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309 ビール・インターバル

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「なるほどな。機材トラブルか」
 榎本の静かな声がするが、酒で注意散漫になっているガルドの耳には内容が入ってこない。おそらくAが依頼内容を説明しているのだろうと話半分に聞いた。
「うん、こちらで操作することも技術的に不可能ではないのだがね。ログインとログアウトの処理自体にも時間がかかる上に、オーナーは身体への負担が大きいからと嫌がっていたのでね」
「具体的に身体への負担ってどんな感じなんだ?」
「ふむ、例え話はちょっと苦手なのだがね。ああ、ムリフェインが良いことを言った」
「がう」
「日本語訳すると『F1ピットインを生身で行う』のと同義らしいがね」
「生身でF1? あれか、タイヤ交換が脳波コンの接続交換と同じってか?」
「今F1なる行事の映像資料を閲覧したがね、こんなに早くは出来ないのでね。もうちょっとゆっくり抜き差ししなければ……」
「んなこと分かってるんだよ。早くするのにも理由があるだろ? そうせざるを得ないシチュエーションってこった。急ぎで、乱暴に、プロ級のスタッフを大勢そろえて挑む必要があるって比喩だろ」
「ガウガウ」
「おお、そういうことだそうだがね。ボクに分かりやすいようもうちょっと一般的な例えで言ってくれないかね?」
「俺に通じるならそれでいいだろうが。お前に比喩なんか百年早いっつーの」
 榎本とAが軽い喧嘩腰のやり取りをしている中で、ガルドは眩しい視界に瞬きを増やしていた。眠いわけではないのだが、クラクラとした浮遊感と過敏になった目への光刺激が強く刺さる。
「みずきー、やっぱりこの男とは縁を切った方がいいと思うのだがねー」
「俺の方が先にコイツの相棒やってんだぞ。お前がどっか行けよ」
「ボクがいなければ今頃どうなっていたか分からないのだがね」
「少なくとも怪我したり俺が寝込んだりはしないだろうな」
「きっとあの時の天井崩落に巻き込まれて、みんな揃って天国で再会することになったと思うのだがね」
「うっわ、不吉なこと言うなよ! つか生身守るのはテメェらの義務だろうが!」
「安心したまえね。そうなればボクも一緒のところに行くのでね」
「心中とか絶対嫌だ!」
「ボクも君と一緒というのは面白くないのだがね」
 青椿亭の丸いテーブルを前に、がらんどうすぎるとガルドは顔を顰めた。以前は料理がこんもり乗っているものだが、サンバガラス・ギルドホームのキッチンが生まれてからは見なくなった。時折マカロニチーズや海外のビールを飲みに来るプレイヤーが顔を出す以外は閑散としてしまっていた。レストランだった青椿亭は、今や寂れた酒場になってしまった。
「追加」
 店員を呼び、酒の追加を注文する。慣れていないガルドはチェイサーの概念がなかったが、ずっと続くビールの苦味を中和しようと別の味をメニュー表から探した。水やソフトドリンクには目もくれず、ワインやウイスキーの欄を上から下まで眺めた。目線に応じ、自動でスクロールされていく。
「だいたい、俺らがお前らに協力するとか本気で信じてるのか? 敵だぞ? 本当にメンツ連れてその新設エリアに行くと思うのか?」
「キミたちの今までの行動から鑑みるに、慣れで少しずつ行動圏が広まっていると分かっているのでね。近いうちにメンテナンス告知を出すのでね、それで反応する彼らを上手く扇動して欲しいと思ってだね……」
「サラッと面倒かつ重たいこと言いやがって」
「みずきになら出来ると思うのだがね」
「少しはコイツを休ませてやれよ、大事なら」
「成長してもらわなければ困るのでね。ボクの本懐でね」
「お陰様で下手なオッサンより有能なオッサンになりましたけどぉ~」
「みずきはみずきなのだがね」
「今はガルドだろ」
「そういう態度はみずきのためにならないと思うのだがね」
「いーや! ガルドはガルドだ! 佐野みずきでいられなくしたのはテメェらだろ。変に現実に戻すんじゃねぇよ」
「現実から乖離しすぎるのは良くないと思うのだがね」
 ガルドは店員が持ってきた新しい飲み物を片っ端から試していた。カクテルにはサイズがあり、甘さと強さに違いがあり、氷の入っていないものが特に脳を揺らすのだと知った。ワイングラスに注がれて届く赤と白の葡萄酒も、物によって味が全く違うことを知った。ウイスキーには飲み方があり、ロックを注文すると綺麗な丸い氷が出てくることを知った。どれも目や耳で軽く知っていたことばかりだが、試してみると得られる情報量が段違いだった。
 そういえばジャスティンが言っていた「フロキリのウイスキーは不味すぎる」という文句だが、そんなに悪い味なのだろうか。咽せるような強い香りをダイレクトに感じながら一口含み、消毒液のような感覚再現に舌を震わせる。
「強い」
 キツイ、飲みづらい。だがどことなく感じるスモーキーな香りは他にはないものだ。おそらく大量に飲む物ではないのだろう。外部タイトルの流入で増えたウイスキーにご機嫌だったジャスティンの飲み方を思い返すと、一口ずつ小さく分けて飲んでいた気がする。ガルドは真似して少量含み、鼻に抜かすような仕草で香りをメインに楽しんだ。
「うん」
 何もかも初めてだが、これは確かに刺激的だ。不味いのかどうかもわからない未知の香りと燻る味に、なるほどこうやって楽しむのかと頷く。
 今この瞬間が楽しい飲み物ではない。何度か飲んで記憶のレパートリーを増やし、口に含んだ瞬間思い出と一緒に飲み下して楽しむものだ。ガルドはどんどん新しいグラスに口をつけていった。
「で? 神殿より向こうのホットスワップ対応エリアってのはなんなんだ?」
「案外興味津々のようだがね」
「当たり前だろ。新エリアなんて大ニュースだぜ? 状況が状況じゃなければもっと楽しんだってのに」
「やっぱり嬉しいかね? うんうん、顧客満足度が高いことはデータ上分かっていたのでね」
「顧客言うな、無理やりやらせてるくせに」
「費用対効果も良いのでね」
「コピペで持ってきてるんだから当たり前だろ。一から作れよ泥棒」
「そんな時間もスキルを持つ人材も、生成AI用の作業人員も機材も時間もないのだがね」
「ないないだらけじゃねぇか! やってることがデカいプロジェクトのくせに、お前ら人数も金もなさすぎなんだよ……金使ってスタッフ雇えっての」
「犯罪者集団を増やせという意味と同義ではないのかね? それ」
「うっ、それはそれだろ。それに、お前の派閥が増える分には構わないけどな」
「おお、それはまことに事実でね。我々には明確な方針があって、他のオーナーとは別の未来を望むのでね。いやしかし、それゆえ敵が多いのでね」
「三つ巴の様相。俺らにゃいい迷惑だ」
「そうなると危険なのはスパイでね。絶対にこれ以上入れたくないのでねぇ、追加人員は慎重に選ぶことにしていてだね。基本医療従事者とネットワーク技術者がメインなのでね」
「はいはい、維持の方を優先な。新エリアの方はコピペでいいからとりあえず入れてくれ」
「任せたまえね! さて、みずきにお願いしたことなのだがね。エリアに移して欲しい被験体をグループに分け、そのグループ数と同じ数だけエリアを用意するのでね。グループ分けと誘導をお願いしたいのでね」
「あ? エリアを同じ数だけ用意?」
「戦闘が苦手で城のエリアから出たがらない傾向にある被験体を目標ポイントまで呼び出す場合、アイテム報酬だけでは厳しいと思ったのだがね」
「レアドロップのアイテム一個? そりゃー厳しいな。俺らとかヴァーツのトップ層ならともかく、鈴音とソロはまず出てこないぜ。そういうのに執着するプレイをしてきてない」
「だろう? そこでだね、考えたのだがね? 神殿と呼ばれているポイントへの出発ケースはダントツで多かったのでね。よって位置は神殿の奥。新規のエリアに紐付けて、新規の技術を到達者向けにアンロックするのでね」
「技術?」
「ほら、二段ジャンプが好評だったようなのでね。技術的に簡単だったのでね、大ジャンプをスキルとして実装するのでね」
「いいねぇ! カタパルト要らなくなるな!」
「あんなに高くは飛べないのだがね」
「空中からの攻撃は威力どうなるんだ?」
「その辺りは考える余裕がないのでね。うん、少し向上させても面白いかね?」
「そりゃ燃えるだろ! ジャンプのタイミングと武器の方向で威力に増減出るならコンボも変わる。全部だ! 環境総取っ替えレベルでな!」
「ふうむ、あまり変え過ぎるのは困り者だがね……そうだ、速度を落とそうかね」
「そりゃいいな。どうだ、ガルド。遅い空中戦は盛り上がらないか?」
「……みずき?」
 ガルドは視線と声を感じたが、もう瞼を開けていられなかった。正確には、脳波コンを通じて見えるものや聞こえるものを具体的なものとして意識できない。
「んー」
「おま……まさか酔ってるのか?」
「ふむ、酩酊の擬似再現は完全自動で処理が行われるのでね。ボクの方からはステータスとしてそうなっているという表記でしか見ることができないのだがね」
「で? どうなってる」
「呼気アルコール量1Lあたり0.35mgを突破」
「……どんぐらいだ?」
「日本では0.25mgを超えると運転免許を取り消されるはずだがね」
「げ! ど、どんだけ飲んだんだよ! 擬似とはいえそんなハイペースで!」
「榎本」
 ガルドは普段通り相棒を呼ぶ。だが声は低くなり、目は座ったまま眉間には皺が寄り、榎本は顔をひきつらせた。
「な、なんだよ」
「……酔ってない」
「酔っ払いはみんなそう言うんだよ! あーもー、チェイサー!」
 榎本が店員を呼んでリセットをかけさせようとしてくる。ガルドはおもむろに立ち上がり、ビールジョッキを一つ持ったまま別の席へと移動した。店には自分たち以外誰もいない。すぐ隣の円卓に腰掛けようとし、なぜか上手く座席を引っ張り出せず、コマンド操作で「座る」を選択した。アバターのテンプレート動作でシャンと座る。
「フラフラじゃねーか!」
「酔ってない。全然酔ってない」
 ぐいとジョッキを煽る。
「わー! 飲むな、水飲め!」
 榎本が立ち上がってガルドの席へ移動しようとするが、その前にガルドは次の席へと移動した。今度は立ち上がって数歩、どうしても左側へ足が進んでしまう。きっと歩行移動を補佐するスティックコントローラのイメージが初期位置からずれているのだろう。
「どこ行くんだよ相棒ー」
「ダメだ、今すぐみずきの飲酒系フィードバックをオフに……む、何かね? このロック。キミかね、叶野。違う? オーナーがつけた? アンタッチャブル? ボクに触れられない場所なんてないのではないのかね? 生身のお世話だって全部ボクが統括を……セクハラ!? 違、違うのでね!」
「お水、お持ちしました。不在。戻る」
「おーい、こっちだ! くそ、融通の効かないクソAIめ!」
「フィードバックのコントロールで生身の接触感覚が送れる? 今は反応ないから触ってないだけ? そ、そんなことするつもりないのでねー!」
「ぶつかるな、榎本。あっち。ほら、しっし」
「ガルド、それは椅子だ!」
「あまりあらぬ疑いを持たないでくれたまえね! みずきの身体に不埒な人間の手が触れるなど断じて……アームは別だがね」
「ほらちゃんと立って、立ち、重っ! 寄りかかるな!」
「オーナーに報告書書くのはやめたまえね。セクハラは上長に報告? だから違うと……あれは左腕の怪我の経過が気になってだね……」
「ほら、しっかり持て。そうそう、そのまま……飲めないのか?」
「暑い」
「冷水だよ! あーほら、動くなって。ったく、仕方ねぇな」
 何か強い力で身体が支えられた。右肩にトンビかタカのような猛禽類が止まっている気がする。あの爪が刺さっているとガルドは本気で信じ、捕まえてやろうと左腕で掴んだ。
「うおっ、なんだよ掴むなって」
「飛んでけ」
「ぐっは!」
 掴んだ何かを思い切り投げ飛ばす。トンビかタカならば空を飛べる。投げても上手く着地できる生き物だ。ガルドは眩しすぎる視界を遮るように目を細めながら、鳥を撫でようとした。
 何故か分からないが、床に転がるようにして一匹動物がいる。ならば撫でる。
「どこ行った」
 腕を彷徨わせて鳥の暖かさを探した。
「おいー! 俺の後頭部を撫でるなー!」
「よしよし」
「なな、ななな……」
「ざりざりする。分かった、ペンギンだ」
「撫でるなよっ! てかペンギンってなんだ!?」
「どうした、榎本」
「お前がどうしたよ!」
「そんな大声で……ダイオウペンギンの雛が逃げる」
「夢でも見てんのかよ相棒」
 合わないピントの中で、声の主がガルドに近づくシルエットだけが見えた。撫でていた鳥の姿が茶髪のチクチクとした髪に変わった。
「夢?」
「いいからほら。お前だって他の奴がしこたま酔った時、よくやるだろ?」
 なぜか目の前の茶髪の髪をざりざり撫であげている自分に気づくが、榎本はそのままガルドに近寄り顎をくいと手で上へ向かせた。そのまま硬いものを口に押し付けられる。
 なんとなく不快で、ガルドは首を捻って避けようとした。
「さっさと飲めって」
「のみものなのか」
「そうだ。ほら、一人で飲めるだろ?」
「ぬ、ぐ」
 榎本にぐいと顎を上げられ、水を流し込まれる。上を向いたままガルドは後ろへとよろめいた。テーブルを避けて下がっていくと、いつの間にか壁まで追い込まれている。
 どん、と壁に背中をぶつけた。支えのようになって少し楽だ。すかさず榎本が水の入ったボトルのようなものをほとんどひっくり返し、ガルドの喉に流し込んでいく。
「ん」
 眩しい光に細めていた視界が急に落ち着き、ピントがぐんと合った。
 口元はなぜかびしょびしょに濡れていた。顎から下の装備まで濡れたようなエフェクトに変わっており、そういえば何かが下唇に触れている気がする。空になった水入りボトルだ。やっと何が起こってどうなったのか理解出来るようになった。
「……気持ちよかった」
「あ゛!?」
 榎本が驚いている。
「あのふわふわした感じは初めてだ」
「ど、え、ここか!? いや、お前だって刈り上げれば似たような……」
 ガルドは仲間たちが飲み会をする理由をやっと理解した。酒は美味い。もちろん喉越しや味もだが、それだけではなく経験として美味い。楽しく、気持ちの良い時間を過ごせるアイテムなのだ。榎本がリアルでも飲み会を好む理由が分かった。オンラインの仲間だけではなく、リアルでの知り合いとも屈託のない時間を共有できるからなのだろう。
「またしたい」
「あっ、ああ……そうだな。また……戦闘訓練のエリアはどうだ? 人が絶対に来ない場所がいいんだが」
「は?」
「へ?」
 なぜか大変照れている榎本の会話に噛み合わなさを感じ、ガルドは首を傾げた。

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