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25 親しみと慕う心
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会計を終えて店を出るところだったらしいガルドの舎弟兼戦友・ボートウィグは、そのままガルドと榎本が座るテーブルに居座った。
「帰れよ、帰ってさっさと寝ろよ」
「やです」
「隈、すごい」
「お恥ずかしい……仕事を掛け持ちしてまして、ここ数日ろくに寝てないんすよ~」
そう言って困った顔をする彼に驚かされる。プレイ時間をそこから捻出するのは大変だろう。
「無茶するなぁ、金やばいのか?」
「いやいや、どっちも半分趣味みたいなもんなんです。ちょーっと加減を間違えたというか……」
店員にお冷やを頼みながら、ボートウィグが忙しい原因を語りだす。
「本業、ちっちゃな工場なんですがね? ふふ、有志が集まって趣味でロケット作ってるんですよ!」
そのロケットというロマンを秘めた単語に、榎本もガルドも興味が湧く。技術が進歩したとはいえ、一般企業が趣味で弄れるようなものではない。夢のような話に榎本が身を乗り出した。
「随分面白そうなことしてんだな! ロケットって趣味で出来るのかよっ」
ビーチバレーボールほどの大きさを手でジェスチャしながら、ボートウィグは楽しげに語った。
「こーんなサイズで、僕たちはハード専門ですよ。外側だけ作るんです。中身は取引先のSEとかPGとか、仲良くしてもらってる半導体メーカーの宇宙研究サークルが調達してくれるんです」
「他の会社、巻き込んでるのか」
「半分金の絡む事業形態になってきてますよ。わざわざ横浜から江東区まで大型トラック出してくれるなんて、趣味の域越えてますよね~。だから僕らも仕事早く片付けて、そっちに力入れて、全員徹夜で午前様です。本業に支障がでちゃいそうですよ」
ガルドの耳に引っ掛かるキーワードが現れる。
「横浜?」
「え? ええ。衛星搭載用半導体デバイスとか、新型だから放射線照射の実証実験データくれれば費用はもってくれるとかで……わざわざ持ってきてくれたんです」
「太っ腹な会社だ」
「そりゃ金持ちですもん。【ファウンド・リコメンド】ってとこですよ。耳馴染みはないかもしれないですけど、業界じゃ有名な大企業で……」
「おい!」
「ああ!」
榎本とガルドが佇まいをガラリと変える。真剣な面持ちで彼に向き合った。
「え? え? どうしたんです?」
「最近その会社にフルダイブ機持ち込まれなかったか!? 横浜なんだろ!?」
詰めよってそう尋ねる榎本に目を丸くしながら、ボートウィグは記憶を掘り返し返答する。
「日本支社はそこと鹿児島にしかないですからね~。うーん、そういやそんなこと七重さんが言ってたような……宣伝で付き合いのある会社から廃棄処理頼まれて、廃棄のお礼金貰ったけど、逆に金払いたくなるくらいスッゴいモデルだったって。捨てるなんて出来ないって、社内でコントローラ持ってる奴が昼休みに潜りまくってるって自慢してきて……ひどいっすよね!」
長めのため息をつきながら、ボートウィグは「俺もダイブしまくりたい……最近週一も出来てない」と愚痴った。
榎本は笑みが隠せない。思わぬ場所からガルドの愛機の所在が出てきたものだ。ガルドも喜びを隠さずに、ボートウィグに指令を飛ばす。四年もの付き合いのなかで、彼や彼の属するギルド「鈴音舞踏絢爛衆」の取り扱いには慣れていた。
一言で表現すると、彼ら鈴音はロンド・ベルベットの親衛隊のような立場にいる。そして、ボートウィグはガルドのサポートをするためだけに鈴音に加入した。頼み事をすれば全力で答えてくれる、気心の知れた相手だった。
「ボートウィグ」
「どーしました、閣下」
「頼みがある」
「おっふぉ! なんなりとぉー!」
「向こうでのテンション、こっちでも変わらないのかよ……」
ガルドの従順な舎弟は気持ちの良い返事をする。リアルでされると若干恥ずかしいものの、問題解決の良い足掛かりが歩いてきたことに感謝していた。
ガルド達の食事と事情説明、リアルに関する雑談が一通り済むと、ボートウィグが一つ大きなあくびをした。
眠そうだ。榎本とガルドは彼の体調を気遣い解散を切り出す。最初はごねた彼も、ガルドの「明日の朝メッセージ送るから」の一言で素直になった。
三人揃って店舗を出ると、夜も更けてきていた。暗くなった上野駅前を足早に帰宅する背広とコート姿が特に多い。観光客は寒さに息を白くしながら店を冷やかしている。
紺色のメンズマフラーを首に回しながら、ボートウィグがガルドに振り返り賛辞を重ねた。
「しっかし閣下、えらい可愛らしい! ギャップ萌え半端ないっす」
「るっせぇ! そういう見方すんじゃねぇ!」
「分かってますって。もちろん忠誠心は変わらないです!」
そう言ってガルドの少女らしい小さな手を取ろうとするボートウィグを、榎本が無言のまま手刀で打つ。体育会系による本気の手刀に、ボートウィグは「ひん!」と悲鳴をあげた。
「うえーん、閣下の相棒がいつのまにかボディガードになってるー」
「よく言うぜ……言いふらすんじゃねーぞ?」
そう釘を刺すものの、榎本は無駄だとも思っていた。こうして街でエンカウントする可能性も、特に口止めしている訳ではないギルド前線メンバーから漏れることもあるだろう。
「はいはい、りょーかい。あ、【ファウンド・リコメンド】の方は任せてください。これ以上の使用禁止と回収、ご自宅までの輸送、承ります! 僕が!」
手を広げ仰々しくアピールし、榎本の呆れ顔とガルドの小さなアルカイックスマイルを浴びる。
「お前かよ。まぁ誰でもいいけどな」
「責任持って運びますんで!」
「ん」
満足げに頷くガルドに、ボートウィグは嬉しくなった。敬愛する閣下の喜ぶ顔が嬉しくてたまらない。いつものゴツい顔ではないが、西洋人形のような麗らかな顔立ちに痺れてしまいそうだった。
「じゃ帰ろうぜ、またなボートウィグ」
「あ、駅までご一緒します!」
「いや、俺たち徒歩だから」
「あえ?」
もさもさした髪の毛を揺らして驚く彼に、榎本が内心舌打ちする。帰る家が同じだとバレれば過剰に反応することだろう。さっさと切り上げるに限る。
「じゃーな」
「え、ちょっとちょっと! 榎本さん?」
「……あとで連絡する。交渉厳しそうなら、所有証明書と個人ナンバー持って一緒に乗り込むから」
「ハイ! ありがとうございます!」
未成年の少女にくたびれたサラリーマンが直角にお辞儀する光景はよく目立つ。道行く老夫婦がこちらを凝視しながら通過した。
恥ずかしくなった榎本がパンパン手を叩きながら帰宅を促す。
「はいはい、解散!」
「ああ、お疲れ。楽しかった、ウィグ」
「こちらこそっ! おつかれっしたー!」
ガルドの言葉ひとつで気が紛れるのだから、現金な男である。
上野駅の喧騒に、青白い顔を少々赤らめたボートウィグがまぎれてゆく。真冬だと言うのに、心は真夏の入道雲が映える青空のように晴れやかだった。
後日。
彼は撮影したガルドの素顔をプリントアウトして財布に入れた。大層大事に持ち歩き、仕事が辛いときにはそれを眺めていた。
「え、なにその写真!」
「あ、え、ああっ!」
「読モ!? アイドル!? うっわ、チョーカワイーじゃん!」
後輩の若い金髪に覗き込まれ、ボートウィグは自信満々にこう宣言した。これだけは間違いなく断言できる。
「僕がファン第一号なんだよ!」
自分でプリントしたそれは、間違いなく世界に一枚のブロマイドであった。
上野の駅から足早に離れる。
人の波に逆らうようにずんずんと榎本が大股で歩き、ガルドはその後ろを小走りに歩いた。雪道を歩くときによくやる手法で、ガルド達からすればそれは行軍の行進である。前をガルドが担当することもあるが、今回はそうはいかなかった。
一つ角を曲がり、奥へ奥へと裏路地を縫う。
完全に駅に向かった彼の死角まで離れてから、二人は堰を切ったように会話を再開した。
「ビックリした」
「だなっ!……あれでよかったのか?」
「ボートウィグなら大丈夫」
「それだよ。アイツはマシな方だからいい。アキバのオフ会からまだ一ヶ月だってのに、早速一人見つかった。他の荒っぽい奴とか、阿国みたいな奴とかに出くわすの、こりゃあ時間の問題だな」
「それは困る」
ガルドは背筋を這い寄るぞくりとした気配を感じた。寒いからというのもあるだろう。真っ白なマフラーを鼻の辺りまで引き上げながら、肩をすくめる。
周囲の善意にも悪意にもどこか鈍いガルドだが、唯一危機感を示しているのが阿国という女性プレイヤーだった。
「阿国だけじゃない、バックドアつけやがった犯人、まだ誰だかわかってないんだぞ」
「もう二年前だ」
「まだ二年だ」
長年ガルドの側で相棒をしている榎本としては、あともう三~四人ほど要注意プレイヤーがいる。その昔、ギルマス・ベルベットに付きまとっていた要注意プレイヤー最多人数が十三人だったことを考えるとかなり少ない。しかしギルマスの住まいは北海道だったため特に問題なかったらしい。
首都圏に住むガルドは状況が大きく違う。何か対策を取らなくてはならないだろう。榎本はうっかり忘れていたその事実を思い、かちりと歯を噛んだ。
「参ったなぁ……こういうことは言いたくないが、フロキリのプレイヤー全員が清廉で心優しいとは限らない。酷い奴もいる。歪んだ性癖の奴、ネットストーカー予備軍なんかは想像より多いだろうな」
道がすらダイドードリンコの自販機で立ち止まると、榎本は腰のベルトループに引っかけていたものを引き伸ばす。
モノクロのグラフィティを型どったそれは、BMX世界大会のロゴ型電子マネーカードだ。リールからコードが伸びる、カチカチというプラスチック音がする。
隣の彼女に何が飲みたいのか尋ねることもせず、旗が斜めになったパッケージのコーヒーを二本購入した。往年のロングセラー商品である。不味いわけがない。
マネーカードを持ったまま、親指をドリンク選択画面にしっかりタッチした。選択した際の親指の一部を読み取り、カードの指紋データを照合してはじめて支払いが完了する。小銭を入れなくて済む分、ひと昔前より素早く購入できるようになった。
それでも商品そのものは昔と大差ない。古来から缶は保存に適していて、暖かい缶は手をじんと暖めた。
二人でホットコーヒーを飲み歩きしながら帰宅する。一本道を外れるとあっというまに喧騒が遠くなり、住宅地沿いの道は二人だけの空間になった。
「……町中自立型街頭監視情報傍受システムだらけのお陰で、コソ泥だの露出魔だのの犯罪はめっきりなくなった。だが怨恨からくる凶悪な事件は変わらない。『あんたを殺して私も死ぬ』とか言う奴だぞ? どうしたってその辺りは自分で自分を守るしかない」
今も超上空を飛行する「警察の目」を傍目に、ガルドはコーヒーに口をつける。甘いが、暖かい。安心できる味だった。空の目も同じだと思う。
防犯目的のAIが常に身近にあることに、今の若い世代は慣れきっている。見られていると感じることはあまりない。AIの回路はかなり甘く出来ており、抜け穴が多いこともよく知られていた。
ワイドショーでは「システムの穴を突いてくる犯罪を防ぐのは、結局人間の目! 相互監視を!」という特集が定期的に組まれる。ご近所同士見張り合うなどという方が、ガルドには気持ち悪い視線だった。
「分かってるか? ガルド」
榎本が肩越しに振り返りつつ言う。
「お前、標的にされかねないんだよ。フロキリ日本サーバーのトッププレイヤーで、人気的な意味でもトップランクだ」
「ロンベル全員そうだ……夜叉彦の方がむしろ人気」
「あいつのストーカーは若干お前のと違うし、つかお前ソロの頃から……まぁいい、それよりその顔! お前美人な顔してる自覚あんのかよ!」
「……びじん?」
「ぁー……」
榎本は頭を抱えた。発言をどこかずれた意味合いで聞き取る癖があるのは気付いていたが、ここまでとは思わなかった。
「じゃあ今言うぞ、お前可愛いからな。いいか? 世の中の限られた美人しか選ばれないミスコンとかモデルとか、そういうレベルに綺麗な顔をしてる。分かったか?」
「……もしかして褒められてる?」
「もしかしなくても褒めてる!」
もうすぐ榎本の自宅が見えてくる辺りまで来ているのだが、ガルドはピタリと足を止めた。容姿を褒めているようなニュアンスの言葉は、今まで何度か聞いたことがある。だがその全てを「父が選んだ服」や「制服」、「子どもの頃ずっと抱えていた人形」「美容院にお任せした髪型」などに向けられているとばかり思っていた。幼少期からそうだった。
大体、周りも同様に褒められていたではないか。自分だけ容姿が突出しているなど考えたことがなかった。メイクもろくにしないのだ。むしろ同級の佐久間や宮野の方が数倍かわいいと思う。
それに、お世辞だと思っていた。女性を見ればとりあえず容姿を褒めろ。男相手には一歩後ろを歩き、甘えて頼れ。そう母に教わったのだ。
みなそうしているのだと思っていた。榎本だってそうだろう。念のためガルドは尋ねてみることにした。
「お世辞?」
「お前なんかに世辞なんか言うかよ」
「確かに」
ぐうの音もでない。
その上、自分にお世辞を言う榎本を想像し、鳥肌が立った。ブルリと震える。やけに顔だけが暑いが、全身は寒さがしみて、とにかく早く帰りたい。止まっていた足を駆け足に変えエントランスに駆け込む。
「照れてんのか?」
後ろでそうニヤニヤしながら言う榎本に、悔しく思う。図星だった。恥ずかしくて、指摘された顔を晒せない。美人とはつまり、綺麗ということなのだろう。綺麗などと言われるのは、あの母親だけで十分だった。また母だ。母親に似たくもないのに似てしまった、この顔の原因を恨みを込めて思い出す。
ガルドはこじつけと分かっていたが、母親に責任転嫁し勝手に怒った。
一通り照れ怒り混乱した後、ガルドは自分で自分を叱った。問題から逃げる自分に、今度こそ立ち向かえと叱咤激励を飛ばした。
とりあえず、そういうことにしておこう。「一部の人間に可愛いと思われる容姿らしい」ということにし、社会一般ではよく居る女だと再認識する。
まだズレがあることに、ガルドは気付かない。
こういうときはさっさと潜るに限る。アバターのガルドを美人だというようなものは誰もいない。こんな、理解しがたい気持ちになることはないだろう。
「……これで危機感が芽生えるといいんだが」
後ろで榎本がそう呟きながら追いかけた。
「帰れよ、帰ってさっさと寝ろよ」
「やです」
「隈、すごい」
「お恥ずかしい……仕事を掛け持ちしてまして、ここ数日ろくに寝てないんすよ~」
そう言って困った顔をする彼に驚かされる。プレイ時間をそこから捻出するのは大変だろう。
「無茶するなぁ、金やばいのか?」
「いやいや、どっちも半分趣味みたいなもんなんです。ちょーっと加減を間違えたというか……」
店員にお冷やを頼みながら、ボートウィグが忙しい原因を語りだす。
「本業、ちっちゃな工場なんですがね? ふふ、有志が集まって趣味でロケット作ってるんですよ!」
そのロケットというロマンを秘めた単語に、榎本もガルドも興味が湧く。技術が進歩したとはいえ、一般企業が趣味で弄れるようなものではない。夢のような話に榎本が身を乗り出した。
「随分面白そうなことしてんだな! ロケットって趣味で出来るのかよっ」
ビーチバレーボールほどの大きさを手でジェスチャしながら、ボートウィグは楽しげに語った。
「こーんなサイズで、僕たちはハード専門ですよ。外側だけ作るんです。中身は取引先のSEとかPGとか、仲良くしてもらってる半導体メーカーの宇宙研究サークルが調達してくれるんです」
「他の会社、巻き込んでるのか」
「半分金の絡む事業形態になってきてますよ。わざわざ横浜から江東区まで大型トラック出してくれるなんて、趣味の域越えてますよね~。だから僕らも仕事早く片付けて、そっちに力入れて、全員徹夜で午前様です。本業に支障がでちゃいそうですよ」
ガルドの耳に引っ掛かるキーワードが現れる。
「横浜?」
「え? ええ。衛星搭載用半導体デバイスとか、新型だから放射線照射の実証実験データくれれば費用はもってくれるとかで……わざわざ持ってきてくれたんです」
「太っ腹な会社だ」
「そりゃ金持ちですもん。【ファウンド・リコメンド】ってとこですよ。耳馴染みはないかもしれないですけど、業界じゃ有名な大企業で……」
「おい!」
「ああ!」
榎本とガルドが佇まいをガラリと変える。真剣な面持ちで彼に向き合った。
「え? え? どうしたんです?」
「最近その会社にフルダイブ機持ち込まれなかったか!? 横浜なんだろ!?」
詰めよってそう尋ねる榎本に目を丸くしながら、ボートウィグは記憶を掘り返し返答する。
「日本支社はそこと鹿児島にしかないですからね~。うーん、そういやそんなこと七重さんが言ってたような……宣伝で付き合いのある会社から廃棄処理頼まれて、廃棄のお礼金貰ったけど、逆に金払いたくなるくらいスッゴいモデルだったって。捨てるなんて出来ないって、社内でコントローラ持ってる奴が昼休みに潜りまくってるって自慢してきて……ひどいっすよね!」
長めのため息をつきながら、ボートウィグは「俺もダイブしまくりたい……最近週一も出来てない」と愚痴った。
榎本は笑みが隠せない。思わぬ場所からガルドの愛機の所在が出てきたものだ。ガルドも喜びを隠さずに、ボートウィグに指令を飛ばす。四年もの付き合いのなかで、彼や彼の属するギルド「鈴音舞踏絢爛衆」の取り扱いには慣れていた。
一言で表現すると、彼ら鈴音はロンド・ベルベットの親衛隊のような立場にいる。そして、ボートウィグはガルドのサポートをするためだけに鈴音に加入した。頼み事をすれば全力で答えてくれる、気心の知れた相手だった。
「ボートウィグ」
「どーしました、閣下」
「頼みがある」
「おっふぉ! なんなりとぉー!」
「向こうでのテンション、こっちでも変わらないのかよ……」
ガルドの従順な舎弟は気持ちの良い返事をする。リアルでされると若干恥ずかしいものの、問題解決の良い足掛かりが歩いてきたことに感謝していた。
ガルド達の食事と事情説明、リアルに関する雑談が一通り済むと、ボートウィグが一つ大きなあくびをした。
眠そうだ。榎本とガルドは彼の体調を気遣い解散を切り出す。最初はごねた彼も、ガルドの「明日の朝メッセージ送るから」の一言で素直になった。
三人揃って店舗を出ると、夜も更けてきていた。暗くなった上野駅前を足早に帰宅する背広とコート姿が特に多い。観光客は寒さに息を白くしながら店を冷やかしている。
紺色のメンズマフラーを首に回しながら、ボートウィグがガルドに振り返り賛辞を重ねた。
「しっかし閣下、えらい可愛らしい! ギャップ萌え半端ないっす」
「るっせぇ! そういう見方すんじゃねぇ!」
「分かってますって。もちろん忠誠心は変わらないです!」
そう言ってガルドの少女らしい小さな手を取ろうとするボートウィグを、榎本が無言のまま手刀で打つ。体育会系による本気の手刀に、ボートウィグは「ひん!」と悲鳴をあげた。
「うえーん、閣下の相棒がいつのまにかボディガードになってるー」
「よく言うぜ……言いふらすんじゃねーぞ?」
そう釘を刺すものの、榎本は無駄だとも思っていた。こうして街でエンカウントする可能性も、特に口止めしている訳ではないギルド前線メンバーから漏れることもあるだろう。
「はいはい、りょーかい。あ、【ファウンド・リコメンド】の方は任せてください。これ以上の使用禁止と回収、ご自宅までの輸送、承ります! 僕が!」
手を広げ仰々しくアピールし、榎本の呆れ顔とガルドの小さなアルカイックスマイルを浴びる。
「お前かよ。まぁ誰でもいいけどな」
「責任持って運びますんで!」
「ん」
満足げに頷くガルドに、ボートウィグは嬉しくなった。敬愛する閣下の喜ぶ顔が嬉しくてたまらない。いつものゴツい顔ではないが、西洋人形のような麗らかな顔立ちに痺れてしまいそうだった。
「じゃ帰ろうぜ、またなボートウィグ」
「あ、駅までご一緒します!」
「いや、俺たち徒歩だから」
「あえ?」
もさもさした髪の毛を揺らして驚く彼に、榎本が内心舌打ちする。帰る家が同じだとバレれば過剰に反応することだろう。さっさと切り上げるに限る。
「じゃーな」
「え、ちょっとちょっと! 榎本さん?」
「……あとで連絡する。交渉厳しそうなら、所有証明書と個人ナンバー持って一緒に乗り込むから」
「ハイ! ありがとうございます!」
未成年の少女にくたびれたサラリーマンが直角にお辞儀する光景はよく目立つ。道行く老夫婦がこちらを凝視しながら通過した。
恥ずかしくなった榎本がパンパン手を叩きながら帰宅を促す。
「はいはい、解散!」
「ああ、お疲れ。楽しかった、ウィグ」
「こちらこそっ! おつかれっしたー!」
ガルドの言葉ひとつで気が紛れるのだから、現金な男である。
上野駅の喧騒に、青白い顔を少々赤らめたボートウィグがまぎれてゆく。真冬だと言うのに、心は真夏の入道雲が映える青空のように晴れやかだった。
後日。
彼は撮影したガルドの素顔をプリントアウトして財布に入れた。大層大事に持ち歩き、仕事が辛いときにはそれを眺めていた。
「え、なにその写真!」
「あ、え、ああっ!」
「読モ!? アイドル!? うっわ、チョーカワイーじゃん!」
後輩の若い金髪に覗き込まれ、ボートウィグは自信満々にこう宣言した。これだけは間違いなく断言できる。
「僕がファン第一号なんだよ!」
自分でプリントしたそれは、間違いなく世界に一枚のブロマイドであった。
上野の駅から足早に離れる。
人の波に逆らうようにずんずんと榎本が大股で歩き、ガルドはその後ろを小走りに歩いた。雪道を歩くときによくやる手法で、ガルド達からすればそれは行軍の行進である。前をガルドが担当することもあるが、今回はそうはいかなかった。
一つ角を曲がり、奥へ奥へと裏路地を縫う。
完全に駅に向かった彼の死角まで離れてから、二人は堰を切ったように会話を再開した。
「ビックリした」
「だなっ!……あれでよかったのか?」
「ボートウィグなら大丈夫」
「それだよ。アイツはマシな方だからいい。アキバのオフ会からまだ一ヶ月だってのに、早速一人見つかった。他の荒っぽい奴とか、阿国みたいな奴とかに出くわすの、こりゃあ時間の問題だな」
「それは困る」
ガルドは背筋を這い寄るぞくりとした気配を感じた。寒いからというのもあるだろう。真っ白なマフラーを鼻の辺りまで引き上げながら、肩をすくめる。
周囲の善意にも悪意にもどこか鈍いガルドだが、唯一危機感を示しているのが阿国という女性プレイヤーだった。
「阿国だけじゃない、バックドアつけやがった犯人、まだ誰だかわかってないんだぞ」
「もう二年前だ」
「まだ二年だ」
長年ガルドの側で相棒をしている榎本としては、あともう三~四人ほど要注意プレイヤーがいる。その昔、ギルマス・ベルベットに付きまとっていた要注意プレイヤー最多人数が十三人だったことを考えるとかなり少ない。しかしギルマスの住まいは北海道だったため特に問題なかったらしい。
首都圏に住むガルドは状況が大きく違う。何か対策を取らなくてはならないだろう。榎本はうっかり忘れていたその事実を思い、かちりと歯を噛んだ。
「参ったなぁ……こういうことは言いたくないが、フロキリのプレイヤー全員が清廉で心優しいとは限らない。酷い奴もいる。歪んだ性癖の奴、ネットストーカー予備軍なんかは想像より多いだろうな」
道がすらダイドードリンコの自販機で立ち止まると、榎本は腰のベルトループに引っかけていたものを引き伸ばす。
モノクロのグラフィティを型どったそれは、BMX世界大会のロゴ型電子マネーカードだ。リールからコードが伸びる、カチカチというプラスチック音がする。
隣の彼女に何が飲みたいのか尋ねることもせず、旗が斜めになったパッケージのコーヒーを二本購入した。往年のロングセラー商品である。不味いわけがない。
マネーカードを持ったまま、親指をドリンク選択画面にしっかりタッチした。選択した際の親指の一部を読み取り、カードの指紋データを照合してはじめて支払いが完了する。小銭を入れなくて済む分、ひと昔前より素早く購入できるようになった。
それでも商品そのものは昔と大差ない。古来から缶は保存に適していて、暖かい缶は手をじんと暖めた。
二人でホットコーヒーを飲み歩きしながら帰宅する。一本道を外れるとあっというまに喧騒が遠くなり、住宅地沿いの道は二人だけの空間になった。
「……町中自立型街頭監視情報傍受システムだらけのお陰で、コソ泥だの露出魔だのの犯罪はめっきりなくなった。だが怨恨からくる凶悪な事件は変わらない。『あんたを殺して私も死ぬ』とか言う奴だぞ? どうしたってその辺りは自分で自分を守るしかない」
今も超上空を飛行する「警察の目」を傍目に、ガルドはコーヒーに口をつける。甘いが、暖かい。安心できる味だった。空の目も同じだと思う。
防犯目的のAIが常に身近にあることに、今の若い世代は慣れきっている。見られていると感じることはあまりない。AIの回路はかなり甘く出来ており、抜け穴が多いこともよく知られていた。
ワイドショーでは「システムの穴を突いてくる犯罪を防ぐのは、結局人間の目! 相互監視を!」という特集が定期的に組まれる。ご近所同士見張り合うなどという方が、ガルドには気持ち悪い視線だった。
「分かってるか? ガルド」
榎本が肩越しに振り返りつつ言う。
「お前、標的にされかねないんだよ。フロキリ日本サーバーのトッププレイヤーで、人気的な意味でもトップランクだ」
「ロンベル全員そうだ……夜叉彦の方がむしろ人気」
「あいつのストーカーは若干お前のと違うし、つかお前ソロの頃から……まぁいい、それよりその顔! お前美人な顔してる自覚あんのかよ!」
「……びじん?」
「ぁー……」
榎本は頭を抱えた。発言をどこかずれた意味合いで聞き取る癖があるのは気付いていたが、ここまでとは思わなかった。
「じゃあ今言うぞ、お前可愛いからな。いいか? 世の中の限られた美人しか選ばれないミスコンとかモデルとか、そういうレベルに綺麗な顔をしてる。分かったか?」
「……もしかして褒められてる?」
「もしかしなくても褒めてる!」
もうすぐ榎本の自宅が見えてくる辺りまで来ているのだが、ガルドはピタリと足を止めた。容姿を褒めているようなニュアンスの言葉は、今まで何度か聞いたことがある。だがその全てを「父が選んだ服」や「制服」、「子どもの頃ずっと抱えていた人形」「美容院にお任せした髪型」などに向けられているとばかり思っていた。幼少期からそうだった。
大体、周りも同様に褒められていたではないか。自分だけ容姿が突出しているなど考えたことがなかった。メイクもろくにしないのだ。むしろ同級の佐久間や宮野の方が数倍かわいいと思う。
それに、お世辞だと思っていた。女性を見ればとりあえず容姿を褒めろ。男相手には一歩後ろを歩き、甘えて頼れ。そう母に教わったのだ。
みなそうしているのだと思っていた。榎本だってそうだろう。念のためガルドは尋ねてみることにした。
「お世辞?」
「お前なんかに世辞なんか言うかよ」
「確かに」
ぐうの音もでない。
その上、自分にお世辞を言う榎本を想像し、鳥肌が立った。ブルリと震える。やけに顔だけが暑いが、全身は寒さがしみて、とにかく早く帰りたい。止まっていた足を駆け足に変えエントランスに駆け込む。
「照れてんのか?」
後ろでそうニヤニヤしながら言う榎本に、悔しく思う。図星だった。恥ずかしくて、指摘された顔を晒せない。美人とはつまり、綺麗ということなのだろう。綺麗などと言われるのは、あの母親だけで十分だった。また母だ。母親に似たくもないのに似てしまった、この顔の原因を恨みを込めて思い出す。
ガルドはこじつけと分かっていたが、母親に責任転嫁し勝手に怒った。
一通り照れ怒り混乱した後、ガルドは自分で自分を叱った。問題から逃げる自分に、今度こそ立ち向かえと叱咤激励を飛ばした。
とりあえず、そういうことにしておこう。「一部の人間に可愛いと思われる容姿らしい」ということにし、社会一般ではよく居る女だと再認識する。
まだズレがあることに、ガルドは気付かない。
こういうときはさっさと潜るに限る。アバターのガルドを美人だというようなものは誰もいない。こんな、理解しがたい気持ちになることはないだろう。
「……これで危機感が芽生えるといいんだが」
後ろで榎本がそう呟きながら追いかけた。
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「どれくらい面白いのか、試してやろうじゃない。」
ゲームを一切やらない翠が、初めての体感出来る幻想郷へと体を委ねた。
それは、翠の想像を上回った。
「これが………ゲーム………?」
現実離れした世界観。
でも、確かに感じるのは現実だった。
初めて続きの翠に、少しづつ増える仲間たち。
楽しさを見出した翠は、気付いたらトップランカーのクランで外せない大事な仲間になっていた。
【Anotherfantasia……今となっては、楽しくないなんて絶対言えないや】
翠は、柔らかく笑うのだった。
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