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乗馬場にて
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次のテオフィルスとの面会の日まですぐと思いきや、そこそこ時間があった。
勇司としてはさっさと見合いを破談に持っていき、テオフィルスとおさらばしたかったのだが向こうにも色々と事情があるらしい。当初予定されていた日程はメオガータ側の都合でキャンセルとなり、一週間程時間が空いたのだ。
この期間に後回しとなっていたアルビオンの貴族達との正式な顔合わせと、国民への勇者お披露目パレードが行われることになった。勇者召還は無事終わったことは国民に通達されていたが、なかなか会えないことに貴族達だけでなく国民もヤキモキしているらしい。前回の勇者召還が失敗に終わってこともあり、城下町では「今回も本当は失敗したんじゃないか?」という噂が広がっていたそうだ。今回のパレードは民達に勇者としての威厳を見せ、彼らを安心させるのが一番の目的だという。
これといった身体的特徴はなく、どこにでも居そうな平凡な日本人男性といった感じの自分には全く勤まりそうにないな。それが鳴神からパレードの話を聞いた勇司の率直な感想だった。
「ユージ様、大丈夫ですか?」
「まっ、待って! 無理! 無理!」
パレードに出ることが通達された次の日、勇司は馬の上で手綱を掴んで震えていた。
パレードなのだから馬に乗れるようになれと言われ、練習をすることになったのだが難しい。見ている分には簡単そうに見えるが、相手は生き物だ。鞍がついていても背中は不安定で全く安心感が無い。何より馬に乗ると視界が物凄く高くなる。どこを見ていいのかすら分からない。確実に下を見ない方が良いことだけは分かる。
生き物の背中に乗るだなんて、ついこの間まで日本で大学生に電車通勤していた人間にはハードルが高すぎる。勇司は映画やテレビで馬に乗っているところを見たことはあったが、実際に馬に乗るのは初めてだ。
初めは勇者として格好をつけなければと思い、クロに補助してもらいながら意気揚々と馬に乗った。間近で見る馬に興奮していたこともあり、なんとかなるだろうという謎の自信さえあったのだがそれはすぐに後悔に変わった。
「ちょっと、ちょっと一回下ろして!」
「分かりました。下ろしますから、ゆっくりこちらに身体を傾けて下さい」
言われた通り身体をクロの方に傾けると、腕を引かれてそのままひょいっと身体を持ち上げられて馬から降ろされた。他の人にはあまり見られたくない下ろし方だったが、早く安定した場所に降りたかったので文句は言わなかった。固い地面が足下にあるって素晴らしい。
「困りましたね。パレード当日は出来れば一人で乗って頂きたいんですけど……」
「無茶だな」
勇司は初めての体験に、わずかに震える自身の足を見ながらキッパリと言った。
少し乗っただけでビビっている人間が沢山の人が集まる中を、馬に乗って隊列を崩さない様に進むだなんて飛んでもなくハードルが高い。
「馬車とかじゃあダメなのか?」
「ユージ様は戦闘訓練を受けていませんが、勇者ですので……手綱は私が引きますから、せめて威厳がある感じに姿勢を正して乗れるようになりましょう! 魔法の時も頑張ったじゃないですか! ユージ様ならきっとできます!」
「……はい」
クロに力強く言われ、勇司は頷くしかなかった。
クロにキラキラした目で見つめられるのにはどうにも弱い。好きな女の子の前で変に格好つけてしまうのに似ている。憧れの存在としてみっともない格好は出来ないと心のどこかで思っているのかもしれない。
「おや? 奇遇ですね、勇者様」
がさっと草木の揺れる音がしたかと思うと、馬小屋の陰からひょっこりと背の高い男が顔を出して勇司達の方へと寄ってきた。
「あ、こんにちは。確か……アイザックさんですよね?」
「覚えて頂けたんですね、ユージ様」
大きいので人の良さそうなクマ、という印象の男は目尻に笑い皺を作って笑った。近くにテオフィルスも居るのかと身構えたが、どうやら彼一人らしく他に影から出てくる者は居なかった。
彼はこの前会った時は詰襟のいかにも文官と言った感じの服を着ていたが、今日は非番なのかゆったりとしたシャツにマントというラフな格好をしていた。
「気軽にザックとお呼び下さい、親しい者は皆そう呼びます」
別にあんたとは親しくないけど。そう思って断ろうと思ったが、アイザックがにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべているので言えなかった。
態度が悪い奴に対してはいくらでも強気に出られるのだが、見るからに良い人にはどうも強く出られない。素直過ぎるくらい素直なクロとはまた違ったやりにくさを勇司はアイザックに感じていた。
「えっとじゃあ、ザックさん」
「さんもいりません。ユージ様は私とは違って高貴なお方ですし」
「いやでも、他国の人だし……」
「勇者様はどこに行こうと『勇者』なのは変わりませんから」
当たり前のことのように言うアイザックの隣で、クロもうんうんと頷いている。
勇司に実際に会ったアイザックがこの調子なのだから、勇者へ期待を向ける人々はさらに思いが熱そうだなと勇司は思った。信者にはできれば会いたくない。会ったら勢いに流されてしまいそうだ。
「えーっと……ザックはどうしてここに?」
「お恥ずかしい話ですが、癇癪を起したテオに追い出されてしまいまして」
アイザックは眉尻を下げて困ったような顔をすると、頭をかいた。体格のいい男が背中を丸めた姿は、何だかホームドラマに出てくる父親を思い出させる。アイザックからテオフィルスに向けられる慈愛のようなものが、何となく言葉の端々から見えているような気がするのだ。
「ふーん。この間はザックの言うこと素直に聞いてたように見えたけど」
「あの時は沢山の人の目があったので、引き下がってくれたんだと思います。もうあの子も大人なので、素直に言うことは聞きませんよ」
アイザックはそう言ってため息をこぼした。テオフィルスの行いをため息ですませてしまうアイザックに、勇司はおや? と思った。
勇司から見たテオフィルスという男は、ため息で片付けられるような存在ではない。自分の思い通りに物事を進める為に傷つけるだなんてまともな人間がやることではないし、そういったことをする人間とは健全な関係が築ける気が全くしなかった。
しかしアイザックはそうではないようだ。長い付き合い故なのか分からないが、テオフィルスに対してあまり負の感情を抱いていない。それにテオフィルスはアイザックが自分よりも立場の下の人間だというのに、言うことも聞いていた。
テオフィルスがクロのことを変に構うのはクロが貴族ではないからだと思っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。
「なあ、ザックはテオフィルスの叔父さんなんだろ?」
「ええ、そうです。テオフィルスは姉の息子でして、その縁でテオとは小さい頃から面識があるんです。小さい頃のテオはまるで妖精のように可愛かったんですよ。私の後ろをちょこちょこついて来るんです! もう可愛くて可愛くて……」
勇司はどうやってテオフィルスの情報を聞き出そうかと思っていたが、そんな心配など必要ないぐらいアイザックの口はよく動いた。顔を輝かせ、よくぞ聞いてくれましたと顔に書いてあるような気さえする。
彼は親バカならぬ、叔父バカなのかもしれない。
「私は元々戦士として内乱沈静化の為に働いていたんですけど、姉が亡くなってからは一人のあの子が不憫で文官になったんです。戦士だと色々な場所に遠征しなければなりませんが、文官でしたら城で働けますので。戦士の仕事が性に合っていたので文字もろくに覚えてなかったんですけど、業務自体は戦士の時もやっていたのでなんとかなりました」
「え? それは凄い……一大決心じゃないですか!」
「あの子の孤独に比べれば、私の苦労なんて……」
この時初めてアイザックの表情に悲痛な影が過ったのを勇司は見逃さなかった。アイザックは視線を落として唇を震わせるだけで、テオフィルスの孤独について決して言葉にはしなかった。ほんの数秒沈黙すると、彼はきゅっと一度だけ強く唇を噛んだ。
「ユージ様、私はテオフィルスにこれ以上一人で居て欲しくないんです。あの子の立場上あまり自由には動けませんが、せめてあたたかい家庭を作って欲しいと思っています」
視線を上げたアイザックは勇司の顔を真っ直ぐ見つめて言った。
勇司はテオフィルスの幸せは彼にとっての幸せであり、一番の願いなのかもしれないと思った。それ程アイザックの表情は真剣で、切実なものがあるのを感じたからだ。
出来ることならばアイザックの願いを聞き入れてあげたい。思わずそんな風に考えてしまう真摯さが彼にはあった。しかし、そんな考えは次の言葉ですぐ様消えた。
「なのでお見合いのことを真剣に考えてみて下さい」
ごめん、それは難しいかな。
勇司はハッキリとした拒絶の言葉をアイザックに言える訳がなく、ただ曖昧に微笑むことしかできなかった。
勇司としてはさっさと見合いを破談に持っていき、テオフィルスとおさらばしたかったのだが向こうにも色々と事情があるらしい。当初予定されていた日程はメオガータ側の都合でキャンセルとなり、一週間程時間が空いたのだ。
この期間に後回しとなっていたアルビオンの貴族達との正式な顔合わせと、国民への勇者お披露目パレードが行われることになった。勇者召還は無事終わったことは国民に通達されていたが、なかなか会えないことに貴族達だけでなく国民もヤキモキしているらしい。前回の勇者召還が失敗に終わってこともあり、城下町では「今回も本当は失敗したんじゃないか?」という噂が広がっていたそうだ。今回のパレードは民達に勇者としての威厳を見せ、彼らを安心させるのが一番の目的だという。
これといった身体的特徴はなく、どこにでも居そうな平凡な日本人男性といった感じの自分には全く勤まりそうにないな。それが鳴神からパレードの話を聞いた勇司の率直な感想だった。
「ユージ様、大丈夫ですか?」
「まっ、待って! 無理! 無理!」
パレードに出ることが通達された次の日、勇司は馬の上で手綱を掴んで震えていた。
パレードなのだから馬に乗れるようになれと言われ、練習をすることになったのだが難しい。見ている分には簡単そうに見えるが、相手は生き物だ。鞍がついていても背中は不安定で全く安心感が無い。何より馬に乗ると視界が物凄く高くなる。どこを見ていいのかすら分からない。確実に下を見ない方が良いことだけは分かる。
生き物の背中に乗るだなんて、ついこの間まで日本で大学生に電車通勤していた人間にはハードルが高すぎる。勇司は映画やテレビで馬に乗っているところを見たことはあったが、実際に馬に乗るのは初めてだ。
初めは勇者として格好をつけなければと思い、クロに補助してもらいながら意気揚々と馬に乗った。間近で見る馬に興奮していたこともあり、なんとかなるだろうという謎の自信さえあったのだがそれはすぐに後悔に変わった。
「ちょっと、ちょっと一回下ろして!」
「分かりました。下ろしますから、ゆっくりこちらに身体を傾けて下さい」
言われた通り身体をクロの方に傾けると、腕を引かれてそのままひょいっと身体を持ち上げられて馬から降ろされた。他の人にはあまり見られたくない下ろし方だったが、早く安定した場所に降りたかったので文句は言わなかった。固い地面が足下にあるって素晴らしい。
「困りましたね。パレード当日は出来れば一人で乗って頂きたいんですけど……」
「無茶だな」
勇司は初めての体験に、わずかに震える自身の足を見ながらキッパリと言った。
少し乗っただけでビビっている人間が沢山の人が集まる中を、馬に乗って隊列を崩さない様に進むだなんて飛んでもなくハードルが高い。
「馬車とかじゃあダメなのか?」
「ユージ様は戦闘訓練を受けていませんが、勇者ですので……手綱は私が引きますから、せめて威厳がある感じに姿勢を正して乗れるようになりましょう! 魔法の時も頑張ったじゃないですか! ユージ様ならきっとできます!」
「……はい」
クロに力強く言われ、勇司は頷くしかなかった。
クロにキラキラした目で見つめられるのにはどうにも弱い。好きな女の子の前で変に格好つけてしまうのに似ている。憧れの存在としてみっともない格好は出来ないと心のどこかで思っているのかもしれない。
「おや? 奇遇ですね、勇者様」
がさっと草木の揺れる音がしたかと思うと、馬小屋の陰からひょっこりと背の高い男が顔を出して勇司達の方へと寄ってきた。
「あ、こんにちは。確か……アイザックさんですよね?」
「覚えて頂けたんですね、ユージ様」
大きいので人の良さそうなクマ、という印象の男は目尻に笑い皺を作って笑った。近くにテオフィルスも居るのかと身構えたが、どうやら彼一人らしく他に影から出てくる者は居なかった。
彼はこの前会った時は詰襟のいかにも文官と言った感じの服を着ていたが、今日は非番なのかゆったりとしたシャツにマントというラフな格好をしていた。
「気軽にザックとお呼び下さい、親しい者は皆そう呼びます」
別にあんたとは親しくないけど。そう思って断ろうと思ったが、アイザックがにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべているので言えなかった。
態度が悪い奴に対してはいくらでも強気に出られるのだが、見るからに良い人にはどうも強く出られない。素直過ぎるくらい素直なクロとはまた違ったやりにくさを勇司はアイザックに感じていた。
「えっとじゃあ、ザックさん」
「さんもいりません。ユージ様は私とは違って高貴なお方ですし」
「いやでも、他国の人だし……」
「勇者様はどこに行こうと『勇者』なのは変わりませんから」
当たり前のことのように言うアイザックの隣で、クロもうんうんと頷いている。
勇司に実際に会ったアイザックがこの調子なのだから、勇者へ期待を向ける人々はさらに思いが熱そうだなと勇司は思った。信者にはできれば会いたくない。会ったら勢いに流されてしまいそうだ。
「えーっと……ザックはどうしてここに?」
「お恥ずかしい話ですが、癇癪を起したテオに追い出されてしまいまして」
アイザックは眉尻を下げて困ったような顔をすると、頭をかいた。体格のいい男が背中を丸めた姿は、何だかホームドラマに出てくる父親を思い出させる。アイザックからテオフィルスに向けられる慈愛のようなものが、何となく言葉の端々から見えているような気がするのだ。
「ふーん。この間はザックの言うこと素直に聞いてたように見えたけど」
「あの時は沢山の人の目があったので、引き下がってくれたんだと思います。もうあの子も大人なので、素直に言うことは聞きませんよ」
アイザックはそう言ってため息をこぼした。テオフィルスの行いをため息ですませてしまうアイザックに、勇司はおや? と思った。
勇司から見たテオフィルスという男は、ため息で片付けられるような存在ではない。自分の思い通りに物事を進める為に傷つけるだなんてまともな人間がやることではないし、そういったことをする人間とは健全な関係が築ける気が全くしなかった。
しかしアイザックはそうではないようだ。長い付き合い故なのか分からないが、テオフィルスに対してあまり負の感情を抱いていない。それにテオフィルスはアイザックが自分よりも立場の下の人間だというのに、言うことも聞いていた。
テオフィルスがクロのことを変に構うのはクロが貴族ではないからだと思っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。
「なあ、ザックはテオフィルスの叔父さんなんだろ?」
「ええ、そうです。テオフィルスは姉の息子でして、その縁でテオとは小さい頃から面識があるんです。小さい頃のテオはまるで妖精のように可愛かったんですよ。私の後ろをちょこちょこついて来るんです! もう可愛くて可愛くて……」
勇司はどうやってテオフィルスの情報を聞き出そうかと思っていたが、そんな心配など必要ないぐらいアイザックの口はよく動いた。顔を輝かせ、よくぞ聞いてくれましたと顔に書いてあるような気さえする。
彼は親バカならぬ、叔父バカなのかもしれない。
「私は元々戦士として内乱沈静化の為に働いていたんですけど、姉が亡くなってからは一人のあの子が不憫で文官になったんです。戦士だと色々な場所に遠征しなければなりませんが、文官でしたら城で働けますので。戦士の仕事が性に合っていたので文字もろくに覚えてなかったんですけど、業務自体は戦士の時もやっていたのでなんとかなりました」
「え? それは凄い……一大決心じゃないですか!」
「あの子の孤独に比べれば、私の苦労なんて……」
この時初めてアイザックの表情に悲痛な影が過ったのを勇司は見逃さなかった。アイザックは視線を落として唇を震わせるだけで、テオフィルスの孤独について決して言葉にはしなかった。ほんの数秒沈黙すると、彼はきゅっと一度だけ強く唇を噛んだ。
「ユージ様、私はテオフィルスにこれ以上一人で居て欲しくないんです。あの子の立場上あまり自由には動けませんが、せめてあたたかい家庭を作って欲しいと思っています」
視線を上げたアイザックは勇司の顔を真っ直ぐ見つめて言った。
勇司はテオフィルスの幸せは彼にとっての幸せであり、一番の願いなのかもしれないと思った。それ程アイザックの表情は真剣で、切実なものがあるのを感じたからだ。
出来ることならばアイザックの願いを聞き入れてあげたい。思わずそんな風に考えてしまう真摯さが彼にはあった。しかし、そんな考えは次の言葉ですぐ様消えた。
「なのでお見合いのことを真剣に考えてみて下さい」
ごめん、それは難しいかな。
勇司はハッキリとした拒絶の言葉をアイザックに言える訳がなく、ただ曖昧に微笑むことしかできなかった。
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