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59 片言の話し合い
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弾け飛ぶ帽子に、榎本はここがフロキリなのだと再確認した。物質が物でなくなる時の粒子がフロキリのそれと寸分違わない。氷の粒が室内のオイルランプの柔らかい光を反射し、自然に輝いてほつれていった。自己発光しないため派手さはないが、儚いそれがフロキリの落ち着いた雪世界に合っている。
「やっぱりここはフロキリのシステムが生きてるんだな……何がどうパクられて、どこが敵の思惑で出来てるのかさっぱりだぜ!」
アバターでもリアルに近付けた容姿をしている榎本が、ツーブロックに整えた刈り上げ部分をがしがしとかいた。毛や顔のパーツも全てフロキリと差はない。
「そうだねぇ、大方監視カメラはあるんだろうけど」
「それはまぁ、当たり前だろうな」
封入されているであろう真っ青な脳モデルは見えなくなった。こめかみが時おりチカチカと黄色に光るのは気のせいだろう。マグナはその新たな問題点を見ないフリで無視した。
「ポーズメニューのコマンドは受け付けないが、アイテム装備は出来なければおかしいだろう。小枝を握った時の『ひっつき』に説明がつかない。あれは小枝を武器だと認識していなければ効果が無いはずだ」
「そうなの? 木の枝、武器なんだ……」
「ああ。まぁ、俺達が必死に集めた装備が詰まったボックスが、アバター同様そのままこっちに来ているかは……別問題だがな」
マグナが散った粒子を見つめながらそう言った。ひっつき、と表現したのは武器装備系VRゲームでの補助システムを意味していた。
握るという動作のイメージ有無で武器を取りこぼすというのは、アクションありきのゲームでは致命的だ。武器装備や防具装備は「身に付けたときに自動でその場所にキープする」機能が当たり前のように浸透していた。ゲームタイトルに固有の名前がある場合を除き、日本では「ひっつく・ひっつき」で通る。
「ひっつき……確かにあった!」
「じゃあ安心だな。装備なんて後から作りゃあ良いさ!」
「コマンドの方は相変わらずだな。黒い部屋ん時から変わらねぇ」
音量操作やログアウトなど一切のコマンドは相変わらず呼び出せない。ガルドが仲間と再開できた時にしたように、榎本もこめかみを手のひらで叩いて見せた。
「阿国やディンクロンに期待するしかないか。俺たちはとりあえず家に帰ろう!」
前向きな発言が多い夜叉彦の明るい声に、一行は不安を払いながら部屋をさっさと退出する。家があるというのは強い安心感を与え、彼らは脱出不可能な状況であるにも関わらず笑顔だった。
しんとした部屋に、ドアベルだけが揺れる。ちりんと優しい音色が響いた。
彼らが立ち去った店先の奥、ゲーム中では作られてすらいないモデリングの空白地帯に音が広がっていき、次第に溶けて消えてゆく。無音になった店は、しかし何かが蠢く気配がした。
データ上では床も壁も存在しないはずのそこに、少しずつ小物や家具がワイヤーのようなシルエットで自然発生してゆく。
装備用品を置く店らしさだろうか、革用の黒いクリームが入った陶器の器に形作られてゆく。針や糸、足踏みミシン、金具の見本やロール状に立て掛けられた布地が続々とそこに生まれはじめていた。色の無いそれは、今後ディティールが深まれば「人の気配」となるだろう。
しかしまだそこまでいかない小さな変化に六人は気付かないまま、煉瓦が連なる町を歩いた。城より向こう側に位置するギルドへと、初心者時代の思い出話に花を咲かせながら家路を急ぐ。ギルドホームにさえ着けば裸足ではなくなる、服があると信じて歩く。
そして不気味な気配は、彼らにその視線を感付かれない距離を保ちながら近づいてきているのだった。
家にはしばらく帰れそうにない。彼の妻は思ったよりも前向きな捨て台詞を残して通話を切っており、それが佐野の心配事の一つを吹き飛ばしてくれていた。それでもあの一軒家に妻一人残しているのは不安だった。
「久仁子さん、ありがとう」
「これくらいどうってことありませんの、で。気になさらずドンドン申し付けくださいな」
思わずオンラインの口調を口走りそうになりながら、阿国が佐野に頼るよう声をかけた。つい先程の妻への連絡は、彼女の協力がなければ不可能なことだった。佐野が持つ端末は、会社側が信頼できるとジャッジした中継基地局の無いような海洋エリアでは私的な通信や電話は出来ないように設定されている。コンプライアンス、という呪いのキーワードが行動すら制限していた。
「また連絡と『避難』頼むかもしれないけど、いいかい?」
「ええ、もちろん!」
「助かるよ」
「義母様のお気持ちも大事ですもの、万全の状態でサポートいたします」
佐野は能天気に「あの子の母という意味でオカアサマかな?」などと考えているが、事実は大幅に異なる。
阿国は佐野一家に取り入る気満々であった。
「彼らがこうして無事に帰ってきた前例があるお陰で、妻には良い言い訳ができたよ」
「これから彼らは口止めされて解放されるでしょう。恐らくロクな情報を持たないでしょうし、政府は事を荒立てることもリークされることも嫌がるはずです……敵は強大で、しかも複数です」
日本側スタッフが詰めている部屋をわざと避け、被害者達が数名保護されている医務室で立ち話をしている二人は、その内容が一般人に聞かれても構わないようにと隠語を駆使して会話していた。
この場所を選んだ理由は、ボス九郎に隠れて動きたい佐野の意図がある。しかしもう一点別の思惑が絡んでいた。
阿国は、被害者の一人に漢数字の書かれたメモを見せながら会話を続けた。目線は佐野から動かさず、被害者の顔もチラリと見た以降は興味を失ったかのように無視する。
ベッドに腰掛け毛布を肩から羽織った被害男性は、阿国の顔とメモを交互にきっかり四回見比べた。
「もちろん大本の原因はきっちり潰すよ。もう一方は……こちらが悪いことをしてるのは自覚してるからね」
「何をするにしても、ワタクシは味方です」
阿国の言葉には、一言不足した単語がある。
ガルドの為になると自分が思ったことに対してのみ、味方をするのだ。彼女の理想の王子に不必要な要素は、例えそれがガルド本人であっても味方しない。
思い込みの激しさ。そこが彼女を狂気だとする要因だった。
「心強いな、助かるよ」
佐野は早くも、少々猫を被った恐ろしい味方に信頼を寄せ始めていた。
阿国が持っているメモには十六桁の数字が漢字で書かれていた。さらに八が鉢、五は吾になっている。外国人が翻訳ARで解読しようとするのを避ける意味合いがそこに込められている。
それを脳波感受型コントローラを持つ被害者にぴらりと見せるが、口では何も言わなかった。この数字が何を意味するのかも、何をさせたくて見せているのかも伝えない。
クエスチョンマークにまみれた表情でぼんやりとそのメモを見る男に、阿国はヒントを見せた。
彼女がもう片方の手でワンレンロングヘアの髪を耳にかける。おおぶりな円柱が動作に合わせて揺れ、耳たぶの下で存在を主張した。重そうには見えないが、金属風の質感はどことなく工業製品を思わせる。ただの、なんの変鉄もない円柱型のモチーフピアスだ。何かギミックがあるわけでもない。
しかし男ははっとしてメモをじっと見つめながら、そのコードをコントローラ側の無線回線の中から探す。金属円柱は、フロキリユーザーにとって通信アイコンのようなものだ。
それはフロキリの劇中で別サーバーへの連絡ボックスアイテムに良く似ていた。メッセージや動画、アイテムなどを詰め込み郵送するものだ。サーバーの移動手段として公式がねじ込んだものだが、アバターデザインは引き継ぎ不可、各サーバー限定アイテムは入れられないため微妙に不便だった。
「二、四、一、はち、四……」
どうやら回線コード自体は十四桁で、あとの二桁はその回線用パスワードのようだった。男はここで阿国の思惑に気付く。外国人だらけとはいえ、言語の壁がAIによって砕かれた今、日本語が暗号のように使える時代ではない。
暗号通信とはつまり秘匿回線での通信。そのくらい、一般人の男でも理解できた。
回線をパスで認証制限解除、中に入る。大量のログと、全角カタカナで二十文字程度しか入らない文章入力フォームが脳裏に浮かび上がってきた。
使いなれたスマホ経由のそれとは大違いの、文字数・形式に制限をかけたチャットルームだ。無線通信ではこの程度が限界なのだろう。男は文字をイメージして、無事閲覧出来るようになったとアピールする。
<ロンベル ドウナッタ>
そのワードは、このチャットルームで幾度となく現れた全員共通の疑問であった。
電波を送受信して脳波感受同士を繋ぐことができる次世代型HUBを持ち込んだディンクロンによって、彼らの脳同士でのみ通じるチャットルームが構築されつつあった。こうして一人一人に認証をさせていく必要があり、二十四名全員はまだ参加できていない。
それでもトレンドはやはりロンド・ベルベットの安否であった。
<マダ>
<ハワイ イケタカ>
<ソレドコロジャナイ>
片言ながら的確な情報交流が活発に行われ、彼らは徐々に状況を把握しつつある。意識を失う直前にSNSの「こめかみにくっついてくる黒粘土に注意」という注意喚起を目撃したメンバーもいたことで、自分達がこの脳波感受を通して何かされたのだということも理解していた。
その会話ログには、まだ彼らが客観的に見てどんな様子だったのかは流れてこない。
この場には当事者しかおらず、防犯カメラなどをチェックしていた警備スタッフや九郎の部下になった省庁側も口をつぐんでいた。
<オマエ ダレ>
<オレテキ>
この短い略称で通じる程度に、彼らは熱心で有名なプレイヤー達であった。「俺的最適戦闘実行委員会」というギルド名を名乗った男は、船員から受け取ったホットミルクを一口飲んで質問に答えてゆく。
空港にいたはずの自分達がこうして船にいるというのは、まるでプレイ中寝落ちして見ている夢のようにしか思えない。オレンジカウチ騒動と素早く空港から去ろうとした自分達が最期の記憶だ。同じギルドメンバーと土産物屋を冷やかしていたはずである。
<ギルメン ドコニ>
<ギルド:オレテキ サンニン カクニンズミ>
<オマエ ヨニンメ ダ>
<コレデ フル カ>
<ソウダ>
<オマエ プレイヤーネーム ナニ>
チャットルームを監視していた日本救援チームスタッフが彼のプレイヤーネームを聞き出し、すかさず「所在未確認プレイヤー」の名簿に照らし合わせる。
即座に彼の名前と本名とを紐づけし、九郎以下のチーム全体に共有するのを忘れない。事件発生から丸一日が経過した今では、彼ら被害者の名前などは既に大方把握されている。その情報の整合性を高める作業であった。
情報共有は仕事人としての彼らだけには留まらない。フロキリのアカウントを緊急に作成したスタッフが、その情報を広場にいるプレイヤー達へと流していた。阿国やディンクロンの要望であり、彼らの暴走を止めるという裏の目的がある。
黒い粘土が被害のトリガーである、という情報は九郎率いるスタッフサイドには有益だった。しかし事件の情報がオンラインに流れていったのは誤算である。ガルドを慕った三名の若者、そして彼らが未然に防いだ結果救われた者達の情報が流れ、さらに本来防波堤になるはずの九郎が仕事を投げ出し救出優先に動いている。事件情報はフロキリユーザーを中心に拡散されていった。
彼らが野次馬根性で被害者達のことをこれ以上拡散しないようにするための、攻勢な情報操作の一環。それが被害者の救出情報を積極的に広めるというものだった。
<ココドコ>
<ウミ>
そうチャットで流れ、ようやく男はここが船なのだと気付く。巨大な船は揺れを感じさせず、体力のあった彼は早々に住居エリアの救護室へと徒歩で移された。所々英語で書かれた船内標識は咄嗟に読めないため、彼は流されるまま孤独に時間を過ごしていたのだ。
そんな中どんどん流れてくる膨大な日本語が、ここを船だと、そして自分達が何者かに拉致されたのだという顛末を教えてくれた。
<ヨクワカラン>
<オレタチモ ダ>
それは、船に保護された全員の総意だ。状況がわからない今、彼らの心配事は自分のことよりも直前の出来事の続きである。
<ロンベル>
<セカイタイカイ ハ チュウシニナッタ>
その言葉が彼らには毒のように回ってゆく。男は目を閉じて壁に寄りかかり、悲しむように顎を上げた。
アメリカ政府の行動は早かった。frozen-killing-onlineの運営会社に大会中止命令を下したのは、彼らが保護されて数分後のことである。
<オレタチ ガ ミンナ ノウハコンモッテルカラ>
<バレタ フロキリダト コンシュウ セカイタイカイ フロキリダケダッタ>
田岡の事件を受けて何年も調査をしていた日本側は把握していた、その「被害者になる条件」に彼らアメリカサイドは疑念を持っていた。実際に被害者達がどのゲームをプレイしているのか、というところまでは知らなかったらしい。
「いや、そもそもあいつらが悪い……連れ去ったとかいう……おっ、俺たちがむざむざ捕まらなかったら、大会は中止になんなかったみたいな言い方……くそっ!」
悪態をつきながら、肩にかかっていた毛布をばさりと脱いだ。独り言のように呟いたそれを、同じ部屋にいた青年は呆けた顔で聞く。彼もまた阿国に見せられたメモ経由でチャットルームを知り、その中で膨大な情報を注ぎ込まれた一人である。
「きっと事件が起こるんじゃないかって、考えたことはあったんです……」
「え?」
青年は申し訳なさそうな顔で、悔しがる男にそう声をかけた。彼は寒そうに毛布を寄せ着込んでいる。
「ウワサで、聞いたことあったんです。フルダイブVRには政府の陰謀で隠された、なにかとんでもない秘密があるって……それって、こうやって連れ去られるリスクのことだったんですね」
ぶるりと一度震えながら、ウワサのことを青年が話し始める。他愛もない都市伝説のようなそれを聞きながら、男は脳波感受型コントローラの埋められた部分をかきむしりたい衝動に襲われた。
黒い粘土とやらが張り付いた瞬間、視界が奪われる。その要因になっているこの機器がひどく恐ろしいものに思えた。
これはただの伝達補助機器なのではなかったのだ。医師の言葉なんて信じてはいけなかったのだ。「ハッキングなんて、そもそも脳は生身ですからありえません。生身の臓器にどうやって電子情報に過ぎないウイルス送り込むっていうんです」などというデタラメを信じ、能天気に爆弾のようなものを埋め込み続けているのだ。
「帰ったら手術受けるわ……」
「抜くんですか?」
「ああ……ダイブ機も売る。まだ高値で売れる……楽しかったけど、もう楽しくなんてプレイできない」
「残念です。僕は続けますよ……だって、」
怯えで震えているのかと思った男は、彼が別の要因で毛布にくるまっていることを知った。
「ムカつくじゃないですか」
「怒ってるのか」
若い彼は、武者震いに震えていた。
「やっぱりここはフロキリのシステムが生きてるんだな……何がどうパクられて、どこが敵の思惑で出来てるのかさっぱりだぜ!」
アバターでもリアルに近付けた容姿をしている榎本が、ツーブロックに整えた刈り上げ部分をがしがしとかいた。毛や顔のパーツも全てフロキリと差はない。
「そうだねぇ、大方監視カメラはあるんだろうけど」
「それはまぁ、当たり前だろうな」
封入されているであろう真っ青な脳モデルは見えなくなった。こめかみが時おりチカチカと黄色に光るのは気のせいだろう。マグナはその新たな問題点を見ないフリで無視した。
「ポーズメニューのコマンドは受け付けないが、アイテム装備は出来なければおかしいだろう。小枝を握った時の『ひっつき』に説明がつかない。あれは小枝を武器だと認識していなければ効果が無いはずだ」
「そうなの? 木の枝、武器なんだ……」
「ああ。まぁ、俺達が必死に集めた装備が詰まったボックスが、アバター同様そのままこっちに来ているかは……別問題だがな」
マグナが散った粒子を見つめながらそう言った。ひっつき、と表現したのは武器装備系VRゲームでの補助システムを意味していた。
握るという動作のイメージ有無で武器を取りこぼすというのは、アクションありきのゲームでは致命的だ。武器装備や防具装備は「身に付けたときに自動でその場所にキープする」機能が当たり前のように浸透していた。ゲームタイトルに固有の名前がある場合を除き、日本では「ひっつく・ひっつき」で通る。
「ひっつき……確かにあった!」
「じゃあ安心だな。装備なんて後から作りゃあ良いさ!」
「コマンドの方は相変わらずだな。黒い部屋ん時から変わらねぇ」
音量操作やログアウトなど一切のコマンドは相変わらず呼び出せない。ガルドが仲間と再開できた時にしたように、榎本もこめかみを手のひらで叩いて見せた。
「阿国やディンクロンに期待するしかないか。俺たちはとりあえず家に帰ろう!」
前向きな発言が多い夜叉彦の明るい声に、一行は不安を払いながら部屋をさっさと退出する。家があるというのは強い安心感を与え、彼らは脱出不可能な状況であるにも関わらず笑顔だった。
しんとした部屋に、ドアベルだけが揺れる。ちりんと優しい音色が響いた。
彼らが立ち去った店先の奥、ゲーム中では作られてすらいないモデリングの空白地帯に音が広がっていき、次第に溶けて消えてゆく。無音になった店は、しかし何かが蠢く気配がした。
データ上では床も壁も存在しないはずのそこに、少しずつ小物や家具がワイヤーのようなシルエットで自然発生してゆく。
装備用品を置く店らしさだろうか、革用の黒いクリームが入った陶器の器に形作られてゆく。針や糸、足踏みミシン、金具の見本やロール状に立て掛けられた布地が続々とそこに生まれはじめていた。色の無いそれは、今後ディティールが深まれば「人の気配」となるだろう。
しかしまだそこまでいかない小さな変化に六人は気付かないまま、煉瓦が連なる町を歩いた。城より向こう側に位置するギルドへと、初心者時代の思い出話に花を咲かせながら家路を急ぐ。ギルドホームにさえ着けば裸足ではなくなる、服があると信じて歩く。
そして不気味な気配は、彼らにその視線を感付かれない距離を保ちながら近づいてきているのだった。
家にはしばらく帰れそうにない。彼の妻は思ったよりも前向きな捨て台詞を残して通話を切っており、それが佐野の心配事の一つを吹き飛ばしてくれていた。それでもあの一軒家に妻一人残しているのは不安だった。
「久仁子さん、ありがとう」
「これくらいどうってことありませんの、で。気になさらずドンドン申し付けくださいな」
思わずオンラインの口調を口走りそうになりながら、阿国が佐野に頼るよう声をかけた。つい先程の妻への連絡は、彼女の協力がなければ不可能なことだった。佐野が持つ端末は、会社側が信頼できるとジャッジした中継基地局の無いような海洋エリアでは私的な通信や電話は出来ないように設定されている。コンプライアンス、という呪いのキーワードが行動すら制限していた。
「また連絡と『避難』頼むかもしれないけど、いいかい?」
「ええ、もちろん!」
「助かるよ」
「義母様のお気持ちも大事ですもの、万全の状態でサポートいたします」
佐野は能天気に「あの子の母という意味でオカアサマかな?」などと考えているが、事実は大幅に異なる。
阿国は佐野一家に取り入る気満々であった。
「彼らがこうして無事に帰ってきた前例があるお陰で、妻には良い言い訳ができたよ」
「これから彼らは口止めされて解放されるでしょう。恐らくロクな情報を持たないでしょうし、政府は事を荒立てることもリークされることも嫌がるはずです……敵は強大で、しかも複数です」
日本側スタッフが詰めている部屋をわざと避け、被害者達が数名保護されている医務室で立ち話をしている二人は、その内容が一般人に聞かれても構わないようにと隠語を駆使して会話していた。
この場所を選んだ理由は、ボス九郎に隠れて動きたい佐野の意図がある。しかしもう一点別の思惑が絡んでいた。
阿国は、被害者の一人に漢数字の書かれたメモを見せながら会話を続けた。目線は佐野から動かさず、被害者の顔もチラリと見た以降は興味を失ったかのように無視する。
ベッドに腰掛け毛布を肩から羽織った被害男性は、阿国の顔とメモを交互にきっかり四回見比べた。
「もちろん大本の原因はきっちり潰すよ。もう一方は……こちらが悪いことをしてるのは自覚してるからね」
「何をするにしても、ワタクシは味方です」
阿国の言葉には、一言不足した単語がある。
ガルドの為になると自分が思ったことに対してのみ、味方をするのだ。彼女の理想の王子に不必要な要素は、例えそれがガルド本人であっても味方しない。
思い込みの激しさ。そこが彼女を狂気だとする要因だった。
「心強いな、助かるよ」
佐野は早くも、少々猫を被った恐ろしい味方に信頼を寄せ始めていた。
阿国が持っているメモには十六桁の数字が漢字で書かれていた。さらに八が鉢、五は吾になっている。外国人が翻訳ARで解読しようとするのを避ける意味合いがそこに込められている。
それを脳波感受型コントローラを持つ被害者にぴらりと見せるが、口では何も言わなかった。この数字が何を意味するのかも、何をさせたくて見せているのかも伝えない。
クエスチョンマークにまみれた表情でぼんやりとそのメモを見る男に、阿国はヒントを見せた。
彼女がもう片方の手でワンレンロングヘアの髪を耳にかける。おおぶりな円柱が動作に合わせて揺れ、耳たぶの下で存在を主張した。重そうには見えないが、金属風の質感はどことなく工業製品を思わせる。ただの、なんの変鉄もない円柱型のモチーフピアスだ。何かギミックがあるわけでもない。
しかし男ははっとしてメモをじっと見つめながら、そのコードをコントローラ側の無線回線の中から探す。金属円柱は、フロキリユーザーにとって通信アイコンのようなものだ。
それはフロキリの劇中で別サーバーへの連絡ボックスアイテムに良く似ていた。メッセージや動画、アイテムなどを詰め込み郵送するものだ。サーバーの移動手段として公式がねじ込んだものだが、アバターデザインは引き継ぎ不可、各サーバー限定アイテムは入れられないため微妙に不便だった。
「二、四、一、はち、四……」
どうやら回線コード自体は十四桁で、あとの二桁はその回線用パスワードのようだった。男はここで阿国の思惑に気付く。外国人だらけとはいえ、言語の壁がAIによって砕かれた今、日本語が暗号のように使える時代ではない。
暗号通信とはつまり秘匿回線での通信。そのくらい、一般人の男でも理解できた。
回線をパスで認証制限解除、中に入る。大量のログと、全角カタカナで二十文字程度しか入らない文章入力フォームが脳裏に浮かび上がってきた。
使いなれたスマホ経由のそれとは大違いの、文字数・形式に制限をかけたチャットルームだ。無線通信ではこの程度が限界なのだろう。男は文字をイメージして、無事閲覧出来るようになったとアピールする。
<ロンベル ドウナッタ>
そのワードは、このチャットルームで幾度となく現れた全員共通の疑問であった。
電波を送受信して脳波感受同士を繋ぐことができる次世代型HUBを持ち込んだディンクロンによって、彼らの脳同士でのみ通じるチャットルームが構築されつつあった。こうして一人一人に認証をさせていく必要があり、二十四名全員はまだ参加できていない。
それでもトレンドはやはりロンド・ベルベットの安否であった。
<マダ>
<ハワイ イケタカ>
<ソレドコロジャナイ>
片言ながら的確な情報交流が活発に行われ、彼らは徐々に状況を把握しつつある。意識を失う直前にSNSの「こめかみにくっついてくる黒粘土に注意」という注意喚起を目撃したメンバーもいたことで、自分達がこの脳波感受を通して何かされたのだということも理解していた。
その会話ログには、まだ彼らが客観的に見てどんな様子だったのかは流れてこない。
この場には当事者しかおらず、防犯カメラなどをチェックしていた警備スタッフや九郎の部下になった省庁側も口をつぐんでいた。
<オマエ ダレ>
<オレテキ>
この短い略称で通じる程度に、彼らは熱心で有名なプレイヤー達であった。「俺的最適戦闘実行委員会」というギルド名を名乗った男は、船員から受け取ったホットミルクを一口飲んで質問に答えてゆく。
空港にいたはずの自分達がこうして船にいるというのは、まるでプレイ中寝落ちして見ている夢のようにしか思えない。オレンジカウチ騒動と素早く空港から去ろうとした自分達が最期の記憶だ。同じギルドメンバーと土産物屋を冷やかしていたはずである。
<ギルメン ドコニ>
<ギルド:オレテキ サンニン カクニンズミ>
<オマエ ヨニンメ ダ>
<コレデ フル カ>
<ソウダ>
<オマエ プレイヤーネーム ナニ>
チャットルームを監視していた日本救援チームスタッフが彼のプレイヤーネームを聞き出し、すかさず「所在未確認プレイヤー」の名簿に照らし合わせる。
即座に彼の名前と本名とを紐づけし、九郎以下のチーム全体に共有するのを忘れない。事件発生から丸一日が経過した今では、彼ら被害者の名前などは既に大方把握されている。その情報の整合性を高める作業であった。
情報共有は仕事人としての彼らだけには留まらない。フロキリのアカウントを緊急に作成したスタッフが、その情報を広場にいるプレイヤー達へと流していた。阿国やディンクロンの要望であり、彼らの暴走を止めるという裏の目的がある。
黒い粘土が被害のトリガーである、という情報は九郎率いるスタッフサイドには有益だった。しかし事件の情報がオンラインに流れていったのは誤算である。ガルドを慕った三名の若者、そして彼らが未然に防いだ結果救われた者達の情報が流れ、さらに本来防波堤になるはずの九郎が仕事を投げ出し救出優先に動いている。事件情報はフロキリユーザーを中心に拡散されていった。
彼らが野次馬根性で被害者達のことをこれ以上拡散しないようにするための、攻勢な情報操作の一環。それが被害者の救出情報を積極的に広めるというものだった。
<ココドコ>
<ウミ>
そうチャットで流れ、ようやく男はここが船なのだと気付く。巨大な船は揺れを感じさせず、体力のあった彼は早々に住居エリアの救護室へと徒歩で移された。所々英語で書かれた船内標識は咄嗟に読めないため、彼は流されるまま孤独に時間を過ごしていたのだ。
そんな中どんどん流れてくる膨大な日本語が、ここを船だと、そして自分達が何者かに拉致されたのだという顛末を教えてくれた。
<ヨクワカラン>
<オレタチモ ダ>
それは、船に保護された全員の総意だ。状況がわからない今、彼らの心配事は自分のことよりも直前の出来事の続きである。
<ロンベル>
<セカイタイカイ ハ チュウシニナッタ>
その言葉が彼らには毒のように回ってゆく。男は目を閉じて壁に寄りかかり、悲しむように顎を上げた。
アメリカ政府の行動は早かった。frozen-killing-onlineの運営会社に大会中止命令を下したのは、彼らが保護されて数分後のことである。
<オレタチ ガ ミンナ ノウハコンモッテルカラ>
<バレタ フロキリダト コンシュウ セカイタイカイ フロキリダケダッタ>
田岡の事件を受けて何年も調査をしていた日本側は把握していた、その「被害者になる条件」に彼らアメリカサイドは疑念を持っていた。実際に被害者達がどのゲームをプレイしているのか、というところまでは知らなかったらしい。
「いや、そもそもあいつらが悪い……連れ去ったとかいう……おっ、俺たちがむざむざ捕まらなかったら、大会は中止になんなかったみたいな言い方……くそっ!」
悪態をつきながら、肩にかかっていた毛布をばさりと脱いだ。独り言のように呟いたそれを、同じ部屋にいた青年は呆けた顔で聞く。彼もまた阿国に見せられたメモ経由でチャットルームを知り、その中で膨大な情報を注ぎ込まれた一人である。
「きっと事件が起こるんじゃないかって、考えたことはあったんです……」
「え?」
青年は申し訳なさそうな顔で、悔しがる男にそう声をかけた。彼は寒そうに毛布を寄せ着込んでいる。
「ウワサで、聞いたことあったんです。フルダイブVRには政府の陰謀で隠された、なにかとんでもない秘密があるって……それって、こうやって連れ去られるリスクのことだったんですね」
ぶるりと一度震えながら、ウワサのことを青年が話し始める。他愛もない都市伝説のようなそれを聞きながら、男は脳波感受型コントローラの埋められた部分をかきむしりたい衝動に襲われた。
黒い粘土とやらが張り付いた瞬間、視界が奪われる。その要因になっているこの機器がひどく恐ろしいものに思えた。
これはただの伝達補助機器なのではなかったのだ。医師の言葉なんて信じてはいけなかったのだ。「ハッキングなんて、そもそも脳は生身ですからありえません。生身の臓器にどうやって電子情報に過ぎないウイルス送り込むっていうんです」などというデタラメを信じ、能天気に爆弾のようなものを埋め込み続けているのだ。
「帰ったら手術受けるわ……」
「抜くんですか?」
「ああ……ダイブ機も売る。まだ高値で売れる……楽しかったけど、もう楽しくなんてプレイできない」
「残念です。僕は続けますよ……だって、」
怯えで震えているのかと思った男は、彼が別の要因で毛布にくるまっていることを知った。
「ムカつくじゃないですか」
「怒ってるのか」
若い彼は、武者震いに震えていた。
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75歳のおじいさん「ひろし」は思いもよらず、人気VRゲームの世界に足を踏み入れた。おすすめされた種族や職業はまったく理解できず「無職」を選び、さらに操作ミスで物理攻撃力に全振りしたおじいさんはVR世界で出会った仲間たちと大冒険を繰り広げる。
この作品は、小説家になろう様とカクヨム様に2021年執筆した「VRおじいちゃん」と「VRおばあちゃん」を統合した作品です。
前作品は同僚や友人の意見も取り入れて書いておりましたが、今回は自分の意向のみで修正させていただいたリニューアル作品です。
(小説中のダッシュ表記につきまして)
作品公開時、一部のスマートフォンで文字化けするとのご報告を頂き、ダッシュ2本のかわりに「ー」を使用しております。
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
ゲート0 -zero- 自衛隊 銀座にて、斯く戦えり
柳内たくみ
ファンタジー
20XX年、うだるような暑さの8月某日――
東京・銀座四丁目交差点中央に、突如巨大な『門(ゲート)』が現れた。
中からなだれ込んできたのは、見目醜悪な怪異の群れ、そして剣や弓を携えた謎の軍勢。
彼らは何の躊躇いもなく、奇声と雄叫びを上げながら、そこで戸惑う人々を殺戮しはじめる。
無慈悲で凄惨な殺戮劇によって、瞬く間に血の海と化した銀座。
政府も警察もマスコミも、誰もがこの状況になすすべもなく混乱するばかりだった。
「皇居だ! 皇居に逃げるんだ!」
ただ、一人を除いて――
これは、たまたま現場に居合わせたオタク自衛官が、
たまたま人々を救い出し、たまたま英雄になっちゃうまでを描いた、7日間の壮絶な物語。
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