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第一部

母子だから

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 翌日。
 朝日が高く上った時間に起きたオフィーリアは、昨晩と同じく甲斐甲斐しくディルクに世話をされ、ベッドの上で食事を摂った。

「そういえば、あれから薬草園はどうなったんでしょう?」
「心配ない。他の魔女たちが世話をしている、というか、あいつらが踏み倒してきた分を労働で返してもらっているところだ。君は養生することに専念したらいい」
「養生っていっても、もう大分元気なんですよ。仕事してないと落ち着かないし……」

 空いた食器をトレイごとディルクに渡しつつ、オフィーリアは眉尻を下げる。

 昨晩と比べてもだるさはなくなったし、熱だって完全に下がっている。
 以前ならもっと体調が悪くても働いていたから、これほど回復しているのに休むのは気が引けるし、このままでは体が鈍ってしまいそうだ。

「うーん。だが、君が戻ってもする仕事はないし……ああ、ベアトリクスの手伝いをしたらいい。隠居するにあたって、工房の片付けものをしている」
「ベアトリクス様の?」

「君としては複雑な想いがあるだろうが、彼女は倒れた君を献身的に看護していた。罪悪感もあっただろうが、あれは純粋に娘を案じる母の姿だったと俺は思う。許す許さないは脇に置いて、少し腹を割って話をしたらどうだ? 言いたいことも聞きたいことも、相手が死んでからでは遅いんだからな」

 ディルクは幼い頃に母親を亡くしているから、その助言には重みがあった。

 正直、顔を合わせるのは気まずいし、うまく話せる自信もないが、ずっと確執を抱えたままでいるのも心苦しい。
 素直な気持ちを伝えたら、少しは母子関係が改善されるだろうか?

 でも、自分を冷たく見下ろしてきたベアトリクスの目を思い出すと、足がすくんでしまう。ディルクが見たという母の愛情を疑うわけではないが、刻み込まれた記憶が行動力を鈍らせる。

「不安か? 俺が付いていた方がいいなら、一緒に行くぞ」
「その……離れたところからでいいので、見守ってくれてると、嬉しいです」

 傍に付いててもらうのはみっともないけど、一人だと勇気が出そうにない。
 見守ってほしいなんて子供じみたことを言ったなと思いつつ、心配そうにのぞき込むディルクを見上げながら窺うと、ディルクは急に顔を赤らめ、落ち着きなくオフィーリアから離れた。

「か、可愛……! い、いや、なんでもない。君が望むならそうしよう。そうと決まればすぐに着替えるといい。お、俺は廊下で待ってるから」

 と、一気にまくし立て、慌ただしく部屋を出ていった。

 愛しい女性に上目遣いでお願いされて、動揺しない男はいない。だが、自分の仕草に自覚のないオフィーリアからすれば不可解な行動にしか見えず、首をひねるばかりだった。

 身支度を整え、ぬいぐるみサイズのドラゴンに戻ったディルクと共に工房へ向かう。

 人の姿は何かと勝手がいいが、ドラゴンの姿で生活している方が魔力の回復が早いらしく、必要がなければ人化しない方針らしい。
 オフィーリアとしてもドラゴンの方が接しやすいというか慣れているので、その方が心臓に優しいのでありがたい。

「じゃあ、俺はこのあたりで待っている。今のベアトリクスが君に害があるとは思わないが、何かあったらすぐに呼んでくれ」

 工房前の戸でディルクは止まり、オフィーリアの肩を優しく叩いた。

「は、はい」

 戸を一枚隔てているとはいえ、すぐそこにディルクがいるというだけで安心するし、無様な姿は見せたくないと気張れる。緊張はするが、怯えはしない。
 深呼吸をしてノックをすると「どうぞ」と返事があった。

「失礼します……」

 ゆっくりと戸を開けて工房に足を踏み入れると、戸棚の中から物を取り出しては箱に詰めているベアトリクスの後姿を見つけた。傍にロイドはいないが、別の用を頼んでいるのだろうか。

「……オフィーリア?」

 振り返った彼女は戸惑ったように瞳を揺らし、目が合ったオフィーリアの顔にも困惑が広がった。

 三日か四日しか経っていないはずなのに、目じりや口元に薄っすらとしわが刻まれ、肌の色艶も潤いも失われているように見える。若々しく自信に満ちた母しか知らないオフィーリアには、十数年は老け込んだ彼女が同一人物には思えなかった。

「ふふ、驚いた? 魔力が一気に減って、あっという間に老け込んだわ。まあ、自業自得だけどね」

 なるほど。魔力は見た目の美しさや若々しさにも影響すると教わった覚えがある。
 これまでオフィーリアの魔力で維持されてきた美貌が、禁術を解いたことで本来あるべき姿に戻った、ということだろうか。

「それで? 改めて恨み言を言いに来たのかしら」
「あの、何かお手伝いしようと思いまして」
「え?」

 思いがけない申し出だったのか、ベアトリクスは訝しげな目を向けて手を止めた。
 迷惑だったかもしれない。体を動かしたくてディルクの提案に乗ったが、やはり自分の工房を他人に触られるのは気分のいいものではない。

 話はしたいけど場を改めるべきだろうか、と考えていると、ベアトリクスは慌てて首を振った。

「ち、違うのよ。びっくりしただけ。あなたは私を憎んでるはずで、私に謝罪や償いを求めてくるはずだって。どんなことを言われても受け止めないとって思ってたところに、手伝いなんて言われたから、どうしていいか分からなくて……」
「私……私は……」

 確かに、娘として愛されなかったことへの、マリアンナと比べられ差別され続けたことへの、恨みも憎しみもあるし、悲しい思い出もたくさんある。
 植え付けられた傷は多分、一生消えることはないだろう。今すぐ許すなんてできるはずもない。

 でも、そういうつらい気持ちが強ければ強いほど、愛されたいと願ってしまう。
 好きの反対は無関心とは、実に言い得て妙だ。どんなに負の感情であっても、それを抱き続けている限り相手への執着は続く。血が繋がっていればなおさら。

「私は、あなたのしたことを、許すことはできません。でも、あなたに苦しんでほしくもないんです。過ちは正されるべきですけど……今の私たちに必要なのは、断罪でも贖罪でもなくて、歩み寄る努力なんじゃないかな、と……母子、だから」

 母子だからといって、罪が帳消しになるわけではない。血の繋がりが確執をより深め、修復不可能になるまでこじれてしまうこともある。
 でも、お互いに情があるなら、望みはあると思った。

「あなたは、こんな私を母だと思ってくれるの?」
「……お母さんって呼ぶのは、なんだか慣れないし抵抗がありますけど……あなたが私の母であることに抵抗はありません。自分でも不思議なんですけど、よその子に生まれたかったとは思ったことがないんです」
「そう……」

 たとえ別の家の子であったとしても、落ちこぼれであれば扱いは同じようなものだから、考える必要もなかっただけのことだが、オフィーリアのその答えにベアトリクスは心底安堵した表情を浮かべていた。
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