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290 派手めに来い

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 榎本が遠い目をしたままソファでビールを飲んでいる。
 淡いオレンジみのある照明で照らされ、どことなく夕日を眺めているような印象を受けた。ガルドからは見えないが、おそらく視線の先には榎本専用のポップアップが表示され、バーカウンターでハイボールを生成中の夜叉彦から何かしらのメッセージが飛んでいるのだろうと推測される。
 ガルドはといえば、特に気にしないまま共有装備を端から端までスクロールして眺めていた。
 黄金色の、一部ユーザーからは何故か百式ひゃくしきと呼ばれている「ジパングシリーズ」は一着しかない。キワモノのイメージが強く素材の取得も高難易度で、おそらくマグナは個人用で持っているだろう。ギルドで共有する装備はコレクションの意味が強く、一着あれば十分だという認識だった。二着はない。
 榎本とガルドがふざけながら取り合った装備は、夜叉彦の冷たい視線で榎本が辞退したためガルドのものになった。申し訳なく思いつつ、しかし着ないのは逆に失礼だろうとジパング装備を一度装備してみる。全身光沢の強いゴールドに染められたものを、ガルドはほぼ初めて着た。
 目の下から反射光がギラギラ差し込んできて、あまり心地よくはない。腕も膝も固く、アクションゲームには致命的な首回りの可動制限が「見た目のための装備」らしくて好ましい。
 ジパングシリーズは、少し誇張された肩のとんがりが際立つかみしもが備わった和風装備だ。語彙力のないユーザーがお奉行様ベストと呼んでいたが、分かりやすい通称だとガルドは肩を張った。
 足を持ち上げると、なぜかアメリカのベルボトムのような形の裾に縦のストライプが入ったパンツになっている。袴を再現したかったのだろう。金色のベルボトムはうっすらデニムのような素材の表現がされていて、ストライプの白が派手目に見える。
 和風のはずだがレトロなアメリカ人歌手のステージ衣装にも見え、きらびやかな金色がロボットのようにも見える。とにかく普段ならばガルドは絶対に着ない類のネタ装備だ。
「祭りなんだから楽しそうにしろよー」
「榎本」
「分かってるって。ほら、話は終わりだ。分かったから」
「本当に分かってる? 他のみんなとは訳が違う立場なんだってこと」
「もちろんだって! な、ガルド」
「ん?」
「あ、ズルい! ガルド絡めたら話が……」
「そんな派手な装備で大丈夫かぁ?」
 榎本が夜叉彦の話を無理やり割って、ガルドへ大声で声を掛けてきた。明らかに逃げているのだと分かるが、夜叉彦と何を話しているのか分からないガルドには、たとえ察して邪推していたとしても分かっていない前提で話を進める方がスムーズだ。
「問題ない」
 とりあえず無難な返事をしておいた。
 ガルドも榎本も、ハワイ島からミッドウェー諸島へ至るあの一日で遠慮がなくなった。会話の内容もそうだが、元々スキンシップ過多気味な榎本が一度遠慮していた時期の反動からか、こうした些細な遊びも容赦なく肉体言語になってしまう。ガルドはといえば、リアルで「はしゃぐ」という経験が皆無だったために手加減が分からない。負けず嫌いな部分もあり、やられたらやり返すのが基本スタイルだ。
 結果、ガルドは怒られずに榎本が怒られている。
「準備任せていいのか? 夜叉彦」
「大丈夫だよ、ガルド。いいからのんびりしてて」
 顔を斜めに横断する一文字傷がトレードマークの夜叉彦が優しく笑う。アバターボディの攻撃的なフェイスメイクとは正反対な、母性を感じさせる温かい笑みだ。
「準備っつったって、大した飾りつけなんかしないだろ?」
「榎本は少し仕事してよ」
「なっ、俺もゲストだろ!?」
「反省を込めて内職ぐらいして。ボックスに入ってるマント装備、要らないやつからかたっぱしに大きい布に縫っていってよ」
「それぐらいなら、まぁ……」
「ん」
「ガルドはいいよ、のんびりくつろいでて。おっと、あんまり食べないでお腹すかしといてよ? 出店、でるからね」
「分かった」
 ギルドホーム内に積まれていた物資を両手で抱え、夜叉彦は足早に外へと戻っていった。再び二人きりになったが、変わらずガルドは装備品を上から下へ眺めている。
「……怒られたな」
 どことなく気まずい空気が流れ始めたギルドホームで、少し離れた装備ボックス前に立つガルドへ聞こえる程度の榎本の独り言が小さく響く。全く意識していなかった二人きりの意味が、部屋に荷物を取りに来ただけの夜叉彦で大きく変わり、榎本は苦笑いしているようだった。ガルドはちらりと横目で見たあと、淡々と普段通りのテンションで装備一覧をスクロールし続ける。
「夜叉彦は気にしすぎ。MISIAにもそうだけど」
「アイツ、前から女子供にはやたら優しいやつだからな」
「別にいいのに」
 外で「お祭り」の準備をしている夜叉彦は、いつも通り女性プレイヤーたちに囲まれ笑顔を振りまいていることだろう。MISIAのような男性・女性型アバター使用者ではないが、その状態で女性プレイヤーたちに輪に入れてもらえている稀有な例だ。ガルドの知る限りでは、夜叉彦以外には見たことがない。
「その辺はいろんなスタンスあるから、あれが良いってやつは一定数いるだろうな」
「鈴音にいる」
「それな。ホストとかそういう世界に近いのか? 担当とか『売上一位に』とか」
「ほら、アイツら別に夜叉彦にキャリーしてもらってるわけでもないだろ? もともと『ロンベルの前線に食い込んだルーキーをトップレベルまで育てる』みたいな意味合いで、むしろアイテム不足だった夜叉彦に女子があれこれダンジョンやら高難易度タイムアタックやら、いろいろ手伝ってたじゃねぇか」
「懐かしい」
「夜叉彦は礼なんざ出来るほどゲーム内通貨も持ってないってのに、やたら豆にメッセしたり記念日覚えてたり、悩み相談っての? 受けてたよな」
「夜叉彦らしい」
「それがとうとうお前にまで気遣いしはじめたってことか……佐野みずきとして」
 ガルドは「前からだ」とは思いつつ、口にしないまま頷いた。
 ロンベルの仲間五人ヘリアルでの姿を打ち明けてからかなりの日数が経ったが、榎本は一度「佐野みずき」を意識しすぎて固くなり、ミッドウェーの地で壁を越え、今はカミングアウト前より気兼ねなく触れ合う仲になれた。そうなると、夜叉彦からガルドへ向けられる態度がやたらと過敏に見えてしまう。
 それ自体は悪いことではない。ガルドは確かに佐野みずきで、女で、十八歳だ。相応の配慮をされている分、むしろ夜叉彦に感謝しなければならない。だが、とガルドはため息をついた。
「ん……不満はない」
「不満は、だろ? 意味含んでるのバレバレだぞ」
「まぁ、しょうがない。事実は事実」
 榎本相手には取り繕う必要もないだろうと、ガルドはあからさまにニヒルな笑みを浮かべて装備ボックスを閉じた。何枚かスクリーンショットで撮影した画像を榎本との個人チャット画面へ送信し、元のラウンジへゆっくりと歩く。アバター・ガルドの肩幅は常識的な日本人の倍近い。手作りした個室の壁に肩がぶつかるゴリゴリという音をさせながら、重たい音を立ててソファまで進んだ。
 先ほど寝転がっていた二~三人掛けのソファには榎本が座っている。ローテーブルを挟んだ反対側の一人用のソファへ腰かけ、榎本を真正面に見据えた。
「長く居すぎたとは思ってる。夜叉彦の感覚は、普通の社会人として当たり前」
「あいつは立派だよ。なりたてとはいえ管理職だ。農家のメロは比べようがないとして、他の奴らの中では一番の出世頭だぞ」
「……戻してやりたい」
「そうだな。新婚だ」
「そうだった。ローンの話もしてた」
「金はほら、アイツの回りはちょっとゴタゴタしてるって話だろ? それ全部清算したうえで、自分たちでローン組んで自分たちで金を出して、ちゃんと一般的な家庭を築くんだ~って言ってたからな」
「ん」
「俺なんかとは大違いだ。実家に何年も電話すらしてない俺なんか、孤独死まっしぐらだろ。板間に倒れたままシミになるんだ……」
「今なら叶野が看取ってくれる」
「おい」
「突然ログインしなくなったら、あのマンションまで様子見に行く」
「……おう、そうしてくれ」
 榎本がくすぐったそうに笑った。ガルドは送信したスクショを見るよう勧め、今夜から始まる「祭り」についての話へ舵を切る。
「送ったリスト、良さそうな派手目な装備」
「お、サンキュ。あー、鳥系とかいいな。死んでも着たくないとか思ってたのによ」
「下半身をそっちのホワイトサムライに変えると、かなり和風になる」
「いいじゃねぇか! これで『目立たない』な」
「レインボーに光らせるくらいしないと『目立つ』かも」
「どんだけやるんだ? アイツら……」
「昔見たときは、みんな髪型も派手で光ってた」
「ミン神殿にはわざわざ行けないだろ? なんかそれっぽいの被るとかどうよ。装備じゃなくて、手作りの帽子的な」
「ん、いいと思う」
 榎本は嬉しそうに装備ボックスへ進んでいき、ガルドが勧めた鳥モンスター由来の装備を一旦試着した。大きな白い鳥の羽が背中から広がっていて、肩幅がさらに広がっている。一見すると天使のようだ。
「うわ、くそ恥ずかしいな」
 下半身を白い袴に変え、足を上げて「ここに榎本とかどうだ?」と模様を想像しながら笑う。羽で隠れて見えなかった上半身は、最近気に行って着ていた素肌にジャケットという大胆な装備に比べれば淑やかだ。大胸筋は出ているが、木と骨というワイルドな素材の民族風の腹巻でへそ周辺が隠れている。
「ヴァーツの奴らならここにさらにゴテゴテつけるよな」
「多分アクセサリーを浮かせてみたりする」
「どうせぷっとん辺りはぬいぐるみ貼り付けんだろ? 想像つくな~」
 榎本とガルドは、外で祭りの準備をしている仲間たちの服装を想像して笑った。


 今日は夕日背景に切り替わってから祭りが始まる。どうせ素人の手作りだろうと思いつつ、ガルドはそれなりに初めての仮想夏祭りを楽しみにしていた。誰が言い出したのか分からないが、どうやら「盆踊り」と「フェス」と「肉フェス」を混ぜ合わせたイベントを開催する流れになったらしい。
 全てガルドたちが預かり知らない場所で、大方酒の席での無責任な理想の語り合いがなされたのだろうが、とにかく複数人の間で「祭り」の開催は決定事項になったようだった。
 もしかしたら何かが不足するかもしれないが、やりたい人間がやりたい部分だけ準備をするという形で同時多発的な準備が始まった。ガルドと榎本がロンベルや背広組と話し合いを行っていたころからだ。
 ロンベルの六人、特に「眠っていた」ガルドと榎本は、体調を気遣われ準備不要のゲストとして招待される側に指名された。むしろ準備に邪魔だからとギルドホームに閉じ込められている。榎本とガルドは一日何もしないをするという本当の夏季休暇のような待ちぼうけを食っていたのだ。
 ドレスコードは「祭りにふさわしい恰好で」「少なくとも他のメンバーより目立つ格好で」と言われている。目立つ格好をしなければ逆に浮くだろうとすら言われたガルドは、鏡のように反射する派手な金の装備だけでは足りないのではないかと思い始めていた。
「お待たせ、二人とも! 迎えっに来ったよ~……っ、て……えっ?」
「ん?」
 再び夜叉彦がロンベル・ギルドホームへ戻ってきたが、同じように絶句している。ガルドと榎本は先ほどとは違い、一段天井が低いラウンジのソファでリラックスしているだけだ。二人とも対角線上に座り、見られて困るほどは近づいていない。
 何か変かと首をかしげる。
「た……」
「どうした、夜叉彦。変な顔して」
「足りない……足りないよぉーっ!」
「えっ」
「これでか!? アイツらどんだけド派手なんだよ!」
「確かに……」
 装備ボックスを開いて勢いよく画面を回し始めた夜叉彦を見ながら、ガルドは腕を組んでウンウンと頷いた。榎本も驚きながら頭を抱えている。
「光らせるにしたって限度があるだろ……」
 夜叉彦は、蛍光のピンクとイエローに光る綿毛で全身を覆った上から、どうやったのか分からない恐竜の尻尾のようなものを生やし、さらに道路工事の保安灯のような光り方でド派手に部屋を照らしていた。
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