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274 無味無臭梅粥
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「内緒だぞ?」
「……まぁ、知らんといい、んか? いやいやいや、佐野さんが知らへんなんてそんな」
「ナイショだぞ!?」
「う、ウッス」
詰め寄る榎本の迫力に押され、叶野は反論のなにもかもを飲み込んだ。みずきはソファに座ったまま、動かさないよう慎重に左腕を膝の上へ置いた。まだ麻酔が効いているのか、重たい鈍痛だけで済んでいる。だが先ほどより明らかに焼けるような痛みに変わってきていた。
「……う」
眉間にしわを寄せていると、隣で榎本がさらに声を強めた。
「絶対言うなよ? 父親の方はまだしも、母親の方なんかテテロ勝手に売っちまうぐらいゲーム嫌いなんだからな」
「テテロって曙光のTTRのゼロ!? うわめっちゃ名機やん!」
「だろ? って言っても通じず仕舞いな人だったらしいし、ネナベなんて知った日にゃあ……」
腕の痛みに、みずきの眉間がぐぐぐっと深くしわを刻んでいく。
「……せ、せやな。佐野さん、ちょい子煩悩パパみあった気ぃするし。ただでさえ行方不明やからな。心労増やさんとこ」
「別に報告するなとは言ってないぞ。ただ、中で見た大剣持ちの男アバターとプレイヤー名は忘れろ。知らないって言え」
「し、知らん。あっはは、ガルドなんて初耳やぁ~」
「言うなってー!」
「榎本が言うてたからうつったんやけど!」
「あ? ああ、そういや呼んでたな……」
「みずきちゃんな。覚えたで。覚えたから……睨まんといて?」
叶野が眉をへの字にして、子犬のような目をみずきに向けてくる。先ほどから騒がしい声にも悩まされていたみずきは、痛みとまぜこぜになったストレスの原因である新参の男に「ジュース」と注文する。
わがままにも聞こえるみずきの単語に嫌な顔一つせず、叶野は明るく話を変えた。
「あ、せや! お粥の準備させとるんやけど、食うやろ?」
「粥?」
「味付け、何がええ? 言うて卵と醤油と梅干しと、あー、海苔とか」
「お粥、あるのか」
「むしろお粥しかないんや。血圧見つつ、塩分も調整せな……でも味はみずきちゃんの好みでええで」
脳波コンでやり取りをしているらしい叶野が、一旦遠い目をしてからみずきにピントを合わせてくる。段々とみずきはもやもやとした感情を覚えてきていた。
「梅」
「よっしゃ、オニーサンが丹精込めて作ったる!」
「お前が作るのかよ」
「榎本は何がええ?」
「一緒のでいいって。鍋一つの方がいいだろ」
「なんや、家事経験者っぽいような言い方……まさか独り身なん?」
「悪かったな!」
「風邪ひいた時にお粥作ってアーンしてくれるようなカノジョおらんの?」
「寝込んだ時は桃の缶詰とポカリだろ。一人で開けられるっつーの」
「えっ……」
「粥なんざ入院したとき以来だな」
「入院?」
「交通事故で一週間缶詰だったよ。ありゃー地獄だったな。回線速度遅すぎてブルーホールにも入れず仕舞いだったし……一週間だぞ!? 有り得ないだろ」
「言うて一週間やろ? 船ん中のフルダイブ缶詰の方がよっぽど長いんとちゃう? ネトゲ民の引きこもり適正えぐい~」
「上海のは?」
「よく覚えてるな、ガルド。アレはほら、味しっかりついてるから……」
「スルースキルもえぐいな! なんやねん、そこは『ネトゲ廃人言うな~』とか切り返すとこやろ?」
叶野が隣で一人盛り上がっているが、みずきと榎本はお粥のことばかり話した。
「日本のとは違うよな、アレ。揚げパンみたいなのに浸して食べるだろ? 少しコクっての? なんか、病人用って感じじゃないんだよな」
「中華がゆ?」
「そうそう。ピータンとか入っててよ」
「ん、アレは美味しい」
「そうだった、お前結構通好みなもん食ってたな。親父さんの晩酌に付き合って、か?」
「そう。中華街とか近いし」
「食べるの好きなんだな……三橋が笑い話にしてたぐらいだし」
「え」
「アイツはあんまり食べないらしいから、アレ食えコレ食えって世話焼かれてたんだと」
「……本当おせっかい」
「いいじゃねーの、俺もどっちかというとそういうタイプ」
「確かに」
「だろ? いや、お前も無言でそれとなくフォローするってだけで、どっちかって言うと世話焼きだろ」
「……えー」
「親父さんに似たんだな」
「あんな強引じゃない。あからさまでうるさいし、横で見てるとこっちが恥ずかしい」
「そこは反面教師ってやつか? なるほどな、だからお前『陰でこっそり若手の尻ぬぐいする寡黙な棟梁』って言われるんだよ」
「その例え分かりにくい」
「鈴音で一時期ブームなったじゃねぇか。ボートウィグだけ変に否定してたなぁ。棟梁じゃなくて閣下だって」
「閣下?」
みずきと榎本が顔を上げると、叶野が両手でお盆を持って立っていた。話している間にいつの間にか取って来たらしい。
「お」
湯気の立つ白いお椀とレンゲに、榎本が嬉しそうな声を上げた。だが想像したより量が少ない。これしか食べられないという現実と、想像したより湧かない食欲が身体の異常を実感させた。みずきの胃は確実に縮んでいる。
「閣下ってなん……まさかそういうプレイ……」
「やめろやめろ、久しぶりのリアル飯が不味くなる」
「ん」
冷めると不味くなる。みずきは腕を伸ばし、早く寄越せとアピールした。左腕は一ミリも動かせない。受け取ったお椀と蓮華を右手で持ち、太ももの間に挟みこもうとモゴモゴ動かす。羽織っていたジャケットがずり上がってしまい、裾を引き下げようと指でつまむ。お椀を倒しそうになる。
「あーあー、ほら」
見かねた叶野がお椀と蓮華の両方を取り上げた。
「む」
「ほら、あーん」
「あっ、てめぇ!」
「あー」
「ガルド!」
掬い取られた本当に少量のお粥を、叶野が嬉しそうに差し出してきた。みずきは食らいつくように口を開く。熱くはない。もう既に冷め始めていることに焦り、早急に嚥下した。
「んう!」
食道を降りる感覚が分かる。水分補給をしたときとは違う熱を感じた。熱くはないはずだが、水以外の物体が降りているのがあからさまだった。
旨味や味は分からない。先に飲んでいたジュースの甘さより弱いせいか、お粥の甘味が消えてしまっている。口が馬鹿になっているのか。みずきは愕然とした。
「……おいしくない」
「え!? 嘘だろ、粥とはいえ久しぶりの飯だぞ!?」
榎本が隣で梅を潰してから口に入れるが、咀嚼四回目でぴたりと動きを止めた。
「……なんつーか、ゆるい粘土みたいな味がしない割に、コメが粒粒してて...」「梅の味が分からない」
「こんな赤いのにな」
榎本はレンゲをお椀の中に入れて手を離した。
「ジュース」
「甘いものばっかりじゃ身体に悪いわよ、お嬢ちゃん!」
「叶野、いいから。俺にももっと味の強い……コーヒーとか」
「だめよ榎本ちゃん! カフェインだし刺激強いんだから! あ、牛乳もダメよ?」
「なんだよその口調……」
「ああ、コレ? ヘヘッ、うつってもうた」
「へぇ……あ、コーラは?」
「だからカフェイン禁止! あーもー、せっかくのお粥食べへんのかいな! もうええ、俺が食べる!」
叶野が榎本からもお粥を取り上げた。ふと視線を感じ周囲を見ると、白衣姿のスタッフたちがこちらを凝視している。
「……む」
睨み返すが、凝視する外国人たちの表情は真剣なままだ。薄気味悪いほど感情が見えない。
向こう側から探られているようで、みずきは睨みつけを止めて、先ほどからハイテンションな叶野を見た。
「旨い! 我ながら旨い! いや、パウチをあっためて姉御がくれた梅干し乗っけただけなんやけどな!」
「作ったって言わないだろ、そんな出来合い出しただけで。不味いし」
「旨いってホンマ! な? 嬢ちゃんだって仮想の飯ばっかで嫌やろ?」
「帰って金井のご飯食べたい」
「それな」
「……ホンマ……もう」
叶野の声ががらりと変わった。みずきもうすうす、先ほどからの叶野の様子が変だとは気付いていた。絞り出すような声だが、表情はなぜか笑っている。
「いいって、叶野。お前の精一杯のおもてなし、助かってるぜ」
叶野の表情に思い当たる節がある。みずきは自分のフルダイブ中での顔を思い出した。アバターを形作る際の電気信号を操作し、わざと表情を硬くするテクニックを使っていた。逆があってもおかしくない。
「……っす」
叶野は満面の笑みでみずきと榎本を見ている。出ない声と、静かに震えている拳にみずきは気付かないふりをした。
「もう準備出来てるんだろ? いいぜ、俺らは。あんまり時間稼ぎすると、今度はお前が危うくなるだろ」
「そんなこと、あらへんて……もっと、ほら、話すこととか、聞きたいこととか……」
「な、相棒。どうせ今は《・》ここから逃げられないんだ。素直に指示には従うさ……拉致犯の人質だからな」
叶野はとうとう、なにも言わなくなった。表情だけが明るいが、顔色がどんどん悪くなってきている。
「罪悪感とか、いい」
みずきはなだらかに言った。
「……せやけど」
顔を作られると人間側は楽だと、みずきも知っている。内側で勝手に歪む感情の形も知っている。最後の最後で演技が出来なくなった叶野に、みずきは精一杯の素の感情を込めて言う。
「大丈夫。ただ戻るだけだ。今出来ることをする」
「実際、俺らは飯もろくに受け付けない身体だ。死なないよう管理頼むわ」
周囲の白衣スタッフが近付いてきている。何を考えているのか分からないが、手荒な武器は見当たらない。ロボットアームと有線接続していれば、きっと無傷で脱出できるだろう。オーナー・タツタもまだカナダらしい。Aたちコンタクターは別の島だ。
きっと今、この島でみずきより強い人間はいないだろう。一度死地をくぐり抜けてきたみずきは、武器さえあれば榎本を守りながら戦える。今ここで走り出して、どこかで運搬用のロボット犬でも一体繋がってしまえば事足りる。銃さえ一つ見つかれば事足りる。武器を取れば、ある程度どうにかなる。みずきはそこまで「IF」を考えていた。
「ごめんなぁ……」
叶野の言葉が、みずきの剣をあっけなく納めさせた。
研究者たちの顔も、よく見ると明るくはない。無表情な理由も、叶野のものと同じだと考えれば予想がつく。隣の榎本は笑って叶野の肩を叩いた。
「近いうちにまた会えるって。それまで粥でもスープでも食って、しっかり生き延びてろ」
背後から寄ってくる男が二人、みずきの両腕を掴んで拘束してくる。榎本も同様だ。抵抗する気も起きず、みずきはされるがままに力を抜いた。腰をまさぐられている。直接見ることもなかったが、恐らく腰から出ている経管栄養の腸ろうカテーテルを探っているのだろう。
榎本の姿が見えなくなるほど、みずきの周りには五~六人の研究者が群がり始めていた。
「……オーナーに連絡を。BJ、ログイン状態に異常なし」
叶野の声が冷たい。先ほどの温情ある被害者同士の時とは違い、感情の抜け落ちたような声だった。
どちらが本当の叶野なのだろうか。みずきはぼんやりとしてきた意識で天井を見る。スパイだと公言していたが、こちら側の味方をするスパイかどうかは分からない。疑念を忘れないように、みずきはきっぱりと脳裏へ「叶野を信頼しすぎるな」と言葉にして刻んだ。
「う、あ……」
息をする感覚を覚えておく。伸ばされた両腕を抱えるように持たれ、十字架のような姿でずるずると部屋の奥へと引きずられている。磔刑される立場だが、みずきは頭を真っ白にしていた。恐怖はない。嬉しくもない。
「Sweet dreams」
誰が言ったのか。重たい瞼を一度開き、眩しさに目を細めたまま、みずきは意識を失った。
「さ、忙しくなるで。コンタクター無しでのフルダイブ支援は初めてや。中の様子が分からないままで、一体どこまでサポート出来るか……」
「せやで。俺らだけで六人の『生存率』上げるんや。アイツらはまだハワイ島やし、頼れるもんもおらん」
「ほら、難しいやろ?」
「アイツらは優秀やった。俺らは凡人。こんだけ頭数居ても手は足りへん」
「それにほら、今まで排泄一つとっても『中での本人の行動』と『外的刺激・支援』のタイミング、合わせてきたやろ? そうそう、被験体が船んトイレ行っとる間にコッチのポッドで……どれもこれもAI任せやったけど。担当が有人の奴らは専用の支援が別に作ってあるから良しとしてもやなぁ、ほら、コンタクターも無人化したモデルケースは……」
「俺? 俺はせえへんよ」
「可哀想? んなこと言うとる場合か! 俺は耐性ないんやで!? 二十四時間フルダイブなんざ無理無理」
「それが出来るから担当なんてもん宛がって、わざわざ人員裂いとんのや。それでも足りないから『支援の支援』に俺なんかを入れてみたり、最初からAI任せにする被験体がいたり、まぁ色々工夫しとるんやで」
「あ? 死にはしないて?」
「あんなぁ……分かっとるんか? 支援を完全無人化したBJ03、コルチゾール値、高かったやろ」
「そう、ストレスな。他の五人とは全然ちゃう結果や」
「ストレスで人は死ぬ」
「コンタクターが細かくケアして、ダイブ中の感覚と身体の感覚を揃えて祖語なくしとるからこそ! あのニ人はあんなに元気いっぱいなんやで!?」
「分かったか! よし!」
「全く、中の様子の閲覧権限なんざ誰が制限したんや」
「……みんな知らへんの? 変なの。ま、どうせどっかのオーナー様やろ」
「……まぁ、知らんといい、んか? いやいやいや、佐野さんが知らへんなんてそんな」
「ナイショだぞ!?」
「う、ウッス」
詰め寄る榎本の迫力に押され、叶野は反論のなにもかもを飲み込んだ。みずきはソファに座ったまま、動かさないよう慎重に左腕を膝の上へ置いた。まだ麻酔が効いているのか、重たい鈍痛だけで済んでいる。だが先ほどより明らかに焼けるような痛みに変わってきていた。
「……う」
眉間にしわを寄せていると、隣で榎本がさらに声を強めた。
「絶対言うなよ? 父親の方はまだしも、母親の方なんかテテロ勝手に売っちまうぐらいゲーム嫌いなんだからな」
「テテロって曙光のTTRのゼロ!? うわめっちゃ名機やん!」
「だろ? って言っても通じず仕舞いな人だったらしいし、ネナベなんて知った日にゃあ……」
腕の痛みに、みずきの眉間がぐぐぐっと深くしわを刻んでいく。
「……せ、せやな。佐野さん、ちょい子煩悩パパみあった気ぃするし。ただでさえ行方不明やからな。心労増やさんとこ」
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「し、知らん。あっはは、ガルドなんて初耳やぁ~」
「言うなってー!」
「榎本が言うてたからうつったんやけど!」
「あ? ああ、そういや呼んでたな……」
「みずきちゃんな。覚えたで。覚えたから……睨まんといて?」
叶野が眉をへの字にして、子犬のような目をみずきに向けてくる。先ほどから騒がしい声にも悩まされていたみずきは、痛みとまぜこぜになったストレスの原因である新参の男に「ジュース」と注文する。
わがままにも聞こえるみずきの単語に嫌な顔一つせず、叶野は明るく話を変えた。
「あ、せや! お粥の準備させとるんやけど、食うやろ?」
「粥?」
「味付け、何がええ? 言うて卵と醤油と梅干しと、あー、海苔とか」
「お粥、あるのか」
「むしろお粥しかないんや。血圧見つつ、塩分も調整せな……でも味はみずきちゃんの好みでええで」
脳波コンでやり取りをしているらしい叶野が、一旦遠い目をしてからみずきにピントを合わせてくる。段々とみずきはもやもやとした感情を覚えてきていた。
「梅」
「よっしゃ、オニーサンが丹精込めて作ったる!」
「お前が作るのかよ」
「榎本は何がええ?」
「一緒のでいいって。鍋一つの方がいいだろ」
「なんや、家事経験者っぽいような言い方……まさか独り身なん?」
「悪かったな!」
「風邪ひいた時にお粥作ってアーンしてくれるようなカノジョおらんの?」
「寝込んだ時は桃の缶詰とポカリだろ。一人で開けられるっつーの」
「えっ……」
「粥なんざ入院したとき以来だな」
「入院?」
「交通事故で一週間缶詰だったよ。ありゃー地獄だったな。回線速度遅すぎてブルーホールにも入れず仕舞いだったし……一週間だぞ!? 有り得ないだろ」
「言うて一週間やろ? 船ん中のフルダイブ缶詰の方がよっぽど長いんとちゃう? ネトゲ民の引きこもり適正えぐい~」
「上海のは?」
「よく覚えてるな、ガルド。アレはほら、味しっかりついてるから……」
「スルースキルもえぐいな! なんやねん、そこは『ネトゲ廃人言うな~』とか切り返すとこやろ?」
叶野が隣で一人盛り上がっているが、みずきと榎本はお粥のことばかり話した。
「日本のとは違うよな、アレ。揚げパンみたいなのに浸して食べるだろ? 少しコクっての? なんか、病人用って感じじゃないんだよな」
「中華がゆ?」
「そうそう。ピータンとか入っててよ」
「ん、アレは美味しい」
「そうだった、お前結構通好みなもん食ってたな。親父さんの晩酌に付き合って、か?」
「そう。中華街とか近いし」
「食べるの好きなんだな……三橋が笑い話にしてたぐらいだし」
「え」
「アイツはあんまり食べないらしいから、アレ食えコレ食えって世話焼かれてたんだと」
「……本当おせっかい」
「いいじゃねーの、俺もどっちかというとそういうタイプ」
「確かに」
「だろ? いや、お前も無言でそれとなくフォローするってだけで、どっちかって言うと世話焼きだろ」
「……えー」
「親父さんに似たんだな」
「あんな強引じゃない。あからさまでうるさいし、横で見てるとこっちが恥ずかしい」
「そこは反面教師ってやつか? なるほどな、だからお前『陰でこっそり若手の尻ぬぐいする寡黙な棟梁』って言われるんだよ」
「その例え分かりにくい」
「鈴音で一時期ブームなったじゃねぇか。ボートウィグだけ変に否定してたなぁ。棟梁じゃなくて閣下だって」
「閣下?」
みずきと榎本が顔を上げると、叶野が両手でお盆を持って立っていた。話している間にいつの間にか取って来たらしい。
「お」
湯気の立つ白いお椀とレンゲに、榎本が嬉しそうな声を上げた。だが想像したより量が少ない。これしか食べられないという現実と、想像したより湧かない食欲が身体の異常を実感させた。みずきの胃は確実に縮んでいる。
「閣下ってなん……まさかそういうプレイ……」
「やめろやめろ、久しぶりのリアル飯が不味くなる」
「ん」
冷めると不味くなる。みずきは腕を伸ばし、早く寄越せとアピールした。左腕は一ミリも動かせない。受け取ったお椀と蓮華を右手で持ち、太ももの間に挟みこもうとモゴモゴ動かす。羽織っていたジャケットがずり上がってしまい、裾を引き下げようと指でつまむ。お椀を倒しそうになる。
「あーあー、ほら」
見かねた叶野がお椀と蓮華の両方を取り上げた。
「む」
「ほら、あーん」
「あっ、てめぇ!」
「あー」
「ガルド!」
掬い取られた本当に少量のお粥を、叶野が嬉しそうに差し出してきた。みずきは食らいつくように口を開く。熱くはない。もう既に冷め始めていることに焦り、早急に嚥下した。
「んう!」
食道を降りる感覚が分かる。水分補給をしたときとは違う熱を感じた。熱くはないはずだが、水以外の物体が降りているのがあからさまだった。
旨味や味は分からない。先に飲んでいたジュースの甘さより弱いせいか、お粥の甘味が消えてしまっている。口が馬鹿になっているのか。みずきは愕然とした。
「……おいしくない」
「え!? 嘘だろ、粥とはいえ久しぶりの飯だぞ!?」
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「……なんつーか、ゆるい粘土みたいな味がしない割に、コメが粒粒してて...」「梅の味が分からない」
「こんな赤いのにな」
榎本はレンゲをお椀の中に入れて手を離した。
「ジュース」
「甘いものばっかりじゃ身体に悪いわよ、お嬢ちゃん!」
「叶野、いいから。俺にももっと味の強い……コーヒーとか」
「だめよ榎本ちゃん! カフェインだし刺激強いんだから! あ、牛乳もダメよ?」
「なんだよその口調……」
「ああ、コレ? ヘヘッ、うつってもうた」
「へぇ……あ、コーラは?」
「だからカフェイン禁止! あーもー、せっかくのお粥食べへんのかいな! もうええ、俺が食べる!」
叶野が榎本からもお粥を取り上げた。ふと視線を感じ周囲を見ると、白衣姿のスタッフたちがこちらを凝視している。
「……む」
睨み返すが、凝視する外国人たちの表情は真剣なままだ。薄気味悪いほど感情が見えない。
向こう側から探られているようで、みずきは睨みつけを止めて、先ほどからハイテンションな叶野を見た。
「旨い! 我ながら旨い! いや、パウチをあっためて姉御がくれた梅干し乗っけただけなんやけどな!」
「作ったって言わないだろ、そんな出来合い出しただけで。不味いし」
「旨いってホンマ! な? 嬢ちゃんだって仮想の飯ばっかで嫌やろ?」
「帰って金井のご飯食べたい」
「それな」
「……ホンマ……もう」
叶野の声ががらりと変わった。みずきもうすうす、先ほどからの叶野の様子が変だとは気付いていた。絞り出すような声だが、表情はなぜか笑っている。
「いいって、叶野。お前の精一杯のおもてなし、助かってるぜ」
叶野の表情に思い当たる節がある。みずきは自分のフルダイブ中での顔を思い出した。アバターを形作る際の電気信号を操作し、わざと表情を硬くするテクニックを使っていた。逆があってもおかしくない。
「……っす」
叶野は満面の笑みでみずきと榎本を見ている。出ない声と、静かに震えている拳にみずきは気付かないふりをした。
「もう準備出来てるんだろ? いいぜ、俺らは。あんまり時間稼ぎすると、今度はお前が危うくなるだろ」
「そんなこと、あらへんて……もっと、ほら、話すこととか、聞きたいこととか……」
「な、相棒。どうせ今は《・》ここから逃げられないんだ。素直に指示には従うさ……拉致犯の人質だからな」
叶野はとうとう、なにも言わなくなった。表情だけが明るいが、顔色がどんどん悪くなってきている。
「罪悪感とか、いい」
みずきはなだらかに言った。
「……せやけど」
顔を作られると人間側は楽だと、みずきも知っている。内側で勝手に歪む感情の形も知っている。最後の最後で演技が出来なくなった叶野に、みずきは精一杯の素の感情を込めて言う。
「大丈夫。ただ戻るだけだ。今出来ることをする」
「実際、俺らは飯もろくに受け付けない身体だ。死なないよう管理頼むわ」
周囲の白衣スタッフが近付いてきている。何を考えているのか分からないが、手荒な武器は見当たらない。ロボットアームと有線接続していれば、きっと無傷で脱出できるだろう。オーナー・タツタもまだカナダらしい。Aたちコンタクターは別の島だ。
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「ごめんなぁ……」
叶野の言葉が、みずきの剣をあっけなく納めさせた。
研究者たちの顔も、よく見ると明るくはない。無表情な理由も、叶野のものと同じだと考えれば予想がつく。隣の榎本は笑って叶野の肩を叩いた。
「近いうちにまた会えるって。それまで粥でもスープでも食って、しっかり生き延びてろ」
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榎本の姿が見えなくなるほど、みずきの周りには五~六人の研究者が群がり始めていた。
「……オーナーに連絡を。BJ、ログイン状態に異常なし」
叶野の声が冷たい。先ほどの温情ある被害者同士の時とは違い、感情の抜け落ちたような声だった。
どちらが本当の叶野なのだろうか。みずきはぼんやりとしてきた意識で天井を見る。スパイだと公言していたが、こちら側の味方をするスパイかどうかは分からない。疑念を忘れないように、みずきはきっぱりと脳裏へ「叶野を信頼しすぎるな」と言葉にして刻んだ。
「う、あ……」
息をする感覚を覚えておく。伸ばされた両腕を抱えるように持たれ、十字架のような姿でずるずると部屋の奥へと引きずられている。磔刑される立場だが、みずきは頭を真っ白にしていた。恐怖はない。嬉しくもない。
「Sweet dreams」
誰が言ったのか。重たい瞼を一度開き、眩しさに目を細めたまま、みずきは意識を失った。
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「せやで。俺らだけで六人の『生存率』上げるんや。アイツらはまだハワイ島やし、頼れるもんもおらん」
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「アイツらは優秀やった。俺らは凡人。こんだけ頭数居ても手は足りへん」
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「俺? 俺はせえへんよ」
「可哀想? んなこと言うとる場合か! 俺は耐性ないんやで!? 二十四時間フルダイブなんざ無理無理」
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「あ? 死にはしないて?」
「あんなぁ……分かっとるんか? 支援を完全無人化したBJ03、コルチゾール値、高かったやろ」
「そう、ストレスな。他の五人とは全然ちゃう結果や」
「ストレスで人は死ぬ」
「コンタクターが細かくケアして、ダイブ中の感覚と身体の感覚を揃えて祖語なくしとるからこそ! あのニ人はあんなに元気いっぱいなんやで!?」
「分かったか! よし!」
「全く、中の様子の閲覧権限なんざ誰が制限したんや」
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しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。
艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。
そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。
果たして彼らは帰還できるのか?
帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?
大絶滅 2億年後 -原付でエルフの村にやって来た勇者たち-
半道海豚
SF
200万年後の姉妹編です。2億年後への移住は、誰もが思いもよらない結果になってしまいました。推定2億人の移住者は、1年2カ月の間に2億年後へと旅立ちました。移住者2億人は11万6666年という長い期間にばらまかれてしまいます。結果、移住者個々が独自に生き残りを目指さなくてはならなくなります。本稿は、移住最終期に2億年後へと旅だった5人の少年少女の奮闘を描きます。彼らはなんと、2億年後の移動手段に原付を選びます。
VRおじいちゃん ~ひろしの大冒険~
オイシイオコメ
SF
75歳のおじいさん「ひろし」は思いもよらず、人気VRゲームの世界に足を踏み入れた。おすすめされた種族や職業はまったく理解できず「無職」を選び、さらに操作ミスで物理攻撃力に全振りしたおじいさんはVR世界で出会った仲間たちと大冒険を繰り広げる。
この作品は、小説家になろう様とカクヨム様に2021年執筆した「VRおじいちゃん」と「VRおばあちゃん」を統合した作品です。
前作品は同僚や友人の意見も取り入れて書いておりましたが、今回は自分の意向のみで修正させていただいたリニューアル作品です。
(小説中のダッシュ表記につきまして)
作品公開時、一部のスマートフォンで文字化けするとのご報告を頂き、ダッシュ2本のかわりに「ー」を使用しております。

Select Life Online~最後にゲームをはじめた出遅れ組
瑞多美音
SF
福引の景品が発売分最後のパッケージであると運営が認め話題になっているVRMMOゲームをたまたま手に入れた少女は……
「はあ、農業って結構重労働なんだ……筋力が足りないからなかなか進まないよー」※ STRにポイントを振れば解決することを思いつきません、根性で頑張ります。
「なんか、はじまりの街なのに外のモンスター強すぎだよね?めっちゃ、死に戻るんだけど……わたし弱すぎ?」※ここははじまりの街ではありません。
「裁縫かぁ。布……あ、畑で綿を育てて布を作ろう!」※布を売っていることを知りません。布から用意するものと思い込んでいます。
リアルラックが高いのに自分はついてないと思っている高山由莉奈(たかやまゆりな)。ついていないなーと言いつつ、ゲームのことを知らないままのんびり楽しくマイペースに過ごしていきます。
そのうち、STRにポイントを振れば解決することや布のこと、自身がどの街にいるか知り大変驚きますが、それでもマイペースは変わらず……どこかで話題になるかも?しれないそんな少女の物語です。
出遅れ組と言っていますが主人公はまったく気にしていません。
○*○*○*○*○*○*○*○*○*○*○
※VRMMO物ですが、作者はゲーム物執筆初心者です。つたない文章ではありますが広いお心で読んで頂けたら幸いです。
※1話約2000〜3000字程度です。時々長かったり短い話もあるかもしれません。
日本が日露戦争後大陸利権を売却していたら? ~ノートが繋ぐ歴史改変~
うみ
SF
ロシアと戦争がはじまる。
突如、現代日本の少年のノートにこのような落書きが成された。少年はいたずらと思いつつ、ノートに冗談で返信を書き込むと、また相手から書き込みが成される。
なんとノートに書き込んだ人物は日露戦争中だということだったのだ!
ずっと冗談と思っている少年は、日露戦争の経緯を書き込んだ結果、相手から今後の日本について助言を求められる。こうして少年による思わぬ歴史改変がはじまったのだった。
※地名、話し方など全て現代基準で記載しています。違和感があることと思いますが、なるべく分かりやすくをテーマとしているため、ご了承ください。
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