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58 始まりの行進

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 このまま装備品無し・武器装備無しの状態では危険だ。初期エリアとはいえモンスターの出る場所である。HPなどが装備依存の、レベルという制度が無いフロキリである。裸というのは非常にリスキーだった。
 とにかく非戦闘地域ノンエンカウントエリア、街まで進む。
 ひとしきり体について騒いだ後にそう結論付けた彼ら六名は、一応陣形を整えて中央エリアに移動していた。非戦闘地域まで辿り着けば安全だろう。現状把握はそれからでも遅くない。話し合いはマグナが案を挙げ全員が合意する、四十秒間のとても短いものだった。
 前列に盾のジャスティンとアタッカー二人、後列に遠距離二人と中距離の夜叉彦が並ぶ。危険とは言ったが警戒は薄く、歩みはまるでオフィスからランチに出掛けるサラリーマンの集団のようである。だらだらと、喋りながらのんびり進んだ。
 念のため、形としては旅の準備を整えている。アタッカーは木の棒を握り、ジャスティンは盾のように平べったい木の板を、マグナとメロは石ころを二つ持つ。
 さらに全員、経由地にあった林の入り口で蔦植物の葉を千切って腰を隠した。
 「なんだっけなぁ、こんな絵画あったな」
 「ヴィーナスの誕生?」
 「随分とむさ苦しい女神共だな……」
 「あと多分違うぞ、あれは髪の毛で隠している!」
 「ジャス、詳しいねー」
 「サイゼリアはよく行くからな!」
 「なるほど~」
 イタリアンの老舗全国チェーン店の名前を挙げるジャスティンに、全員が感心で答えた。この場には古典絵画に興味を持つようなダンディさを持つものなど居ない。持ちうる知識のジャンルに偏りがあるため、程度が低かろうが博学者は尊敬の目で見られる。
 「神話的に考えれば、アダムとエバが近いかもな」
 「ああ、リンゴの!」
 「裸であることが恥ずかしいのだと気付いた、の下りだな」
 マグナはそこまで語り、この状況が逆だと笑った。
 「ふっ、俺たちは衣服のある世界から裸の世界に投げ込まれているわけだ。恥を知っているから、こうして隠す」
 「恥を忘れれば隠さないってか? さっきのガルドみたいに」
 「ああ」
 「そのきっかけが禁断の果実なんて、なーんか怪しい感じでいいね~」
 「はいそこ、下ネタ禁止」
 夜叉彦が制す。フロキリは卑猥な言語を自動でブロックする機能があり、下ネタの流れになると会話にならなくなる。それを防ぐ方法として「そもそも話の流れが下ネタになりそうなら止める」というのが全年齢ゲームのマナーだった。
 「あれ? でもさ、ここってレーティングってあるのかな」
 そう疑問を投げたメロの声に、全員が顔を見合わせた。フロキリ当時は無かった下着の中身や脳みそがあることから考えると、レーティング監視AIは走らせていないのだろう。
 「おお、確かに!」
 「へぇ、じゃあ解禁かな?」
 「そういうことに淡白なやつばかりだぞ。果たして意味があるだろうか……」
 マグナの意見はフロキリ全体における傾向を意味していた。元々人気だったこのゲームが落ちぶれたのも、成人向けの会話を許可されたタイトルが出始めた二年前から始まったことだった。
 それでも今だこの雪の世界に居続けている者は、その制限をはね除けアクションを楽しみたいプレイヤーだということだった。つまり淡白でストイックな者が多い。
 「適任ならそこにいる」
 ガルドがそう、榎本を見ながら呟いた。
 「うんうん、今まで我慢してたもんねぇ」
 「言い放題だな!」
 「下ネタ言える男と上手く言えない男がいると思うけど、榎本は言えるタイプだよなぁ」
 「……否定はしないけどよ」
 小さくそう呟きながら、榎本は歩く足を止めない。
 「榎本が普通なのであって、俺たちの興味が無さすぎる」
 「いやいや、人並みには好きだぞ! 女性プレイヤーの海装備とか見るだろう?」
 「見る」
 「あれは見ざるを得ない」
 海装備。ファンタジーが舞台のゲームではマリンスポーツや水着という文化がそもそも無く、水着というアイテムは存在しない。それでも現代人のニーズに応えるべく運営が海に適した装備という名目で実装しているもので、ごく簡潔に言うと女性キャラクター用のビキニ水着であった。
 「ああ。見る」
 「ガルド……前なら『おおっ、堅物に見えて案外むっつりだね』とかいうとこだったけど、無理しなくていいんだよ……」
 メロが仲間に同調したガルドを気遣うが、当の本人は至って真面目にコメントしたに過ぎなかった。
 「実際よく見てたから、無理してとかではない」
 「そういや、期間限定の人魚島とかで女の子達見ながら酒盛りとかしてたよな。ビーチでさ。お前の好みがそんとき『安産型ゆるふわ系』だって知って……ん? 好み?」
 ガルドが男だと疑っていなかった当時の思い出話を挙げる。しかしそれは「あん中だとどの子がタイプだ?」という質問への返答で得た情報でしかない。体のフォルムがアバターのガルドになっているものの、ボイスはまだ生身と変わらない。少しだけ低い少女の声で返答が返ってくる。
 「普通に一番かわいいと思った子を指しただけだ」
 「ああ、あれだろ? 女性アイドルとか雑誌のモデルをかわいいって思うような感じ」
 「そうだな」
 夜叉彦がそう代弁したが、榎本は平原の歩きやすい薄雪の上を踏み荒らしながら反論した。
 「いーや、違うね。お前あん時確かに『腰回りが良い』って言っただろ! 尻派だろ!」
 「ああ」
 「そうなのか?」
 「羨ましい、という意味で」
 ガルドのリアルでの体型はストンとしたスレンダー体型である。
 「ほぉーなるほどなー」
 「ガルド細身だったもんねぇ。もっとお肉食べ……食事……ローストビーフはあるよ! バーベキューみたいなのとか。でもすき焼きは無い……」
 メロがそう呟いた途端、突然表情を曇らせた。
 全員がその理由を共有する。
 「この世界がフロキリをパクったものだとすれば、無い料理があるな」
 「寿司食べたいっ!」
 「ラーメン……」
 「無いぞっ! カップ麺だけだ!」
 「み、味噌汁は見たことある!?」
 「無い」
 「あぎゃあ! 俺、味噌汁のない生活は考えられないんだけど!」
 「つーかまず白米がインディカ米って時点でダメだろ」
 榎本のその一言が、全員を悲劇の顔に変えた。
 「こ、米ぇー!」
 「お、おこめ……」
 「チャーハンは? チャーハンも無い? ピラフは?」
 「チャーハンはあるな。青椿亭じゃなくて、もっと南の、ホテル・ラカカカウラにあるチャイニーズレストラン」
 「よかったー……いやよくない、やっぱ白米とは違う! お茶碗の白米!」
 そう口々に叫びながら雪野原を進んだが、言葉とは裏腹にどこか楽しげでもあった。


 顔は徐々に形作られ、ほぼ見知ったものになっている。シワのディティールが甘いものの、彼らはまばたきをして口で会話できるほど人間らしくなってきていた。既に電子声音に変わっており、性別が変わるというガルドを筆頭に大きな変化となっていた。
 その体は確実に、フロキリでのアバター姿となりつつある。それは街も同じだった。
 「知っている町並みだな」
 「ああ」
 「そっくりそのまま持ってきたってか……パクリにしてはタチが悪いぜ」
 彼らはほどほどの距離を歩き、氷結晶城の麓にまでたどり着いていた。巨大に見えるそれは実際にはまだ少し遠く、目の前に広がる町並みをある程度時間をかけてまた歩かねばならない。
 「さて、目を皿にして歩くぞ。変化があるはずだ……無ければ無いで、それも発見だからな」
 「はいはい!」
 「なんだね、夜叉彦君」
 「とりあえず服が欲しいとは思わない?」
 「……一番近い装備販売の店に急ぐとしよう」
 ゆっくり歩こうとしていたマグナを論破した夜叉彦はにんまりと笑う。寒さはないが、心が暖かい格好を求めていた。加えて、ずっとつけている葉っぱ姿が見慣れてきたことへの恐怖もあった。
 芸人でもやらないであろう、見事な集団裸芸である。
 「その道まっすぐ行ったところに、初心者向けの武器と装備混合のショップがあったはずだぞ。四年前に行ったっきりだがな!」
 ジャスティンが指を指した方角には、確かに店が立ち並ぶ街道が続いていた。
 「店で装備買うなんて、もう何年もしてない気がする」
 「同感」
 木材と煉瓦、石で作られた風合いの町並みが奥までずっと続く。エリアごとに雰囲気が違うのだが、この場所はどことなく昔のロンドンのようであった。色合いは彩度の低いモノトーンぎみの、細やかな装飾もシックで上品なデザインだ。扇状の模様を描きながら敷き詰められている石畳の地面を、ムードをぶち壊す男共が裸足で闊歩する。ぺたぺたという足音がなんとも言えない無言の空気を作り出した。
 軒先に看板が見えてくるが、その様子はジャスティンが知っているものだった。ゲーム当時と変化はない。NPCの気配もない町で、がらんどうになった店がそこに建っている。
 「……店員居ないと服なんて買えなくない?」
 「つーかそもそも金ねーよ。腰の巾着アイテムボックス無いだろ? どっから金出せばいいよ……」
 「あっそっか……えー? どうする?」
 ベルの鳴るドアを押し入る一行は、そこでようやく買い物ができる状況ではないことに気付く。踊るような鈴の音色がむなしく店内に響いた。
 「……よ、洋服くださーい」
 恐る恐るそうカウンターの向こうに声をかけてみるが、返事はない。悲しそうな顔をして立ち尽くす夜叉彦を放置し、仲間達はうろうろと物色を始めていた。
 「ウム、まさに初心者向けだな!」
 「思った以上にビギナー」
 ガルドとジャスティンが眺める鎧は、ゲーム開始直後に着込んでいた思い出の一着である。黄みがかった茶色の革鎧とグリーンのベレー帽が特徴的で、全身一揃えにするとアイテム再使用への制限時間が短くなる効果があった。
 「ボマーとかは中級者でもこの装備使ってたりしてたよねー。遠距離だから防御性能より効果発動優先で、とにかくリキャストタイム早めるためだけの装備。一極だから死にやすいけど」
 「懐かしいな、最近じゃ見なくなったもんだ」
 「新規が居ないからだろう」
 「ボマーのテンプレ装備が増える前とか、ビギナーが多かった三年前までは見たな!」
 「あと一昨年の夜叉彦」
 そう言ってガルドは彼を見た。今や驚くほど上位ギルドに馴染んでいる彼も、ついこの間まではこれを着てあの初心者の平原をうろついていたものだ。
 「着てたな~。うん、懐かしいしコレでいいや。展示アイテムだけど着れるだろ」
 店員がそもそも存在しないことを察した彼は、壁に掛けられたその素朴なイエローオーカーで染め上げた鎧を背伸びで外した。
 ガルドは様子を見ながら想像し、一瞬躊躇した。そもそも裸でいることの方が状況として間違っていることを自分に言い聞かせたが、どうしても嫌悪感がぬぐえない。素肌に金属が触れ続けるというのは、想像しただけでベトつく上に固い。最悪だ。
 自分もああやって裸に鎧をつけるのだと思うと、閉じ込めた犯人を追跡killしたくなるほど憎んだ。せめて下着ぐらい転送して欲しいものである。
 「……どうやって着る?」
 夜叉彦に着方を質問しながらガルドも一着の鎧を手に取った。初心者のアタッカーが好んで着ていた「物理攻撃初撃のみ二十パーセント上乗せ」効果のある赤鱗の鎧だ。胸の部分が詰め襟のように詰まっており、学ラン姿の高校生を思わせると一部で話題になった。赤いせいで不良の詰め襟と呼ばれることもある。
 「普通にリアルの洋服みたいに着れないもんかね」
 「ボタンやチャックなど無いぞ」
 「……ほんとだ、なんだろ、リカちゃん人形専用の服をさらに固くしたみたいな感じだね」
 「例えがわかりづらいな」
 ボタンのあるあたりをひっぱったり揉んだりしたが、結果は変わらなかった。服としての機構はない。その物体はオブジェに過ぎず、彼らはまだ裸に葉っぱを巻いただけの野性的な姿で居ることを強いられていた。
 「アイテムボックスのアクションさえできれば……裸のアバターにすらついてる腰巾着が無いなど、もうどうしようもないだろうがっ!」
 ジャスティンがそう叫びながら魔法使い用の帽子を思いきり引っ張った。手持ち無沙汰で持っていたそれはゴムのようによく伸び、限界を迎える。
 薄いガラスが割れるような音をあげながら、帽子は氷の欠片になり砕け散った。 
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