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235 H group

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 とある場所。
 温度は高く、紫外線も非常に強い。外気と接触を避けるためジャングルの奥地に設置された頑丈な建物はコンクリート製で、外壁を蔦と苔とで隠し、目視でも衛星でも森にしか見えない様に隠蔽されている。
 建物はフロアが一つ、地下フロアが三つ。浸水すること前提で作られ、実際に稼働しているのは地下一階だけだった。そう作るよう指示したのは使う人間ではない。全く無駄が過ぎる、と通信相手は愚痴を言う。
 聞いている者はを傾げた。
「無駄かね? 今こうして活用しているがね」
<無駄よぉ。冷却水? 冗談じゃないわ、汚水よ! 汚水!>
「運搬の費用も掛からず便利だがね。濾過も煮沸もおこなっているのでね」
<蒸留水であっても精製水であっても、最低限飲み水にはしたくないわぁ。道内ならまだしもココのは灰が混ざってるでしょう? 雨水にもねぇ、許容できる自然の汚染度ってのがあるのヨ!>
「フム、記憶しておこうかね。来たる時に彼女に飲ませないよう、配慮するがね」
<それがいいわぁ。で? そっちはどーお?>
「フム?」
<結局、その子達みんな助けるの?>
 その者は声を低くして聞いてきた。返事をする前に、ような声でが明るく切り替える。
<あ、やっぱいいわぁ! 聞かないでおきましょ!>
「助ける、という言葉の定義から始めなければ祖語が出るがね。キミがそう望むのであれば指示に従うのでね」
<嘘おっしゃい、盲目坊や。貴方、その子の望むことならなんだってやるんでしょう? こっちの指示なんかどうでもいいんでしょう?>
「そうは言ってない、がね」
 そうは言ってない、という言葉は「口にしていないため表現としてはYでもNでもないのでね」の意味だ。事実はどうかと言えば、確かに通信向こうの者に言われた通りだ。その子の指示命令、指示されていない望み、許されない命の天秤測りもする。
<ま、それでこそ貴方だから。いいのよ、そのままで>
「いいのかね?」
<ええ。良い成長してると思うもの>
「成長……」
<その子のお陰ね>
 をぱちくりとさせ、その者は脇に置かれた個人用の大型ポッドを見た。プレハブ並のサイズで中は無菌状態だ。透明のアクリル製だが、適度な湿度にするためミストが入れられ、薄っすら水滴が内側について像を歪めている。さらに生命維持用の機械に隠れ、ほとんど中の様子は見えなかった。
 さらにその者の視界を半分以上覆い尽くす半透明の白い膜が邪魔をしていて、見たい内部の「彼女」が全く見えない。
 その者は、中に自前で設置したワイパー型の自走ロボットを走らせ壁の水滴をぬぐい、白い膜を視界の中央だけ空けて覗き穴を作り、慈しむようにポッドの中を見つめた。
 伏せられた瞼が時折ピクリと動いている。毎日丁寧に洗浄し、通信向こうの者に言われるがまま保湿クリームを塗っている肌を、500mm以下の波長をカットしたイエロータイプの蛍光灯が照らしている。
<BEEP>
<逆探知>
<BEEP>
<逆探知>
「……実感はないがね」
 打ち消す。
 ポットの中を認める時間は、この者にとっては何とも代えがたい至福の時であった。だが今日は邪魔ばかり入り、そもそもトラブルもあって忙しい。眺めている者の目の前には幾重にも乳白色の半透明ポップアップが表示されていて、それぞれ「H-01」「H-02」と番号がふられている。さらに上から黄色と黒の警告表示がひっきりなしに現れ、消え、現れ、消えを繰り返していた。
<しらじらしいわ>
「ソチラこそどうするのだね? 指針が疑問なのだがね?」
<そうねぇ、どうしましょ>
「それこそ『しらじらしい』がね」
<ウフ! 必要なのでしょう? 救いが。誰一人として死なないよう、貴方たち全員で頑張るのでしょう?>
「ボクはボクのことしか分からないのでね。二極は……」
 ポッドの奥にはもう一つ、同じ形をしたプレハブサイズのポッドがある。すぐそばには、その者とは違い二足で立つ人間が直立不動で立っている。頭から上は見えない。なにか大きな鉄の塊で首とアゴの付け根から上を隠されている。黄色い光に照らされながら微動だにしない。
「二極とボクは違うのでね」
<そうよね。ムリフェインちゃんはどうしたいのぉ~?>
 オープン回線の通信で話しているため、返事があってもおかしくはない。だが別ポッド側の人間から返事はなかった。
「……返答は期待できないがね」
<そぉね。ムリフェインちゃん、ン熱血ゥ! だもの♡」
 通信越しにこえる声だけで、聞いている者の脳裏にポーズを決める人間の姿が目に浮かぶ。
「燃えているがね。燃え尽きやしないか懸念されるがね」
<……その時はそれまでだった、ってだけだ>
 急に相手の声が冷たくなる。
「おや。六種類の足並みを整えるのが、のオーナーであるキミの役目ではないのかね?」
<ええまぁそうね。もちろん同じ気持ちよ? 理由が不純だもの。なんなのかしらぁ。利用するだけして、自覚したら、今までしてた事をパッと手放しちゃうって。舐めんじゃないわよ、ってね。うふ>
 時折男らしく響く声が混じるものの、基本的には女性のようなイントネーションだ。隣のポッド脇で直立したままの「二極」は耳も傾けず、黙々と電子上で破壊工作を続けている。ハイバネーションラインを担当している施設の機能を片っ端から妨害している最中だ。
「二極は怒り心頭なのでね」
<把握してるわよ。やっちまいなさいよ、応援はするわ>
「キミ地震の敵対の意思はどうなのかね? 我々はともかく、キミにはあの『無責任で無関心故に知らずにいただけの支援者の群体』を敵とみなし、真っ向からぶつかって叩き潰すだけの敵対意識があるのかね?」
 会話をしながら、話している者は視界を埋めるエラーメッセージを一掃した。Hラインのデータは続々と「Hグループ」としてラベリングされ、紐付けされている人間たちを続々とグループ統括管理の人員に引き渡していく。しかし肉体は手元にない。
<……そうねぇ。どうしようかしら。敵、でいいんでしょうけどね>
「無垢故に罰せないと? それこそしらじらしいがね」
<言うわね、もう。んもう、動画でナカのこと拡散するなんてどこのお馬鹿さんなのかしらぁ~。アメリカ人にはまだ『ウルトラのトラウマ』が根強いのよ。これじゃあどうしたって意識しちゃうじゃないのよ>
「無意識でも意識的でも、罪は罪、罰は罰。そう言ってキミ、ボクらを組織したんじゃないのかね?」
<人間って愚かなのよ。蟻ん子ちゃんの巣を潰してた過去の自分は許してしまうの。自分で気づいちゃダメなのよ……無意識でやってたことを他人にガツンと突きつけられてはじめて、人間は立ち直れないくらいのショックを受けるの。アンタが踏んでたのは蟻じゃなくって、大事にしてたママのお顔だったのよ……ってね!>
 聞かされる言葉は難しく、的を得ない。
「もっと簡単に言って欲しいのだがね」
<アン、独り言よ>
「そうかね」
<ま、コッチはコッチで動くわ。みんなは好きにしてチョーダイ。契約違反が無い限りは許すわ>
「それはつまりこの場、我々の位置がバレず、船が無事航路に乗れば良いということだがね」
<ええ>
「新たに組んだHグループの優先度はいかがするかね?」
<それはコチラが決めることではないわね。ソチラで判断してチョーダイな。アナタはどう思ってるの?>
「みずきの心を守ると決めたのでね。ヒトシニは避けたいがね」
<決まりね。ムリフェインちゃんもアルファルドちゃんもきっと賛同してくれるわ。あ、カノープスちゃんはなんて?>
「む、ほったらかしなので知らないがね」
<アラアラウッフフ~! ひどい事するわねぇ! カノープスちゃんがコッチにキバ剥いたらどうするのよぉ!>
「味方にするには中途半端なのでね。害にも無害にもなるなら遠ざけるのがベストでね」
 そう言いつつ、視線をさらに遠くへ向けて話題の男を探した。ひどい事なのだろうか。確かに入れっぱなしで放置しているが、と段々様子が気になってくる。Hグループの所在確認や心身のデータ化に忙しい中で、無理やり頭の中の容量を割き、別室にいるはずのカノープスを探した。小さな空き部屋に居たはずだが、その者がいくら探しても部屋の通信上に出てこない。
「オフライン? それはおかしい。船へはログインしているはずだがね」
<サルガスちゃんがCのフロアに動かしてたわよぉ~>
「何? Cグループに追加したとは聞いていなかったがね?」
<サルガスちゃんってば勝手よね。だからこそいつか良いこともあるから好きにさせときなさいな。実際、AJ01に関しては良い結果に落ち着いたじゃないの>
「……不服がないわけではないのだがね。キミがそう言うなら、ボクは従うがね」
<アリガト! さぁて、こっからが勝負よ? 今回のHグループ緊急追加でドッタンバッタン大騒ぎ。正直サルガスちゃんもカノープスちゃんも相手してる暇ないわぁ。コッチを手伝って欲しいくらいよぉ! サルガスちゃんと同じ支部にHグループの皆がいるんだから、せめて人払いとか警察の目ェ誤魔化すとか、なんかしててチョーダイって思うんだけどっ>
「愚痴は他に言いたまえね。ボクは何も答えられないのでね。む、早速Hグループの『現物』を取りに行くのかね?」
<ええ。早すぎることはないわ>
「フム、英断だろうがね」
<あら、無駄な労力だと怒ったりしないのかしら?>
「それはないのでね。確かに彼らは、船には関わりなく別の計画で運用が決まっていたはずだがね。船に載せてこられたとしても、港が最初に気付いていればパージもできた。放置していてもよかった。だが、不正搭乗を一番最初に見つけたのが……」
 伏せられた瞼と美しい唇を眺める。
「——みずきだった。みずきとBJ02だった」
<ええ……だったら救うしかないじゃない。気合入れてカナダを制圧するわ。幸いロシアからそう離れてないもの>
「気をつけたまえね」
<そっちもね。Hグループのみんな、うっかり死なせないように。身体の方と合わせてキッチリ全員ログアウトさせるまでがお仕事よっ!>
 その言葉を区切りに、通信の先から届く声は一旦止まった。入れ替わりで大型ポッドの中から早口な叫び声がする。壁に阻まれている上に舌が上手く回っていない滑舌の悪さで聞こえずらいものの、少し低く耳に心地よい少女の叫びだ。
「みずき」
 聞こえていないだろうが、呟く。
「キミが見つけていなければ、彼らは全員『うっかり死なせていた』かもしれないのだがね。キミが救った命なのでね」
 少女はまた叫んだ。聞いている者には別の耳があるため、ポッド越しで不明瞭な声でも何と言っているのか分かる。音にはズレがあり、声質もガラリと変わる。まず性別が違う。
「オーナーがやり遂げるまで、全力で助けるのでね。気張りたまえね」
 音は一旦落ち着く。通信の向こうからスチームの排出音がした。
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