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255 ブレイク、ジャパニーズ

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 みずきの狙いは「デマ情報」だった。突入部隊が地上の統括と連絡をリアルタイムで取り合っていると予想し、島の外の目を引き付けオトリになるのが目的だ。その間にAが他のコンタクターへ指示し、榎本ら五人の脱出準備を済ませる。
 いざ脱出となった時にはみずきも急ぎ合流し、追っ手が他の島へ探索に出るまで海に隠れるという算段だ。
 Aが言う通り、みずき達六人はハワイの島から出られない。Aが出ようと言ったところで、榎本ら五人を連れ出すことは不可能だ。二極や他の担当者がハワイ諸島からの脱出を許すとは思えない。
 作戦が上手くいかなかったときのことを考え、みずきは慎重に身を隠す。もし自爆などされては、みずき目身も生命の危機だ。手に汗が溜まってくる。ぬめりが酷い。
「……あれ?」
 あっけないほど、一向に何の動きもない。
 頭を出しすぎるとスナイピングされるのは、みずきが昔プレイしていたFPSで痛感している。タゲられないよう常時動きながら様子を見るのがセオリーだが、身体が本調子ではないみずきはぎくしゃくとしか動けない。
 Aが用意した盾装備のロボットアームに隠れながら、みずきは扉の向こうをガルドとして見る。
「……あ」
 トマレとみずきへ向かって叫んでいた兵士が、人には見えないネットワークの中で沈んでいる。耳を澄ませると悲鳴が聞こえた。扉の向こうで苦悶に震え、床に倒れ込んでいるらしい。銃のトリガーに掛かっていた指が痙攣したのか、突然脈絡なく一発銃声が聞こえる。壁を隔てたこちら側に当たるはずもないが、みずきはビクリと肩を張わせて驚いた。
「何が……」
 みずきは何もしていないが、Aに渡された補助システムが勝手に何かをしたのだとは分かった。びりびりと震えているように見える扉向こうの兵士たち全員のこめかみに、白い光が見える。刺激を受けている様子が「ガルド」の目にはゲーム的なエフェクトのように見えているだけで、実際はただ痙攣しているだけだ。
「す、ストップ! 止め!」
 みずきは止め方が分からない。
「こら、やめろ! お前……名前、えっと……」
 みずき自身のこめかみから接続している簡易デバイスと、そこから有線で繋がるノートPCに向かってみずきは話しかけた。すぐに無駄だと自分でも気付くが、それ以外に出来ることが無い。ノートPCを手に持ち、ブンブンと振って機能を止めようとする。だが止まらない。
「A!」
<それはボクではなくキミ自身なのでね>
「は?」
 通信越しのAは声が遠く、普段より離れているように感じる。
<今のキミは自立していて、ボクの支援は必要としていないのでね。補助AIだったソレも、キミに握られた瞬間自律はしなくなったのでね。キミの一部……キミの攻撃意思を受けて……ム、急ぎたまえ。こちらは脱出艇の準備が……>
「A、もっと詳しく」
<ザザザ>
「くそ」
 ノイズの向こうにAの声が遠のく。先ほどから変わらず圧のようなものをかけ続けているみずきの支援システムは兵士を昏倒させているが、このまま放置するのはみずきの正義に反する。みずきは自分の手足をもう一度意識してから、扉の向こうを感覚した。
 ガルドの剣撃は確かにみずきのイメージから生まれた。フロキリでは剣とアバターオブジェクトがぶつかった瞬間だけ計算されるダメージが、リアルではうまく終われなかったらしい。
「終わり……エンゲージ接敵ヒット当たり……ブレイク離脱!」
 脳内に四角形と線が勢いよく広がった。初めに敵とぶつかり、敵を攻撃し、何がどうなるか決まっていない撃破条件を満たしたら離脱——ブレイクする。四角で覆われた行動が線で結ばれていく。空欄の四角に、みずきは急いで撃破条件を埋めた。
「泣いたら終わり!」
 叫ぶ。女性兵士への光の攻撃が止まった。
「降参したら終わり!」
 続けて叫ぶ。床に倒れていた兵の、低い苦悶の声が扉の向こうから聞こえなくなった。
「五秒、目を閉じたら終わり! 『佐野みずき』が止まれと言ったら終わり!」
 みずきは気付いた。ガルドが「止まれ」と口にすれば止まったのだ。Aがキミと言っていたのはみずきのことで、ガルドとしての、大剣を振りかぶって敵兵を斬っていた存在とは別人だ。
 あれはなんだったのか、みずきは訳が分からないままもう一度呼び出す。
「佐野みずきでも、佐野みずきじゃなくても、とにかく今はお前がやるしかない……行くぞ、ガルド」
 みずきの脳波コンから伸びる仮想の通信線と繋がったが、剣を構えた。

 みずきのイメージが生んだ武器なのか、みずきから分離した別物の意識なのか、みずき本人にも正しいことは言えなかった。Aはみずきだと断言していたが、まだ若干違和感がある。
 ガルドが振るう剣はイーラーイの私兵の電気式装備を壊し、オンラインや無線をことごとく破壊し、挙句こめかみに埋め込まれた人工物に熱を持たせた。部屋をロボットアームで埋め尽くしながら、みずきは次の足止めに向かう。
 予定していた作戦はご破算だ。みずきは、わざと倒れている様子を敵兵に撮影させ、彼らに指示を出しているイーラーイ本人に、今回の強襲作戦が成功したのだと思わせたかったのだ。
 Aに頼んでいたのは、一度撮影した映像を繰り返し投影させ続けるだけのハッキング補助だった。
 それが今や、兵士が床に倒れている。みずきは無数の傷を負いながらも大した怪我のないまま他の兵士を探して回るはめになっていた。
「作戦通りにいかない」
 焦りながら人工筋肉型特有の乳白色スキンに掴まり、兵の居た部屋から奥の部屋へと急ぐ。先ほどの雑然とした資料室からは兵士たちを運び出し、上層階の入り口までロボットアーム二台掛かりで掴んで運ばせている。指示するだけならばみずき一人でも出来たのだが、ガルドでなければ攻撃も防御も出来ないのが歯がゆい。
 だが心にゆとりが出来た。
 非力でろくに戦えない生身のみずきを、電子上とはいえ圧倒的なパワーを発揮して見せたガルドが守る。だが生まれたての「ガルド」にはストッパーが無い。みずきは条件付けの必要性を感じ、脳波コンの上へメモした。
「指示した先がデバイスを何も持っていなかったら、他の脳波コン持ちで動きを抑えて、オフラインの相手を……なんとかしてオンラインに……んんん」
 悩んだまま扉の向こうへ進む。ごちゃごちゃとして人一人通るのがやっとという資料室を、比較的軽い人工筋肉型に走らせた。次の扉の先には机とPCと液晶にダブルレーザー型のプロジェクター、蛍光ピンクとブルーの組み合わせが異色なゲーミングチェアが置かれている。
「奥は……事務室? この施設のオーナーの?」
 Aのマップはこれ以上先が黒塗りになっていた。Aにはよく分からないというだけで、おそらくオーナーがわざと秘匿していたのだろう。オーナーというのも、このハワイの研究施設のオーナーだろうとみずきは考えていた。
 BJグループと施設はセットだ。前々から疑問だった「なぜオーナーと呼ばれているのか」が、ハワイ諸島からBJグループが出られないと言ったAの言葉で解決する。オーナーと施設が先で、グループの形で組まれたロンド・ベルベットの六人が後なのだ。
 謎が少しずつ解かれていくと、もっと知りたいという欲求が増す。
「何か、Aが隠してそうなこととか……」
 机の上にはざっくばらんに書類が広げられている。
 書類よりも目に留まったのは、筆記用具の入ったポーチだ。ピンク色のファーで覆われていて、開かれたチャックからペンが見えなければ小さなクッションに見間違える。ペンの色はレインボーそのものだ。斜めストライプで赤から青や緑を通り越して紫まで、派手なグラデージョンを描いている。
 キーホルダーにはアメリカンな二頭身のキャラクター人形が付けられていた。よく見るとじゃがいもがモデルだと分かる。くびれがあるためポテトヘッドではない。だがスノーマンでもない。
「なんか微妙……」
 全体的にセンスが悪いように思え、みずきは素直に言葉にした。派手好きなのは伝わってくるが、ポリシーのようなものは感じない。派手ならなんでも良いように思える。仲間であるメロが好きな民族的な意匠といった一貫性はない。
 PCの画面ふちに貼られている付箋はギャグテイストだ。キモ可愛い鉢植えの花が描かれたダイカットの黄色い付箋には、みずきにも読みやすい文字が書かれている。
「□航空機チケット(ペーパー)/□お着替えセット/□小切手……」
 几帳面な性格らしい。手書きで四角が書かれていて、準備が済んだのかチェックボックスには斜めに線が引かれている。一拍違和感に首を傾げた後、みずきは腰を抜かしかけた。
「にっ、日本語!?」
 他の書類は英語が多い。バレることを厭わずみずきはバサバサと書類を漁った。メモが書かれているものを見つけ、両手でシワができるほど強く握り込む。
「要注意事項……後で調べる……トルツメ?」
 漢字、ひらがな、カタカナが頻発している手書きのメモを見るに、絶対日本人だ。みずきはワナワナと震え出した。
「日本人が日本人を? いや、でも、犯罪者に国籍は関係ない……日本政府が主導? 組織的に? 代理戦争とか……アメリカの介入が今のイーラーイだとして……あっ」
 イーラーイという単語にみずきはハッと顔を上げた。今はオーナーの人種などどうでもいい。逃げるのが先決だ。
「まず」
 先ほど接敵した者とは別の兵士を見つけ、偽の映像を見せてイーラーイの油断を誘うのが目的だ。最悪、榎本たちが逃げ切れるだけの時間を稼ぐ。そのための伝書鳩探しに、みずきは次の敵兵を探す。
 探そうと目を凝らすと、勝手に「ガルド」が強い視線を部屋の先へと飛ばした。先にあるものを射殺す勢いの圧がある。同じカメラにハッキングしている人間の目を吹き飛ばすほどの強さだ。
「こら、ダメだ。殺そうとするな」
 リアルの目を細め、意識してカメラを覗く操作を緩める。みずき自身は殺気をカケラも持っていないはずだった。ガルドの皮を被った別物としか思えない補助システムのようなものだ。みずきの意図を受け、ボリュームのつまみを0か100にして出力している。
「……落ち着け、ガルド。いや、自分か?」
 見ようとしたのは確かにみずきだ。ロボットアームに片手で掴まり、上腕部に軽く腰掛けながら移動を始める。その間、みずきはどちらが正解か考え続けた。
 障害物の多い事務室の移動はタイヤではほぼ不可能だったが、腕型の特徴を活かし、お互いがお互いを持ち上げ合うスタイルで少しずつ移動していく。
「自分——みずきがイメージしたことを、ガルドが行動してる。なら、みずきが落ち着けばいい。スイッチを切ればいい」
 佐野みずきは怒りや殺意のスイッチを意識する。電子上の「ガルド」に気づかれないよう、動機を完全に切る。
 そして目を開き、敵を探す。
「見つけた」
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