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鱗が生えた小さなアルマジロのようなモンスターが、コロコロとビー玉のように辺りを転がっている。鱗は茶色なのだが、よく見るとヒョウのような模様をしていた。真白の銀世界に包まれるこのゲーム内では珍しい、緑の大地に生きるモンスターだ。
雪解け水が流れこむ、緑豊かな湿地帯エリア。そこに、ぬかるんだ地面をかき分けるように進む一団がいた。半分泥のようになっている地面を歩いているため、粘着質な水音を立てながらずんずんと進んでいる。歩きづらい地形のため、勢いよく駆ける様子はまるで行軍だった。一緒にアルマジロも蹴飛ばしながら豪快に進んで行く。奥に美しい雪山が見える。自然豊かな美しい湿原にありながら、その一団はまさに異分子だ。
「作戦に変化なし、今回も場を作ってからだ。あとは自由にしろ。ふざけすぎるなよ?」
「はいよ」
「あれどうする?」
「ああ、最初チャフ頼む」
「メロー、悪い、エンチャント頼むわ」
「ほいほい。ま、それも今回で最後だねー」
「いやぁ、お手数おかけしました」
「運によっては最後じゃない」
「おおう、そうだった」
湿った地面を踏み抜く耳障りな泥の音と、キャラクターが歩行するときに鳴る装備のSE、自身の声と機械音が混ざったキャラボイスによる緩やかな作戦会議が混ざりあう。
今回のクエストは、彼らの実力からしたら「タイムトライアル」の感覚で行う難易度のものだ。今更このクエストに挑む理由は、ギルド前線メンバーのなかで一番新入りの夜叉彦にある。
「ん?お前まだ印スキル持ってないのか!」
「あぁー、あれ大変だからさ……欲しいとは思ってたんだけどね」
八時間ほど前に遡る。
オフ会が終わり、普段通りの生活が戻ってきたギルドのホームでマグナが珍しく声を大きくした。メンバーのステータスを総ざらいして、世界大会対策を立てているところである。
ジャスティンは家族サービスとのことで、今日はログインしていない。先日の秋葉原オフ会の興奮が後を引いているのだろうか。ここ最近は集まりが良いため、珍しくこの人数が揃っていた。
「印スキルあるとメロが楽になるからなぁ。とっといたほうがいいんじゃないか?」
ホームのソファに深く体を預けながら、自分の装備一覧を開いていた榎本が口添えする。すぐ隣にがっちりとした前傾姿勢で座るガルドは、ギルド共有のアイテムボックスを開き、不要なアイテムを売却しながら話に耳を傾けていた。
印スキルというのは、装備に一定時間属性を纏わせることができる「時の印」スキルのことだった。二年ほど前のアップデートで導入されたが、取得のための難易度が高く、プレイヤーの所持率はかなり低い。中堅ギルドや上位の非戦闘系娯楽優先ギルドなどは、持っているほうが珍しい。それほどに面倒なクエストだった。
どの武器でも、どの種族でも使用できるのが売りであるが、誰でも持っていては確かに面白みはない。そんな運営の意図は分かるのだが、プレイヤーたちには取得のためのクエストをこなす苦労の方が大きいからと、人気のないスキルであった。
しかしこの印スキルには、圧倒的な利便性がある。
「【エンチャント】、どれだけ燃費悪いと思う!?大変なんだよ!?」
「はは、いつも悪い。……どれくらい消費するんだ?MP」
「18パーセントだよ!」
「え」
「印スキル使うと、魔力消費無いんだよね~。いいなぁ~。全然違うだろうな~」
「……いつもありがとな、すぐ取りに行くから」
「やりぃ!っていうか、最近【エンチャント】サボってたから、人のこと言えないけどねぇ」
「夜叉彦の被弾率が徐々に上がってたの、それか。まったく……」
「えーだって余裕ないし。無くてもいいじゃん」
「世界を相手にするなら必須だ。すぐに取りに行くぞ!」
およそ2割のMPを持って行かれる【エンチャント】が、印を使うと0パーセント、「MP消費無し」になるのである。
近接も遠距離も、装備の属性が大きな影響力を及ぼす。だが、どの装備にも存在しない、プレイヤーのスキルでのみ発動する属性が一つだけ存在する。「時属性」だ。
この属性だけは、【エンチャント】という補助魔法スキルでしか行使できないようにバランスが取られていた。
光のエフェクトも無く、ダメージも無い謎の属性、として一般プレイヤーに認知されている。しかし、戦闘系ギルドの一部ではかなり重要視されている属性だ。
曰く、「なんとなく敵がスローに見える」のだという。
実際使用しているプレイヤーは実感できるのだが、数値としても出てこない上、公式では特に広告を打っているわけではない。時属性は「プレイヤーを効果的に支援する属性」としか紹介されなかったのだ。
そのため、「スローに見える」という現象そのものは眉唾もの、噂の域から出ないデタラメだとされている。
オンラインゲームで自分だけ敵がスローに見えるなど、タイムラグ以外に考えられないのだ。何せ、frozen-killing-onlineはリアルタイムで進行するゲームだ。敵の動きを遅くすれば、全員そう見えるはずである。
個人の能力、この場合「他より自分が加速するという演算処理」というのも考えにくい。市販用フルダイブ機の性能は、脳を経由して視野や聴覚、味覚、嗅覚に若干の影響を与えることしかできない。今だ触覚や温度感覚、痛覚などはコントロールできないレベルだ。
人に時間を超えて物事を認識させる、などができるとは思えない。そのようなことは、まだSFの世界の話である。
巷では信じられていないこの時属性の効果だが、ロンド・ベルベットでは「効果あり」と考えていた。実際、ここぞという時に印スキルを使用すると被弾率が下がる。ガルドにもこのスキルで救われた経験が山ほどあった。
夜叉彦は今までメロによる【エンチャント】での付与を行ってきたのだが、印スキルさえあればその負担がかなり軽減される。一定時間に限定されるものの、MP消費無しで時属性を自分でつけられるようになるのだ。
「手間だが、この頭数なら苦戦はしないだろう」
「そりゃあ苦戦はないだろうけど、時間かかるんじゃ……」
「今から休憩無しやっても、晩飯前には終わらないぞ。ドロップはランダムだからな。運が悪ければ、明日も続けることになる」
ちょうど昼前ということもあり、夜叉彦はお腹が空いていた。
「昼も食べずに!?ぃやだぁー!」
立ち上がった夜叉彦が駄々をこねる。泣きそうな顔だ。犬ころっぽいとはいえ、図体がでかいおじさんアバターの彼がそんなことを言ったところで効果はない。中年のだだこねを目撃してしまった心的ダメージだけが、言われたマグナをはじめ周囲の仲間達に広がる。
「メンバー募る?」
「夜叉彦がパーティにいないと意味がない。大人数でやっても討伐スピードそのものはそう大差がない上、作戦の考えなおしが面倒くさい」
「あー、うん。そうだね」
「そうなると、マラソンするしかない。出るまでモンスターごとに何周もする。出たら次のモンスター、それを十二回繰り返す。」
「げえー……」
「うるさい、避けては通れない。さっさと済ませたほうがいいだろう?」
「おいガルド、スキルセットどうするよ」
「早く済ませるなら、敵ごとに合わせる。最初は……確か氷だったはず。炎で行く」
「なら俺は毒で行って追加ダメだな」
「夜叉彦以外は交代で休憩入っていいぞ」
「ねぇ俺は!?俺だってやすみたーい!」
「後で十分やる」
「……ゼリー飲料、残ってたかなぁ」
この印スキル取得クエストは、取得したいプレイヤーが必ず参加しなければならない。そして、こなすべきクエストの数が十二件、それぞれ必須のドロップアイテムがある。レア度が高いため、ドロップも確率が低い。よってプレイ回数が増えてゆく。
「俺たちも苦労して手に入れたんだ、頑張れ夜叉彦!なに、今日中には終わるさ」
「最後まで付き合う」
榎本とガルドは若干嬉しそうにアドバイスしていた。げっそりしている夜叉彦と比較すると、とても晴れやかだ。本来の予定であった装備の確認は退屈で、やはり戦闘に繰り出すのが好きな二人なのであった。
それから二時間。
「きたか?」
「無い……」
「はー!?」
「次は俺が壁な」
「じゃ、尻尾行く」
そして四時間。
「よし!寅、終わった!」
「っしゃあ!次、行こうぜ」
「次って卯?まだ4つ目?」
「あれの攻撃は単調だ、すぐ避けれる。」
「じゃあ、攻撃5回当たったら罰ゲームってどう?」
「何するつもりだ?」
「その次の戦闘で猫耳!」
「誰得」
「ベルベットは喜んだだろうね~」
「そうだな。あの人は喜ぶ。……スクショ撮って送ろう」
「それ、罰ゲームに最適だな」
そして八時間が経ち、湿地帯。
イノシシのような、ずっしりとした体躯のモンスターが水辺に佇んでいる。十二体続いた印スキルのためのクエストだが、このイノシシが最後だ。しかしすでに三回撃破している。対象となっているアイテムがドロップせず、粘っているところなのだ。
しかし、この一連のクエストが八時間で終わりそうになっているのだが、本来であればさらにその倍はかかるクエストなのである。夜叉彦を除く全員がすでに経験者である点、そしてトップランカーとしての連携とスキルが強固である点が大きい。彼らの実力はやはり本物であった。今まで一度も誰一人としてHPが半分を下回らないというのは、その証明である。
「チャフ行くよ~。」
接敵する前に、メロが杖を振る。質素なエフェクトとともに、金属片がひらひらと舞った。
MPを消費して行うのが魔法スキルだが、メロはその中でも高威力で燃費の悪い技を愛用している。フロキリでは基本的にMPは自然治癒する。時間経過とともに一定のパーセンテージで回復してゆくのだが、そのスピードを上回る技を多用するため、MP消費の少ないつなぎの技もある程度使用するのだ。チャフスキルはその一つで、戦闘機などに搭載されている意味での文字通り、敵のロックオンを阻害する効果を持つ。この技が逆効果になる場合も多いのだが、そのあたりはマグナが全て把握していた。
「どっこい、しょっ、と!」
モーションに合わせて榎本が掛け声をあげる。アイテム袋から取り出し、スイッチを入れ、振りかぶって床に刺すというのが罠設置の動きだ。針が飛び出すギミックで、しばらくモンスターの動きを封じる効果がある。本来はターゲットに気づかれないようにこっそり設置すべきところなのだが、チャフの効果で堂々と前から足元に潜り込み置いて行くことができる。
ターゲットが固定されない状況下では、全範囲攻撃のみ行う。ただし、この全範囲攻撃が厄介なモンスターにはこの戦法は逆効果だ。今回のモンスターは全範囲攻撃が溜め攻撃しか無い。案の定溜めはじめたが、罠の起動の方が早い。
モーターのような機械音と共に、針が突き出てくる。甲高い悲鳴をあげながら、イノシシが動きを止めた。
「エンゲージっ!」
「同じく」
見計らうように、前方から夜叉彦とガルドが飛びかかった。図体のでかい二人が跳ねて襲いかかる様子は、まるで草食動物に襲いかかるライオンのようだ。
普段の物静かな雰囲気は鳴りを潜め、夜叉や鬼の類の表情で二人は武器を振るう。二人の脳から出る表情筋への電気信号を感知して、忠実にアバターに反映させているのだが、筋肉などを介さないためにダイレクトに表示されてしまい、リアルの表情より荒々しい形相になっている。
夜叉彦の大きいはずの目は見開かれて三白眼となり、ガルドの眉間のシワが大きな影を生み迫力を生む。他のメンバーはそれほどでもないのだが、この二人は戦闘時と休憩時に人が変わったような変化が現れてしまうのだった。
「右、左、ジャンプ、ゆらゆら……左……」
ガンガン進む二人を尻目に、後方で榎本は変なダンスを踊っている。ぶつぶつと動きを口ずさみながら、腕を左右に振ってみたり、その場で飛び跳ねる。
戦闘中でそうされると滑稽である。だがもちろん無意味ではない。攻撃力を引き上げるための【神おろし】というスキルだ。フロキリオリジナル決めポーズがスタートモーションであり、そのプレイヤーにだけ動きの指示が出る。眼前にポップアップで現れる指示マークに沿って動くと、最後に物理攻撃力がかなりアップするというものなのだ。
もちろんウケ狙いの不真面目なスキルだ。普段の真面目な戦闘ではあまりしないものの、連戦続きで相当疲れているのと、戦闘そのものには余裕があるため榎本はわざとやっている。だが、ドーピングを越える効果があるのも事実だった。
さらに後方では、弓を構えたマグナがスタンバイしている。徐々に弓に力が入り引き伸ばされ、矢先には赤い光のエフェクトが灯ってきた。派手な立ち回りがない弓のチャージだが、前衛武器と比較しても遜色ない攻撃力がある。ただしチャージ時間が長く設定されており、任意の発射角度に設定することができる。マグナが好むのは湾曲射撃で、「ミサイルのようで美しい」らしい。
ガルドのクリティカルが敵の右足にヒットした瞬間、マグナの矢が同じ部分に突き刺さる。二秒ほど刺さったままになるその矢めがけて、夜叉彦が刀を一閃した。
数字には現れないものの、コンボの関係上、前衛・後衛で同じ部位を狙うのは常套手段だ。ただし前衛が同じエリアにたむろすると邪魔になるため、基本的に前衛のち後衛の攻撃、また前衛とローテーションで攻撃してゆく。
「榎本」
「へいよー!」
スキル【神おろし】を完了させた榎本をガルドが呼ぶ。赤い粒子が舞って輝いている榎本が颯爽とそばまで寄り、チャージに入った。攻撃力を底上げした上にチャージをしている様子から、部位破壊狙いであることは明白だ。
こちらも狙っているのか、すかさずイノシシが頭を振り上げ攻撃してくる。開始時にかけていたメロのチャフはとうに効果が切れており、ターゲットに定めた榎本を凝視しているのがわかる。モンスターのヘイト値、つまり「ターゲットにされる際の参考数値」は行動で弾き出される。攻撃力がずば抜けて高いプレイヤーや、ひっきりなしに攻撃しているプレイヤー、音の鳴るプレイヤーが主だ。魔法職の火力が大きい場合、前衛の近距離職がわざとヘイトを稼がなければならない。AIモンスター戦の基本だった。
ぎょろりとしたイノシシの目と、榎本の前に出て防衛に入ったガルドの目がピタリと合った。
一瞬の静けさの後、ガルドが一手先に動く。
「ふんっ!」
男らしい一声とともに、ガルドがイノシシのキバ通常攻撃を弾き、すかさず剣を一閃。
多少ひるむものの、イノシシは再度榎本を狙って攻撃を再開する。ヘイトは相変わらず榎本が釣っているようだ。
大きく顎のキバを振り上げたモーションを見極め、ガルドがパリィ。剣で受け止め、左に巨体を押しながら攻撃を受け流す。
「お待たせ~」
「ん」
後方のメロが長い長いチャージを終え、魔法を発動させようとしていた。虹色のオーラを杖にまとわせ、メロ自体も同系色の光に包まれている。鳥の付いているド派手な杖を振り上げる。
まばゆい光とともに、敵の直上に白い薄衣が舞う。白魚のようなすらりとした指先が敵を指す、美しい女神が現れた。
メロは純粋な攻撃魔法より召喚魔法を好んでいる。詠唱時間だとされているチャージが非常に長く、周りのサポート無しではろくに使えないスキルばかりだ。今回使用しているのは「弱点にもならないが耐性もない」のが特徴な長詠唱召喚系魔法である。属性がない分、どのモンスターにも均等にダメージが与えられ、デメリットが大きかったためか、運営が詠唱時間を他より短く設定していた。
派手好きなメロは、派手であればあるほど好きだった。そしてそんなかっこいい魔法をドカドカ使いたいために、待ち時間が短くて済むこのスキルを常用していた。召喚魔法スキル「神の妻フェリシティの雷」である。
メロ愛用のこのスキルは、最初のエフェクトが敵に被ってからおよそ十七秒続く。それを全員よく知っていた。この時間を何に使うかが重要である。ロンド・ベルベットの強みは互いの戦略までも頭に叩き込むその強固な連携にある。この時間で自身のHPが満タンな場合、榎本はチャージを行い大規模な攻撃を仕掛ける。夜叉彦は数歩下がりミドルレンジの居合斬りスキルを溜め始める。
ガルドは仲間を感覚した。榎本がどのスキルを使おうとして、そのスキルが完全に終わるまでの時間、それらを経験から弾き出す。この当てが外れることもたまにある。だが、性格面まで熟知している仲間たちの考えていることなどだいたいわかる。真面目な夜叉彦はいつも通り、安定したハズレのないスキルを選ぶはずだ。それを榎本も知っているから、先に行くのは榎本。疲れているのもあり一番簡単なイメージで発動できるスキルを選ぶ。四秒くらいのものだろう。
榎本が打った後、夜叉彦の中距離スキルがそこに続く。榎本で四秒、夜叉彦で五秒。メロの攻撃終了から九秒後、合計で二十六秒のチャージ。自分が打てるスキルはなんだ。
「んっ!」
円を描くように大きく大剣を地面沿いに滑らせる。スキルはその初動動作で選択することができる。この動作で始まるスキルは一つしかセットしなかった。エフェクトが瞬時に自動再生される。魔力を中央の宝玉に溜めるような輝きがぼうっと灯り、静かな水湖に雫が落ちるような音が響く。ガルドの周囲のフィールドBGMがボリュームダウンし、静寂が包んだ。
「ひゃっふー!」
深夜テンションでメロが楽しげに歓声をあげた。敵の周囲では女神がくるくる回り、光を振りまきながらボコボコにキッチン用品を投げつけていた。この技はスタッフの夫婦喧嘩から生まれたらしく、女神が敵を旦那に見立てて攻撃してくるのだ。おたまやフライパン、そこからデスクライトやソファ、冷蔵庫などの大型のものになってゆくのだが、フィニッシュに高級スポーツカーを投げるのがメロのお気に入りポイントだ。今日は赤いオープンカーだった。爆散する。
すぐ榎本がハンマーを振り下ろす。ガルドの予想通り、初期に習得できる単純で短めなスキルを使用した攻撃だ。単純なハンマーの往復を3回、最後に敵をつぶすモーションで終わる。疲れているのだろう、無表情で淡々と攻撃する様子は榎本らしくなく違和感がある。
最後の一振りのヒットと同時に、すぐさま夜叉彦がスキルを起動した。中距離の居合斬りスキルは溜め時間を自分で調整できるため、こういった時間調整の時に夜叉彦がメインで使用しているものだ。今回の敵に最適な属性は既に装備で対策しているため、スキルは属性を特に気にせず選択できる。
ダメージの通りは他のスキルと比較してお世辞にも良いとは言えない。だが、夜叉彦の真面目さと安定志向がこのスキルを選ばせる。そこは他のメンバーも尊重していた。
すぱっと抜いた刀の残像が、扇状に敵まで飛んで行く。チャージが長ければ、一度の居合いで何発も打ち出せる効果がある。今回は三重になった残像がイノシシに迫っていった。ヒット音も続けざまに鳴る。
スキルを溜めに溜めていたガルドは、いつもの黒く鈍い大剣に水をまとわせ、鎌状に形作っていた。
メロの魔法が始まってから、二人の攻撃が終了するまで。相当なチャージ時間が確保出来る。だが1秒でも遅れてはならない。コンボが途切れるからだ。妥協しても良いが、そこはゲーマーとして譲れないものがあった。みんなで作るコンボが自分のミスで崩れるのは、ガルドにとって寝起きを見られるより恥ずかしいことだった。
ガルドのこの水鎌のスキルは、自分で自分の武器に属性をまとわせる【エンチャント】スキルの一種だ。メロにしてもらうものと同じである。本来魔法職しか使えないエンチャントだが、ごく一部、武器そのものにスキルが内蔵されている場合があるのだ。ガルドの所有する大剣は、その一部の武器に含まれている。ランクダブルエスの「極東の碧い龍ファーイースト=スォーム」を素材としており、水属性強化が可能なのだ。
このスキルは、七秒から十二秒のチャージを任意で選択できる。九秒ジャストのスキルは無かったため、武器を変えるスキルを選んだ。エンチャントにかける時間が長ければ長いほど、鎌のサイズは大きくなってゆく。長い時間をかけたおかげで、いつもの大剣から三倍近い大きさになっていた。
無意識にガルドは歯を食いしばった。筋肉を使うわけではないゲーム内だが、「腕を思い切り横に振る」イメージが必要になる。その動きそのものに、歯を食いしばるというイメージが付随しているため、表情も合わせてモーションになっているのだった。そして、ガルドが歯を食いしばると、凶悪で迫力ある顔になる。ガルドが怖いと言われる原因の一つだ。
フルスイングされた鎌で切り裂かれたイノシシは、大きく仰け反りひっくり返る。続けて振り上げた鎌を下ろそうとしたのだが、瞬間、爆発音とともにモンスターが弾け飛んだ。撃破エフェクトである。ガルドは若干物足りなさを感じた。後ろで待機していたマグナの、同様に思ったであろうため息が聞こえる。彼はチャージを済ませた弓矢を上空に打ち、攻撃を解除させた。
軽快なファンファーレが響く中、取得アイテム一覧を見ているぐったりとした夜叉彦にメロが近づき尋ねた。
「お疲れ~……どう?」
「……あった!きたきた!」
人差し指を横方向にスワイプしていた夜叉彦がピタリと手を止め、歓声をあげた。彼の目にだけ、取得したアイテムが見えている。「亥のお頭」というお目当てのアイテムが、デフォルメされたイノシシのピクトグラムで表示されていた。
「や、やっと終わったのか!よっしゃー!」
「お疲れ~!」
「最後の判断、ナイスだったぞ。あの水エンチャントのダメージ効率、今度計算してみよう。思った以上だ」
「ありがとう。マグナのチクチクもナイスだった」
「いつも思うんだが、チクチクと表現されると弱そうだな。弓矢の弾幕と呼んでくれないのか?」
「呼ばない」
「このアイテム、スキル研究所に納品すればいいんだよな?」
「そうそう。そしたらスキルブックもらえるから、晴れて俺たちの仲間入りってわけ」
「長かった……」
「みんなありがとな!助かった!」
「何、ギルド全体の利益を考えれば……」
おのおの雑談しながらホームに戻っていく。長かった一日が終わった。日付こそ変わっていないが、もう深夜である。
夜叉彦は早速研究所に向かうらしく、ギルドホームに戻るメンバー、このままログアウトするメンバーと別れ解散して行く。
そんな彼らの後方で。
ひょこりと男性プレイヤーが5人、女性プレイヤーが2人、物陰から姿を現した。オープンフィールドのフロキリでは、クエストも解放されたエリアで行われる。受注したギルド以外はモンスターに攻撃出来ないようロックされるが、見学は可能だ。運良く先ほどの戦闘を目撃したプレイヤーたちがこっそりムービーを撮っていたのだ。
「すげー……」
「圧巻だったな、すごい連携プレイだ」
「言葉とかなくてもあんなにお互いわかるもんなんだね!尊敬しちゃう……」
「惚れるの間違いじゃない?」
「うん…夜叉彦さんかっこよかった……」
「げっ、まじかよー。……あんなトップランカー相手じゃ勝ち目無いな……」
「なんか言った?」
「いや。なんでもない」
見学していたこの女性プレイヤーがまた一波乱起こすのだが、それはまた遠い先の話である。
雪解け水が流れこむ、緑豊かな湿地帯エリア。そこに、ぬかるんだ地面をかき分けるように進む一団がいた。半分泥のようになっている地面を歩いているため、粘着質な水音を立てながらずんずんと進んでいる。歩きづらい地形のため、勢いよく駆ける様子はまるで行軍だった。一緒にアルマジロも蹴飛ばしながら豪快に進んで行く。奥に美しい雪山が見える。自然豊かな美しい湿原にありながら、その一団はまさに異分子だ。
「作戦に変化なし、今回も場を作ってからだ。あとは自由にしろ。ふざけすぎるなよ?」
「はいよ」
「あれどうする?」
「ああ、最初チャフ頼む」
「メロー、悪い、エンチャント頼むわ」
「ほいほい。ま、それも今回で最後だねー」
「いやぁ、お手数おかけしました」
「運によっては最後じゃない」
「おおう、そうだった」
湿った地面を踏み抜く耳障りな泥の音と、キャラクターが歩行するときに鳴る装備のSE、自身の声と機械音が混ざったキャラボイスによる緩やかな作戦会議が混ざりあう。
今回のクエストは、彼らの実力からしたら「タイムトライアル」の感覚で行う難易度のものだ。今更このクエストに挑む理由は、ギルド前線メンバーのなかで一番新入りの夜叉彦にある。
「ん?お前まだ印スキル持ってないのか!」
「あぁー、あれ大変だからさ……欲しいとは思ってたんだけどね」
八時間ほど前に遡る。
オフ会が終わり、普段通りの生活が戻ってきたギルドのホームでマグナが珍しく声を大きくした。メンバーのステータスを総ざらいして、世界大会対策を立てているところである。
ジャスティンは家族サービスとのことで、今日はログインしていない。先日の秋葉原オフ会の興奮が後を引いているのだろうか。ここ最近は集まりが良いため、珍しくこの人数が揃っていた。
「印スキルあるとメロが楽になるからなぁ。とっといたほうがいいんじゃないか?」
ホームのソファに深く体を預けながら、自分の装備一覧を開いていた榎本が口添えする。すぐ隣にがっちりとした前傾姿勢で座るガルドは、ギルド共有のアイテムボックスを開き、不要なアイテムを売却しながら話に耳を傾けていた。
印スキルというのは、装備に一定時間属性を纏わせることができる「時の印」スキルのことだった。二年ほど前のアップデートで導入されたが、取得のための難易度が高く、プレイヤーの所持率はかなり低い。中堅ギルドや上位の非戦闘系娯楽優先ギルドなどは、持っているほうが珍しい。それほどに面倒なクエストだった。
どの武器でも、どの種族でも使用できるのが売りであるが、誰でも持っていては確かに面白みはない。そんな運営の意図は分かるのだが、プレイヤーたちには取得のためのクエストをこなす苦労の方が大きいからと、人気のないスキルであった。
しかしこの印スキルには、圧倒的な利便性がある。
「【エンチャント】、どれだけ燃費悪いと思う!?大変なんだよ!?」
「はは、いつも悪い。……どれくらい消費するんだ?MP」
「18パーセントだよ!」
「え」
「印スキル使うと、魔力消費無いんだよね~。いいなぁ~。全然違うだろうな~」
「……いつもありがとな、すぐ取りに行くから」
「やりぃ!っていうか、最近【エンチャント】サボってたから、人のこと言えないけどねぇ」
「夜叉彦の被弾率が徐々に上がってたの、それか。まったく……」
「えーだって余裕ないし。無くてもいいじゃん」
「世界を相手にするなら必須だ。すぐに取りに行くぞ!」
およそ2割のMPを持って行かれる【エンチャント】が、印を使うと0パーセント、「MP消費無し」になるのである。
近接も遠距離も、装備の属性が大きな影響力を及ぼす。だが、どの装備にも存在しない、プレイヤーのスキルでのみ発動する属性が一つだけ存在する。「時属性」だ。
この属性だけは、【エンチャント】という補助魔法スキルでしか行使できないようにバランスが取られていた。
光のエフェクトも無く、ダメージも無い謎の属性、として一般プレイヤーに認知されている。しかし、戦闘系ギルドの一部ではかなり重要視されている属性だ。
曰く、「なんとなく敵がスローに見える」のだという。
実際使用しているプレイヤーは実感できるのだが、数値としても出てこない上、公式では特に広告を打っているわけではない。時属性は「プレイヤーを効果的に支援する属性」としか紹介されなかったのだ。
そのため、「スローに見える」という現象そのものは眉唾もの、噂の域から出ないデタラメだとされている。
オンラインゲームで自分だけ敵がスローに見えるなど、タイムラグ以外に考えられないのだ。何せ、frozen-killing-onlineはリアルタイムで進行するゲームだ。敵の動きを遅くすれば、全員そう見えるはずである。
個人の能力、この場合「他より自分が加速するという演算処理」というのも考えにくい。市販用フルダイブ機の性能は、脳を経由して視野や聴覚、味覚、嗅覚に若干の影響を与えることしかできない。今だ触覚や温度感覚、痛覚などはコントロールできないレベルだ。
人に時間を超えて物事を認識させる、などができるとは思えない。そのようなことは、まだSFの世界の話である。
巷では信じられていないこの時属性の効果だが、ロンド・ベルベットでは「効果あり」と考えていた。実際、ここぞという時に印スキルを使用すると被弾率が下がる。ガルドにもこのスキルで救われた経験が山ほどあった。
夜叉彦は今までメロによる【エンチャント】での付与を行ってきたのだが、印スキルさえあればその負担がかなり軽減される。一定時間に限定されるものの、MP消費無しで時属性を自分でつけられるようになるのだ。
「手間だが、この頭数なら苦戦はしないだろう」
「そりゃあ苦戦はないだろうけど、時間かかるんじゃ……」
「今から休憩無しやっても、晩飯前には終わらないぞ。ドロップはランダムだからな。運が悪ければ、明日も続けることになる」
ちょうど昼前ということもあり、夜叉彦はお腹が空いていた。
「昼も食べずに!?ぃやだぁー!」
立ち上がった夜叉彦が駄々をこねる。泣きそうな顔だ。犬ころっぽいとはいえ、図体がでかいおじさんアバターの彼がそんなことを言ったところで効果はない。中年のだだこねを目撃してしまった心的ダメージだけが、言われたマグナをはじめ周囲の仲間達に広がる。
「メンバー募る?」
「夜叉彦がパーティにいないと意味がない。大人数でやっても討伐スピードそのものはそう大差がない上、作戦の考えなおしが面倒くさい」
「あー、うん。そうだね」
「そうなると、マラソンするしかない。出るまでモンスターごとに何周もする。出たら次のモンスター、それを十二回繰り返す。」
「げえー……」
「うるさい、避けては通れない。さっさと済ませたほうがいいだろう?」
「おいガルド、スキルセットどうするよ」
「早く済ませるなら、敵ごとに合わせる。最初は……確か氷だったはず。炎で行く」
「なら俺は毒で行って追加ダメだな」
「夜叉彦以外は交代で休憩入っていいぞ」
「ねぇ俺は!?俺だってやすみたーい!」
「後で十分やる」
「……ゼリー飲料、残ってたかなぁ」
この印スキル取得クエストは、取得したいプレイヤーが必ず参加しなければならない。そして、こなすべきクエストの数が十二件、それぞれ必須のドロップアイテムがある。レア度が高いため、ドロップも確率が低い。よってプレイ回数が増えてゆく。
「俺たちも苦労して手に入れたんだ、頑張れ夜叉彦!なに、今日中には終わるさ」
「最後まで付き合う」
榎本とガルドは若干嬉しそうにアドバイスしていた。げっそりしている夜叉彦と比較すると、とても晴れやかだ。本来の予定であった装備の確認は退屈で、やはり戦闘に繰り出すのが好きな二人なのであった。
それから二時間。
「きたか?」
「無い……」
「はー!?」
「次は俺が壁な」
「じゃ、尻尾行く」
そして四時間。
「よし!寅、終わった!」
「っしゃあ!次、行こうぜ」
「次って卯?まだ4つ目?」
「あれの攻撃は単調だ、すぐ避けれる。」
「じゃあ、攻撃5回当たったら罰ゲームってどう?」
「何するつもりだ?」
「その次の戦闘で猫耳!」
「誰得」
「ベルベットは喜んだだろうね~」
「そうだな。あの人は喜ぶ。……スクショ撮って送ろう」
「それ、罰ゲームに最適だな」
そして八時間が経ち、湿地帯。
イノシシのような、ずっしりとした体躯のモンスターが水辺に佇んでいる。十二体続いた印スキルのためのクエストだが、このイノシシが最後だ。しかしすでに三回撃破している。対象となっているアイテムがドロップせず、粘っているところなのだ。
しかし、この一連のクエストが八時間で終わりそうになっているのだが、本来であればさらにその倍はかかるクエストなのである。夜叉彦を除く全員がすでに経験者である点、そしてトップランカーとしての連携とスキルが強固である点が大きい。彼らの実力はやはり本物であった。今まで一度も誰一人としてHPが半分を下回らないというのは、その証明である。
「チャフ行くよ~。」
接敵する前に、メロが杖を振る。質素なエフェクトとともに、金属片がひらひらと舞った。
MPを消費して行うのが魔法スキルだが、メロはその中でも高威力で燃費の悪い技を愛用している。フロキリでは基本的にMPは自然治癒する。時間経過とともに一定のパーセンテージで回復してゆくのだが、そのスピードを上回る技を多用するため、MP消費の少ないつなぎの技もある程度使用するのだ。チャフスキルはその一つで、戦闘機などに搭載されている意味での文字通り、敵のロックオンを阻害する効果を持つ。この技が逆効果になる場合も多いのだが、そのあたりはマグナが全て把握していた。
「どっこい、しょっ、と!」
モーションに合わせて榎本が掛け声をあげる。アイテム袋から取り出し、スイッチを入れ、振りかぶって床に刺すというのが罠設置の動きだ。針が飛び出すギミックで、しばらくモンスターの動きを封じる効果がある。本来はターゲットに気づかれないようにこっそり設置すべきところなのだが、チャフの効果で堂々と前から足元に潜り込み置いて行くことができる。
ターゲットが固定されない状況下では、全範囲攻撃のみ行う。ただし、この全範囲攻撃が厄介なモンスターにはこの戦法は逆効果だ。今回のモンスターは全範囲攻撃が溜め攻撃しか無い。案の定溜めはじめたが、罠の起動の方が早い。
モーターのような機械音と共に、針が突き出てくる。甲高い悲鳴をあげながら、イノシシが動きを止めた。
「エンゲージっ!」
「同じく」
見計らうように、前方から夜叉彦とガルドが飛びかかった。図体のでかい二人が跳ねて襲いかかる様子は、まるで草食動物に襲いかかるライオンのようだ。
普段の物静かな雰囲気は鳴りを潜め、夜叉や鬼の類の表情で二人は武器を振るう。二人の脳から出る表情筋への電気信号を感知して、忠実にアバターに反映させているのだが、筋肉などを介さないためにダイレクトに表示されてしまい、リアルの表情より荒々しい形相になっている。
夜叉彦の大きいはずの目は見開かれて三白眼となり、ガルドの眉間のシワが大きな影を生み迫力を生む。他のメンバーはそれほどでもないのだが、この二人は戦闘時と休憩時に人が変わったような変化が現れてしまうのだった。
「右、左、ジャンプ、ゆらゆら……左……」
ガンガン進む二人を尻目に、後方で榎本は変なダンスを踊っている。ぶつぶつと動きを口ずさみながら、腕を左右に振ってみたり、その場で飛び跳ねる。
戦闘中でそうされると滑稽である。だがもちろん無意味ではない。攻撃力を引き上げるための【神おろし】というスキルだ。フロキリオリジナル決めポーズがスタートモーションであり、そのプレイヤーにだけ動きの指示が出る。眼前にポップアップで現れる指示マークに沿って動くと、最後に物理攻撃力がかなりアップするというものなのだ。
もちろんウケ狙いの不真面目なスキルだ。普段の真面目な戦闘ではあまりしないものの、連戦続きで相当疲れているのと、戦闘そのものには余裕があるため榎本はわざとやっている。だが、ドーピングを越える効果があるのも事実だった。
さらに後方では、弓を構えたマグナがスタンバイしている。徐々に弓に力が入り引き伸ばされ、矢先には赤い光のエフェクトが灯ってきた。派手な立ち回りがない弓のチャージだが、前衛武器と比較しても遜色ない攻撃力がある。ただしチャージ時間が長く設定されており、任意の発射角度に設定することができる。マグナが好むのは湾曲射撃で、「ミサイルのようで美しい」らしい。
ガルドのクリティカルが敵の右足にヒットした瞬間、マグナの矢が同じ部分に突き刺さる。二秒ほど刺さったままになるその矢めがけて、夜叉彦が刀を一閃した。
数字には現れないものの、コンボの関係上、前衛・後衛で同じ部位を狙うのは常套手段だ。ただし前衛が同じエリアにたむろすると邪魔になるため、基本的に前衛のち後衛の攻撃、また前衛とローテーションで攻撃してゆく。
「榎本」
「へいよー!」
スキル【神おろし】を完了させた榎本をガルドが呼ぶ。赤い粒子が舞って輝いている榎本が颯爽とそばまで寄り、チャージに入った。攻撃力を底上げした上にチャージをしている様子から、部位破壊狙いであることは明白だ。
こちらも狙っているのか、すかさずイノシシが頭を振り上げ攻撃してくる。開始時にかけていたメロのチャフはとうに効果が切れており、ターゲットに定めた榎本を凝視しているのがわかる。モンスターのヘイト値、つまり「ターゲットにされる際の参考数値」は行動で弾き出される。攻撃力がずば抜けて高いプレイヤーや、ひっきりなしに攻撃しているプレイヤー、音の鳴るプレイヤーが主だ。魔法職の火力が大きい場合、前衛の近距離職がわざとヘイトを稼がなければならない。AIモンスター戦の基本だった。
ぎょろりとしたイノシシの目と、榎本の前に出て防衛に入ったガルドの目がピタリと合った。
一瞬の静けさの後、ガルドが一手先に動く。
「ふんっ!」
男らしい一声とともに、ガルドがイノシシのキバ通常攻撃を弾き、すかさず剣を一閃。
多少ひるむものの、イノシシは再度榎本を狙って攻撃を再開する。ヘイトは相変わらず榎本が釣っているようだ。
大きく顎のキバを振り上げたモーションを見極め、ガルドがパリィ。剣で受け止め、左に巨体を押しながら攻撃を受け流す。
「お待たせ~」
「ん」
後方のメロが長い長いチャージを終え、魔法を発動させようとしていた。虹色のオーラを杖にまとわせ、メロ自体も同系色の光に包まれている。鳥の付いているド派手な杖を振り上げる。
まばゆい光とともに、敵の直上に白い薄衣が舞う。白魚のようなすらりとした指先が敵を指す、美しい女神が現れた。
メロは純粋な攻撃魔法より召喚魔法を好んでいる。詠唱時間だとされているチャージが非常に長く、周りのサポート無しではろくに使えないスキルばかりだ。今回使用しているのは「弱点にもならないが耐性もない」のが特徴な長詠唱召喚系魔法である。属性がない分、どのモンスターにも均等にダメージが与えられ、デメリットが大きかったためか、運営が詠唱時間を他より短く設定していた。
派手好きなメロは、派手であればあるほど好きだった。そしてそんなかっこいい魔法をドカドカ使いたいために、待ち時間が短くて済むこのスキルを常用していた。召喚魔法スキル「神の妻フェリシティの雷」である。
メロ愛用のこのスキルは、最初のエフェクトが敵に被ってからおよそ十七秒続く。それを全員よく知っていた。この時間を何に使うかが重要である。ロンド・ベルベットの強みは互いの戦略までも頭に叩き込むその強固な連携にある。この時間で自身のHPが満タンな場合、榎本はチャージを行い大規模な攻撃を仕掛ける。夜叉彦は数歩下がりミドルレンジの居合斬りスキルを溜め始める。
ガルドは仲間を感覚した。榎本がどのスキルを使おうとして、そのスキルが完全に終わるまでの時間、それらを経験から弾き出す。この当てが外れることもたまにある。だが、性格面まで熟知している仲間たちの考えていることなどだいたいわかる。真面目な夜叉彦はいつも通り、安定したハズレのないスキルを選ぶはずだ。それを榎本も知っているから、先に行くのは榎本。疲れているのもあり一番簡単なイメージで発動できるスキルを選ぶ。四秒くらいのものだろう。
榎本が打った後、夜叉彦の中距離スキルがそこに続く。榎本で四秒、夜叉彦で五秒。メロの攻撃終了から九秒後、合計で二十六秒のチャージ。自分が打てるスキルはなんだ。
「んっ!」
円を描くように大きく大剣を地面沿いに滑らせる。スキルはその初動動作で選択することができる。この動作で始まるスキルは一つしかセットしなかった。エフェクトが瞬時に自動再生される。魔力を中央の宝玉に溜めるような輝きがぼうっと灯り、静かな水湖に雫が落ちるような音が響く。ガルドの周囲のフィールドBGMがボリュームダウンし、静寂が包んだ。
「ひゃっふー!」
深夜テンションでメロが楽しげに歓声をあげた。敵の周囲では女神がくるくる回り、光を振りまきながらボコボコにキッチン用品を投げつけていた。この技はスタッフの夫婦喧嘩から生まれたらしく、女神が敵を旦那に見立てて攻撃してくるのだ。おたまやフライパン、そこからデスクライトやソファ、冷蔵庫などの大型のものになってゆくのだが、フィニッシュに高級スポーツカーを投げるのがメロのお気に入りポイントだ。今日は赤いオープンカーだった。爆散する。
すぐ榎本がハンマーを振り下ろす。ガルドの予想通り、初期に習得できる単純で短めなスキルを使用した攻撃だ。単純なハンマーの往復を3回、最後に敵をつぶすモーションで終わる。疲れているのだろう、無表情で淡々と攻撃する様子は榎本らしくなく違和感がある。
最後の一振りのヒットと同時に、すぐさま夜叉彦がスキルを起動した。中距離の居合斬りスキルは溜め時間を自分で調整できるため、こういった時間調整の時に夜叉彦がメインで使用しているものだ。今回の敵に最適な属性は既に装備で対策しているため、スキルは属性を特に気にせず選択できる。
ダメージの通りは他のスキルと比較してお世辞にも良いとは言えない。だが、夜叉彦の真面目さと安定志向がこのスキルを選ばせる。そこは他のメンバーも尊重していた。
すぱっと抜いた刀の残像が、扇状に敵まで飛んで行く。チャージが長ければ、一度の居合いで何発も打ち出せる効果がある。今回は三重になった残像がイノシシに迫っていった。ヒット音も続けざまに鳴る。
スキルを溜めに溜めていたガルドは、いつもの黒く鈍い大剣に水をまとわせ、鎌状に形作っていた。
メロの魔法が始まってから、二人の攻撃が終了するまで。相当なチャージ時間が確保出来る。だが1秒でも遅れてはならない。コンボが途切れるからだ。妥協しても良いが、そこはゲーマーとして譲れないものがあった。みんなで作るコンボが自分のミスで崩れるのは、ガルドにとって寝起きを見られるより恥ずかしいことだった。
ガルドのこの水鎌のスキルは、自分で自分の武器に属性をまとわせる【エンチャント】スキルの一種だ。メロにしてもらうものと同じである。本来魔法職しか使えないエンチャントだが、ごく一部、武器そのものにスキルが内蔵されている場合があるのだ。ガルドの所有する大剣は、その一部の武器に含まれている。ランクダブルエスの「極東の碧い龍ファーイースト=スォーム」を素材としており、水属性強化が可能なのだ。
このスキルは、七秒から十二秒のチャージを任意で選択できる。九秒ジャストのスキルは無かったため、武器を変えるスキルを選んだ。エンチャントにかける時間が長ければ長いほど、鎌のサイズは大きくなってゆく。長い時間をかけたおかげで、いつもの大剣から三倍近い大きさになっていた。
無意識にガルドは歯を食いしばった。筋肉を使うわけではないゲーム内だが、「腕を思い切り横に振る」イメージが必要になる。その動きそのものに、歯を食いしばるというイメージが付随しているため、表情も合わせてモーションになっているのだった。そして、ガルドが歯を食いしばると、凶悪で迫力ある顔になる。ガルドが怖いと言われる原因の一つだ。
フルスイングされた鎌で切り裂かれたイノシシは、大きく仰け反りひっくり返る。続けて振り上げた鎌を下ろそうとしたのだが、瞬間、爆発音とともにモンスターが弾け飛んだ。撃破エフェクトである。ガルドは若干物足りなさを感じた。後ろで待機していたマグナの、同様に思ったであろうため息が聞こえる。彼はチャージを済ませた弓矢を上空に打ち、攻撃を解除させた。
軽快なファンファーレが響く中、取得アイテム一覧を見ているぐったりとした夜叉彦にメロが近づき尋ねた。
「お疲れ~……どう?」
「……あった!きたきた!」
人差し指を横方向にスワイプしていた夜叉彦がピタリと手を止め、歓声をあげた。彼の目にだけ、取得したアイテムが見えている。「亥のお頭」というお目当てのアイテムが、デフォルメされたイノシシのピクトグラムで表示されていた。
「や、やっと終わったのか!よっしゃー!」
「お疲れ~!」
「最後の判断、ナイスだったぞ。あの水エンチャントのダメージ効率、今度計算してみよう。思った以上だ」
「ありがとう。マグナのチクチクもナイスだった」
「いつも思うんだが、チクチクと表現されると弱そうだな。弓矢の弾幕と呼んでくれないのか?」
「呼ばない」
「このアイテム、スキル研究所に納品すればいいんだよな?」
「そうそう。そしたらスキルブックもらえるから、晴れて俺たちの仲間入りってわけ」
「長かった……」
「みんなありがとな!助かった!」
「何、ギルド全体の利益を考えれば……」
おのおの雑談しながらホームに戻っていく。長かった一日が終わった。日付こそ変わっていないが、もう深夜である。
夜叉彦は早速研究所に向かうらしく、ギルドホームに戻るメンバー、このままログアウトするメンバーと別れ解散して行く。
そんな彼らの後方で。
ひょこりと男性プレイヤーが5人、女性プレイヤーが2人、物陰から姿を現した。オープンフィールドのフロキリでは、クエストも解放されたエリアで行われる。受注したギルド以外はモンスターに攻撃出来ないようロックされるが、見学は可能だ。運良く先ほどの戦闘を目撃したプレイヤーたちがこっそりムービーを撮っていたのだ。
「すげー……」
「圧巻だったな、すごい連携プレイだ」
「言葉とかなくてもあんなにお互いわかるもんなんだね!尊敬しちゃう……」
「惚れるの間違いじゃない?」
「うん…夜叉彦さんかっこよかった……」
「げっ、まじかよー。……あんなトップランカー相手じゃ勝ち目無いな……」
「なんか言った?」
「いや。なんでもない」
見学していたこの女性プレイヤーがまた一波乱起こすのだが、それはまた遠い先の話である。
応援ありがとうございます!
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