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44 男女二人の裏の顔

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 空港まであと少しだ。男は多少焦りながら情報を収集していた。
 高速をひた走る車の中で、こめかみの脳波感受型コントローラの穴にコードを差し込んで通話をしている。口より早く送受信できる文章でもって、あっというまに向こうの状況を把握できた。
 <殴り込んだが、返り討ち……あほだろう>
 <思うけど、それは護衛のお陰でしょ。しかも私が手配した部下じゃないし……騒ぎってほどにもならなくて、空港はもう平常運転>
 <しかし仮にも暴行の現行犯だろう>
 <だから暴行までいかなかったんだってば。だって被害者不在なの。絞めようと伸ばした奴の手が届かなかったんだもん>
 男は「その歳で『もん』とか言うな」と言ってやりたかったが、それを言うと彼女がひどく機嫌を損ねるのも知っていた。黙ったまま話を進める。
 <……フライトはどうだ、延期か>
 <何事もなく通常通り。それにロンド・ベルベットのメンバーは無事審査を抜けた。全く、前もベルベットの時に特攻騒ぎあったらしいじゃない。こんな感じだったわけ?>
 <そのような情報は無いが、そうだな。未遂に終わっただけかも知れん。フロキリでこれか。他の人気タイトルの壮行式は一体どれ程血まみれなんだろうな>
 男はこの脳波感受技術で打ち込む文章の際にだけ少々饒舌になる癖があった。
 <やめてよ。さすがに警備も警察もそんな無能じゃないはず……でも身内の恥に変わりないわね。榎本とマグナが阿国に働きかけてなかったら、今ごろどうなってたか>
 <影武者か。実際に実行するとは思わなかった。確かにガルド一人居ない壮行式というのは逆に怪しまれただろう。標的はそうなると相棒の榎本か新人の夜叉彦になったかもしれない>
 <私、ちょっとネットストーカーを甘く見てたかも。女だから痴漢とかは怖いっていう気持ち分かるけど、男が男キャラのストーカーになっても大したことないんじゃないかって思ってた>
 通話相手の女が話す内容に、男も同意する。
 ネット上での執着というのは、常人の予想を超えた行動力を持つものだと知った。殺人を犯そうなどとは思っていないのかもしれない。しかし結果それに近いことが起こり、そして運良く、本当にまぐれのような幸運でそれを未然に防げた。
 写真で見たガルドはまごうことなき少女だった。未成年の彼女は、ログイン率の低い彼が把握するだけでもおよそ四人の熱狂的なファンに追われている。その四人は互いに喰い争い、情報の勝負を繰り広げていた。
 その出来事の詳細は、女が直接渡してきた報告書に、詳細に書かれていた。
 個人情報が全く漏れなかったのは、要注意プレイヤー同士の戦争によるものらしい。頭ひとつ抜きん出たテクニックを持つ阿国のデコイに他は引っ掛かり、その阿国は別の奴の情報に引っ掛かる。そしてさらに、ガルドが独自に隠蔽した偽の個人情報に引っ掛かる、ということを繰り返していたのだ。
 ボタンひとつ掛け間違えれば瞬く間に破綻するだろう。ガルドに正しい情報リテラシーがなければ、すでに何らかの被害に合っていたかもしれないほどだった。
 <今まで無事だったのが奇跡だ>
 <ほんと。きっとガルドも私と同じように思ってたんだと思う。どうせそう大したことないって……それが悪いとは言わないの。必要なことだとは思うけど、責任は無いわ。むしろ十分対策をとってたもの。だからこそ、言うとしたら……>
 <……言うとしたら?>
 <スカウトしたい!>
 通信口の女は、彼の想定した予想を遥かに上回る発言を始めた。運転しながら男は頭痛を堪える。
 <どこをどう結論付けた?>
 <磨けば光るものを感じる! 私が磨けば完璧な情報操作テクと護身術、読唇術、あと強い武器銃刀法違反のものだって携帯できるし!>
 <……お前の所に放り込むなど>
 女が今在籍している職場は魔の巣窟だ。前の場所ならまだしも、有能な人員をむざむざあんな場所で潰させる訳にはいかない。
 細かな情報が調べ尽くせていない今、彼女の年齢は正確には分からない。大学生くらいだろうか。だとすると、卒業後の進路に是非自分のところを候補に入れておいて欲しいものだ。
 それほどガルドという人物は、磨けば光る沢山の輝きを孕んでいた。そしてそれは出来の悪い布で磨けばくすんでしまうだろう。
 <ウチで貰おう。それが一番だ>
 <あーずるーい!>
 女が明るくそう悲鳴をあげた。しかし緊急事態には変わらない。飛行機に乗り、向こう側に着いてからは文字通りの戦いが始まるはずである。
 ハワイ側、つまりアメリカが保有する実戦用戦力が既に向こうの空港に待機している。彼らの一言がなければ男は日本国内で待機の予定だった。
 この男は日本側の代表としての役割を担う。空港で彼を待つ女の仕事は、向こうに既に飛んでいる部下たちの指揮命令系統担当である。
 軽口は叩いているものの、この仕事は二人にとってなんとしても成功させたいヤマであった。泥をすすってでも、四肢が千切れてでも確実に敵を狩る気概を持っている。
 <驚かされたが本番はこれからだ>
 <そーいうこと。九郎も早く来なさいよ>
 男はため息を一つつくと、丁度よく空いた車線に滑り込むように入り、アクセルをぐいと踏んで加速する。加速感と共に、気もいた。
 成田空港の案内看板が出ている。もう着く頃だった。


 空港、高給取りだけが使用を許される領域に少々場違いな一団が立っていた。
 その中で最も浮いていた仕事派マダムのぷっとんは、こめかみから細いコードを一本垂らしながらロンド・ベルベットと話し込んでいる。
  「で? なぜここにいる」
 マグナが仕切り直すようにそう質問した。年功序列を重んじ敬語を使用する彼も、オンラインの口調を維持して砕けた言葉使いにしている。
 ぷっとんがハイヒールを一度かつりと言わせながら姿勢を変えて向かい合った。その瞳はしっかりと前を見つめ、向こう側と同様に芯の強さが伝わってくる。
 「仕事よ、仕事。ハワイでね」
 「ドンマイ」
 「おつかれー」
 「フム、見事に偶然だな! 俺たちも今からハワイだぞ!」
 「偶然だね~」
 ぷっとんがジャスティンにそう返事をするのを、マグナや榎本は疑いの目で見つめた。
 <偶然なわけない>
 <仕事かどうかも怪しい>
 継続中の文章会話でそう話し合い、ぷっとんが何を企んでいるのか二人で推理した。
 「ハワイに出張なんて、随分グローバルな会社だな」
 「えへへ、こう見えてぷっとんさん、犬だから。わんわん」
 「……お、おぉ」
 「こっち側でそれされてもなぁ~。ああなるほど、身体年齢と精神年齢がマッチしないから向こうで幼女なのか」
 「違うよ!?」
 「違うの?」
 「趣味だよ、遊びだよ、素かと言われたら疑問が出る程度には演じてるから!」
 「ノリノリで犬の真似……いえなんでもないです、もう不毛だからやめよ」
 ぷっとんはわざと犬だと自称し、口にはしないものの自らの職業を伝えてきた。そしてこの場にいる全員がぷっとんの自称した犬のを察知した。若年じゃくねんのガルドもその隠語には聞き覚えがある。小説で犯罪者が苦し紛れに言う台詞に出てきたことがあった。
 難しい話も詳しい話も出なかったが、ぷっとんはの犬、つまり公務員ということらしい。詳しい仕事内容は、空気を読んでなのか誰も質問しなかった。
 彼らを見ながらぷっとんは一人の男を想う。
 彼らがあの人のようにならないように。そのために彼女は今日から一週間、命を懸けて戦うと誓う。
 ちらりと窓の外を見る。あの空は彼のいる病院まで続いている。そして、彼が囚われている電子世界にも続いているはずだ。
 「ファーストクラスのラウンジってさぁ、シャワーあるってホント?」
 「ああ、あるぞ」
 「何せ俺たち二回目だからな!」
 わいわいと騒ぐギルドメンバーを悲しませたくない。ぷっとんはさらに決意を強いものにし、話題に参加していった。
 「ぷっとんさんはアイス食べよっかなー!」
 飛行機が出るまで、あと二時間。


 都心から埼玉に寄った場所に位置する北千住。
 その線路沿いに建つ一際大きく存在感のある、白亜の真新しい建物に男が一人眠り続けている。
 「……ひ」
 しんとした人気の無い部屋に響き渡る声は、眠っているはずの男のものだった。
 一般の患者が物理的に侵入できないよう、完全に出入りが別ルートにされたエリアがある。静脈、網膜、指紋、声帯という様々な認証をクリアしなければ入れないそこは、電気が落とされ常に暗かった。
 政府が取り持つ病院。
 その個室の一角に男が眠っている。
 「ひま」
 時おり動くその唇から、たまにこうして言葉が漏れる。
 五年前はもっと顕著によく喋っていた。それを聞いて仲間達は心を痛め、逆襲を誓うもの、彼を「死んだもの」だと思い込むことにしたもの、見ていられず逃げ出したものもいた。
 「まんどりる……るーれっと……とまと……トランスポーター……ターミナル……るーれっと」
 一人しりとりをする男は、真っ白になった髪を伸ばしっぱなしにして枕に散らしていた。その顔を、現行のものよりも基盤がむき出しになっている古いフルダイブ機のヘッドセットが覆っている。チカチカと光るインジケーターはテテロと近い色をしていた。
 「とまと。ナポリタン。ミネストローネ。チーズ……グラタン。チーズ、ピザ」
 徐々に食べ物の名称へと変わりだした独り言と、心拍を計測する機器の無機質で定期的な音が合わさり溶けていった。
 「ぴざぴざぴざぴざぴざぴざ」
 突然痙攣するような声を出したかと思えば、ぴたりとその声が止む。
 彼は口以外のものは動かせない。心臓や呼吸器などは勝手に動くが、彼の意思で動かせる肉体は口だけだった。
 しかし彼は肉体の口を動かしているつもりがない。
 「あっはははは!」
 壊れたような笑い声を上げた彼は、別のカラダの口を動かしていた。肘を指差し「ヒザ!」と叫び、自分で「そこはヒジ~」とツッコむ。
 彼のは確かに存在していた。場所の違うところにある自分の口と肉体の口が連動し、大きな独り言となって病院の一室に響き渡る。
 「……ひま」
 永遠と続く彼の一人遊びが虚しさを見舞い人に与え、この五年で仲間は一人また一人と足を運ばなくなっていた。
 続けて来ているのは壮年の男女だけだろう。彼らは今、空港で「第二の彼」を生み出さないために活動している。
 田岡たおかはこの世界に生きながら向こうに閉じ込められている、世界でただ一人の「電子状態の拉致被害者」だった。
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