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222 壁を睨んで
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公園を出ると、既に教授は居なくなっていた。
「しまった、運転出来ない……」
「え? あ、そっか。クニさんまだ遠いよね」
「しょうがない。この車はこのまま置いていこう」
「え~足痛い~」
「タクシーを使う」
「いいの!?」
「経費で落ちるから」
チヨ子はレンタカーの座席から自分のカバンを回収し、ぬいぐるみ一つ分軽くなったことを実感しながらGPSを感覚する。ミルキィAIから届いていたはずの座標データだが、今はノーシグナルになっていた。
「うそ、場所分かんないじゃん! ミルキィちゃん切った!?」
「だとしてもエージェーなんとかに会いに行くとか、日電の社長がどうのって言ってたし。行先は東陽町のバックヤードだと思うよ」
「分かってるならいっか。じゃあつくば駅からアキバまでエクスプレス使って帰るの?」
脳波コンを使い電車路線検索をしようとした瞬間、覆い隠すようにギャンのメッセージが表示された。
<どうしたの?>
<嬢ちゃんら、つくばにいんなら動画発信源に向かってくれや。場所の目星はついてっからさ。いや普通に教授よりそっちのが大事だし>
<えー……>
<ハヤシモーにもお給料だすからサア。頼むよ~バイトだバイト。なあ?>
ギャンが頼み込んでくる。拒否しようとしたチヨ子を隣で滋行が制した。
「色々助けてもらったし、俺からも頼むよ」
「うー」
「解決の手助けだと思って手伝ってくれないか? 脳波コン持ちは一人でも多い方がいい」
黒のYシャツを着た細身の滋行が、首をかしげながらチヨ子を覗きこむ。紳士的かつ身長差と穏和な表情に拒否感がすぼみ、チヨ子はしぶしぶといった表情に変わっていった。
「ん……まぁ、教授もミルキィちゃんに怪電波送ってるのつくばだって言ってたし」
「よし、決まり!」
<ギャンさん、時給2000円で>
<おおお!? 言うねぇ!>
<あと美味しいポップコーン。チョコ掛けたやつが好き>
<任せな。ビーカーとバーナーならある!>
ギャンはギャグのつもりで言ったようだったが、チヨ子と滋行はくすりとも笑わないままタクシーの配車依頼ページを開いた。
「なぁ佐野さん、ポップコーンって作ったことありますー?」
「え、ポップコーン? あるよ。娘がね、家で映画館ごっこしたいって言ったことがあって……コーラも紙コップに入れてストローさして、ポップコーンとチュロス食べながらアンパンマンの映画を見たなぁ」
「うわリア充~かわいい~」
「でも突然なんだってポップコーンなんだい? 食べたい?」
「いやね、ボランティアの子をこの度正式に雇うことにしまして。給与プラスポップコーンだって言うんすわ」
「可愛いねぇ」
「でしょ? これがね、どうやらお嬢さんの同級生っぽいんだよなぁ~。会話ログ覗いただけだけど」
佐野はやっと顔を上げた。かなりやつれた顔をしている。小綺麗にしていたサラリーマン時代の佐野仁は影もなく、むしろ八木のような技術屋に近い。ヒゲは伸ばしっぱなしで、崩した格好を許さないはずの佐野が靴下で胡坐をかき、事務椅子の下にスリッパを投げ飛ばしていた。
「みずきの同級生?」
「ハヤシモー……林本っていう子で。脳波コン入れて間もないのに結構テクニシャンらしいんでェ、つい巻き込んじまいましたー!」
「ああ、その子多分被害者の皆さんにブルーホールの情報流してる子だ」
「お、マジで? そりゃ好都合! こっちに釘付けにすりゃあ情報流失減りますな!」
八木が笑うと、佐野はディスプレイに視線を戻しトラックボールをくるくると触り始めた。画面上にはゲーム上の画面を切り取った動画が整然と並んでいる。
一時停止されたものが画像形式になり、トナー式プリンターからそこそこ大きなサイズで出力され、別のスタッフが壁に貼っていく。時折マジックで紙の上に、時には壁へはみ出すようにして文字が書かれる。加えて何枚も同じものをプリントアウトした文字を張り付け、まるでコピーペーストをリアルで行ったかのような区画もある。用語としての「鈴音」や「ヴァーツ」など、また「氏名不明」などもゼロではない。
壁はゲーム内の写真と文字で埋め尽くされていた。
「八木君、つくばサイドは本当に任せて構わないのかい? みずきの同級生まで巻き込んで……」
「俺らが出張る必要ないない。自主的に勝手されるより監視できていいっすよね~」
「監視、か。協力してもらってる側だってのに、僕たちはなんて酷い大人なんだろうね。キミはまだ松葉杖だから行ったって足手まといだろうけど」
「へへへ、佐野さんもその恰好じゃ外出れないっしょー」
「もう気にならなくなってきた」
八木のからかい声にも佐野の返事はさっぱりと軽い。
「妻と連絡が取れないんだ」
「だから綺麗にする必要もねーってことっすか」
「はは、キミとは真逆だな。彼女が出来てから随分身綺麗にしている」
「畑違いなのにツノのメンテまで勉強し始めちゃって、可愛い奴っすわ。ね、佐野さん」
八木はこめかみに生えた黒い生体常時接続型デバイスから何本も生えたコードを一つつまみ、床に転がるタワー型PCの背面に繋ぎながら佐野に笑う。
「絶対大丈夫ですって。弓子さんは脳波コン持ちだ」
「そう信じたいさ、けど死者は出た。今回の被害プレイヤー一覧に入っていない一般人だったらしいけど、遺体は施設ごとグリーンランドの雪を被り始めている……突入部隊の画像に映ってないだけで、その中に妻が含まれないなんて誰にも言い切れない!」
苦々しそうに佐野が漏らした言葉を、八木は大して変わらない表情のまま聞いている。床に直置きされたPCやコードを踏まないようにしながら足を進め、中央に置かれたベッドサイドに腰掛けた。
大量の機材と共に、白髪の老人が眠っている。
今は大型の装置とEMSを使ったリハビリ機器で、本人の意思とは無関係に身体を動かしているところだ。眠った姿勢のまま足を上げ下げし、腕を上げ下ろしさせられていた。そのたびに身体の各所から繋がる管がゆらゆらと揃って揺れる。
「一緒にいたのは技術者なんすよね?」
「すずちゃんは確かに技術者だ。彼女、姪っ子なんだよ。あの子の方は大丈夫だと思いたいよ。でも弓子はただのジャーナリストだから……むしろ古典的な身代金要求のための人質ならこんなに辛くなかった。ジャーナリストも技術者も人質としての力は同等だからね。彼らが金ではなく情報技術に価値を見出しているのだということは、ここで生きている彼が証明している。シンギュラリティを目指すのが動機なら、若くて先進的な頭脳を持つすずちゃんには価値がある。けど、妻には……」
「それ言っちゃあオシマイっすよ、佐野さん。俺らは全員助けるつもりで働くんだ。救う前に優先順位なんてつけるもんじゃない」
八木が松葉杖で床を強く押し、ベッドサイドから立ち上がる。
「そうだね。それでも親として、どうしても恐ろしい事ばかり考えてしまう」
佐野はPC画面から目を離し、椅子ごと身体を回転させ背面の壁を見つめた。情報が何層にも重ねられているが、ぽっかりと下地のコンクリート壁が見える部分を佐野はじっと見つめている。
穴のように開いた場所には、六枚のデジタル写真と一枚のリアル写真が貼られている。
「娘も、まだ見つかってない」
「候補の『吟醸』や『一人で歩いている女性』、やっぱり違います?」
「違う、みずきじゃないよ彼女たちは。把握できてるプレイヤーの一覧にもないけど、それでもみずきではない」
佐野は首を振った。一枚張られたリアル写真は、どこかの集合写真を切り抜いて一人の女子高生だけにスポットを当てていた。少し固い笑い方でカメラを見つめていて、どことなく佐野に顔つきが似ている。
「いないんですかね……それか、その……」
「みずきが『ベルベット』とかいう危険人物と交流があったなんて、僕は信じないよ。ソースも怪しい。情報提供者が匿名なんて、ただの噂に過ぎないってことだ」
きっぱりと佐野が言い切る。
「なら……」
「だからこそ心配なんだ。中にいないということは『実験に不要』ということだし」
「いや、脳波コンを施されて三年超えの若年層だ。不要なハズねぇって。きっと映ってないだけだ」
「……ありがとう八木君。気を遣わせてすまないね」
「佐野さぁん、アンタ頭良いから分かってるんだろ? 理詰めで考えりゃ娘さん悪い奴らに利用されてるに決まってんだって!」
「そうだね、僕が信じないで誰がみずきの無実を信じるっていうんだ」
「うんうん! その意気ですぜェ!」
八木は松葉杖を頼りながら壁までゆっくりと歩いていく。
「佐野みずきは絶対に無実だ! んで、社長が特別扱いしてる六人組こそ怪しい。だろォ?」
「そうだね」
壁に貼られた写真に八木がマジックペンで印をつけていく。
「マグナってのは白だ。殺害された桜子とは内縁関係にある。田岡さんが中継かけてくれた所帯持ち限定の飲み会にも入ってた。動画も見つけた。死んでるだなんて知ってる顔じゃなかったよ」
「夜叉彦とジャスティンも同じく白だよなァ。顔も割れてて奥さんが協力的で、固定回線の通信履歴全部丸裸にしても怒られなかったぜ。中身見ても怪しさゼロ」
「残る三人が要注意人物だよ」
佐野が胡座を解いてスリッパをつっかけ立ち上がり、八木の脇に近付いていった。目線はまっすぐ、張り付けられた三枚の写真へ向いている。
「梅森はそもそも最重要参考人のベルベットを他の面々に引き合わせた仲介役だし、そもそも梅森がいなければ六人組は分断してたっつー話だろぉ?」
「だけど情報開示で見える範囲にそれらしい履歴はなかったよ」
「うーん……悪意のない悪? いやベルベットは参考人だっつっても犯人の確定は無いわけで……社長もなーんか隠してんだよな~、この辺」
「不透明という意味で、僕はこっちの二人が怪しいと思っている。娘を信じたいからこっちの彼は違うと思いたいけど、むしろコイツのせいだと決めつけたい気持ちもある」
「キヒヒ! 私怨じゃねぇか!」
「まっとうな視点なんてもう持ってないんだよ、僕は。あはは」
佐野はアゴヒゲの生えたアバターの写真を指でピンと弾いてから、名前の下に八木へ線を引かせる。マジックで強く線を引きながら八木は苦々しい顔になる。
「リアルネームと同じプレイヤーネームってのも怪しいよなァ! 普通の感性じゃありえねーっしょー」
「でも正直、その辺のエピソードはSNS上でごろごろ出てくるんだよね。彼は随分交友関係が広いようだ。疑いの目で言えば彼はむしろ詐欺師に近い。ならむしろ、過激派テロリストとしての危なさはこっちの彼が抜きんでているよ」
目線を左隣に貼られた一枚へ移し、佐野はため息をついた。
「リアルの情報が全く出てこない、唯一の被害者……いいや、空港に居たかどうかすら疑わしい」
「そうなっと、拉致後の研究施設で合流して素知らぬ顔して被害者のフリして、あん中に紛れ込んでるっつーことっすかねー」
八木が腰ごと首を横にひねる。九十度折れ曲がった身体を松葉杖で支えながら、小さく唸った。
「ううむ、そりゃ愉快犯というか、顔の皮厚くねーと中でも疑われないか?」
「田岡さんは随分褒めていたけれど、それも怪しい」
「うんにゃ、そういや榎本とは名実ともにコンビだってコメント書いてあったなぁ。共犯って線も残ってますぜ? 佐野さん。揃ってスパイとかな」
「なんにせよ、中での行動は注意して追わなければ。こちらにも線を」
「アイヨ」
八木がマジックペンで名前の下にくっきり線を引く。脇に貼られた写真には、無精ひげを生やした大男が睨みの効いた瞳でカメラを射抜く姿が映っていた。
「引き続き彼のリアルに繋がる情報を映像から洗う。なにかボロを出すはずだよ。奴らの目的でもいい。そしてボスが隠したがっていることを調べるんだ……政府に盾突くことになるだろうけど、いいかい?」
「いいですともー。っはは、三橋ならそう言ってるでしょうよ」
「ははは、そうだな」
八木がつく松葉杖の音が大きく室内に響く。彼らの仕事は深夜遅くまで続いた。
「しまった、運転出来ない……」
「え? あ、そっか。クニさんまだ遠いよね」
「しょうがない。この車はこのまま置いていこう」
「え~足痛い~」
「タクシーを使う」
「いいの!?」
「経費で落ちるから」
チヨ子はレンタカーの座席から自分のカバンを回収し、ぬいぐるみ一つ分軽くなったことを実感しながらGPSを感覚する。ミルキィAIから届いていたはずの座標データだが、今はノーシグナルになっていた。
「うそ、場所分かんないじゃん! ミルキィちゃん切った!?」
「だとしてもエージェーなんとかに会いに行くとか、日電の社長がどうのって言ってたし。行先は東陽町のバックヤードだと思うよ」
「分かってるならいっか。じゃあつくば駅からアキバまでエクスプレス使って帰るの?」
脳波コンを使い電車路線検索をしようとした瞬間、覆い隠すようにギャンのメッセージが表示された。
<どうしたの?>
<嬢ちゃんら、つくばにいんなら動画発信源に向かってくれや。場所の目星はついてっからさ。いや普通に教授よりそっちのが大事だし>
<えー……>
<ハヤシモーにもお給料だすからサア。頼むよ~バイトだバイト。なあ?>
ギャンが頼み込んでくる。拒否しようとしたチヨ子を隣で滋行が制した。
「色々助けてもらったし、俺からも頼むよ」
「うー」
「解決の手助けだと思って手伝ってくれないか? 脳波コン持ちは一人でも多い方がいい」
黒のYシャツを着た細身の滋行が、首をかしげながらチヨ子を覗きこむ。紳士的かつ身長差と穏和な表情に拒否感がすぼみ、チヨ子はしぶしぶといった表情に変わっていった。
「ん……まぁ、教授もミルキィちゃんに怪電波送ってるのつくばだって言ってたし」
「よし、決まり!」
<ギャンさん、時給2000円で>
<おおお!? 言うねぇ!>
<あと美味しいポップコーン。チョコ掛けたやつが好き>
<任せな。ビーカーとバーナーならある!>
ギャンはギャグのつもりで言ったようだったが、チヨ子と滋行はくすりとも笑わないままタクシーの配車依頼ページを開いた。
「なぁ佐野さん、ポップコーンって作ったことありますー?」
「え、ポップコーン? あるよ。娘がね、家で映画館ごっこしたいって言ったことがあって……コーラも紙コップに入れてストローさして、ポップコーンとチュロス食べながらアンパンマンの映画を見たなぁ」
「うわリア充~かわいい~」
「でも突然なんだってポップコーンなんだい? 食べたい?」
「いやね、ボランティアの子をこの度正式に雇うことにしまして。給与プラスポップコーンだって言うんすわ」
「可愛いねぇ」
「でしょ? これがね、どうやらお嬢さんの同級生っぽいんだよなぁ~。会話ログ覗いただけだけど」
佐野はやっと顔を上げた。かなりやつれた顔をしている。小綺麗にしていたサラリーマン時代の佐野仁は影もなく、むしろ八木のような技術屋に近い。ヒゲは伸ばしっぱなしで、崩した格好を許さないはずの佐野が靴下で胡坐をかき、事務椅子の下にスリッパを投げ飛ばしていた。
「みずきの同級生?」
「ハヤシモー……林本っていう子で。脳波コン入れて間もないのに結構テクニシャンらしいんでェ、つい巻き込んじまいましたー!」
「ああ、その子多分被害者の皆さんにブルーホールの情報流してる子だ」
「お、マジで? そりゃ好都合! こっちに釘付けにすりゃあ情報流失減りますな!」
八木が笑うと、佐野はディスプレイに視線を戻しトラックボールをくるくると触り始めた。画面上にはゲーム上の画面を切り取った動画が整然と並んでいる。
一時停止されたものが画像形式になり、トナー式プリンターからそこそこ大きなサイズで出力され、別のスタッフが壁に貼っていく。時折マジックで紙の上に、時には壁へはみ出すようにして文字が書かれる。加えて何枚も同じものをプリントアウトした文字を張り付け、まるでコピーペーストをリアルで行ったかのような区画もある。用語としての「鈴音」や「ヴァーツ」など、また「氏名不明」などもゼロではない。
壁はゲーム内の写真と文字で埋め尽くされていた。
「八木君、つくばサイドは本当に任せて構わないのかい? みずきの同級生まで巻き込んで……」
「俺らが出張る必要ないない。自主的に勝手されるより監視できていいっすよね~」
「監視、か。協力してもらってる側だってのに、僕たちはなんて酷い大人なんだろうね。キミはまだ松葉杖だから行ったって足手まといだろうけど」
「へへへ、佐野さんもその恰好じゃ外出れないっしょー」
「もう気にならなくなってきた」
八木のからかい声にも佐野の返事はさっぱりと軽い。
「妻と連絡が取れないんだ」
「だから綺麗にする必要もねーってことっすか」
「はは、キミとは真逆だな。彼女が出来てから随分身綺麗にしている」
「畑違いなのにツノのメンテまで勉強し始めちゃって、可愛い奴っすわ。ね、佐野さん」
八木はこめかみに生えた黒い生体常時接続型デバイスから何本も生えたコードを一つつまみ、床に転がるタワー型PCの背面に繋ぎながら佐野に笑う。
「絶対大丈夫ですって。弓子さんは脳波コン持ちだ」
「そう信じたいさ、けど死者は出た。今回の被害プレイヤー一覧に入っていない一般人だったらしいけど、遺体は施設ごとグリーンランドの雪を被り始めている……突入部隊の画像に映ってないだけで、その中に妻が含まれないなんて誰にも言い切れない!」
苦々しそうに佐野が漏らした言葉を、八木は大して変わらない表情のまま聞いている。床に直置きされたPCやコードを踏まないようにしながら足を進め、中央に置かれたベッドサイドに腰掛けた。
大量の機材と共に、白髪の老人が眠っている。
今は大型の装置とEMSを使ったリハビリ機器で、本人の意思とは無関係に身体を動かしているところだ。眠った姿勢のまま足を上げ下げし、腕を上げ下ろしさせられていた。そのたびに身体の各所から繋がる管がゆらゆらと揃って揺れる。
「一緒にいたのは技術者なんすよね?」
「すずちゃんは確かに技術者だ。彼女、姪っ子なんだよ。あの子の方は大丈夫だと思いたいよ。でも弓子はただのジャーナリストだから……むしろ古典的な身代金要求のための人質ならこんなに辛くなかった。ジャーナリストも技術者も人質としての力は同等だからね。彼らが金ではなく情報技術に価値を見出しているのだということは、ここで生きている彼が証明している。シンギュラリティを目指すのが動機なら、若くて先進的な頭脳を持つすずちゃんには価値がある。けど、妻には……」
「それ言っちゃあオシマイっすよ、佐野さん。俺らは全員助けるつもりで働くんだ。救う前に優先順位なんてつけるもんじゃない」
八木が松葉杖で床を強く押し、ベッドサイドから立ち上がる。
「そうだね。それでも親として、どうしても恐ろしい事ばかり考えてしまう」
佐野はPC画面から目を離し、椅子ごと身体を回転させ背面の壁を見つめた。情報が何層にも重ねられているが、ぽっかりと下地のコンクリート壁が見える部分を佐野はじっと見つめている。
穴のように開いた場所には、六枚のデジタル写真と一枚のリアル写真が貼られている。
「娘も、まだ見つかってない」
「候補の『吟醸』や『一人で歩いている女性』、やっぱり違います?」
「違う、みずきじゃないよ彼女たちは。把握できてるプレイヤーの一覧にもないけど、それでもみずきではない」
佐野は首を振った。一枚張られたリアル写真は、どこかの集合写真を切り抜いて一人の女子高生だけにスポットを当てていた。少し固い笑い方でカメラを見つめていて、どことなく佐野に顔つきが似ている。
「いないんですかね……それか、その……」
「みずきが『ベルベット』とかいう危険人物と交流があったなんて、僕は信じないよ。ソースも怪しい。情報提供者が匿名なんて、ただの噂に過ぎないってことだ」
きっぱりと佐野が言い切る。
「なら……」
「だからこそ心配なんだ。中にいないということは『実験に不要』ということだし」
「いや、脳波コンを施されて三年超えの若年層だ。不要なハズねぇって。きっと映ってないだけだ」
「……ありがとう八木君。気を遣わせてすまないね」
「佐野さぁん、アンタ頭良いから分かってるんだろ? 理詰めで考えりゃ娘さん悪い奴らに利用されてるに決まってんだって!」
「そうだね、僕が信じないで誰がみずきの無実を信じるっていうんだ」
「うんうん! その意気ですぜェ!」
八木は松葉杖を頼りながら壁までゆっくりと歩いていく。
「佐野みずきは絶対に無実だ! んで、社長が特別扱いしてる六人組こそ怪しい。だろォ?」
「そうだね」
壁に貼られた写真に八木がマジックペンで印をつけていく。
「マグナってのは白だ。殺害された桜子とは内縁関係にある。田岡さんが中継かけてくれた所帯持ち限定の飲み会にも入ってた。動画も見つけた。死んでるだなんて知ってる顔じゃなかったよ」
「夜叉彦とジャスティンも同じく白だよなァ。顔も割れてて奥さんが協力的で、固定回線の通信履歴全部丸裸にしても怒られなかったぜ。中身見ても怪しさゼロ」
「残る三人が要注意人物だよ」
佐野が胡座を解いてスリッパをつっかけ立ち上がり、八木の脇に近付いていった。目線はまっすぐ、張り付けられた三枚の写真へ向いている。
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「だけど情報開示で見える範囲にそれらしい履歴はなかったよ」
「うーん……悪意のない悪? いやベルベットは参考人だっつっても犯人の確定は無いわけで……社長もなーんか隠してんだよな~、この辺」
「不透明という意味で、僕はこっちの二人が怪しいと思っている。娘を信じたいからこっちの彼は違うと思いたいけど、むしろコイツのせいだと決めつけたい気持ちもある」
「キヒヒ! 私怨じゃねぇか!」
「まっとうな視点なんてもう持ってないんだよ、僕は。あはは」
佐野はアゴヒゲの生えたアバターの写真を指でピンと弾いてから、名前の下に八木へ線を引かせる。マジックで強く線を引きながら八木は苦々しい顔になる。
「リアルネームと同じプレイヤーネームってのも怪しいよなァ! 普通の感性じゃありえねーっしょー」
「でも正直、その辺のエピソードはSNS上でごろごろ出てくるんだよね。彼は随分交友関係が広いようだ。疑いの目で言えば彼はむしろ詐欺師に近い。ならむしろ、過激派テロリストとしての危なさはこっちの彼が抜きんでているよ」
目線を左隣に貼られた一枚へ移し、佐野はため息をついた。
「リアルの情報が全く出てこない、唯一の被害者……いいや、空港に居たかどうかすら疑わしい」
「そうなっと、拉致後の研究施設で合流して素知らぬ顔して被害者のフリして、あん中に紛れ込んでるっつーことっすかねー」
八木が腰ごと首を横にひねる。九十度折れ曲がった身体を松葉杖で支えながら、小さく唸った。
「ううむ、そりゃ愉快犯というか、顔の皮厚くねーと中でも疑われないか?」
「田岡さんは随分褒めていたけれど、それも怪しい」
「うんにゃ、そういや榎本とは名実ともにコンビだってコメント書いてあったなぁ。共犯って線も残ってますぜ? 佐野さん。揃ってスパイとかな」
「なんにせよ、中での行動は注意して追わなければ。こちらにも線を」
「アイヨ」
八木がマジックペンで名前の下にくっきり線を引く。脇に貼られた写真には、無精ひげを生やした大男が睨みの効いた瞳でカメラを射抜く姿が映っていた。
「引き続き彼のリアルに繋がる情報を映像から洗う。なにかボロを出すはずだよ。奴らの目的でもいい。そしてボスが隠したがっていることを調べるんだ……政府に盾突くことになるだろうけど、いいかい?」
「いいですともー。っはは、三橋ならそう言ってるでしょうよ」
「ははは、そうだな」
八木がつく松葉杖の音が大きく室内に響く。彼らの仕事は深夜遅くまで続いた。
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福引の景品が発売分最後のパッケージであると運営が認め話題になっているVRMMOゲームをたまたま手に入れた少女は……
「はあ、農業って結構重労働なんだ……筋力が足りないからなかなか進まないよー」※ STRにポイントを振れば解決することを思いつきません、根性で頑張ります。
「なんか、はじまりの街なのに外のモンスター強すぎだよね?めっちゃ、死に戻るんだけど……わたし弱すぎ?」※ここははじまりの街ではありません。
「裁縫かぁ。布……あ、畑で綿を育てて布を作ろう!」※布を売っていることを知りません。布から用意するものと思い込んでいます。
リアルラックが高いのに自分はついてないと思っている高山由莉奈(たかやまゆりな)。ついていないなーと言いつつ、ゲームのことを知らないままのんびり楽しくマイペースに過ごしていきます。
そのうち、STRにポイントを振れば解決することや布のこと、自身がどの街にいるか知り大変驚きますが、それでもマイペースは変わらず……どこかで話題になるかも?しれないそんな少女の物語です。
出遅れ組と言っていますが主人公はまったく気にしていません。
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※VRMMO物ですが、作者はゲーム物執筆初心者です。つたない文章ではありますが広いお心で読んで頂けたら幸いです。
※1話約2000〜3000字程度です。時々長かったり短い話もあるかもしれません。
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