勇者様!婚活して下さい!

森野白熊

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愛される者2

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「テオフィルス様、お久しぶりでございます」

クロがテオフィルスに丁寧にお辞儀をしたので、勇司はとりあえず真似をしてお辞儀をしておいた。しかしテオフィルスの関心はクロの方にあるらしく、全く勇司の方を見ていなかった。
クロを見つめるテオフィルスの眼に親しみなどはなく、どこか軽蔑しているように見えた。どんな理由でそんな風に見るのか理由までは分からないが、少なくとも自分がその眼を向けられる立場だった今すぐに逃げ出したくなる。それほど分かりやすい悪意が滲んでいた

「ふん、ここで会うということは相変わらず飼い犬に徹しているようだな」
「テオフィルス様こそ、また会議を抜け出していらっしゃったんですか?」
「ああ、外交に関する難しい話は叔父上の仕事だからな。話が長くなりそうだったから、抜けてきた」

ふぁっとあくびをしたかと思うと、テオフィルスは頭をかいた。見た目が良いせいか、気だるげな様子も絵になった。彼が居るだけで何でもない日常がドラマに出てくるワンシーンのように勇司には見えた。だからといって彼に対する好感度が上がるわけではないのだが。

「今回の滞在は長くなりそうだから、お前が暇なときは遊んでやるよ」

猫のように吊り上がった目を細めてテオフィルスはクロに言った。意地悪そうな口ぶりから、遊ぶというのがそのままの意味ではないのは明らかだった。
勇司はすぐさま心の中でテオフィルスに張り付けたレッテルを「嫌な奴」から「クロの敵」に変えた。恐らく彼はクロが言っていた無理を通す者の内の一人だ。
クロはテオフィルスが格上の相手だからか、特に表情は変えず、ずっと笑顔を保っている。

「もしかして、候補者としていらっしゃったんですか?」
「そうだと言ったら?」

テオフィルスは口角を上げてニヤッと笑った。挑発するような態度だが、クロの表情はやはり変わらない。ただ真っ直ぐテオフィルスを見つめている。

「どうも致しません。私が口出すことではありませんので」
「つまらない奴だな、昔はもう少し可愛げがあったのに」
「いつまでも子供ではありませんので」

クロの返答が気に入らなかったのか、テオフィルスはふんと鼻を鳴らしてクロから視線をそらした。
このまま視界から消えてくれればいいのにと勇司は願ったが、テオフィルスが勇司の方を見た。視線が交わったかと思うと、わずかに口角を上げる。

「そいつは新しい使用人か? お前が一緒に居るってことは……あのいけ好かない野郎の関係者だろ?」
「そいつだなんて失礼な呼び方はお止めください、テオフィルス様」

その時はじめてクロの言葉に僅かに怒りが滲んだ。テオフィルスがそれを見逃すはずはなく、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる。
これはマズい流れかもしれない。勇司はそう思ったが動けなかった。クロが様をつけて呼んでいるぐらいなのでテオフィルスは確実に貴族だ。ここで事情をよく知らない自分が動けば、それこそテオフィルスの思うつぼだ。揚げ足をとってくるに違いない。

「私が護衛することになったユージ様です。ユージ様、こちらメオガータ国の王子テオフィルス様です」
「あっ、ここでお世話になる勇司です」

どうしたものかと考えていると、クロが紹介してくれたのでとりあえず勇司は頭を下げておいた。

「護衛? ということは貴族の方でしょうか? 無礼な態度をとり、失礼いたしました」
「あっ、いえ。お気になさらず……」

勇司が使用人ではないと分かると否やテオフィルスの口調は柔らかく丁寧なものに変わった。態度を変えたテオフィルスに違和感を覚えつつも、勇司は日本人らしく謝罪を受け入れてしまった。怒ればよかったかなと思いつつも、そのまま口を閉ざしたのは早くこの場を去りたかった。
さすがに相手が貴族と思ったのなら、テオフィルスもこれ以上は変につっかかって来ないかもしれない。勇司はそんな淡い期待をしたが、それはすぐに壊されてしまう。

「それで、ユージ殿はどこのお国からいらっしゃったんですか?」
「どこからって……」
「名前からして他国の方でしょう? この時期に他国からいらっしゃるということは同じ候補者でしょうし、仲良くしましょう」
「えっ、えぇっと……」

どう答えれば良いの分からず、勇司はとりあえず苦笑いを浮かべていた。
笑顔で圧力をかけてくるテオフィルスは正直怖い。勇者なのだと打ち明けて強行突破することも一瞬考えたが、クロに対する態度を見るにそれはあくまで最終手段になる気がした。
鳴神から他国との微妙な力関係を聞いていたし、勇者だとバレた上で失言でもすればそれを理由に政略結婚させられる可能性がある。
それだけは何としても避け、この男から逃れたい!

「それ以上の情報を提示することは許されておりませんので、お引き取り下さい」
「くっ、クロ……」

勇司がどうしていいか分からず固まっていると、クロがテオフィルスから勇司をかばうように自身の背中へと隠した。
興味津々で地球のことをあれこれ聞いていた時は素直で幼い印象を受けていたが、今は打って変わって物凄く頼もしく見えた。

「相変わらずの忠犬ぶりだな、お前は。それでいいのか?」
「俺の……私の役目はユージ様をお守りすることですので」

クロの尻尾が警戒するようにピンと立ち、視線はじっとテオフィルスを見据える。その姿を見てテオフィルスは笑っていた。

「お前がそんな風にしたところで無理やり従わせることだってできるんだ。こんな風に、な」

テオフィルスはそう言うと、指揮でもするかのように手を動かした。すると蔦のカーテンを開けた時と同じ甘い匂いがあたりに漂った。

「うっ……!」

強すぎる香りに思わず鼻を手で覆うが、それでも分かる程匂いは強かった。

「なんだ、これ……?」

鼻から入った匂いが肺の中いっぱいに広がり、げほげほと勇司はむせ込んだ。
何が起こっているのかさっぱり分からないが、匂いの原因がテオフィルスだということだけは分かる。

「テオフィルスさま……」

不意に女の人の声がしたかと思うと、蓮の上に居た女達がテオフィルスの方に吸い寄せられるように寄ってきていた。皆テオフィルスに縋り付くように手を伸ばす。息を乱して何かを求めるさまはからからに乾いた砂漠でオアシスを探しているようにも見える。
身体にまとわりついてくる女達をテオフィルスは眉一つ動かさず受け入れていた。自分の身体を這いまわる女の手よりもクロと勇司の方が気になるらしく、視線は変わらず前だけ見ている。

「なんだ、ユージ殿も何らかの加護を受けているのか? それとも先手を打ってあいつが何か仕掛けているか……」

テオフィルスは何かを考えるように顎に手をやると、首を傾げた。
気品ある動作だが、まとわりついている女達のせいで別の次元の生き物の様に見えた。何かがおかしいのだ。

「まあいい。出力を上げれば分かる」

テオフィルスはまた手を動かした。香りが強くなると共に、勇司には何かピンク色の霧のような物がテオフィルスの周りに漂っているのが見えた。
なんだ、何かの魔法を使ってこうなっているのか?
勇司が必死に少ない情報から考えていると、目の前にあったクロの身体がぐらっと揺れた。

「クロっ!」
「うっ……」

クロの周りに漂っていた霧が濃くなったかと思うと、クロが呻き声と共に地面に膝をついた。思わず勇司は駆け寄った。

「獣人は鼻が良いからな。いくら防衛魔法のかかったアイテムを持っていたとしても、オレの能力を完全に防げるわけじゃあない」
「やっぱりこの霧はお前の能力なんだな!」

勇司の言葉にテオフィルスの眉がピクリと動いたかと思うと、目が徐々に見開かれる。その表情は驚いているように見えたが、勇司は何に驚いているのか分からなかった。

「ユージ殿は霧が見えるのか?」
「はあ? 見えるけど……」
「うっ、ぅうっ……ぁっ……」

二人の会話を邪魔するかのように無数の呻き声が下かと思うと、テオフィルスに群がっていた女達の身体がぐらりと揺れて地面へと伏していった。

「なっ、なっ、なんだっ?!」

地面に倒れた女達は喉を搔きむしり、苦しそうに口をパクパクと開閉させている。地面に落ちた芋虫か、浜に打ち上げられた魚のようなその動きは明らかに異常だった。異常な彼女達を取り囲んでいるのはやはりピンク色の霧だった。

「おい! その変なのやめろ! なんかその人たち苦しそうだぞ?!」
「本当に見えてるのか……」

テオフィルスの返答は全く話を聞いているように感じられなかった。
ただでさえ話しにくかったのに、話が通じなくなるとかもうどうすればいいんだよ!
勇司がどうしていいか分からず、ただテオフィルスとにらみ合っているとクロが服の袖を引っ張った。

「ユージ、さま……」
「なっ、なんだクロ?」
「おねが、い……これ、引っ張って……」

これ、というのは霧のことだろうか?
クロが指さしているのは勇司からは霧に見えた。しかし、霧に実体なんてない。引っ張れるわけがない。引っ張ったところで何も起きやしない。

「あー、もうっ! 知らん!」

勇司は数秒葛藤したが、他にどうしていいか分からなかったので言われたままにクロに絡みついた霧を引っ張った。すると不思議なことに霧は千切れ、その色は薄らいでいった。
まとわりつく霧が薄くなると、クロは大きく数度深呼吸を繰り返す。

「ユージ様、後で怒られますので我慢して下さい」
「え? なに? なにすんの?」

クロが立ち上がったかと思うとひょいっと身体を持ち上げられ、気がつけば勇司は肩に担がれていた。

「テオフィルス様、さようならっ!」
「うっ、うぉおおおっ?!」

クロはテオフィルスに投げやりな挨拶をすると、勇司を担いで全力で走って逃げた。それは男を担いで出せるとは思えぬスピードで、勇司は突然のことにパニックになってみっともない雄たけびを上げてしまった。

「おいっ、待て!」

遠くでテオフィルスの怒鳴り声が聞こえたが、クロが止まる訳が無かった。
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