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72 スイート・シュガー

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 闘技場エリアの白い床は、タイルでもコンクリートでもない無垢な白さと艶を持っている。その床を強く打ち鳴らしながら、榎本が近づいてきた。倒れたままの姿勢でいるガルドを覗きこみながら、演説風に話し始める。
 「確かに! 佐野みずきはクールで大人びてる!」
 ガルドは突然の発言に理解が追い付いていなかった。困惑を隠さず、ため息をつきながらゆっくり立ち上がる。
 「……突然、どうした」
 「認めてんだよ、暴言吐いたやつの言いたいことを。たまに『俺の方が子どもっぽい』なんてメロあたりが文句言いやがる。だがな!」
 ハンマーを重力に任せて地面に落とし、肩ほどの高さに戻ってきた柄の先を拳で握り込んだ。
 そして、思わず頭に血がのぼって熱くなる口調を封じ込めるように、我慢するような声色で言葉を絞り出した。
 「欠けてなんかないだろっ、むしろ箱にぎゅうぎゅうに納めすぎてるだろうが。いろんなこと詰め込んで固くなって、それをおくびにも出さない辺りが、確かにそう見えるかもな。ったく……そいつは分からなかったんだろ。節穴だな! お前が人情味ある奴だってのは、俺たちが……分かってっからな!」
 ドンと自らの胸を拳で叩きながら話す榎本に、ガルドは浅く息を吸い込みながら相対した。正直、ガルドには自負があった。相棒には自分のゲームスキルだけでなく、性格のようなものを評価してもらっている。そう感じることがたまにあった。だが、こうして言葉で聞くのは初めてだった。
 怒ったような顔をした榎本の、わるふざけの様子がちっともない視線。床で反射した白のハイライトが強い瞳から、目が離せない。
 過去の「人として欠けている」という評価を暴言と断定したことを内心で「違う」と反論しようとし、うまく言葉にできない。ぱっと開いた口を、ガルドはすぐにくの字にして押さえ込んだ。
 ぶすくれたガルドは威圧感のある顔をしているが、榎本は気にせずに笑いながら話を続ける。
 「そういうとこ、ちゃんと『みずき』らしいぜ。つかそいつなに考えてんだよ、てか誰だよ」
 「……質問が多い。主語もない」
 ガルドは意図して反らして返した。
 「あぁそうかよ、わかった。さっきの、年相応じゃないってのは、確かに間違ってるな。前言撤回だ」
 わざと話題を避けたガルドに、榎本は深く掘り下げることなく話題を戻した。こうなったガルドの頑固さはよく知っている。答えたくない事は徹底して話題を避けるだろう。ガルドが逃避癖を治そうとしていることなど露知らず、榎本は早々に諦めた。
 しかし、と榎本は不満げに顔をしかめた。女子高生よりずっと子どもっぽい理不尽への反発と、元来の短気さのせいで帰宅後すぐ闘技場に連れ込んでいるのだ。思えば恥ずかしい言動を先ほどから山ほど繰り返している。相棒相手に今まで数多くあるが、ダントツに恥ずかしい。なかったことにしたい。この変な空気感も吹き飛ばすような話題で、目の前の悩める大男を笑わせてやる。
 榎本は無理矢理ちゃかすことにした。
 「四歳だからな、お前」
 「は」
 むすりとしていたガルドが一転、算数が分からず黒板をぼおっと見つめる子どものような表情になった。榎本は思わず笑いが込み上げてくる。年齢なんかどうでもいい。ガルドがこうして読みにくい表情をコロコロと小さく変えるのを、榎本は三年間近で見てきたのだ。無愛想だが人情味のある、優しすぎる大男。
 欠けてる訳がない。榎本は、ガルドの心のトゲを笑い飛ばした。


 「だぁってほら! アバターつくって四年目だろ!? じゃあガルドその体は四歳。お、奇遇だなぁ俺も四歳四年目だ」
 「……随分とデカい幼稚園児だ」
 「ほら、ガキっぽいことしても年齢に合うだろ?」
 リラックスした様子でふざけ始めた榎本に、ガルドは戦闘意欲がごっそりと削られてしまった。先ほどまで巡っていた昔の記憶などどうでもよくなり、榎本が語る謎理論に飲み込まれてゆく。
 「……長いこと苗字でプレイしてきたんだろう?」
 「VRはフロキリが初めてだって」
 「その前から。未成年の頃から『榎本』だったはずだ」
 「おいおいおい、そこまで掘り起こすなよ! 覚えているなよそんな下らない俺の遍歴……」
 「その理屈なら、自分は四歳でいい。だけど榎本お前三十近い、」
 「あーあー聞こえない。もういいよ年は。俺は我慢の効かないガキなの。お前もまだガキなの。っつっても理由がないとバカが出来ないってんだろ?」
 「……いや」
 「分かるぜガルド、バカになるってのは怖いよな。俺もほら、ゲームをしない奴らに囲まれて生活してきたからな。怖いよ、こんなナリでバカみたいにゲーマーやってんの。だから、俺も建前が欲しいわけだ。お前も一口乗れよ」
 「建前?」
 「そ。この世界じゃ俺たちは四歳児。この世界は……生後三日か? 確かに四十年分の積み重ねとか、親とか職場とかダチとか、いろいろあるわけだ。だがアバターとしてはまだまだ若いからな。そういう『世の中』ってやつに振り回されんの、ココじゃ無しにしようぜってこと」
 「それは……へりくつだな」
 「だってよぉ……親の目も非ゲーマーの目も、ギルメン以外誰もいない今なら、好き勝手出来る! だろ?」
 両手を広げて解放感をジェスチャーして見せた。ハンマーは直立したままその場で停止している。
 「そうか」
 「おい! 流すのかよ!」
 「理由が無いから好きにしないんじゃない」
 「ほぉ、じゃあ逆か?」
 「……我慢してない。好きにしてる」
 「まあ確かに学校に通う優等生みずきちゃんを俺は知らねぇし、それに比べればガルドは自由で楽しそうなのかもしれねーけど。それでもまだ俺より現状を割りきってるってどんだけだよ」
 「ん?」
 「何か……不満とかないか? ほら、言ってみろ」
 「外部と連絡がとりたい」
 「そらごもっとも。ほかにないか? 男ばっかりで窮屈だ、とか。もっとプライバシーに考慮しろ、とか」
 「別に気にならない」
 「言いきりやがって。遠慮……じゃなさそうだな。プライドとも違う。だとするとそうか、あれか……」
 頭をかきながら背中を向けた榎本の様子に、ガルドは上野の寒空を思い出した。
 あの時もそうだった。気付いていないことをずばりと指摘され、その後はしばらく機嫌が悪く、不快だったことを思い出す。
 元々メンタルに「ふり幅が無い」というのが、自分の数少ない長所だったはずだ。へこむこともなく、ハイになることも少ない。しかし逃げてばかりいたガルドに変わる決意をさせたのも仲間達で、前回の指摘も自分のためを思ってだということも理解できている。
 「なんだ」
 次に出てくる単語はきっと、自分を不快にさせるだろう。榎本の後頭部を睨みながらガルドは直立でその時を待った。正当な答えなのだからと受け止める覚悟をしつつ、しかし既に不機嫌である。
 「男の中の男だな! アバターも心も正にマッチョメン。軍人みたいだぜ」
 「そうきたか」
 榎本の斜め上な発言にガルドは拍子抜けして肩の力を抜いた。呆れたような声で返事をしつつ、悪い気はしない。むしろ誉められているように感じた。嬉しくはないが。
 「堂々として、ちょっとしたことには動じない。極限状態でケロリとしてる。不満を聞いても思い付かないと来たもんだ。軍人じゃなかったら坊さんだぞ」
 その言い方は決して誉めているつもりではなさそうである。からかいの混ざったニュアンスに、「どうだ気付いてなかっただろ」と言わんばかりのしたり顔だ。ハンマーをくるりと背に回して納刀状態にすると、いつものようにガルドのつんつんしたショートヘアを掻き回しに近付いてくる。
 「ヘアアレンジでスキンヘッドなんてどうだ?」
 坊さんヘア、アバターだと以外に人気あったよな~、と続けながら榎本が思いきり髪をいじりにくる。大きな手のひらでグリグリと荒っぽく撫でられ、ガルドは思わず腰の辺りから頭をかがませた。
 「アバターコントロールはミン神殿だ。遠い」
 「ははっ、真面目なお答えマジレスどーも」
 笑いながら手を肩に移動させてくる榎本に、やれやれと笑いながら大剣を背中に納めた。まだ体を動かしていたい気もしたが、満足しきってしまうよりもこれで良いのだと思い直す。
 楽しみは取っておこう。明日の小さな楽しみに、来週の指折り数えるような予定のひとつに。次はチーム戦をしよう。榎本とのサシはその次にする。そう予定を組むだけでわくわくした。
 それは普段の彼女みずきが、学校の窓から空を見て思う楽しみと全く同じだった。放課後の小クエスト、金曜からのギルドマッチ、指折り数えるような大規模レイドや攻城戦。それを待つ場所が変わっただけだ。
 「そうだ、寝癖とヒゲ! それくらいならなんとかなるだろ。アイツに頼んでみようぜ……名前なんだっけ」
 「忘れた」
 「どうでもいいか。ヒゲくらい」
 「いや、大事だ」
 「清潔に保ちたいってことか? やっぱり乙女だな」
 「いや、生やしたい。このあたり」
 「マジかよ」
 「榎本も少し伸ばせばいい。こことか」
 「いや、俺はアゴ限定だから。それにここイジったらモミアゲとバランスとりにくくなるだろ」
 「……こだわってるのか?」
 「ヒゲにこだわってるお前がそれを言うかよ! いいか、モミアゲは大事なんだ。ボリューム、長さ、角度で全然違う。ヒゲと違ってアバターごとの変更だから慎重になるだろ。気軽には変えられないからな! 今のは気に入ってるベストなモミアゲだ」
 「ミン神殿踏破のタイム、六分切っただろ」
 「だからって毎日行くのダリぃだろうが」
 「ダルいが、つきあう」
 「おぉ心の友よ……俺のモミアゲのためにそこまでしてくれるのか……」
 「鬱陶しい」
 「そこ感動の場面じゃないのかよ! でも嘘じゃないんだろ、その台詞。俺もお前のためにヒゲを手に入れてやるからな。あのロング黒マントに頼み込んでやるぜ」
 「今度はキレるなよ?」
 「くくっ、善処するさ」
 肩にかけられた腕の重みを実感しつつ、ガルドは出口に進んだ。白い空間がブツリと途切れ、年期の入ったブラックウォルナットの床板が目に入る。無音だった闘技場から一転、木の空間からは聴き馴染んだバックグラウンドミュージックと仲間の談笑が聞こえてきていた。


 「終わった? ゴリラコンビ」
 慌ててラウンジの球状モニターを非表示にしたメロが、肩を組んだままの榎本に声をかけた。ガルドをゴリラ呼ばわりするのはいつもの事だが、榎本をそう茶化すのは珍しい。
 「ゴリラ……ガルドはともかく俺もかよ!?」
 「おぉ、お前やかましいからチンパンジーの方が合ってる」
 ジャスティンもその話題に乗りつつ、二人が座れるように、先程まで独占していた四人がけソファから一人用のものに乗り換える。ハイバックでくるむような形のソファにすっぽりと収まり、毛むくじゃらのドワーフを包むオクルミのようで良く似合っていた。
 「俺はお前よりずっと静かだぞ~ジャス。お前が猿だろ。全身ロングヘアの」
 「がはは! 髭の生えた猿なぞ聞いたことないぞ!」
 「ガルドはシルバーバックだな。寡黙で堂々としている」
 「ありがと」
 「待てよ、それ褒めてるのか?」
 「かっこいいじゃん、シルバーバック。ほらほら、とりあえず全員揃ったから作戦会議しよ」
 ばたばたと席を移動し、食卓に使用するには低すぎるローテーブルを片付け始めた。一つ一つ選択して消去していくのは面倒くさいと、メロがまた杖を取り出す。
 「あーあー、水は困るぞ」
 「わかってるって」
 榎本が放った牽制の一言に「やめろ」の三文字はなかった。
 テーブルの中心部を目視で定めてから単詠唱の魔法スキルを発動させた。装備をラフなものにしているため、いつもの超高速発動は起こらない。きっかり五秒後に巻き起こる風が、机の上でつむじ風となった。
 小さなオブジェクトが大量に破壊される際の、パリンパリンとガラスが割れるような音が続く。食器棚から皿を投げるような音で、眼前の様子もまさにそのようだった。
 料理が皿ごと一つのオブジェクトとして浮き上がり、水晶のつぶになって砕け散っていく。チョコチップスコーンが半透明になって粉砕される様子を見つめながら、夜叉彦がしんみりとした。
 「……トイレットペーパーならいいけどさ、料理とか飲み物だと罪悪感でてこない?」
 「食いかけは一個以下のアイテムに変化している。ボックスに戻しても所有数は増えないからな、食いきるか捨てるかしか道はない」
 「別の場所に移す、とか」
 その発案にマグナは大真面目な顔をして考え始めた。
 「棚でも作ってか? 腐ることは無いから、アリと言えばアリだな」
 「えー、なしなし。食べかけなんて食べないって」
 「だが埃も湿気も存在しない。ゲームだからな。ポテチが湿気って不味くなることもない」
 「……気分の問題だよ」
 「各自の部屋に持ち帰るなら、ありじゃあないか?」
 ジャスティンはそう言いながら、手に持ちっぱなしで難を逃れたカナディアンウイスキーのグラスを掲げて見せた。カランと軽やかに氷が揺れ、暗に自室で酒盛りをしていると自慢している。
 「そっちお酒はまぁ、わかるけど」
 「このあと会議だと言っただろ。飲むのは程々にしろ……ジャス、お前に言ってるんだぞ」
 また一口飲んだジャスティンに注意するマグナだが、素知らぬ顔で歩く髭のドワーフにメガネを上げるしぐさで睨みを強めた。メガネの装飾装備が存在しないフロキリですると、少し間抜けに見える現実再現行動手グセだ。
 「ちびちびならいいだろう?」
 「まぁまぁ、マグナ。ジャスが逆に真面目に『大事な話し合いだから水でいいぞぉ~!』なんて変でしょ」
 「確かに」
 「俺だって仕事の会議では飲まんぞ! アル中じゃないからな!」
 「社会人として当たり前の事を言うな」
 「味覚再現でアル中治療とかありそうだけどな」
 「もう実地試験されてるんじゃない?」
 「効果あるかよ。VRの酒だと酔いなんてすぐ無くなるのに」
 「飲むことに、意義がある……」
 「今の俺らの飯と一緒か。自己満足、生きてる真似、人らしいポーズ」
 「うーん、なんて世紀末的……」
 「ほら、机片付いたから始めよ? お供は紅茶ね。ジャスはそれ置いてきて」
 「いや、紅茶に入れるぞ! ブランデー入りの紅茶、あるだろう!」
 「ウイスキーだろそれ!」
 「提督の真似か?」
 「え、誰」
 「……通じんか」
 「チャイにしよ」
 「俺レモン」
 「……アイスティー」
 「同じ紅茶でもこうも違うのか。面倒だ、自分で選べ」
 「おおい! なみなみ注ぐな、こいつも入れるんだぞ」
 「好きにしろよ……もう」
 そこに悲観的な空気は無い。
 変容してしまった日常を、ロンド・ベルベットの精鋭達は拍子抜けするほど瞬く間に自分達のリズムへと組み替え、受け入れていた。
 仲間達がワイワイと騒ぐ様子を見つめながら、ガルドは会えなくなってしまった高校の友人を思い出していた。彼女達はいまどうしているだろうか。ガルドはその心配と共に、しばらく付き合いをサボっていたために忘れていた甘味を懐かしんだ。
 「甘いのも、たまにはいい」
 ガルドの手がフードストック一覧を呼び出し、陶器のミルクポットとガラス細工の砂糖入れが現れる。紅茶のセットはどれも女性的で、この砂糖入れは特に繊細でフェミニンだった。
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