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227 ハイバネーション
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「で、何があったんだ? いや時系列がいいか。ボイスチャット先でメモって、一応田岡に声出してもらう」
「田岡?」
「こっちの話だ。城に戻ったら紹介するから、今は『外部との連絡手段』だと思ってくれ」
榎本がけみけっこと向き合うようにしてあぐらをかいて座る。ガルドは元気そうなけみけっこを横目で見ながら、ボイチャ先で喜び合う仲間たちの声を聞いていた。
<けみけっこが!?>
<おお~!>
<元気そう? やつれてないか?>
<大丈夫>
<っはー! よかったー!>
男性比率の多い感動の声がガルドの耳に届く。ガルドは少しずつ、指先で仲間にけみけっこの声が聞こえるよう一人一人をグループチャットへ組み入れていく。システムの穴を突いた裏技のようなもので、グループを立ち上げたユーザーがハブになることで、直接対面での合流をしていない遠隔のユーザー同士でもボイスチャットを行なえるようにするものだ。城にいる仲間たちは未だに、けみけっこのステータスが「オフライン」のままで止まっている。
一人、また一人とけみけっこに挨拶をして喜んでいる。
<わ、オッサン!? 久しぶりじゃない>
<オッサン言うな! 雅炎だ! いつになったら覚えるんだお前!>
<えへへ>
<まったく、心配かけやがって>
<全然余裕だけど、そこまで言うなら『さみしかったぁ』とか言っとく?>
<余裕なのかよ!>
野良と呼ばれるマッチング方法でのみプレイしていたけみけっこに、突出して仲が良いフレンドは一人も居ない。だが裏表なくマナーを守り、かつプレイ面でも優秀な彼女は多くの日本人プレイヤーに慕われていた。サーバー越境エリアで海外勢ともプレイしていたためコミュニケーション能力に長けている。
だがフランクに通話する面々を見るガルドには、ギャップが強く目に映った。おいおいと泣く男の声が通信先で聞こえる。それはそうだろう。ガルドは一定の理解を示し、けみけっこが榎本と談笑する様子を撮影したスクショ画像を送信した。彼らはずっとソロで弾き飛ばされた彼女を心配していたのだ。ガルドもそうだった。ヴァーツの吟醸が一人でホテルに引きこもっていた様子を思い出す。あの時点で吟醸の精神はギリギリだったように思う。
だがけみけっこは信じられない程元気だった。
「けみ」
「んー?」
笑顔で振り返るけみけっこを待たせ、ガルドは榎本へチャットで声をかける。
<どこまで話した>
<んー、城に仲間がたくさん集まってるってのと、空港で拉致されて外で政府が救援に動いてくれてるって話はした>
<……そうか>
「けみ、『久しぶり』」
ガルドはそもそも最初に言うべき言葉を掛けた。
「え? 何言ってんのガルド」
「……はっ!?」
ガルドは生唾を飲んだ。
「は? はコッチのセリフよ。久しぶりってほど? あ、ロビーに居なかったわね。そんなに顔出し嫌なのかしら、ガルド君は。あはは」
榎本が怖い顔を隠さず立ち上がって、けみけっこを見下ろす。
「な、なに? ネットストーカー対策だった?」
「……やりやがった」
「え?」
<A>
<ボクとしても状況が分かっていないのでね。彼らは計画上『H』ラインに置かれているはずでね>
<H?>
<なぜアクティブで、その上ログイン状態になっているのかボクには完全意味不明>
<悟られたか!?
<いいや、どうやらオーナーもHラインの稼働開始を知らないらしい。向こうが騒がしいのはこれが原因のようだね>
ガルドは大きなため息をついた。榎本が拳を握りしめ、怒りで全身を震わせている。
「けみけっこ!」
「ヒャイ!」
「お前、空港で俺らの見送りしてから何日経った!」
「え?」
「いいから!」
ガルドは目を伏せ、マグナや三橋といった参謀と使っているチャットルームを開く。
「え? えーっと、三日くらい、かな?」
「——っ! く、くそぉっ!」
榎本が叫ぶ。
<Hラインというのはだね、みずき>
Aが呟く声を正面から聞きながら、ガルドはチャット両面をぐるりと360度に広げて声を聞いた。絶句する空気の漏れと息をのむ音が左から。苦しそうに抑えた酒と「嘘だろう」と呟く呆然とした声が右から。外部に連絡するため田岡を大声で呼ぶマグナの田、三橋がぶつぶつと何か消え成く声が後ろからする。
「なんで今になってっ! くそ、なんでだ!」
頭上から榎本が敵を問う声がした。けみけっこは不思議そうに首をかしげている。
< Hはつまり、ハイバネーションの略でね>
<……冬眠?>
<おや、博識だね>
<テストに出た>
ガルドは英語の長文読解を思い出す。読めない英単語を調べても記憶に定着することは多くないのだが、ハイバネーションはしっかり覚えていた。北海道の人食いクマに関する英語長文で、本来の生態を紹介する時に使われた単語だ。カットイラストの恐ろしいクマの表情と共に、記憶の浅いところで引っかかっている。
<正しくは冬眠に似た処置、だがね。ハイバネーションを施されるラインはグループではなくHラインと呼び、とある人間が今は一元管理しているのでね。来たる日のために>
<コールドスリープしてるのか!>
<いや、凍らせないがね。冬を眠って超えるだけでね>
<ああ言えばこう言う!目 覚めさせて正解だ馬鹿!>
理論上可能かもしれない。ガルドにもそれくらいの知識はある。だが聞いたことがない。実現可能ならばニュースになっているだろう。つまりけみけっこがこの数か月を眠って過ごしていたのは、恐らくけみけっこが初の人体実験被験者ということなのだ。
<バカとはなんだね。Hラインの担当者ではないのでね、ボクはそもそもグループで区切られるこちらのラインとHラインは全く別の計画なのでね>
<それがどうしてここに>
<意図しての操作ではなさそうでね。詳しく分かり次第教えるがね、それまでは……>
Aが言葉のボリュームを落としていく。続けてまた勝手にマップが呼び出され、縮尺をどんどん広域化していく。
「なにが……」
「ちょっとおお!」
けみけっこが仲間たちの詰問に耐え兼ね嫌そうに叫んだ。両手を拒否の形にして榎本を押す。
「どわっ」
「待ってよ、なんでみんなそんな前からいるの! ログアウト出来ないの!? いつから!」
けみけっこが慌て始めている。押された榎本が尻もちをついたままけみけっこを見上げた。
「空港で意識失って、それからずっとだよ」
「ずっとって?」
「何か月か経ったとは思うんだが、外と中との時間の流れに違いがあるらしいんだ」
「そりゃ外と中とで一日が短くなるなんてよくあるじゃない」
「シュミレーションゲームじゃねぇんだよ。マジ違うの。ジョーと合流したら説明してやるから、とりあえずアイツ拾いに行くぞ!」
榎本が立ち上がる。ガルドは眼前に広げられたマップをくまなく端から端まで見た。
「ジョーはどこだ」
「え?」
「あっちにはろくなモンスターもでない、マップの切れ端しかない」
山の頂上から向こうを指さす。ガルドたちがスルーしかけてしまったのは、行っても何もないと知っていた極西、フロキリ時代マップの一番端だった場所・ファーウェストだ。エリアの境界線に同じようなリスポーンポイントかにされているが、特に強い敵がいるわけでもない。
「それがね、弱くてドロップの美味しい奴がたまーに現れるのよ」
「そんなのいたか?」
「欧米サーバーの初期にいたっていうぶっ壊れ仕様のオートマタ・ベビーが出たの。日本語版出す前に修正がかっちゃったってやつ。一気に1ダース出る上に弱くて、落とすアイテムはランダムでフローズンロースまであるよ」
「薔薇!? うわっ、まじか! 欲しい!」
「騒ぐな榎本、使い道がない」
「大規模戦で使うだろうが!」
「要らない。今そんなに居ない」
「あ……」
榎本が苦笑いする。被害者が二百人も居ては困るのだが、ガルドも「残念だが」と添えた。くびれの頂点についている銃へ手をかけ、けみけっこは右手の人差し指をトントンとノックした。マップ呼び出しモーションだ。ガルドには見えないが、目線を小さく動かして「あれっ?」と何かに気付く。
ガルドは広域化したマップの遠い点を見ながら、けみけっこに言う。
「ジョー、死んでる」
「うっそ! え、でも確かにアイコン消えてるし……なんかすごい遠くまで戻ってるけど」
エリアの境界線に近くに設置されているリスポーンポイントに、先ほどまで近かった点の一つが飛んで行っている。顔を合わせていないため名前が出ないが、けみけっこの言う言葉が本当ならばジョーに間違いない。
「オートマタ・ベビーって初耳だぞ。知ってるか、ガルド?」
首を横に振る。
「だよなぁ」
「ジャスなら知ってるかも」
聞こうかとボイスチャットのボリュームを大きくすると、氷結晶城にいる仲間たちが喧々買々と騒ぐ様子が急に耳へはいって来た。
<三日!? 時属性エンチャントにしても違いすぎるだろ!>
<恐らく昏睡状態だったんだろう。外部からいじって、強制的に>
<どうえええっ!? そんなのアリっすか!?>
<脳波コンというより麻酔としてだろうな。全身麻酔か?>
<一歩間違えば死ぬじゃん、それ。全身麻酔する時すごいいっぱい書類にサインするけど、目覚めなくなるかも~みたいな怖い事書いてあるよねあれ>
<怖い事言うなよ!>
<事実だし>
<やっベー想像以上にやっベー>
くつか何か月も閉じ込められて平気な俺らもやベーよ>
野太い男たちの笑い声が弾ける。
「騒がしい」
ボイスチャットの音量をミュートにし、ガルドは文字チャット画面を呼び出し文章でジャスティンへメッセージを送信した。オートマタ・ベビーについて知っていることを聞きつつ、全体に見えるよう設定している掲示板代わりのチャットページへ古参ユーザーへの集合知を募った。榎本も投稿文に気付いたのか、顔を上げてガルドへ視線を送る。
「どう思う、ガルド」
「サルガスの操作とは思えない」
他にも情報は得たが、いつもの通りガルドはあからさまな事実しか口に出来なかった。榎本が頷いて得意げに続ける。
「だよな。もっと上の、普通に人間が新しく入れたモンスターなんじゃないか?」
「多分そう」
ガルドは頷く。けみけっこはチャットの向こうを質問攻めにし始めており、榎本は本格的にガルドへ向かい合い現状の整理をしようとしていた。
しかしガルドは榎本のことを直視できない。
「……まぁ、蛇はさておき門扉もいたし。着々と娯楽コンテンツを増やしてるってことか」
「だとしたら場所が辺鄙」
「移動させたいのかもな。ファストトラベルを使用不可にしたのはそういう意図があるのか?」
「こちらの徒歩がリアル側の足の動作と連動してる、とか」
「おー、マグナが言ってた説だな。外に出る動機を作れば健康維持に繋がるってことか」
<ノーコメントとさせてもらおうかね>
Aは思い切りはぐらかした。ガルドは榎本へ適当に頷いておく。
「足を使って稼げば金も装備もアイテムも手に入るってことだな」
「ゲームそのまま」
「ははは、確かに。フロキリが俺ら専用に着々とチューンアップされているだけだな。ああ、田岡専用が正しいか……」
ガルドは声に出さず心の中だけで「自分たち専用、で正しい」と訂正した。優先順位はAJとBJが抜きんでているという。新しいボス敵や新たな狩場の作成はAJである田岡には何ら意味をなさない。恐らくガルドたちBJグループのためのものだろう。
Aが言う「ガルドたちBJグループを含むこちら側のライン」と、けみけっこらソロプレイヤーのHラインとの差は、恐らく国の差だ。ガルドは既に、複数の国が担当を分けてガルドたちの「グループ」を管理しているのだと知っている。BJのために必要なエンタメコンテンツの追加は、どこの国か分からないが、どこかのクリエイターが日本のゲームをモデルにして組みこんでいるのだろう。
そしてHラインも「人を冬眠させる技術が必要な国」が管理しているのだとすれば。
未発見のソロプレイヤーは三十人程度。人数の区分けで言えば、今回の被害者たちのなかで一番大きな集団になる。
<グループの上にラインの区分けがあるのか?>
新たな単語としてAが出してきたラインという区分は、既に耳にしているグループとは意図的に使い方が沸けられているように思えた。Aの言葉を聞き続けたガルドの主観でしかなかったが、もっと大きな括りに聞こえる。HはハイバネーションのH、つまり技術名だ。恐らくHラインの下にグループが存在する。
ガルドはそこまで予測し、懐を見下げ、黒いボールのようなアヒル型ペットと視線を合わせた。
<Hラインのことは詳細がこちらでも分からないのでね>
<そうか>
<ただ一点、忘れてはいけないこともあるがね。みずき>
Aも懐からガルドを見上げている。
<キミは優先順位が高いBJグループだからではなく、ボクがそうすべきだという理屈でもって、キミだけをボクだけが守っているのでね>
<初耳だ>
どこかで聞いたかもしれないが、Aの言葉を完全に信用していないガルドは今回の言葉も生返事しているに過ぎなかった。敵は敵だ。いくらガルドを守ろうと、ガルドをこのような目に合わせているのはAが与する悪逆非道の者たちだ。そのことも、ガルドは一切忘れないよう気を付けている。
<ならどうか、それだけは覚えていて欲しいのだがね。みずき>
Aの声のトーンが一段下がった。いつになく真面目で、ガルドは思わず茶化すことも忘れて目を伏せた。
くそうだな。覚えておく>
<BJ02は事実を知らない。比べてホラ、ボクは何もかも...キミの身体のことも細かく隅々まで知っているこのボクに全て、任せたまえね>
言葉だけ聞くと自信あふれて聞こえるが、実際にAはアーモンド型の目をぎゅうとしかめ、不機嫌そうに羽を震わせている。
「どうした、A」
「ぐわあ...」
ガルドが思わず声にだして問いかけると、榎本が話題に乗って来た。ガルドの胸元を覗き込み、抱っこ紐の中にいるAへ話しかける。
「お? 随分不機嫌そうだなぁ、アヒル。可愛い顔してるっつっても、そんなブーたれてたらブッサイクだぞ」
「ぐわはっ! ぐわはっ!」
黒く小さな羽を数本まき散らしながら、Aが胸元で思い切り羽ばたきした。そして勢いをつけ、榎本にくちばしを向ける。ペペペっとコミカルな音がした。
「グワァっ! 俺にはツバかけんのかよ!」
「グワあ」
「ヒィー、めんどくさいペットだな……鳥は嫉妬深いと聞きますけど、噂レベルの俗説魔に受けやがって」
「そういえば鳥の鳴き声するなーとは思ってたんだけど、実装した?」
「いいや」
けみけっこが便乗して覗き込んでくる。ガルドは榎本が言った「鳥は嫉妬深い」の言葉を脳裏で繰り返していた。
「田岡?」
「こっちの話だ。城に戻ったら紹介するから、今は『外部との連絡手段』だと思ってくれ」
榎本がけみけっこと向き合うようにしてあぐらをかいて座る。ガルドは元気そうなけみけっこを横目で見ながら、ボイチャ先で喜び合う仲間たちの声を聞いていた。
<けみけっこが!?>
<おお~!>
<元気そう? やつれてないか?>
<大丈夫>
<っはー! よかったー!>
男性比率の多い感動の声がガルドの耳に届く。ガルドは少しずつ、指先で仲間にけみけっこの声が聞こえるよう一人一人をグループチャットへ組み入れていく。システムの穴を突いた裏技のようなもので、グループを立ち上げたユーザーがハブになることで、直接対面での合流をしていない遠隔のユーザー同士でもボイスチャットを行なえるようにするものだ。城にいる仲間たちは未だに、けみけっこのステータスが「オフライン」のままで止まっている。
一人、また一人とけみけっこに挨拶をして喜んでいる。
<わ、オッサン!? 久しぶりじゃない>
<オッサン言うな! 雅炎だ! いつになったら覚えるんだお前!>
<えへへ>
<まったく、心配かけやがって>
<全然余裕だけど、そこまで言うなら『さみしかったぁ』とか言っとく?>
<余裕なのかよ!>
野良と呼ばれるマッチング方法でのみプレイしていたけみけっこに、突出して仲が良いフレンドは一人も居ない。だが裏表なくマナーを守り、かつプレイ面でも優秀な彼女は多くの日本人プレイヤーに慕われていた。サーバー越境エリアで海外勢ともプレイしていたためコミュニケーション能力に長けている。
だがフランクに通話する面々を見るガルドには、ギャップが強く目に映った。おいおいと泣く男の声が通信先で聞こえる。それはそうだろう。ガルドは一定の理解を示し、けみけっこが榎本と談笑する様子を撮影したスクショ画像を送信した。彼らはずっとソロで弾き飛ばされた彼女を心配していたのだ。ガルドもそうだった。ヴァーツの吟醸が一人でホテルに引きこもっていた様子を思い出す。あの時点で吟醸の精神はギリギリだったように思う。
だがけみけっこは信じられない程元気だった。
「けみ」
「んー?」
笑顔で振り返るけみけっこを待たせ、ガルドは榎本へチャットで声をかける。
<どこまで話した>
<んー、城に仲間がたくさん集まってるってのと、空港で拉致されて外で政府が救援に動いてくれてるって話はした>
<……そうか>
「けみ、『久しぶり』」
ガルドはそもそも最初に言うべき言葉を掛けた。
「え? 何言ってんのガルド」
「……はっ!?」
ガルドは生唾を飲んだ。
「は? はコッチのセリフよ。久しぶりってほど? あ、ロビーに居なかったわね。そんなに顔出し嫌なのかしら、ガルド君は。あはは」
榎本が怖い顔を隠さず立ち上がって、けみけっこを見下ろす。
「な、なに? ネットストーカー対策だった?」
「……やりやがった」
「え?」
<A>
<ボクとしても状況が分かっていないのでね。彼らは計画上『H』ラインに置かれているはずでね>
<H?>
<なぜアクティブで、その上ログイン状態になっているのかボクには完全意味不明>
<悟られたか!?
<いいや、どうやらオーナーもHラインの稼働開始を知らないらしい。向こうが騒がしいのはこれが原因のようだね>
ガルドは大きなため息をついた。榎本が拳を握りしめ、怒りで全身を震わせている。
「けみけっこ!」
「ヒャイ!」
「お前、空港で俺らの見送りしてから何日経った!」
「え?」
「いいから!」
ガルドは目を伏せ、マグナや三橋といった参謀と使っているチャットルームを開く。
「え? えーっと、三日くらい、かな?」
「——っ! く、くそぉっ!」
榎本が叫ぶ。
<Hラインというのはだね、みずき>
Aが呟く声を正面から聞きながら、ガルドはチャット両面をぐるりと360度に広げて声を聞いた。絶句する空気の漏れと息をのむ音が左から。苦しそうに抑えた酒と「嘘だろう」と呟く呆然とした声が右から。外部に連絡するため田岡を大声で呼ぶマグナの田、三橋がぶつぶつと何か消え成く声が後ろからする。
「なんで今になってっ! くそ、なんでだ!」
頭上から榎本が敵を問う声がした。けみけっこは不思議そうに首をかしげている。
< Hはつまり、ハイバネーションの略でね>
<……冬眠?>
<おや、博識だね>
<テストに出た>
ガルドは英語の長文読解を思い出す。読めない英単語を調べても記憶に定着することは多くないのだが、ハイバネーションはしっかり覚えていた。北海道の人食いクマに関する英語長文で、本来の生態を紹介する時に使われた単語だ。カットイラストの恐ろしいクマの表情と共に、記憶の浅いところで引っかかっている。
<正しくは冬眠に似た処置、だがね。ハイバネーションを施されるラインはグループではなくHラインと呼び、とある人間が今は一元管理しているのでね。来たる日のために>
<コールドスリープしてるのか!>
<いや、凍らせないがね。冬を眠って超えるだけでね>
<ああ言えばこう言う!目 覚めさせて正解だ馬鹿!>
理論上可能かもしれない。ガルドにもそれくらいの知識はある。だが聞いたことがない。実現可能ならばニュースになっているだろう。つまりけみけっこがこの数か月を眠って過ごしていたのは、恐らくけみけっこが初の人体実験被験者ということなのだ。
<バカとはなんだね。Hラインの担当者ではないのでね、ボクはそもそもグループで区切られるこちらのラインとHラインは全く別の計画なのでね>
<それがどうしてここに>
<意図しての操作ではなさそうでね。詳しく分かり次第教えるがね、それまでは……>
Aが言葉のボリュームを落としていく。続けてまた勝手にマップが呼び出され、縮尺をどんどん広域化していく。
「なにが……」
「ちょっとおお!」
けみけっこが仲間たちの詰問に耐え兼ね嫌そうに叫んだ。両手を拒否の形にして榎本を押す。
「どわっ」
「待ってよ、なんでみんなそんな前からいるの! ログアウト出来ないの!? いつから!」
けみけっこが慌て始めている。押された榎本が尻もちをついたままけみけっこを見上げた。
「空港で意識失って、それからずっとだよ」
「ずっとって?」
「何か月か経ったとは思うんだが、外と中との時間の流れに違いがあるらしいんだ」
「そりゃ外と中とで一日が短くなるなんてよくあるじゃない」
「シュミレーションゲームじゃねぇんだよ。マジ違うの。ジョーと合流したら説明してやるから、とりあえずアイツ拾いに行くぞ!」
榎本が立ち上がる。ガルドは眼前に広げられたマップをくまなく端から端まで見た。
「ジョーはどこだ」
「え?」
「あっちにはろくなモンスターもでない、マップの切れ端しかない」
山の頂上から向こうを指さす。ガルドたちがスルーしかけてしまったのは、行っても何もないと知っていた極西、フロキリ時代マップの一番端だった場所・ファーウェストだ。エリアの境界線に同じようなリスポーンポイントかにされているが、特に強い敵がいるわけでもない。
「それがね、弱くてドロップの美味しい奴がたまーに現れるのよ」
「そんなのいたか?」
「欧米サーバーの初期にいたっていうぶっ壊れ仕様のオートマタ・ベビーが出たの。日本語版出す前に修正がかっちゃったってやつ。一気に1ダース出る上に弱くて、落とすアイテムはランダムでフローズンロースまであるよ」
「薔薇!? うわっ、まじか! 欲しい!」
「騒ぐな榎本、使い道がない」
「大規模戦で使うだろうが!」
「要らない。今そんなに居ない」
「あ……」
榎本が苦笑いする。被害者が二百人も居ては困るのだが、ガルドも「残念だが」と添えた。くびれの頂点についている銃へ手をかけ、けみけっこは右手の人差し指をトントンとノックした。マップ呼び出しモーションだ。ガルドには見えないが、目線を小さく動かして「あれっ?」と何かに気付く。
ガルドは広域化したマップの遠い点を見ながら、けみけっこに言う。
「ジョー、死んでる」
「うっそ! え、でも確かにアイコン消えてるし……なんかすごい遠くまで戻ってるけど」
エリアの境界線に近くに設置されているリスポーンポイントに、先ほどまで近かった点の一つが飛んで行っている。顔を合わせていないため名前が出ないが、けみけっこの言う言葉が本当ならばジョーに間違いない。
「オートマタ・ベビーって初耳だぞ。知ってるか、ガルド?」
首を横に振る。
「だよなぁ」
「ジャスなら知ってるかも」
聞こうかとボイスチャットのボリュームを大きくすると、氷結晶城にいる仲間たちが喧々買々と騒ぐ様子が急に耳へはいって来た。
<三日!? 時属性エンチャントにしても違いすぎるだろ!>
<恐らく昏睡状態だったんだろう。外部からいじって、強制的に>
<どうえええっ!? そんなのアリっすか!?>
<脳波コンというより麻酔としてだろうな。全身麻酔か?>
<一歩間違えば死ぬじゃん、それ。全身麻酔する時すごいいっぱい書類にサインするけど、目覚めなくなるかも~みたいな怖い事書いてあるよねあれ>
<怖い事言うなよ!>
<事実だし>
<やっベー想像以上にやっベー>
くつか何か月も閉じ込められて平気な俺らもやベーよ>
野太い男たちの笑い声が弾ける。
「騒がしい」
ボイスチャットの音量をミュートにし、ガルドは文字チャット画面を呼び出し文章でジャスティンへメッセージを送信した。オートマタ・ベビーについて知っていることを聞きつつ、全体に見えるよう設定している掲示板代わりのチャットページへ古参ユーザーへの集合知を募った。榎本も投稿文に気付いたのか、顔を上げてガルドへ視線を送る。
「どう思う、ガルド」
「サルガスの操作とは思えない」
他にも情報は得たが、いつもの通りガルドはあからさまな事実しか口に出来なかった。榎本が頷いて得意げに続ける。
「だよな。もっと上の、普通に人間が新しく入れたモンスターなんじゃないか?」
「多分そう」
ガルドは頷く。けみけっこはチャットの向こうを質問攻めにし始めており、榎本は本格的にガルドへ向かい合い現状の整理をしようとしていた。
しかしガルドは榎本のことを直視できない。
「……まぁ、蛇はさておき門扉もいたし。着々と娯楽コンテンツを増やしてるってことか」
「だとしたら場所が辺鄙」
「移動させたいのかもな。ファストトラベルを使用不可にしたのはそういう意図があるのか?」
「こちらの徒歩がリアル側の足の動作と連動してる、とか」
「おー、マグナが言ってた説だな。外に出る動機を作れば健康維持に繋がるってことか」
<ノーコメントとさせてもらおうかね>
Aは思い切りはぐらかした。ガルドは榎本へ適当に頷いておく。
「足を使って稼げば金も装備もアイテムも手に入るってことだな」
「ゲームそのまま」
「ははは、確かに。フロキリが俺ら専用に着々とチューンアップされているだけだな。ああ、田岡専用が正しいか……」
ガルドは声に出さず心の中だけで「自分たち専用、で正しい」と訂正した。優先順位はAJとBJが抜きんでているという。新しいボス敵や新たな狩場の作成はAJである田岡には何ら意味をなさない。恐らくガルドたちBJグループのためのものだろう。
Aが言う「ガルドたちBJグループを含むこちら側のライン」と、けみけっこらソロプレイヤーのHラインとの差は、恐らく国の差だ。ガルドは既に、複数の国が担当を分けてガルドたちの「グループ」を管理しているのだと知っている。BJのために必要なエンタメコンテンツの追加は、どこの国か分からないが、どこかのクリエイターが日本のゲームをモデルにして組みこんでいるのだろう。
そしてHラインも「人を冬眠させる技術が必要な国」が管理しているのだとすれば。
未発見のソロプレイヤーは三十人程度。人数の区分けで言えば、今回の被害者たちのなかで一番大きな集団になる。
<グループの上にラインの区分けがあるのか?>
新たな単語としてAが出してきたラインという区分は、既に耳にしているグループとは意図的に使い方が沸けられているように思えた。Aの言葉を聞き続けたガルドの主観でしかなかったが、もっと大きな括りに聞こえる。HはハイバネーションのH、つまり技術名だ。恐らくHラインの下にグループが存在する。
ガルドはそこまで予測し、懐を見下げ、黒いボールのようなアヒル型ペットと視線を合わせた。
<Hラインのことは詳細がこちらでも分からないのでね>
<そうか>
<ただ一点、忘れてはいけないこともあるがね。みずき>
Aも懐からガルドを見上げている。
<キミは優先順位が高いBJグループだからではなく、ボクがそうすべきだという理屈でもって、キミだけをボクだけが守っているのでね>
<初耳だ>
どこかで聞いたかもしれないが、Aの言葉を完全に信用していないガルドは今回の言葉も生返事しているに過ぎなかった。敵は敵だ。いくらガルドを守ろうと、ガルドをこのような目に合わせているのはAが与する悪逆非道の者たちだ。そのことも、ガルドは一切忘れないよう気を付けている。
<ならどうか、それだけは覚えていて欲しいのだがね。みずき>
Aの声のトーンが一段下がった。いつになく真面目で、ガルドは思わず茶化すことも忘れて目を伏せた。
くそうだな。覚えておく>
<BJ02は事実を知らない。比べてホラ、ボクは何もかも...キミの身体のことも細かく隅々まで知っているこのボクに全て、任せたまえね>
言葉だけ聞くと自信あふれて聞こえるが、実際にAはアーモンド型の目をぎゅうとしかめ、不機嫌そうに羽を震わせている。
「どうした、A」
「ぐわあ...」
ガルドが思わず声にだして問いかけると、榎本が話題に乗って来た。ガルドの胸元を覗き込み、抱っこ紐の中にいるAへ話しかける。
「お? 随分不機嫌そうだなぁ、アヒル。可愛い顔してるっつっても、そんなブーたれてたらブッサイクだぞ」
「ぐわはっ! ぐわはっ!」
黒く小さな羽を数本まき散らしながら、Aが胸元で思い切り羽ばたきした。そして勢いをつけ、榎本にくちばしを向ける。ペペペっとコミカルな音がした。
「グワァっ! 俺にはツバかけんのかよ!」
「グワあ」
「ヒィー、めんどくさいペットだな……鳥は嫉妬深いと聞きますけど、噂レベルの俗説魔に受けやがって」
「そういえば鳥の鳴き声するなーとは思ってたんだけど、実装した?」
「いいや」
けみけっこが便乗して覗き込んでくる。ガルドは榎本が言った「鳥は嫉妬深い」の言葉を脳裏で繰り返していた。
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なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。
最悪のゴミスキルと断言されたジョブとスキルばかり山盛りから始めるVRMMO
無謀突撃娘
ファンタジー
始めまして、僕は西園寺薫。
名前は凄く女の子なんだけど男です。とある私立の学校に通っています。容姿や行動がすごく女の子でよく間違えられるんだけどさほど気にしてないかな。
小説を読むことと手芸が得意です。あとは料理を少々出来るぐらい。
特徴?う~ん、生まれた日にちがものすごい運気の良い星ってぐらいかな。
姉二人が最新のVRMMOとか言うのを話題に出してきたんだ。
ゲームなんてしたこともなく説明書もチンプンカンプンで何も分からなかったけど「何でも出来る、何でもなれる」という宣伝文句とゲーム実況を見て始めることにしたんだ。
スキルなどはβ版の時に最悪スキルゴミスキルと認知されているスキルばかりです、今のゲームでは普通ぐらいの認知はされていると思いますがこの小説の中ではゴミにしかならない無用スキルとして認知されいます。
そのあたりのことを理解して読んでいただけると幸いです。
VRMMOでチュートリアルを2回やった生産職のボクは最強になりました
鳥山正人
ファンタジー
フルダイブ型VRMMOゲームの『スペードのクイーン』のオープンベータ版が終わり、正式リリースされる事になったので早速やってみたら、いきなりのサーバーダウン。
だけどボクだけ知らずにそのままチュートリアルをやっていた。
チュートリアルが終わってさぁ冒険の始まり。と思ったらもう一度チュートリアルから開始。
2度目のチュートリアルでも同じようにクリアしたら隠し要素を発見。
そこから怒涛の快進撃で最強になりました。
鍛冶、錬金で主人公がまったり最強になるお話です。
※この作品は「DADAN WEB小説コンテスト」1次選考通過した【第1章完結】デスペナのないVRMMOで〜をブラッシュアップして、続きの物語を描いた作品です。
その事を理解していただきお読みいただければ幸いです。
異世界でネットショッピングをして商いをしました。
ss
ファンタジー
異世界に飛ばされた主人公、アキラが使えたスキルは「ネットショッピング」だった。
それは、地球の物を買えるというスキルだった。アキラはこれを駆使して異世界で荒稼ぎする。
これはそんなアキラの爽快で時には苦難ありの異世界生活の一端である。(ハーレムはないよ)
よければお気に入り、感想よろしくお願いしますm(_ _)m
hotランキング23位(18日11時時点)
本当にありがとうございます
誤字指摘などありがとうございます!スキルの「作者の権限」で直していこうと思いますが、発動条件がたくさんあるので直すのに時間がかかりますので気長にお待ちください。
Anotherfantasia~もうひとつの幻想郷
くみたろう
ファンタジー
彼女の名前は東堂翠。
怒りに震えながら、両手に持つ固めの箱を歪ませるくらいに力を入れて歩く翠。
最高の一日が、たった数分で最悪な1日へと変わった。
その要因は手に持つ箱。
ゲーム、Anotherfantasia
体感出来る幻想郷とキャッチフレーズが付いた完全ダイブ型VRゲームが、彼女の幸せを壊したのだ。
「このゲームがなんぼのもんよ!!!」
怒り狂う翠は帰宅後ゲームを睨みつけて、興味なんか無いゲームを険しい表情で起動した。
「どれくらい面白いのか、試してやろうじゃない。」
ゲームを一切やらない翠が、初めての体感出来る幻想郷へと体を委ねた。
それは、翠の想像を上回った。
「これが………ゲーム………?」
現実離れした世界観。
でも、確かに感じるのは現実だった。
初めて続きの翠に、少しづつ増える仲間たち。
楽しさを見出した翠は、気付いたらトップランカーのクランで外せない大事な仲間になっていた。
【Anotherfantasia……今となっては、楽しくないなんて絶対言えないや】
翠は、柔らかく笑うのだった。
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