ける前国王の弟という、立派な老害でもある。
ちなみに彼は筋金入りの男色家で、いつも周りにはやたらと見目のいい若い軍人を何人も侍らせている。今日も三人ほど、それらしい色男がいた。
「……エーゼル閣下……」
ハワードは苦虫を噛み潰したような表情を隠すように、最敬礼で招かれざる客を迎え入れた。
彼は男色家の老害だから毛嫌いしているわけではない。
個人の性癖に口出しする気はないし、年をとってもお盛んなのは健康の証で大いに結構。ただ、目のやり場に困るので、あまり大っぴらにしてほしくないのが本音だが……ドミニオンに嫌悪感を生じてしまうのは、それとは別に職業上の理由が大きい。
軍と騎士団は平和を謳歌するこの五十年の間、ずっと犬猿の仲である。
戦争という非常事態とはいえ、人殺しで成り上る軍人が嫌われ者の代表格であるのに対し、日々犯罪を取り締まり治安を維持する騎士は、いつの世も人々の憧れと尊敬の的。
どちらも国民の命と財産を守る尊い職であるにも関わらず、軍人は無辜の民からは表面上の行動で差別され人殺しのレッテルを張られる傾向にあった。年々軍縮傾向で給料もそれに応じてどんどん下がり、そのくせ騎士より厳しい訓練を強いられる待遇の悪さもあり、軍人の不満は募る一方だ。
騎士の中にもあからさまに軍人差別をする輩もいるが、過半数は相手の職務に理解と敬意を示し対立姿勢を見せる者はほとんどいない。
しかし、長年蓄積された鬱屈は彼らの神聖な職務意識を曲げさせるだけではなく、身勝手な反騎士思想を増長させ、一方的に突っかかってきたり小さなミスの揚げ足取りをしたりと、悪意ある行動で騎士たちの神経を逆なでするばかり。
時代の流れや国政の采配など、個々人の心の持ちようだけではどうにもならない溝で両者は深く別たれた彼らは、お互い加害者でもあり被害者でもある複雑な関係に陥っている。
ハワードは四十代で戦争を知らない世代だが、軍が国防の要であることは認めているし、いつ起こるか分からない有事に備えて必要不可欠な存在だとも思っている。
この老人のように、自分の欲を満たすためだけに前途ある若者たちを死地へ扇動しようとする、クソッタレどもさえいなれば。
……という私情ともかく、わざわざドミニオン自らが敵地に足を運んだことに、嫌な予感を覚えた。
「エーゼル閣下……このようなむさくるしい場所へ前王弟殿下自らご足労いただき、まことに恐悦至極でございます。ご命令をいただければ、我々が御前へはせ参じましたのに」
「ほう、この私を足腰の悪い老人扱いするのか? 将軍職にあるこの私を? 祖国の英雄であり今なお王位継承権を保持する、この私ドミニオン・エーゼルを?」
ゆっくりとした口調ながらも反論を許さず矢継ぎ早に問い詰め、眼光鋭くハワードを睨みつける。
社交辞令の常套句すら揚げ足取りの材料にするとは、嫌味な老人そのものである。
しかも英雄などとうそぶいているが、当時王子の身分でありながら最前線に立っていたとはいえ、本人は大した功績を上げておらず、他人の手柄を横取りしたともっぱらの噂だ。
ハワードは根拠のない流言を鵜飲みにするタイプではないが……こういう態度を見ていると、真実はどうあれそんな噂を流されてもおかしくない人間だとは思う。
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