ブサ猫令嬢物語 大阪のオバチャン(ウチ)が悪役令嬢やって? なんでやねん!

神無月りく

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第三部 社交界デビュー編

ダークホース出現?

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 結婚だの引退だの、どういう意図で発せられた言葉か計りかねたが、自分のスタンスをはっきり伝えることにした。

「……コーカス伯爵、ウチはお遊びで商売やっとるわけやありません。結婚しようと子供を産もうと、簡単に会社を手放すつもりはありませんよ。そら、いずれは誰かに引き継がなアカンとは思いますが、それはホンマにウチの身がどないかなる前ですわ」
「乗合馬車とは、容易く手放せないほど儲かるのですか?」

「儲かる儲からんの話やないんです。確かにウチはお飾り社長ですけど、まだまだ道半ばの事業を、何十人っていう社員の命を預かってる責任を、途中で放り出すような真似は絶対にしません。そんな無責任な人間は社交界でも信用されませんし、立派な妻や母親にもなられへんでしょう?」
「ハイマン嬢……――」

「お嬢様」
「どひゃあっ!」

 トーマが驚愕とも困惑ともつかない表情で何か言おうとした時、気配もなく背後に現れたテッドが耳元に声をかけてきたので、素っ頓狂な声が飛び出してしまった。

「テ、テッド! 心臓に悪い登場の仕方せんとって!」
「申し訳ありません。ロードリー商会の皆様が帰り支度をされているので、お見送りのご準備をお伝えしようと」

「せやったら普通に正面から来ぃな、なんで後ろからやねん、もう……。ああ、はしたないところお見せして、ホンマすみません。ウチはこれで失礼しますが、お時間が許す限りゆっくりしていってくださいね。あと、アンにも近いうちにお茶会に招待するからって、伝えといてください」
「は、はあ……」

 ぽかんとしながらうなずくトーマを残し、ジゼルはそのままテッドを伴って客人の見送りに向かう。
 主従にしてはやけに親しそうに話し、心身の距離の近い二人の背を訝しげに、それでいてどこか羨ましげに眺めていたトーマは、会場の雑踏に紛れる前にテッドがチラリとこちらを振り返ったのと目が合った。

 彼は涼しげな美貌に感情の読めない笑みを浮かべていたが……赤珊瑚の瞳にはわずかに優越感が滲んでいるような気がして、なんとも腹立たしい気分になった。

*****

 ことの一部始終を、遠巻きに眺めていた二つの影があった。

「あれを見ましたか、ハンス様」
「うん。ばっちり見たよ、ロゼッタ」

 仲睦まじい婚約者同士らしく身を寄せ合い、ささやくような会話をしているが、そこにいつもの甘い雰囲気はない。
 二人は緊張と興奮が入り混じった表情をしながら、現状を考察し始めた。

「あのお客人は、多分コーカス伯爵だね。ハイマン家とはそれほど親しいわけじゃないけど、学園では同級生だったからなんとなく覚えてるよ。まあ、それくらいの付き合いだから、招待状も出してないはずけど……」
「商家との繋がりを利用して、同伴者として出席することは可能ですわね。ジゼル様はアン嬢とお友達になったとおっしゃってましたし、妹が世話になったとでもいえば、お声がけする理由にも事欠きません」
「そうだね。でも、彼がジゼルに接近した理由は別にある。それは――……ジゼルと結婚して、ハイマン家の後ろ盾を得ること」

 トーマは幼い頃に伯爵家に養子として引き取られ、しっかりと後継者教育を施され、無事に爵位を引き継いだ。しかし、直系の血を引くアンがいる以上、いつその地位を追い落とされるとも限らない。

 養父はトーマから伯爵の称号を取り上げるつもりはないが、養母は実の娘に家を継がせたがっている。
 養母は病状があまりよろしくない状態のため、不謹慎ながら彼女が亡くなればその憂いは消えるように思える。

 だが、もしもアンが伯爵家よりもっと家格や資産が上の相手と結ばれた場合は、抵抗できず爵位を奪われる可能性がある。
 自分を支持してくれる養父が元気であるうちは問題ないが、彼もそこそこに高齢だし、いつまでもあてにはできない。まだ彼も若く、社交界での確固たる地位もないし、養子というだけで格下に見られる世の中だから、自力でのし上がるのは至難の業だ。

 となると、上級貴族の令嬢を娶り、その実家を後ろ盾とすることが、一番有効で確実な生存手段だ。
 まあ、言うだけなら簡単だが、それがどれだけ困難な道のりかは言うまでもない。

 上級貴族からすれば、伯爵家など男爵子爵よりはマシというレベルだ。
 “公侯伯子男”と声に出せばひと息に言えてしまう序列だが、侯と伯の間にはかなり分厚い壁が存在する。

 領地は鉄鋼業で栄えているとはいえ、唸るほど莫大な財産を所有しているわけでもないので、嫁側の実家としては婚姻を結ぶメリットはほぼない。
 おそらくトーマも無理な相談だと思っていただろう。

 しかし、そんな折に養父が公爵令嬢と意外なところで縁を持った。
 令嬢らしからぬ口調と容姿を持ち、年頃の令息から嫌厭されている、売れ残り確実の“超優良物件”にだ。

 今のうちにコナをかけて親しくしておき、数年後、婚活で惨敗しているところに手を差し伸べれば、簡単に食いついてくると考えた――とハンスは推測した。
 ロゼッタも同じような思考を辿っていたのか、別段驚くことはなく、かといって憤慨する様子もなく、何故か勝ち誇ったかのように鼻息を荒くする。

「コーカス卿は卑劣で狡猾な策を練っておられましたが、それも高潔で慈悲深いジゼル様の前では無力でしたわね。さすがジゼル様……尊いですわ」
「そうだね。むしろ、策士策に溺れるの状態だよね……」

 酔いどれの友人を利用するのが策の一端だったのかまでは不明だが、公爵令嬢がためらいなく平民に手を差し伸べ、看病させたことは意外だっただろう。
 おまけに、道楽だと思っていた会社経営も、大きな覚悟を持って行っているのだと知れば、これまでの認識と現実のギャップに『嵌めようとした相手に逆に嵌まってしまう』なんて、ありがちなオチになりかねない。

 トーマはいい歳した大人だし、ジゼルはまだ子供同然だから、一足飛びに惚れた腫れたの世界にはならないと思うが……彼の様子からして、そういう傾向は確実に見受けられた。

「コーカス家から縁談来たらどうするんだろうなぁ、お父様。身分差があるから断るのは簡単だけど、すげなく突っぱねたらジゼルの評判に響くし、かといって理由はまだしばらくは明かせないし」

 幸いジゼルはこれっぽっちもトーマを歯牙にかける風でもないし、ものすごくいいタイミングを狙ってテッドが乱入してきたから、思い切り出鼻を挫かれて、その気が喪失している可能性もなきにしもあらずだが。

「ご心配なさらずとも、あの従者もどきがなんとかするのでは? 先ほどもうまい具合にコーカス卿を牽制していましたし、自分の伴侶くらい自力で守ってもらいませんと」

 ロゼッタの言う通り、わざわざ割って入って話の腰を折り、真っ当な理由をつけて遠ざけた。
 使用人という立場を逸脱せず、角を立てず、穏便に分断に成功した手腕は見事だったが、特別いい雰囲気でもなかったし、果たしてその必要はあったのかという疑問もある。

 一般的な感覚で言えば、嫉妬だの独占欲だのに該当する行動だが、あのテッドがそんな人間味のあることをするとは思えない。
 レーリアとは定期的にやり取りをして情報を仕入れているようだが、従者の身分ではハンスたちほど社交界の情勢に明るくはないはずだし、トーマの企みを阻止するために動いたとも考えにくい。

(いやもう、グダグダ回りくどいことを考えるより、テッドもジゼルに落ちちゃったと考える方が自然か? やっぱり嫉妬か? でも、それはそれで癪なんだよなぁ……)

 愛する婚約者を得てなお、シスコンが抜けきらないハンスが悶々と考える横で、ロゼッタがブツブツと文句を垂れ流している。

「あの男にジゼル様をお渡しするのも業腹ですが、そこいらの有象無象と添われることよりかはマシですからね……本当にほんの少しですが……」
「……ロゼッタって、テッドのことすごい敵視してるけど……昔何かあったの?」

 分かりやすい愛情を示してくるロゼッタの気持ちを疑うわけではないが、愛憎は表裏一体という言葉があるだけに、たまにモヤモヤとした嫉妬を覚えてしまう。
 ちょうどいい機会だから、さりげなくそのあたりを掘り下げてみた。

「別に、これといった何かがあったわけではありません。私は幼い頃から母とレーリア様のところへ通っていて、その時に何度かお会いしているのですが、特にお話したこともなければ、一緒に遊んだこともありません。それ以前に、一目見た段階で生理的嫌悪を感じたので、近寄ろうとも思いませんでしたし」
「生理的嫌悪って……」

 蓋を開けてみるとなんてことはない、女子あるある『生理的に無理』だった。
 こういう根拠もない事象に男は共感できないが、経験上“女の勘”というものは侮りがたく、論理で説明できない方法で深淵なる真理を見出しているのかもしれない。

 テッドは一癖も二癖もある狡猾な男だが、決して悪人ではない。しかし、猪突猛進で正義感の強いロゼッタでは、そりが合わないことは確かだ。

 嫉妬するだけ無駄だったなと思いつつも、さながら虫や蛇のような嫌われ方に、同じ男として同情を禁じ得ない。
 あんなに商家の令嬢たちにはモテまくっていたのに、幼馴染的な存在には端から拒絶され、将来の伴侶からも一切異性として見られていないイケメンに、憐憫の情すら湧く。

 本人は「それが何か?」としれっとしていそうだが。

「……まあ、テッドのことはともかく、コーカス伯爵の行動は当面注視しておこうか」
「そうですわね。ジゼル様は誰にでもお優しく懐が広い方ですが、そこにつけ込まれないよう、我々がきちんとお守りしなくては」

 キュッと拳を握る勇ましくも可愛い婚約者に苦笑を返しつつ、「こっちもちゃんと見張っておかないとなぁ」と思うハンスだった。
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