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302 ハッピー・チョコ・シスター

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 田岡を除去する、という話は白亜教授の独断で進められている。
 日電の設備を我が物顔で使っているものの、チヨ子ら学生の身分はアルバイトやインターン扱いだ。しかもハワイ沖合での爆破事故や田岡自身がハワイ島とミッドウェー諸島の名前を挙げたことで、日電社員は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっている。社員の半数が海外へ飛び、残る半数は茨城県つくば市へと飛び出していった。
 残っているインターン生をリアルタイムで指揮する立場の人間はいない。チヨ子らは、白亜教授の残したメモの通り動くことこそ「大人の指示通り」だと思っていた。
「ギャンさんに助けてもらおうよ~」
「こ、これぐらい出来なきゃ日電に就職なんざ出来ねぇし! やってやらぁ!」
「陽太郎、無理すんな」
「お前はいいよなぁ! 確約じゃん!」
「いや、俺のはギャンさんが作るっつー新しい会社の方で……」
「それ社長が許すわけないだろ」
「そんなことより二人とも、さっさとやるぞ! 気ぃつけろ、人命掛かってるんだ」
「失敗したら田岡さんピンチ」
「ピンチどころか……おお、怖」
「だからやめようって言ったじゃ~ん!」
 チヨ子は半泣きになりながら、どこを切り取ればいいのか分からないデータの塊にハサミを入れ始めた。
 白亜教授の指示通りにすればいいのだろうが、それは切り取る方法だけだ。どこを切れば安全に田岡をログアウトさせられるかなど、切り取り線についてはメモのどこにも書いていない。だからこそ教授が自ら行うのではなく、自分たち学生の手を動かさせたのだとは理解している。人の目で見て判断しなければならないのだろう。だが、と顔をくしゃくしゃにして後ろを振り返った。
「無理無理無理!」
「がんばって~」
「林本さんならきっとできますよ! こちらはこちらでほら、いろいろやっておきますから! ね、皆さん」
「そ、そうそう! 良い感じに火に油注いでおくね」
 宮野も佐久間も金井も笑顔で首を振る。切羽詰まって田岡のベッドに身を乗り出し立ち上がったチヨ子に比べ、まるで放課後のようなリラックス加減だ。椅子と机にお菓子とペットボトルが並んでいる。私物の充電コードを引っ張ってきており、流行りのジンバルAIカメラまで見える。小型で手に持っていても手ブレを防ぎ、勝手に良い構図を狙って動画や写真を撮ってくれる。チヨ子は持っていないが、少し金周りの良い高校生なら持っていて当たり前のトレンドアイテムだ。
「うー……ね、それ起動してる? せっかくだし撮っててよね」
「撮ってるよ~」
「ソッチに向けないでコッチ向けて」
「え、田岡さん撮るの?」
「暇してるんならそれぐらいしてよ。その方がやる気出る」
「バズるかなぁ~」
「炎上はもうこりごりなんだけど」
「ネットにアップロードする前提で話進めないでくださいね!? 寝ている田岡氏の許諾はいいんですか? 肖像権とかそういうのは……」
「ダメなら消せばいいじゃーん」
 宮野と佐久間がカメラの向きをベッド側へと向けてくる。金井はおろおろとしているが、止めるほどの勇気はないようだった。
 チヨ子はただ、可哀想なお爺さんに寝起きシーンを見せてあげようなどと思いついただけだ。日記のように動画を撮る光景はチヨ子にとって当たり前のものだが、お年寄りにはそういった風習がないこともあり、プレゼントになるんじゃないかと思いついただけのことだ。
 チヨ子は田岡をよく知らない。
 田岡がどれほど長く眠っていて、脳を焼かれず起きる可能性などゼロに近いと思われていたことを知らない。生きて再び会話できる日がくるなどあり得ないと、政府の人間が諦めていたことなど知る由もない。技術的に一度かかった電磁トラップを外せるなどと思いもしない大人ばかりだとは、つゆにも思ってもいない。
 ただチヨ子は、初めて見たときから「可哀想なおじいさん」と同情していた。
「ミルキィちゃん、頑張ってようね」
「マカセ/ザザザ..テ/チヨ」
「うわ、あんまりミルキィに負荷かけんな。コッチにもノイズ来たぞ」
「あ、でもオートで解凍始めたぞ!」
「俺らの動作を学んでる?」
「まさか学べって指示すら出してないぞ」
「じゃあやっぱハヤシモ効果だ。飼い主の命令には忠実だな」
「ええっ、チヨ別になにも言ってないよ?」
 びくりとも動かないミルキィを見守りながら、チヨ子も学生三人組に続いてデータの分解状況を見る。先ほどの手作業に比べ、ミルキィ本人が送信している除去用モジュールをいくつか田岡へと広げていた。サーバーと田岡というクライアントとの間にやり取りされているトラフィックを、教授が用意していた仮想のバスへと誘導していく。誘導してはいけないトラフィックもある。応答に答えられないとログイン中の田岡に影響が出る。その一つ一つを、ミルキィと学生たちは目視で区分けしている。
 手間のかかる作業だ。チヨ子には、ミルキィが大きな樹の細かい枝を一本一本切っているように見えた。残す枝もあれば、大きくバッサリと切っている部分もある。そのスピードが人間とは大違いだ。
「ミルキィちゃんすごい!」
「それでも時間かかるぞ、これ。今夜は泊まりだな」
「ごはんどうする?」
「あっちの倉庫にカップ麺あったよ~」
「ケトル持ってくる!」
「金井、総務の人に電話して仮眠室のカードキーの隠し場所聞いてくれ」
「はいっ! いっひひ、なんか楽しいですね!」
「大変なの俺らだけじゃん」
「ミルキィちゃんが一番ってるってば」
「チヨ/スゴ/ゴゴゴゴゴゴゴ」
「きゃー! ミルキィちゃん!」
「まずい、熱暴走だ」
「サーキュレーター持ってきてくれ!」
「保冷剤は!?」
「中で結露するからダメだ」
「ミルキィちゃーん!」
 大きな倉庫の中の小さなコンテナの中はかつてないほど騒がしく、医療スタッフたちは眉間にしわを寄せた。だがチヨ子たちは緊張感と興奮で目を輝かせながら、眠る田岡を起こそうと四苦八苦している。
「ビビビビ/ガガ/ガンバルルル」
「やだー! そんなに頑張んないでいいってぇー!」
「いやミルキィ! 俺らだけだとこの量……一週間は掛かる!」
「えっ!? 今日明日じゃないのー!?」
「とりあえず阿国が来たら対策考えようぜ?」
「しかし阿国が出来るのは財力の提供だけだ今回のこれ、直接ガルドさんには関係ないからな。協力してくれるかだぞ」
「確かに……説得してる暇もないし。金でどうにかなる問題じゃないぞ、これ……」
「えーっと、あー、どうすりゃいいんだ? 今シャットダウンすんのもなぁ」
「……ハヤッシー、お姉ちゃん呼べば? ミルキィちゃん作ったのってお姉ちゃんなんでしょ?」
 宮野が言った言葉に、チヨ子はうつむいたまま「う……うん」と言いにくそうに返事をした。


 二日後。
 AIを載せた電子おもちゃはその大半が国内外問わず技術特許で守られている。
 DIYで一から簡単に作成できるものではない。大体のユーザーは、ある程度組まれたキットを元に改良を施して「手作り」と呼ぶ。外側の作り方も含め、プラモデル好きと共通点が多いのも特徴だ。
 しかしキットは高い。下手をすると電動自転車が一台買える。たかがぬいぐるみにそこまでかけるのは当時学生だった彼女の財布にとって大打撃だった。林本サキ子は安上がりに済ませたい一心で、ぬいぐるみに搭載するAIをアメリカ製の中古品ベースで組み立てた。
 どこがどう組み合わさって動いているのか分からない部分をブラックボックスにしながら、英語で組まれていた言語系を日本語に書き換え、辞書引きをイメージした紐づけに整えなおした。カメラの画像認証は学習機能が付いていなかったため、とりあえず妹の顔だけ人の手で覚えさせる。その他、使ううちに林本チヨ子好みに成長する学習部分はサキ子が趣味で作っている非構造型データのドキュメントに整え、オフラインでも読み込めるよう定期的に直接チップを書き換えるようにしていた。姉の思惑としては、妹に会う口実になればというものも含まれている。
 だからこそ、妹から「ミルキィちゃんのメンテナンスをお願いしたいの」と言われれば何の疑問も持たずに書き換え用の機材を持って会いにいくのだ。
 機材を手に実家へ帰ることなど普段と変わらない日常の一幕で、今回呼び出された場所がなぜか神奈川県でないことは不思議だったが、あまり土地勘がない地名について深く考えることはなかった。
 しかし近づくにつれ疑問が膨れ上がる。まさかと思いながら位置情報をたどってやってきた建物は、およそ高校生にとって用のなさそうな倉庫の中だった。セキュリティが異様に頑丈だが、個人ナンバーを見せると「ああ、あの子の。どうぞー」とガードマンに通される。
「どういう、ことなの?」
 無骨で古い巨大倉庫へ一歩足を踏み入れると、サキ子にとっては見慣れた機材が並べられていた。ところどころアナログなデスクや文房具が転がっているが、大暴れした後にざっくり片づけたような中途半端さで片付いている。
 奥の壁際に積まれたコンテナは貨物船用の巨大なブロックだ。中に人も収まるサイズ感のものがいくつも積み重なっており、外れの対角線上にポツンと三個平置きされたコンテナだけは様相が違う。光が漏れ、周囲を半透明のビニルカーテンが取り囲み、白衣の看護師が数名歩いているのが透けて見えた。
「どういうことなの……」
 妹であるチヨ子の位置情報は、その医療用にも見えるコンテナの中からだった。おそるおそる中へ入ろうとスリットを手で開いてみると、まず見えたのは段ボールでこしらえた床に転がる男三人。
「えっ、ホントどういうこと!? 何、なんなの!?」
 サキ子は思わず機材の入ったカバンを落としかけた。中に入っている精密機械が壊れてはいけないと胸に抱えて抱きしめる。恐怖に近い衝撃に震えながら、きょろきょろと辺りを見渡した。男たちの間に女性の姿はない。妹は見当たらない。
「う、あ……」
「おきゃく?」
「ごほっ……」
 こめかみからケーブルを垂らした若い男性が三名、溶けるように脱力している。顔色は疲れ度合いのバロメータだ。サキ子が見るに、一か月は家にも帰らず仕事を続けたような死屍累々具合である。
「えーっと、チ……あの、林本ってここにいます? いいえ、きっと間違いね。すみません、お邪魔しました~」
 間違いに違いない。座標が違うのだろう。そう踵を返そうとした瞬間死にかけの男が起き上がった。
「ハヤシモ? あっ、チヨ子さんのオネエサン、で合ってますか?」
「え、ええ。あの奥にいる? いてほしくない気もするんだけど」
「ハヤシモー! オネエサン来たぞー!」
 寝たままの男が大声で妹を呼ぶが、サキ子は首を横に振った。間違いだろう。人違いだ。こんな場所で、あの朴訥としていてちょっとおバカな妹がまさかデスマーチのような缶詰状態になっているわけがない、などとサキ子は首を振る。
「ああ、ちがうの、違うのよ。間違えた! ごめんなさいお邪魔しました!」
「あ、ねぇね。やっと来た~」
「はぁー!? もーなんで居るの!?」
 顔を出した林本家次女・チヨ子の顔に、長女サキ子は理不尽な怒りをにじませた。


「ありがとうございます!ありがとうございます!」
「お金にならないのにこんなことしたくないわよ! 妹の頼みだからしょうがなくしてるだけ!」
「ねぇね、白亜教授の連絡先って知ってる?」
「は? 白亜教授!? もう何年も前から音信不通! アメリカ政府にヘッドハントされたって噂だけど……え、なんで教授のこと知ってんの?」
「まじか~白亜教授雲隠れ上手いね~」
「……かない……水」
「ハイッ!」
「まさかミルキィを魔改造するだなんて。もう、こんなに荒らしちゃってさ」
「ごめんなさい」
「ハヤッシーが謝った……」
「オネエチャンの前だとこんな素直でかわいいんだね」
「ちょっと、茶化さないでよ。ねぇね怖いんだから」
「あーっ! こらチヨ! ミルキィの『触るな危険』のあたりにつけたロック、開いてるじゃないの!? なにオーブンにしてるの!?」
「ええっ!? ち、チョじゃないもん!」
「んだと!? あんたたちがやったの!?」
<ひぃっ! 違います、教授です!>
<あれ? ミルキィの一番最初に掛かってたロック、最初から外れてたって言ってなかったか? 他の大部分は白亜教授が何日かかけて解除したらしいけどな>
<uh - huh>
「シゲさん、大丈夫? 日本語イメージ出来てないよ?」
「つかれた……脳、しびれてる」
「しっかり! ココア飲む!?」
「のむ」
「ハァ。本当、わけわからないわ。あんたら一体なにをしてるのよ。これはなに? 犯罪じゃないでしょうね。オラ、白状しやがれ」
「ううぅ、違うんですよ。悪いことではないはず……」
「ちょうどいいから手伝ってくださいよ~」
「そうそう。オネエサンめっちゃ頭いいって評判だし」
「二人とも変なこと言わなくていいってば」
「まず説明。ミルキィのメンテしながら聞くわ。この膨大な読み込み量をさばけるだけの外付けGPUつけてしまうわ。こんなぬいぐるみのガワは剥ぎ……」
「あああ、いやあーっ!」
「アダプタがこの辺だから……」
 ベリベリべリ、と茶色の布を切れ目から取り外す。
「ヤダァー!」
 妹は泣いた。
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