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273 なんやて?

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「朗報朗報!」
 準備が出来るまで座っていろと言い残して離れていた叶野が、パタパタと嬉しそうに走って来た。手には南国らしいパッケージのフルーツジュースが二本握られている。
「再ログインの準備、もうちょっと伸ばせそうや! ほら、アイツら信号チェックで首ィ傾げとる! ふはは!」
 叶野は眼鏡を震わせるように笑った。横幅があっていないのではないだろうか。直せと言いたいが、この環境では眼鏡屋にもコンビニにも行けないのだろう。少し可哀想だと思ってしまう。
 だが自由に飲み物も飲めない状況の自分たちよりは、と差をみずきは笑った。受け取ったジュースは明らかに大味だ。英語のラベルとマンゴーのイラストが躍るが、色味は薄く透き通っている。果汁30%はほとんど水だが、水以外には何も口にしていなかったみずきの喉を滝のように潤していく。
「ログアウトしてないってことは、通信、一応繋がってるんだろ?」
「一応な。速度が遅なってるかもしれんけど」
「中の様子、分からないのかよ。ログインさせる側だろ?」
「そんな権限ない。中の画像が閲覧出来たとしても、音声拾うの大変なんやで?」
「そうなのか?」
「せや。画像はほら、フラッシュレートとか言うやろ? コマ撮りの写真や。そのコマの数が少し抜けたり多かったりしても問題ない。けどな、音声は等速で処理せなアカン。いっそログインして聞く方の耳も揃えればええんやけど、それが出来ないと全部バラバラの変な雑音データにしかならへんのや。ましてや時間の流れが体感と実測とちゃう分、こっちで再生できるよう整えるんが大変で大変で……」
「ほー」
「その返事……ホンマ分かっとるんか?」
「いいや」
「なんや、知ったかぶりか!」
「理屈言われても分からねぇよ。とりあえず無理ってのは分かった」
「無理やないけどコスパ悪って誰もせえへんてことや。どんだけ広いか知っとるやろ。被験た……被害者の人数分カケル時間で考えてみい。てか中の暮らしの様子は中から『接続点』が取りまとめたデータ寄越すし、特に音声データなんざ要らへん」
「なるほどなぁ」
 榎本はそれとなく「田岡からの口頭伝達が知られていないか」と探っている。
「……あ」
 果汁入りの水を飲んで糖が回ってきたのか、頭にかかっていたもやが晴れたような気分のみずきは気付いてしまった。
 本当に言ってしまってよいのだろうか。危険はないだろうか。
 ハイバネーションラインはタツタによってイーライから守られているらしい。ソロのプレイヤー達だ。彼らだけは安心して良い。
 だが他の被害者はほとんどが居場所すら分かっていないのだ。誰が管理しているのかも分からない。どの国に居るのかも分からない。
 あとから捕まった「第二次被害者」たちは、計画が破綻したからと消されないだろうか。鈴音やヴァーツはどうだろうか。彼らを救いに行くのはいつになるだろうか。自分たち大人だけミッドウェーから救い出され、ログアウトされ、それで本当に事件は解決したと言えるのだろうか。
「……いや」
 駄目だ。みずきはボトルのジュースを飲み切ってから息をつく。ログインしたらすぐに榎本を止めなければ。かたく決意していると、当の榎本が叶野に世間話でもするかのようなテンションで聞いた。
「そういや、他の被験体ってどこにいるんだ?」
「そりゃあほとんど『日本』に決まっとるやろ」
「……へ~、あ~、だよなぁ~」
 榎本が頬を引きつらせているのが分かる。みずきも素知らぬ態度を取りながら、背中に滝のような汗をかいていた。
 ナイスだ榎本、とは思いつつ、小野がそこまで知っていたとは思わなかったみずきは至って冷静な態度を取り続けた。心臓はバクバクと波打っているが、息をこっそりと整える。
 まさか日本に。いや、むしろ「日本から連れ出されていない」ということか。
「ほとんどっていうと、俺達六人と……」
「ロシア領で捕まったあのアホンダラだけやな」
 三橋のことを身内らしくからかいの混ざった呼称で呼ぶ叶野は、うっかりとんでもない情報を漏洩していることにまだ気付いていない。本人が持つ「どうせ俺にはどうにもできない」という思い込みがそうさせているのだと思うが、情報を伝えた犯人たちのリテラシーにもみずきは疑問を持った。
「アホ」
 犯人も叶野も、どいつもこいつもアホばかりだ。叶野の語彙を借り、みずきも神妙な顔で頷く。
「せや。ホンマ、ドジっちゅーか、なんでロシア? 西側に迂闊に近寄るなって言われんかったかぁー? もー」
「三橋は『基地があるらしい』って指示されて移動してたらしいけど?」
「嘘に決まっとるやろ。罠や。先進技術を世界規模の合同事業にするって言うても、アッチとコッチとが仲良く手ェ結ぶとかありえへんやろ」
「いや、俺らも三橋もその辺の事情知らないし」
 みずきは不穏で心配なことを話す叶野を横目に、安堵で胸をなでおろした。三橋を除けばカナダとミッドウェーだけ、ということが確実だと分かったのだ。他にはどこにも、日本にあるという鈴音やヴァーツが収容されている施設以外には、基地も人質もいない。それが分かっただけで、田岡ルートの情報伝達についての難易度がぐっと下がる。
 リアル側で三ヶ所制圧出来れば勝ち、とも言い換えられる。
 ハワイ島では勝てたのだから、残るは日本・カナダ・そしてここミッドウェー島の三ヶ所だ。
 Aたちがハワイ島で奮闘しているが、彼らは「大人の命は守る」と断言してくれた。今はミッドウェーに移されてしまったが、恐らくまたハワイに移され、他の計画主導者の魔の手から守ってくれるのだろう。だとすると、自分たちより先に、日本から移されていないらしい鈴音やヴァーツ、ぷっとんたち情報復興庁の公務員たちを見つけ出し保護してもらう方が大事だ。
 そしてなにより一番ピンチな男を案じ、叶野と榎本の会話は盛り上がっている。
「えーっと、つまり三橋って今……」
「多分ロシアなんやけど、今どうしてるかはコッチサイドにはだーれも分からんし、船にログインしてる理由も分からへん」
「えええ……」
「仮想敵国はどこまでいっても敵や。冷戦、いや第二次のころからずーっと、ずーっと変わらへん。アメリカのやることなすこと、なんもかも憎いて感じや。脳波コンの技術も奪いたくて奪いたくてしゃーないんやろ?」
「だからって三橋とばっちりだろ」
「俺らだってそうやないか」
「……まぁな! だよな!」
 榎本がやけになった声で笑う。叶野は世間話のように機密をベラベラとしゃべった。
「東側、今回だと99%ロシアなんやけど。情勢と事情、姉御は何か知っとったらしいで。知らんけど」
 みずきの肩が揺れ、榎本のわざとらしい声が続く。
「そうなのか? じゃあなんかしら手は打ってるだろ?」
 姉御ことBJオーナー・タツタは、一体どこまで知っていたのだろうか。
 戦争の火種のようなものだ。表沙汰にはなっていないが、日本人をロシアが拉致したとなればそれなりに大ごとだ。みずきたちを拉致した犯人がタツタだとすれば日本人同士とも言えるが、三橋だけは確実に他国が絡む。
 よっぽど軍事に長けた人物なのだろう。みずきはタツタの人物像を屈強な女軍人に変更した。きっと顔に傷があり、アサルトライフルを肩に担いで葉巻を吸っているに違いない。
「どうやろ。こっちの害にならない限りはなんも……てかそんな余裕あらへん! スパイしとって捕まった俺の手まで借りたい言うて、手錠も外して手伝わされとるんや! 三橋一人のために西と東とでバチバチがドンパチなるルート、選ぶか?」
「選ばないだろうな」
「せやろ!?」
 急に心配になって来た。三橋一人だけがイレギュラーなのは間違いない。
「じゃあ三橋は……」
「誰にも助けられず、蚊帳の外だった社会主義国に無理やり現場へ突っ込まれた挙句、『船』が破綻したら用済み。そうなら多分……消されるやろ」
「ひいっ」
「だって、俺かてそうだった訳で。うーん、ロシアからあのサーバーにどうやって接続してるのか不思議なんやけど。ま、向こうも色々探ってやり方ぐらいは探してこれたんかもなぁ。ああ三橋、なんて可哀想なやつ」
 叶野は全く不真面目に三橋の境遇を嘆いたが、榎本は難しそうな顔で悩んでいた。眉間にしわが寄っている。叶野は慌てて明るく取り繕った。
「三橋……」
「あ、ああっ、大丈夫や! 三橋には生体ビーコンついとるはずやし!」
「せいたい、びーこん?」
「せや。GPSの信号を暗号化して発信できる代物で、信号の偽造は出来ない上に、暗号化解除のキーは電子と物理の……あ、分かってないやろ」
「専門家と一般人比べんな」
「せやった……凄まじい才能の持ち主なだけで、一般知識しか持っとらんのか。ギャップやば」
「何がだよ。三橋がなんだ、アレか? 居場所が伝わるアイテム装備してるってか?」
「簡単に言えばまぁ、そんな感じや。便利やで。多分社長ももう動いとるはず」
「へぇ~ほぉ~」
 榎本の声に隠れる本意がみずきには分かる。長年のカンだが、この声は恐らく「にしては三橋の救出遅いんじゃねぇの?」とか「そんな便利なものがありながらまだ救助出来てないのかよクソが」といった内容だろう。
「あんまり期待しないでおく。三橋のことはもう少し考えるか」
「エライなぁ」
「他のヤツに比べりゃ心にゆとりあるからな。お前も根詰めすぎるなよ、叶野」
「うわイケメン発言! 榎本ってもしかしてモテるん?」
「ただのパリピ。全然モテない」
「おいガルド! 全然じゃないだろ、嘘言うなよ!」
「モテたところ見たことない」
「くうっ! いや、お前の前では……確かに……」
「へぇ~。じゃあ男にモテるんちゃう? いい身体しとるし」
「叶野」
「え?」
「よく分かったな」
「えええ……マジ?」
「マジ」
「俺、もう二度と一人でサウナ行かないって決めてるからな」
「あっ、なんか地雷やったん? ウケ狙いやったんだけど」
「ほーそうか、俺はてっきりお前にもその気があるんだとばかり」
「冗談やって! いや、男女問わず優しいのってエエよな! 懐デカイ証拠や」
「モテなかったら意味ないんだよ。アッチに居るのだって全員顔見知りだしな。昔はよくフロキリ新規の女子プレイヤーに声かけて、初心者向けのレクチャーとかしてだなぁ……」
「あからさまな出会い厨でワラ
「ちっげーよ、懐デカイって意味でやってた自治活動だよ!」
「赤マントの白騎士装備で」
「うわなにそれ面白! 絵面オモロ!」
「お前ログインしたら覚えてろよ叶野! 赤革ボール着せてやるから!」
「っふふ」
「え、嬢ちゃんがウケてる! なにそれ、ボール? ヤバイんか?」
「初心者に酷い、榎本」
「お前だって田岡に月代さかやき装備プレゼントしてたろうが」
「さかやき?」
「っはは。アレは可愛かった」
「可愛いん? 見たいー」
「月代ってあれだぞ、ちょんまげ。この辺剃るやつ」
「ちょんまげ!? 可愛いんか、ソレ!?」
 榎本が自分の頭頂部に指で丸を描く。叶野は笑い、みずきは田岡を思い出して笑った。榎本も笑っている。
「っはは! そういやむかーし、ベルベットの奴も一時期月代頭装備愛用してたな。可愛い~とか言って」
「ちょんまげが可愛いてどんな感性や! ハゲやぞ!?」
「だよなあ。あはは」
 みずきは懐かしい名前に目を細めた。ベルベットなら、きっとなんでも可愛いと言うに違いない。カッコいいものや美しいものにはそのまま褒め言葉を使う人だったが、逆のマイナスイメージがあるものには全て可愛いと強引に褒め、プラスのイメージを無理やりにつけようとしていた。
「『恰好が可愛いのも良いけど、その人がそんな恰好をしてるって事実が可愛い事の方が多い』って、ベルベットが言ってた」
「それアレやろ。ギャップ萌えとかいうやつ」
「田岡がハゲになるなんて普通だろ。年齢的に」
「あー言いおったな!? 田岡さんは頭ふさふさですぅ~、これからもハゲません~」
「確かに、トレースアバターの髪を見る限りは毛根元気だよな」
「せやろ? 田岡さんなんかまだまだ元気なお人や。早うお孫さんの顔、見せたりたくてな」
「孫」
「孫?」
「……中に入ったら伝えてやってくれへんか? 田岡さんの娘さん、子ども、生まれてん。もうすぐ二歳や」
「ええーっ!? 孫ぉ!?」
 榎本が大声を上げて驚いている。みずきは内心驚きながらリアクションは取らない。案の定、夜叉彦のポッド近くでシリンジを操作している男性スタッフがぎろりと睨みつけてきた。
「しーっ」
「悪い……おい、名前! 孫の名前なんていうんだ!?」
「真子ちゃん」
「おー渋いなぁ。女の子か」
「せや。写真はいまちょっとないんやけど、えらい可愛らしい子やったで。ま、田岡さん離婚しとるし、娘さんと仲いいわけではないし。ちょっと複雑やろうけど」
「バツイチってのはどっかで聞いたな……」
「でも孫って特別可愛いっていうやろ? 生きる希望になるとええなー思うて」
「……そうだな」
 田岡の嬉しそうな顔を想像する。みずきと榎本は良い土産話が出来たと笑い合った。
 その笑い声に混ざっていた叶野が急に声量を落とし、遠い目をする。
「……また閉じ込められるっちゅうんに、ようそんな……」
「希望に溢れてるからな」
「どこがや……希望なんてそんな……」
 叶野はどことなく寂しそうだ。悲痛な面持ちで榎本と話し、そしてみずきを見る。
「逃げ出せればどんなにいいか。きっと嬢ちゃんかて、ご両親が……」
「大丈夫。母も強いし、父はもっと強い」
「あの三橋を鍛え上げた男だぜ。コイツの両親も生存を信じてくれてるだろ」
「……三橋の名前、なんで今出るん?」
「え?」
「おーっと、お前が知らないって逆になんでだよ。佐野みずきって知ってんだろ?」
「え?」
「ん?」
 叶野の表情が凍り付く。続けて眉間にしわを寄せてみずきの顔を凝視し、頭の先からつま先までじろじろと眺めてきた。一旦上を向いて熟考したあと、顔色を青くして息を呑む。
「は……ひっ、まさか!?」
「あー、そうか。お前も捕まるの早かったんだな」
「三橋は『佐野の娘』を探してた。父から聞いてたんだと思う」
「さ、佐野さんの!? うっそ、え、ホンマ!?」
 確かめるように顔をべたべたと触ってくる叶野にされるがまま、みずきは深く一回頷いた。
「佐野ひとしの娘!? に、似てるかも!? いや分からんて! えーっと、ちょい待ち。佐野さんの娘さんが佐野みずき? その佐野みずきと、えっと、BJ01やろ?」
「そう」
「BJ01が佐野さんの娘さん?」
「だから、そうだって言ってる」
「BJ01、ガルドって名前なんやろ?」
「う、ああ、まぁ……」
「中で会った時は男やったろ」
「……」
「……」
「男、やろ?」
 みずきは「しまった」と、思わず声に出しながら榎本の方を見た。
「……あれは……あれじゃないやつだ。うん」
「混乱するから素直に言おう、榎本。叶野……あの黒い鎧の、金髪の大剣使いが自分」
「あああ、どういうことなん!? えーっ!? オッサンやん!」
 叶野の悲鳴が部屋に反響する。みずきは苦笑いで誤魔化した。
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