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36.5 榎本の悪夢
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「榎本ぉ……お前、太ったか?」
悪夢かと思った。
これは、中年榎本が趣味にかまけて筋トレをサボった結果訪れた、小さな悲劇の物語。
朝。
先日の上司の声を夢に見ながら、飛び起きるようにベッドから抜け出した。心地よい目覚めなどあったものじゃない。喉がイガついて気分が鬱蒼とする。
ここ最近全身鏡を見ないようにしていたのは事実だ。とうとう突きつけられた現実にショックが隠しきれない。
「ジムなんか行ってる暇ねーのに……」
パジャマ代わりのネズミ色スウェットをめくるように脱ぎながら、同時に腹を見る。
無論腹筋は割れている。何年も維持し続けている。ちょっとサボった程度では失われない。
ただちょっと、表面がぷにぷにとしている。
「ひぃっ!」
悪夢は続いていた。前回のイギリス大会の時も増量したが、それに増して今回の腹は酷い。
とにかく顔を洗って気と腹を引き締めなければ。上半身裸のままで洗面台に駆け込んだ。
朝食を抜くのは、ガルドが居候するまでは当たり前のことだった。飲んで精々豆乳やプロテイン程度で、あとは果物をかじる。手軽なバナナが中心であり、リンゴや桃は丸かじり。グレープフルーツは剥いてあるシロップ漬けのものを選んで買っていた。
居候が出してくれた魔法のような朝食を懐かしみながら、今日も一人きりのソファに座り無心でバナナを一本食べる。ついでにサプリメントをざらざらと瓶から取りだした。
何も太るような食生活はしていない。野菜と良質なタンパク質を中心に、愛する酒を夜に適量飲む程度だった。
これ以上食い物はどうにもなんないだろ。そう諦めつつハッとした。あれしかない。
そうして寝室のクローゼットからあるアイテムを取り出した。
ネット通販で買った、安くて真っ黒な巻くタイプの重りである。
「……つけてくか」
両足にそれぞれ三キロ、腕に一キロの付加をかける。どれ程の効果があるのかなど、以前は三日坊主ですぐに外したためにわからなかった。とにかくジムに行かず痩せる方法を考え、それをとりあえず試す。
脳裏に浮かぶ悪あがきの文字を振り払うように、ネクタイをぐっときつく引き絞った。
東京の地下鉄は独特の匂いがする。少し湿っていて、人の営みと古い機械の入り交じった生っぽい気配だった。俺はこれが嫌いじゃない。
普段からエスカレーターはなるべく使わない。階段を駆け降り駆け登り、普段使いのトレーニングだと考えていた。車も自転車も持たない自分の唯一の交通手段が、今日も時間通りに風を押しながら滑り込んでくる。
視界を塞ぐHMDをつけていると到着駅がそもそも見えない。それを防ぐためにいつも使っているアプリでもって、乗った時間と降りる時間でタイマーをセットしてからプレイ動画を再生させた。
今日はそこに筋トレをミックスさせる。
変に思われない程度の硬直具合で腹を固め、電車の揺れに素早く反応し自立状態を維持する。ケツを引き締めかかとを浮かせ、つり革を握る二の腕も意識して体重を交互にかけた。
肝心の腹をへこませるには、やはりこんなものではダメだろう。会社に着いたらロッカールームで腹筋するつもりで、今は他の部位をいじめ続けた。
朝と夜に悲惨な食生活をしているため、たっぷり豪勢な昼食を取るのがお決まりだった。しかし今日からしばらくはヘルシーなものにしようとコンビニ産・サラダチキンを取り出す。
食べたいものはフロキリの再現料理でどうにでもなる。あれは本来「肉体の関係で食事が出来なくなった患者のために開発されたクオリティオブライフ向上技術」だ。ホスピス技術の最先端と言ってもよい。
つまり食べられないものを擬似的に食べるという使い方としては至極真っ当だ。今日はそっちで目一杯ピザを食う。今はとにかく高タンパク質の生活で筋肉超回復狙いだった。
「おー、気にしてんのか?」
出た。
「言った本人が茶化さないで下さいよ……」
「ははは、太ったのは事実だからな。だが過度なダイエットは毒だぞ」
「時間無いんです、食いもんだけでもセーブしないと……」
上司がのしのし歩いてきては、こうしてずけずけと要らぬことを言って去ってゆく。俺の後ろにある文具ラックに用事がある風な演技をするが、ただのポーズだと課内全員が知っていた。
「旅行から戻ったらしごいてやるぞ、どこがいい? サウナか、プールか、砂風呂か、砂浜から選べ!」
「プールで」
「よし全部行くぞ」
「聞いた意味!」
そこまで相手をしてやると「がはははは」と大きな口で大声を出して笑う。そして他の部下達のデスクを巡回して戻っていくのだった。
「……はあ」
「ちっとも体型変わってないですよぉ、榎本せんぱい」
「いや、太ったのはホントさ」
すかさず声をかけてきてくれた後輩のアユラちゃんに返事をしながら、同じくコンビニで調達した即席春雨スープと割り箸を取り出した。ショウガと唐辛子がたっぷりはいった「燃焼系スープ」とパッケージにでかでかと書かれていて、もちろん期待して買ったやつだ。
「えー? こんなにいい肩してるのに、そんなちょっと脂肪ついたからって気にしなくていいですよぉ。私、榎本せんぱいの肩好きですよ?」
アユラちゃんは可愛い二十代(後半)の社員で、メイクもバッチリな今時の女の子だ。ただ少しセンスが変わっている。
「やーん、いつ見てもチャンプに似てる~!」
そう言って俺の肩をぺちぺちと叩いた。
アメリカのレスリングが好きで、筋肉質のベビーフェイスが好みのタイプらしい。どちらかというと俺はモトクロスとかフットサルとかの「風を体感系」スポーツが好きで、ああいうナパームをドン! 武器で猛打! みたいな猟奇的スポーツは好きではない。
「俺みたいなレスラーいるの?」
「肩だけは。顔はぁ、ほらアメリカ人って鍛えると顎回りがガッチリしてきて、でも目がぱっちりで!」
そう言って贔屓のフェイスの画像を見せてくる。
このクセさえなければ可愛いギャルなのに、ちょっと俺にも取っつきにくい趣向の持ち主だ。下のフロアにいる営業のオッサンと趣味があうらしく、連れだって飲みに行く姿をよく見かける。
「榎本せんぱいがもーちょっと首太くてぇ、もーちょっと顎がえらばっててぇ、もーちょっとホリ深かったらなー……」
「肩以外総取っ替えだな、アユラちゃんの理想の彼氏は」
「残念ですぅ、がんばって横須賀で見つけますね!」
それはアメリカ人を探すのにもってこいだろう。もともと日本人は圏外だったわけだ。営業のオッサンを少し不憫に思う。
「榎本せんぱいはどんな子がタイプなんですかぁ?」
若い彼女の純粋無垢な視線がびしばし刺さる。好みのタイプで言えば、アユラちゃんのようなギャルっぽい容姿はかなり近い。
「そうだなぁ、十年後のアユラちゃんなんかはタイプだな。もっとアイメイクのキツい感じの、背が高くてタイトめな……コンサバとか姉ギャルとか」
「榎本せんぱい詳しい~ドン引き~」
「おおい、ファッション用語使っただけだろ!?」
「オッサンがコンサバとか知ってるはずないしー」
「そうなのか……」
「そうですよー。もっと『ミニスカでアミタイツみたいなゲヘヘ』みたいなのを想像してたのに」
「いやそれキモいだろ」
「あはは、まじそれ~」
こういうとき秋の空のようにころころする乙女心には歯向かわない方がいい。次第に口調が女友達に向けてのものへと変化しているのもスルーするのがいい。
今までの経験則で学んだことだ。とりあえずアユラちゃんのつかみはバッチリだろう。ざまあみろ営業のオッサン。
そこで突然アユラちゃんが日清のカップヌードル(カレー味)をじゅるるとすすりながら一言。
「ダイエットとかすごいですね、まじソンケー。私痩せてるけど運動なんて全然しないですよ? ほら、チンシンタイシャ? 榎本せんぱいって意外と老化進んでるんですね~」
天然なのかなんなのか随分鋭い悪口に、俺はちょっと泣きたくなった。
上司といい後輩といい、俺は良い同僚に恵まれたものだ。歯に布着せない毒舌っぷりは見ていて清々しいが、自分に降りかかると厄介極まりない。どっと疲れた体で会社から帰り、夕食用の豆腐を板昆布と一緒に鍋へ入れた。
「チンシンタイシャじゃなくて新陳代謝だろうが……」
<代謝がどうかしたか>
ガルドの文字がこめかみから伝わってくる。
「いやな、後輩が俺の涙ぐましいダイエットをまるで無駄だと言わんばかりに……代謝は悪くなってるだろうがな……くそう、まだ四十だぞ」
<四十一>
「訂正どうも」
ガルドの真面目な天然ツッコミに例を言いつつ、合わせる薬味を用意する。ポン酢、ゴマドレ、ゆず胡椒……ゴマは止めよう。こいつはハイカロリーだ。
<ダイエットしなくても、榎本は十分いい体だ>
「くっ、甘やかすなガルド! 中年はあっという間に太るんだ!」
<本当のことだ。短距離も長距離も出来るバランスいい筋肉、体幹もとれてる>
こうやってガルドは素で俺のことを甘やかす。恥ずかしさと嬉しさとむず痒さで口がへらりと緩むのを、下唇を軽く噛んで食い止めた。
「と、とにかくあっちでハワイアングルメ食べまくるからな! 今のうちに減量すんだよ」
湯豆腐は俺が作れる数少ない料理のひとつだ。豆腐をゆでてるだけだが。
<そうか……脂肪燃焼にはカプサイシンがいいらしい。あと腸内フローラだ>
「詳しいな……カプサイシンっつーと、辛いやつか」
<ああ>
「今日はゆず胡椒があるぜ」
<ああ。あとは食後にヤクルトかヨーグルトだ>
冷蔵庫の中を思い出す。
乳酸菌飲料が入っていそうな上部の棚、そこに鎮座する第三のビール缶の列、ガルドが好んで置いていった高めのバター。
ヨーグルトはない。
「切らしてんな……」
<それは残念だ。そうだな……榎本は食物繊維をとったほうがいい。野菜とか海草とか>
「海苔ならあるぞ」
<スープにすると食べやすい。インスタントに入れるだけでもいい>
ガルドのアドバイスは的確だが疑問が出てきた。なぜこんなにダイエット食に詳しいのだろうか。
「やけに詳しいな。まさかお前、してないだろうな?」
<父と友人の話を聞いただけ。父に至っては減量メニュー担当>
「だからか。料理もバランスよく考えてたよな。俺なんか汁物なんて定食屋かカップスープでしか食べねえよ」
ガルドはしなやかな体つきだが、長距離ランナー特有の細さが気になる。もっと出るところは出てていいだろう。
<そうか>
おっと、ちょっと語尾の下がり具合が急な言い方だ。この三文字には多分「やれやれ、お前はもっとバランスの良い食事をとったほうがいい」という意味が隠れているだろう。こいつのちょっと足りない言葉遣いも、三年の間で息をするように読み取れるようになった。
こういうのはなかなか悪くない。
俺はもっと頭の悪い、それこそ後輩のアユラちゃんみたいな子がタイプだったはずだ。爪で引っ掻かれることもあればデレてくることもある、猫みたいな女の子達。ころころと表情を変えて愛嬌一杯のお姫様達。
ガルドのようなタイプは男友達で数人いる程度だ。
だがガルドの静かな浮き沈みの少ないトーンは悪くない。たまに飛び出す研究者みたいな探求心も、将棋の棋士のようにじっと何か脳内で解き明かすような寡黙さも悪くない。
「今日はそっちで食いまくるからな!」
<ああ>
将来を不安だと思うこともある。
仕事は生き甲斐にはならなかった。ただ金の為に働き、仲間とこうして駄弁りながら飯を食い、デジタルのバトルごっこに真剣になる毎日だ。
俺が好きなスポーツを退屈だからやめろというやつもいない。キャンプは虫がいるから嫌いなんていう同伴者もいない。至福のフルダイブ時間をコンビニ行ってこいなどと中断してくるやつもいない。
家庭、キャリア、収入、そして子ども。同世代が手にいれているものをかなぐり捨ててまでゲームするなど、世間体的にはバカにされてもおかしくない。
<今日こそパリィを我慢してみせる……榎本が防いでくれるんだろう?>
それでも、絶対の信頼を寄せてくる相棒がここにいる。
「任せな、相棒」
俺はここで、こうしていていいんだ。不安に思うときにガルドやギルメンの声を聞くたびに思い出す。
俺の生き方はここにある。
「……おっと、悪い! 五分だけ筋トレさせてくれっ」
<……カウントしとく>
「お前そんな罪悪感の湧くようなことしやがってー!」
<『タイマー起動:五分 アラート音:最大音量 メロディ:不協和音サイレン』>
「ビビるからやめろよそのチョイス!」
<ふふっ、いいからがんばれ>
「怖くて四分とかで終わりそうだな……それが狙いか!」
<先に行ってるぞ>
「こなくそ!」
フローリングにヨガマットを敷いて体幹トレーニングからスタート。四分でちゃっちゃと腹筋・背筋・腕・首・インナーマッスルまで済ませる。
このまま六十、七十、八十までこうしていたい。老後は孤独に終わる人生だとは覚悟している。それでも、仲間がいれば気にならない。
<終わったか?>
「お? 先に行くんじゃなかったのか?」
<無精髭の調整は完璧だ>
「そりゃあ楽しみだ!」
果たしてそれまでこの関係が保てるだろうか。
「今日もよろしく頼むぜ、相棒!」
<お前もな、相棒……>
今日も明日もいつまでもロンド・ベルベットが続くよう念じながら、真新しいヘッドセットを手に取った。
一人きりは怖い。それだけが俺の悪夢だった。
悪夢かと思った。
これは、中年榎本が趣味にかまけて筋トレをサボった結果訪れた、小さな悲劇の物語。
朝。
先日の上司の声を夢に見ながら、飛び起きるようにベッドから抜け出した。心地よい目覚めなどあったものじゃない。喉がイガついて気分が鬱蒼とする。
ここ最近全身鏡を見ないようにしていたのは事実だ。とうとう突きつけられた現実にショックが隠しきれない。
「ジムなんか行ってる暇ねーのに……」
パジャマ代わりのネズミ色スウェットをめくるように脱ぎながら、同時に腹を見る。
無論腹筋は割れている。何年も維持し続けている。ちょっとサボった程度では失われない。
ただちょっと、表面がぷにぷにとしている。
「ひぃっ!」
悪夢は続いていた。前回のイギリス大会の時も増量したが、それに増して今回の腹は酷い。
とにかく顔を洗って気と腹を引き締めなければ。上半身裸のままで洗面台に駆け込んだ。
朝食を抜くのは、ガルドが居候するまでは当たり前のことだった。飲んで精々豆乳やプロテイン程度で、あとは果物をかじる。手軽なバナナが中心であり、リンゴや桃は丸かじり。グレープフルーツは剥いてあるシロップ漬けのものを選んで買っていた。
居候が出してくれた魔法のような朝食を懐かしみながら、今日も一人きりのソファに座り無心でバナナを一本食べる。ついでにサプリメントをざらざらと瓶から取りだした。
何も太るような食生活はしていない。野菜と良質なタンパク質を中心に、愛する酒を夜に適量飲む程度だった。
これ以上食い物はどうにもなんないだろ。そう諦めつつハッとした。あれしかない。
そうして寝室のクローゼットからあるアイテムを取り出した。
ネット通販で買った、安くて真っ黒な巻くタイプの重りである。
「……つけてくか」
両足にそれぞれ三キロ、腕に一キロの付加をかける。どれ程の効果があるのかなど、以前は三日坊主ですぐに外したためにわからなかった。とにかくジムに行かず痩せる方法を考え、それをとりあえず試す。
脳裏に浮かぶ悪あがきの文字を振り払うように、ネクタイをぐっときつく引き絞った。
東京の地下鉄は独特の匂いがする。少し湿っていて、人の営みと古い機械の入り交じった生っぽい気配だった。俺はこれが嫌いじゃない。
普段からエスカレーターはなるべく使わない。階段を駆け降り駆け登り、普段使いのトレーニングだと考えていた。車も自転車も持たない自分の唯一の交通手段が、今日も時間通りに風を押しながら滑り込んでくる。
視界を塞ぐHMDをつけていると到着駅がそもそも見えない。それを防ぐためにいつも使っているアプリでもって、乗った時間と降りる時間でタイマーをセットしてからプレイ動画を再生させた。
今日はそこに筋トレをミックスさせる。
変に思われない程度の硬直具合で腹を固め、電車の揺れに素早く反応し自立状態を維持する。ケツを引き締めかかとを浮かせ、つり革を握る二の腕も意識して体重を交互にかけた。
肝心の腹をへこませるには、やはりこんなものではダメだろう。会社に着いたらロッカールームで腹筋するつもりで、今は他の部位をいじめ続けた。
朝と夜に悲惨な食生活をしているため、たっぷり豪勢な昼食を取るのがお決まりだった。しかし今日からしばらくはヘルシーなものにしようとコンビニ産・サラダチキンを取り出す。
食べたいものはフロキリの再現料理でどうにでもなる。あれは本来「肉体の関係で食事が出来なくなった患者のために開発されたクオリティオブライフ向上技術」だ。ホスピス技術の最先端と言ってもよい。
つまり食べられないものを擬似的に食べるという使い方としては至極真っ当だ。今日はそっちで目一杯ピザを食う。今はとにかく高タンパク質の生活で筋肉超回復狙いだった。
「おー、気にしてんのか?」
出た。
「言った本人が茶化さないで下さいよ……」
「ははは、太ったのは事実だからな。だが過度なダイエットは毒だぞ」
「時間無いんです、食いもんだけでもセーブしないと……」
上司がのしのし歩いてきては、こうしてずけずけと要らぬことを言って去ってゆく。俺の後ろにある文具ラックに用事がある風な演技をするが、ただのポーズだと課内全員が知っていた。
「旅行から戻ったらしごいてやるぞ、どこがいい? サウナか、プールか、砂風呂か、砂浜から選べ!」
「プールで」
「よし全部行くぞ」
「聞いた意味!」
そこまで相手をしてやると「がはははは」と大きな口で大声を出して笑う。そして他の部下達のデスクを巡回して戻っていくのだった。
「……はあ」
「ちっとも体型変わってないですよぉ、榎本せんぱい」
「いや、太ったのはホントさ」
すかさず声をかけてきてくれた後輩のアユラちゃんに返事をしながら、同じくコンビニで調達した即席春雨スープと割り箸を取り出した。ショウガと唐辛子がたっぷりはいった「燃焼系スープ」とパッケージにでかでかと書かれていて、もちろん期待して買ったやつだ。
「えー? こんなにいい肩してるのに、そんなちょっと脂肪ついたからって気にしなくていいですよぉ。私、榎本せんぱいの肩好きですよ?」
アユラちゃんは可愛い二十代(後半)の社員で、メイクもバッチリな今時の女の子だ。ただ少しセンスが変わっている。
「やーん、いつ見てもチャンプに似てる~!」
そう言って俺の肩をぺちぺちと叩いた。
アメリカのレスリングが好きで、筋肉質のベビーフェイスが好みのタイプらしい。どちらかというと俺はモトクロスとかフットサルとかの「風を体感系」スポーツが好きで、ああいうナパームをドン! 武器で猛打! みたいな猟奇的スポーツは好きではない。
「俺みたいなレスラーいるの?」
「肩だけは。顔はぁ、ほらアメリカ人って鍛えると顎回りがガッチリしてきて、でも目がぱっちりで!」
そう言って贔屓のフェイスの画像を見せてくる。
このクセさえなければ可愛いギャルなのに、ちょっと俺にも取っつきにくい趣向の持ち主だ。下のフロアにいる営業のオッサンと趣味があうらしく、連れだって飲みに行く姿をよく見かける。
「榎本せんぱいがもーちょっと首太くてぇ、もーちょっと顎がえらばっててぇ、もーちょっとホリ深かったらなー……」
「肩以外総取っ替えだな、アユラちゃんの理想の彼氏は」
「残念ですぅ、がんばって横須賀で見つけますね!」
それはアメリカ人を探すのにもってこいだろう。もともと日本人は圏外だったわけだ。営業のオッサンを少し不憫に思う。
「榎本せんぱいはどんな子がタイプなんですかぁ?」
若い彼女の純粋無垢な視線がびしばし刺さる。好みのタイプで言えば、アユラちゃんのようなギャルっぽい容姿はかなり近い。
「そうだなぁ、十年後のアユラちゃんなんかはタイプだな。もっとアイメイクのキツい感じの、背が高くてタイトめな……コンサバとか姉ギャルとか」
「榎本せんぱい詳しい~ドン引き~」
「おおい、ファッション用語使っただけだろ!?」
「オッサンがコンサバとか知ってるはずないしー」
「そうなのか……」
「そうですよー。もっと『ミニスカでアミタイツみたいなゲヘヘ』みたいなのを想像してたのに」
「いやそれキモいだろ」
「あはは、まじそれ~」
こういうとき秋の空のようにころころする乙女心には歯向かわない方がいい。次第に口調が女友達に向けてのものへと変化しているのもスルーするのがいい。
今までの経験則で学んだことだ。とりあえずアユラちゃんのつかみはバッチリだろう。ざまあみろ営業のオッサン。
そこで突然アユラちゃんが日清のカップヌードル(カレー味)をじゅるるとすすりながら一言。
「ダイエットとかすごいですね、まじソンケー。私痩せてるけど運動なんて全然しないですよ? ほら、チンシンタイシャ? 榎本せんぱいって意外と老化進んでるんですね~」
天然なのかなんなのか随分鋭い悪口に、俺はちょっと泣きたくなった。
上司といい後輩といい、俺は良い同僚に恵まれたものだ。歯に布着せない毒舌っぷりは見ていて清々しいが、自分に降りかかると厄介極まりない。どっと疲れた体で会社から帰り、夕食用の豆腐を板昆布と一緒に鍋へ入れた。
「チンシンタイシャじゃなくて新陳代謝だろうが……」
<代謝がどうかしたか>
ガルドの文字がこめかみから伝わってくる。
「いやな、後輩が俺の涙ぐましいダイエットをまるで無駄だと言わんばかりに……代謝は悪くなってるだろうがな……くそう、まだ四十だぞ」
<四十一>
「訂正どうも」
ガルドの真面目な天然ツッコミに例を言いつつ、合わせる薬味を用意する。ポン酢、ゴマドレ、ゆず胡椒……ゴマは止めよう。こいつはハイカロリーだ。
<ダイエットしなくても、榎本は十分いい体だ>
「くっ、甘やかすなガルド! 中年はあっという間に太るんだ!」
<本当のことだ。短距離も長距離も出来るバランスいい筋肉、体幹もとれてる>
こうやってガルドは素で俺のことを甘やかす。恥ずかしさと嬉しさとむず痒さで口がへらりと緩むのを、下唇を軽く噛んで食い止めた。
「と、とにかくあっちでハワイアングルメ食べまくるからな! 今のうちに減量すんだよ」
湯豆腐は俺が作れる数少ない料理のひとつだ。豆腐をゆでてるだけだが。
<そうか……脂肪燃焼にはカプサイシンがいいらしい。あと腸内フローラだ>
「詳しいな……カプサイシンっつーと、辛いやつか」
<ああ>
「今日はゆず胡椒があるぜ」
<ああ。あとは食後にヤクルトかヨーグルトだ>
冷蔵庫の中を思い出す。
乳酸菌飲料が入っていそうな上部の棚、そこに鎮座する第三のビール缶の列、ガルドが好んで置いていった高めのバター。
ヨーグルトはない。
「切らしてんな……」
<それは残念だ。そうだな……榎本は食物繊維をとったほうがいい。野菜とか海草とか>
「海苔ならあるぞ」
<スープにすると食べやすい。インスタントに入れるだけでもいい>
ガルドのアドバイスは的確だが疑問が出てきた。なぜこんなにダイエット食に詳しいのだろうか。
「やけに詳しいな。まさかお前、してないだろうな?」
<父と友人の話を聞いただけ。父に至っては減量メニュー担当>
「だからか。料理もバランスよく考えてたよな。俺なんか汁物なんて定食屋かカップスープでしか食べねえよ」
ガルドはしなやかな体つきだが、長距離ランナー特有の細さが気になる。もっと出るところは出てていいだろう。
<そうか>
おっと、ちょっと語尾の下がり具合が急な言い方だ。この三文字には多分「やれやれ、お前はもっとバランスの良い食事をとったほうがいい」という意味が隠れているだろう。こいつのちょっと足りない言葉遣いも、三年の間で息をするように読み取れるようになった。
こういうのはなかなか悪くない。
俺はもっと頭の悪い、それこそ後輩のアユラちゃんみたいな子がタイプだったはずだ。爪で引っ掻かれることもあればデレてくることもある、猫みたいな女の子達。ころころと表情を変えて愛嬌一杯のお姫様達。
ガルドのようなタイプは男友達で数人いる程度だ。
だがガルドの静かな浮き沈みの少ないトーンは悪くない。たまに飛び出す研究者みたいな探求心も、将棋の棋士のようにじっと何か脳内で解き明かすような寡黙さも悪くない。
「今日はそっちで食いまくるからな!」
<ああ>
将来を不安だと思うこともある。
仕事は生き甲斐にはならなかった。ただ金の為に働き、仲間とこうして駄弁りながら飯を食い、デジタルのバトルごっこに真剣になる毎日だ。
俺が好きなスポーツを退屈だからやめろというやつもいない。キャンプは虫がいるから嫌いなんていう同伴者もいない。至福のフルダイブ時間をコンビニ行ってこいなどと中断してくるやつもいない。
家庭、キャリア、収入、そして子ども。同世代が手にいれているものをかなぐり捨ててまでゲームするなど、世間体的にはバカにされてもおかしくない。
<今日こそパリィを我慢してみせる……榎本が防いでくれるんだろう?>
それでも、絶対の信頼を寄せてくる相棒がここにいる。
「任せな、相棒」
俺はここで、こうしていていいんだ。不安に思うときにガルドやギルメンの声を聞くたびに思い出す。
俺の生き方はここにある。
「……おっと、悪い! 五分だけ筋トレさせてくれっ」
<……カウントしとく>
「お前そんな罪悪感の湧くようなことしやがってー!」
<『タイマー起動:五分 アラート音:最大音量 メロディ:不協和音サイレン』>
「ビビるからやめろよそのチョイス!」
<ふふっ、いいからがんばれ>
「怖くて四分とかで終わりそうだな……それが狙いか!」
<先に行ってるぞ>
「こなくそ!」
フローリングにヨガマットを敷いて体幹トレーニングからスタート。四分でちゃっちゃと腹筋・背筋・腕・首・インナーマッスルまで済ませる。
このまま六十、七十、八十までこうしていたい。老後は孤独に終わる人生だとは覚悟している。それでも、仲間がいれば気にならない。
<終わったか?>
「お? 先に行くんじゃなかったのか?」
<無精髭の調整は完璧だ>
「そりゃあ楽しみだ!」
果たしてそれまでこの関係が保てるだろうか。
「今日もよろしく頼むぜ、相棒!」
<お前もな、相棒……>
今日も明日もいつまでもロンド・ベルベットが続くよう念じながら、真新しいヘッドセットを手に取った。
一人きりは怖い。それだけが俺の悪夢だった。
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柳内たくみ
ファンタジー
20XX年、うだるような暑さの8月某日――
東京・銀座四丁目交差点中央に、突如巨大な『門(ゲート)』が現れた。
中からなだれ込んできたのは、見目醜悪な怪異の群れ、そして剣や弓を携えた謎の軍勢。
彼らは何の躊躇いもなく、奇声と雄叫びを上げながら、そこで戸惑う人々を殺戮しはじめる。
無慈悲で凄惨な殺戮劇によって、瞬く間に血の海と化した銀座。
政府も警察もマスコミも、誰もがこの状況になすすべもなく混乱するばかりだった。
「皇居だ! 皇居に逃げるんだ!」
ただ、一人を除いて――
これは、たまたま現場に居合わせたオタク自衛官が、
たまたま人々を救い出し、たまたま英雄になっちゃうまでを描いた、7日間の壮絶な物語。
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