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233 ここからは空

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 背中に翼を持った人形は、まっすぐインフェルノの顔を狙って飛んできた。
 ガルドはスキル・パリィガードに入る。スクリーンショット用に公式が日本サーバーにだけ配布した、遊び用のポージングスキル・居合抜刀のモーションを呼び出した。地面ですらないドラゴンの足の上でつま先立ちのまま深くしゃがみ込み、大きく背中を敵へ見せながら足を一歩ドンと空中へ踏み出す。
 必要なのはイメージだ。地を踏みしめる必要はない。
「——ヒット」
 ガルドの手には確かに感触があった。抜刀し鞘へ大剣を収め、鍔と鯉口を鳴らす収まりの良い感触が手からじんと伝わってくる。目には見えない風が一つ瞬間的に吹き荒れ、スキルの切っ先になって飛んでいった。
 スキル級のパリィで一番飛距離のある、シビア極まりない高難易度の居合抜刀だ。バグの多そうなフロキリ外エリアで使えるか心配だったが、難なくパリィ判定に入ったらしい。感触から遅れて一秒後、和風の刀がモノを弾くカン高い効果音が鳴り、人形は窓ガラスにぶつかった鳥のような動きでゴチンと止まった。続けてガルドの剣が起こした風に煽られ、後ろへひっくり返る。
 追撃が無いことを確認している間に、ガルドは急いでインフェルノの足にしがみつき直す。木にしがみつくコアラのようでガルドは恥ずかしかったが、榎本の恰好の方がもっと恥ずかしい。腰が引けている。
 ガルドは羞恥を捨ててそのまま背後へ振り返り二撃目に警戒するが、ベビー飛行種はまだのけぞりで行動できずにいた。飛び続けるインフェルノに追い越され、ガルドの背中側にどんどん離れていく。
「……余裕かも」
 動作が鈍い。ガルドは安堵した。穴から落下する間に撃破してきたオートマタ・ベビーもそうだったが、さらに羽がある分のけぞりからの回復が重たいらしい。パリィの一撃もよく響き、ガルドにとっては相手をしやすい。
 榎本がガルドの上、インフェルノの首筋をするするとへっぴり腰のまま登っている。
「怖ぇ~くっそ、いや高いところが怖いんじゃなくて落ちる感覚が怖いのであって、別に落ちることを想像しなければどうということは……くそ、下見れねぇ情けねぇー……」
 ブツブツ文句を言って怖がっている。予定通り榎本に頼んだ方向転換は遅く、インフェルノは最後の小島横まで辿り着いた。一鳴きし、眠っているソロプレイヤーを目覚めさせている。
<空間内にいるハイバネーションライン被験者全員のを確認。リスポーンポイントを確認するのでね、回収方法はその後でね>
<まさかキルして出戻り回収しようとか考えてるのか>
<それが一番、効率が良いのでね>
 心理面の心配があり、ガルドは苦い顔を隠さず黒いアヒルを睨んだ。Aは表情を変えずアーモンド型の不気味な目でガルドをチラリと見てくる。
 再び背後からインフェルノを追ってくるベビー飛行種の羽ばたき音に、ガルドは眉間のシワを緩めず振り返った。居合抜刀スキルのクールタイムはまだ消化できていない。
<次は通常パリィで茶を濁す。撃破はUターン後だ>
<空中戦への対応法は検索中でね。もうちょっと待ってほしいのだがね>
<もう間に合わない>
 インフェルノの足から手を放し、通常攻撃で剣を振ってパリィガード。その後、進行方向へ変わらず進んでいくインフェルノの尻尾か翼かに掴まればいいだろう。ガルドはそこまで脳内シュミレートし、いつの間にか目と鼻の先まで迫っていたベビー飛行種のロックオンアラートに顔を上げる。インフェルノからガルドへと目標を切り替えたらしい。
<仕方ない、みずき。キミのジャンプ動作に動作を追加するのでね。今はちょっと飛ばないでくれるかね? 書き換えたら言うのでね>
<リアルタイムで書き換えとか怖いからやめてほしい>
<いや流石のキミでもシステムにない空中戦は難しいと判断を改めたのでね>
 ガルドはAの言葉に眉間のシワを深くする。
<落ちたら一大事なのでね、そのままパリィを継続してほしいんだがね。少しくらい当たっても、ボクの掛けたダメージカットバフと攻撃力低下のデバフで問題ないだろうからね>
 なにか、とても馬鹿にされたような気持ちになる。Aは他意など無い。事実しか述べていない。ガルドはそれでも煽られていると感じ、鼻を鳴らす。
<出来る>
<負けず嫌いを発揮している場合ではないのだがね>
<出来る>
 パリィだけではない。方法はまだある。ガルドはインフェルノの背中を目指してよじ登っていく。
<待ちたまえね、今書き換えるから>
<待ってられない。来るぞ>
 ガルドは追いついてきたベビー飛行種を睨みながら、自分たちと敵と宙を浮く島の位置を横目で確認した。ガルドが背中まで登りきるより早く、ベビーはインフェルノの翼までたどり着く。榎本はまだインフェルノのアゴにしがみついている。ネズミ返しのようになっているドラゴン特有の大きなアゴに阻まれているらしい。
 Uターンはいつしてもいい。最後の小島は通り過ぎた。あとは戻るだけだ。
「……榎本! そのまま背中反って体重掛けて!」
「んなぁ……」
 小さな返事だが、榎本はアゴの出っ張った部分に両手をしっかりと掛けた。
「自転車みたいに体重掛けて曲がる! 行けるか!?」
「んなぁー! やってやるって! くそ、余裕ないからお前が俺に合わせろ、ガルド!」
「合点!」
 丁度ガルドはインフェルノの翼の付け根に手を掛けるところだった。そのまま思い切りわしづかみにし、うんていのように翼の縁を掴んで先端まで移動する。
 追いついたベビー飛行種が殴りつけてくる寸前、バランスを崩したインフェルノが九十度身体を回転させた。
<おおおー>
 当たり判定の効果音がしない。攻撃が外れたらしい。ガルドは思い切り下側に下がった翼の先から、腰を落として重心を下げてインフェルノの背中側に向かって戻る。
 ガルドは重い。重量の計算がシビアなフロキリでのルールにのっとっているのか、インフェルノの挙動も重心の位置にはシビアだった。背中側へ重心を掛けていると、ブルーインパルスのアクロバット飛行を思わせる一回転をしはじめる。
「うおおおお!?」
「榎本、次撃はそっちから来る!」
「だぁーかーらぁー!」
 ガルドからは何が起きているのか全く見えない。
「そんな余裕っ!」
 はしごの上を走る要領で、両手を伝わせながら翼の上を駆け抜ける。榎本のフォローに入らなければ。
「俺には無いって言ってんだろー!?」
 パリィガードの効果音がした。爽快感のある金属音が一回、インフェルノで見えない向こう側からする。
「うおっ、お前! アッチだアッチ!」
「グルォオオン」
「言うこと聞けって! く、次! 来るぞ! 転回、時計回りだ!」
「了解」
 榎本が大声で叫んでいる。だが非常に冷静な指示だ。先ほどまでのマイナスな語彙はない。ガルドはインフェルノの背中を通過し、反対側の翼の先端へ滑り込む。勢いをつけ、身体を反転させて両手両足で翼に掴まり、遠心力で腰に体重をかけて翼を地底側へ向かって誘導した。一瞬間を置いた後、急激にインフェルノの身体が時計回りに振れる。ガルドと榎本もぐるんと回る。
「おおおっ! 怖!」
 ガルドはぼんやりと、乾燥機の中の洗濯物はこんな気分なのだろうと思った。身体が思い切り外周に向かって吹き飛ばされるのを、両手で掴んだ翼の先端に力を籠めるイメージで縫い留める。
 視線を上に動かす余裕はあった。仮想で脳に届くだけの感覚だと分かっている。手を放してもAが実装中だという「空中戦の方法」が身に着くまで落下し続ければいい。だが榎本は本気で怖がっていて、しかしどうやら慣れてきたようだった。
「よし、回避できたな!」
「楽しそうだな」
「どこがだよ! ちっともだよクソッタレ!」
「笑ってる」
「くっ、笑ってない。これは武者震い。違ーう!」
 榎本は絶対笑っている。インフェルノのアゴのすぐ下にコアラのような姿勢で捕まっているが、腰で勢いを付けつつ、さらに手に持ったハンマーを下へ振って重心を追加しているらしい。
<このまま直進すれば出入口付近だがね>
<予定通り>
<しかしハイバネーション側のモンスターの方が早いのでね。インフェルノはともかく、今ちょっとオーナーが嫌なことを言っていたのでね。共有しようかね>
<うるさい、敵の言うことは聞かない>
<ここはどうやらいくつものルールが混じっているらしいのでね>
<聞けよ>
 しかしAが人の話を正しく聞いていたことなどあっただろうか。ガルドは半ばあきらめつつ、次の攻撃にはパリィでガードしようとドラゴンの背に移動し、剣を手に取る。
<リスポーンの概念がないゲームタイトル由来の攻撃を受けた場合、無事でいられる保証はない。これは予想していたのだがね>
 随分と怖いことを平気で口にするものだ。ガルドはぶり返してきた絶望感を振り払うように、お遊び用のスクショポーズスキルをツリーからトリガーモーションで呼び出す。身体を伏せるようにかがめ、背中を敵に見せた。
<明確にゲームプレイを妨害する意図を持っている可能性が高いのでね。彼らは恐らく、二極の『口封じ』に動く。ボクは存在そのものがバレていないから対象外だがね>
<口、封じ?>
<ハイバネーションの計画が、今まさにリアルタイムで外部へ漏れているのでね。原因はもちろん『港の監視網』だがね。ううん、実に効果的。今回は二極の目を使っているのだね。ふふふ>
 相変わらず訳が分からないことをブツブツ呟いている。ガルドは再度やって来たベビー飛行種のパンチが届く直前、早すぎたと思うほど早めに居合抜刀のポーズを取った。写真映りがよさそうな見た目重視の風が一つ、強く吹き荒れる。
<アチラはこの、ルールの差を生かして二極を切ろうとしているようなのでね。接続している二極に重たいデータを逆流させ、回線速度を遅くし、その隙にあれこれ調べて物理で攻める算段なのだろう、とね。オーナーは『切られるぐらいなら先にこちらから切る』と言ったのでね。これぞ徹底抗戦。もう決定なのでね>
 一周回って、ガルドは「オーナーって実はいい奴なのでは?」とほだされそうだ。
「シィッ」
 抜き放ち、すぐ元の姿勢に戻る。スキルの成功音が一拍遅れて鳴った。大剣から刀のような、このスキル特有の少し豪華な効果音だ。インフェルノに乗りながらでは中距離まで届く抜刀パリィが精一杯で、ガルドは得意の通常攻撃をする気にはなれなかった。
 インフェルノの動きに合わせて足場がぐらりと波打つ。
「ぐ」
 大剣を突き立てて踏ん張るわけにもいかず、ガルドは膝をついて床に座り込んだ。
<オーナーってのはもう動いてるのか? アレを散らすのは出来ても撃破は難しい>
<動いてはいる、のだがね……もっと根本的なことをしているのでね。二極は二極で、自分自身よりBJ02と被験ユーザーを優先すると言って聞かないのでね>
<お前と似てる>
<そうかもしれないがね>
 軽口が出る。クールタイムのため居合の抜刀パリィは使えず、インフェルノはひたすら真っすぐ出口へと飛んでいるため頼りにならない。ピンチだ。だが不思議と焦りはない。
「ちっ、ガルド! 俺が弾く!」
 榎本がインフェルノの首にしがみつきながらハンマーを構えている。だが柄が長いとはいえ到底届きそうにない。ベビー飛行種はインフェルノの目の辺りを狙っている。伸ばしても投げても届かないだろう。
「いいや」
<書き換え完了>
 ガルドは腕で乗り越えるようにして、インフェルノの背中から飛んだ。
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