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【期間限定公開】コピー本再録★火星に端を発した二人の考察

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 ファンタジー大賞への一票、今年もありがとうございます!
 お礼としまして、1年前のイベントで頒布しましたコピー本の短編を期間限定でweb再録いたします。

 作中23話辺りの一幕を想定していますので、本編前半をお読みの上でお楽しみください。





  40代(男)アバターで無双するJK  短編


  ◇火星に端を発した二人の考察





  ◆あらすじ
 女子高生でありながら中年男のアバターでゲームに興じるガルド(佐野みずき)は、家族との喧嘩の末に家を飛び出す。そしてゲーム内で知り合った四年来の相棒・榎本の家に転がり込み、束の間の共同生活を満喫していた。
 そんなある日、念願叶った喜ばしいニュースが全世界を駆け抜ける。世俗に疎いゲーマーの二人も、普通とは違った目線で中継を見つめていた。


   ◆登場人物
     ガルド………主人公・高校二年生
     榎本…………相棒・四十代の会社員



「とうとう行ったな」
 榎本がリビングのソファに全身を預けながら言う。主語が無いが、つい先ほどまでやっていたネットニュースが尾を引いているのは明確だった。ガルドは「とうとう」の部分を拾い上げて言葉を続ける。
「長かった」
「だよな。一回目なんて俺、幼稚園通ってた頃だぞ」
「生まれてない」
「ぐっ、そんな前か!」
 年齢差に苦悶の声を出した榎本を放っておき、ガルドはニュースの自動再生を中継から火星コラムへ寄せるように意識した。目の横、こめかみの辺りから垂れたコードがスマホへ繋がっている。脳近くへ埋め込んだ送受信デバイスに付属された磁石と、有線ケーブルの端についた小さな磁石が緩やかに皮膚を圧迫する。ガルドはラグの敷かれた床に座り込み、背中をソファの座面に預けたまま、するりと指でコードを撫でた。
 ローテーブルの上に置いたスマホからは二本、コードが有線されている。一本はガルドのこめかみへ。もう一本は榎本が所有していたプロジェクターに刺さっている。有線しているガルドは映像を見ることなく内容を*感じる*ことが出来た。脳波感受型コントローラの恩恵で、今もテーブルに広げた課題テキストへペンを走らせたまま、*ながら感受*している。
 プロジェクターから壁へ投影されたニュース動画は、茶と赤の合間のような火星の限界的自然環境と冷たい宇宙スペースの黒ブラックとの美しいコントラストがずっと続いている。たまに現れる人間の顔は、今日の主役とも言うべき宇宙飛行士たちだ。人種は様々だが、日本人は一人もいない。
「そういやあの噂、マジらしいぞ」
 榎本があくびをしながら続ける。手には文庫本があるが、挟んでいた指を抜いてしおりを挿した。
「英語圏の翻訳ニュース出せるか?」
「ん」
 その提案にガルドは、感受で操る自身の居場所を大きく別の場所へ移動させた。ネットサーフィンしている海を南海岸から東海岸へ飛ばすようなサイズの大ジャンプで、途端に切り替わった外国語の波を甘んじて受ける。ガルドにも読めなくは無い。
 榎本の言うの件は、裏事情を父から聞いたガルドも興味があった。だが、榎本が知らないことがある。英語圏のニュースを日本側で翻訳作業する際、こっそり父のような仕事をしている日本人が、フェイクを入れて裏工作をしているのだ。
 日本国の陰謀をすり抜けるために、検索エンジンの時点で少なくとも海外サーバーのものを使わなければならなかった。
 日本では「マーズプロジェクト」と呼ばれるものを、そっくり其の儘英語で打ち込み検索をかける。ミルフィーユのような層になって現れたニュース動画を、ガルドはとりあえず端に避けた。今タイムリーに報道されているのは、つい先ほど発射し軌道にのった第二の有人火星調査団の今後について。ガルドや榎本が気にしている噂とは少々ずれていた。
 英語で「脳波感受型コントローラ」と「宇宙飛行士」というワードを入れ、噂にすぎない報道の数々を手前側に抽出する。層状態になっていたサムネイルから、幾枚いくまいかのインタビュー記事が飛び出してきた。
「やっぱ向こうは進んでるよなぁ」
 榎本の愚痴は、そっくりそのままガルドの羨望でもあった。
 記事には、噂で聞いた「脳波コンで高速に情報をさばき宇宙で人間の高い有用性を発揮し——」や「お互いの意思疎通をダイレクトに行うことで——」など、脳波コン使いにとってポジティブな言葉が続いている。ガルドは強く羨みながら、海外の報道が本来の脳波感受型コントローラに対する評価なのだと再認識もしている。
「日本人ってなんでこんな固いんだろうな」
 それは作られた印象だ、という言葉をすんでのところでガルドは飲み込んだ。
「さあ」
 ものを分かっていない子どものふりをしつつ、ネットサーフィンを続ける。ガルドは手で教科書を一ページめくり、感じ取るスマホ経由のウェブも一ページ記事をめくった。
 火星へ飛び立った宇宙飛行士たちは、全員脳波感受型の端末を埋め込んでいる。ガルドが今しているようなネット検索は——そもそもワールドワイドウェブが無いため——できないが、オフライン端末がもつデータを知識として、計算能力を補助頭脳として利用できるレベルまで操れるらしい。
「へぇ、そりゃ便利だな。仕事に転用できるか微妙だが」
「自分の専門外の分野にコネクトしたところで、活用は難しい」
「確かにな。俺が絵筆とテクニックを感受しながら紙に向き合っても、生み出されるのはヘドロ色のナニカだろ? そう言う知識やスキルは、やっぱり弘法様にでも任せた方が懸命だ」
「弘法大使は書道」
「知ってるっつーの」
「辞書代わりにはいい」
「俺ら凡人にはそんくらいがちょうどいいな」
「計算補助は、利用方法と分野によってはかなりいい」
 スマホに繋がり計算式を自ら打ち込んで結果のみ弾き出す、といったやり方は既出だ。今回の宇宙計画で使われる計算補助は、人間が「ここをこうするとどうなる?」というようなぼんやりとした思考を巡らせた際に、機器が読み取り、数多ある先人たちの計算からオススメ算出方法を候補としてあげ、計算し、答えまで導いて出力するものだった。
「最終的に計算を使うか使わないか、ってのは人間だがな。その発想力まで補助してくれんのは助かる」
「宇宙は学問の分野も使用機器も限定されている。オフラインとして降ろしておく計算式もそんなに多くない」
「宇宙で緊急事態起きたとしても、使える物資は船の中だけだもんな。ほら、昔流行った……」
「火星の人」
「そうそれ、オデッセイ。アレみたいに状況を打破するにも、おおよその理科分野知識と存在する物資のデータだけありゃいいだろ。データ量はそう多くなくて済むよな。オフラインでもなんとかなるさ」
「事前予測を超える困難は?」
「そん時は地頭で解決するしかねぇんじゃないか?」
「あぁ」
 周囲にこうした会話が出来る友人がいないガルドにとって、榎本とこうして少し背伸びをしたような内容の話をするのが、小さな楽しみの一つだった。
「そもそも、でっかい問題にぶつかった時には『火事場の馬鹿力』があるだろ」
「バカ……?」
「あれ、最近は言わないのか。火事のときにタンス持ち上げるような、普段リミッター掛かってるような有り得ないパワーのことだ」
「へぇ」
「こういう時は計算なんかより無意識とか瞬発力とか、あとは機転なんかが大事になってくるよな」
 榎本がキッチンへと席を立ち、冷蔵庫から炭酸水を取り出して戻ってきた。そのままペットボトルに直で口をつけ、勢いよく飲む。ゴクリと喉仏が動くのを横から見ていると、炭酸が駆け抜ける特有の感覚がガルドの喉にも思い出された。
 そういえば話に夢中で忘れていた、とガルドもローテーブルに置かれたコーヒーを一口飲む。だが炭酸の刺激とは別物で、不満だけがじりと溜まる。眉間にシワがよった。
「まだ一本あるぞ。あ、銀色の缶は……」
「知ってる、飲まない」
コッチリアルじゃ自己責任でな」
「飲まない」
 最上段に数本並ぶ銀の缶はハイボールだ。そちらを無視して炭酸水を取り出す。
「ルール遵守ってか?」
「人間はルールを破れる。守る守らないは個人の意思だ」
「日本じゃ二十歳ハタチからだろ? 外国じゃズレはあるが」
「人によって重視するポイントが違う。法の遵守より快楽が優先なら、ルールを破るのも*法*だ」
「ソイツのか」
「ああ」
 ガルドの言いたいことが伝わっているのか、榎本がする軽薄な笑い方では読み取りにくい。目つきで話を促す。
「国の法律と人の法律ルール、そこに正義やらモラルやら混ざってくると……なんともままならねぇな」
「人間を支援するAIのアルゴリズムは、その枠より内側の小さい範囲に収まる」
「さっきの計算補助のやつなんて特にだな。弱いAIと強いAIとあるが、そのどっちも民間に降りてくる頃には法律のフィルターで制限がかかる。火星調査団レベルなら制限ない部分もあるだろうが……どうなんだ?」
「ニュースを見る限り、そこまで詳しい報道は無い」
 ガルドは炭酸のペットボトルをローテーブルまで持ち込み、またローテーブルとソファの間に腰を下ろした。
「やっぱり人間の判断力は必要不可欠だよな。何かあった時にすぐ動けるってのは大事だ」
「フロキリじゃ死活問題」
「ネット回線の具合と合わせてだろ?」
 ガルドに向かって笑う榎本は、今いるマンションの回線速度が立派だと自慢を始めた。具体的に——上りや下り、フレームやサーバーからのレスポンスなど細やかな数値を——話し始め、それなりに良ければ何でも良いと考えていたガルドは適当に頷く。
 その間に炭酸水を飲みながら、テキストをサクサクと進めた。分からない部分など無い。おおよそ一回授業を聞けば内容が理解出来るガルドにとって、勉強は「効率こそ全て」だ。頭脳と時間は有限で、榎本が話す回線速度についての知識も、ギルドの詳しいメンバーに頼れば一から十、超えて百まで頼んでもいないのに語り出す。不得意な分野は任せるに限る、と話半分で聞き流していた。
「——で、旧時代的なIEEEアイ・トリプルイーなんて名前から変わって……そういやガルド、お前生まれた時にはもう……」
「イエーの言い間違いか」
「トリプルイーだよエーじゃねぇよ! そうだよな、もう二十年近くなるのか」
「ああ」
 ガルドが知識としても辛うじて聞きかじった程度の古い学会名は、既に新しい名称へ切り替わって二十年になる。ガルドが冗談で言った読み間違いを二人で笑い、回線速度のこだわり談義に小一時間付き合った。

「でな、ネット速度は機材として上限が決まってるだろ?」
「伸ばせるなら反応速度か」
 話し込んでいくと、次第にガルドたち二人が本気で取り組んでいるゲーム・フロキリに関する話題に移っていた。ネット回線の速度に気を遣っていたのも、他のプレイヤー達に勝つための手段に過ぎない。そして、自分たちの出力したデータがどれほどの速度で飛んでいくかよりも、データそのものを速く打ち出す方がよっぽど現実的に強化出来た。
「判断力は経験値とイコールだ」
「RPGみたいな言い方だな……まぁ、場数を踏めばそれだけ対処法も覚えられるし、全くもってその通りだけどよ」
「問題は瞬発力」
「俺も年取ったわ。お前のページ捲る速度について行けない」
「ん?」
 プロジェクターに繋いだままのスマホは、ガルドの手によってひっきりなしにニュースサイトを流している。速度は自動送りを解除し、ガルドが読みきったタイミングで次に移っていく手動にしていた。
 榎本は腕で枕を作り、ソファの上で横になりながら壁を見ていた。投影されたプロジェクターの画像は、しかしガルドの脳裏へ投影されるものと全く同じという訳では無い。
「榎本、眼球と脳の処理にはラグがある」
「だとしても、お前にはこのスピードが丁度いいんだろ? 速いだろ、半分も読めないっつーの」
 ぐたりと脱力して言う榎本は、しかしふんわりと笑っていた。文句ではなく自身の老化を冗談半分で嘆いているらしい。ガルドは画面変更をゆっくりとしたものに変えつつ、慰めの言葉を続ける。
「脳で文字を感覚処理するスピードと比べれば、まぁ、半分だと思う」
「俺だって脳波コン入れる前はこの速さで読めたさ。もう四年経つが、視力は落ちたなぁ」
「リアルの視力と脳波は関係ない」
「あるだろ」
「ない」
「じゃあほら、体幹が良ければVRの現在位置がブレないとか」
「体幹が悪くても脳波コンの位置操作には支障無い」
「アレはどうだ! 剣道有段者は接近戦のセンスがある、とか」
「むしろ武器種によっては邪魔。片手剣でも刀でも、初期ポーズ構え方が剣道とは違う」
「うぐ、じゃあ……」
「榎本、ん」
 ガルドはおもむろに立ち上がり、ソファに寝転ぶ榎本をアゴで「起きろ」と誘った。不思議そうな表情でのっそり起き上がった榎本に、ソファから降りてそばに立つよう目で促す。
「なんだよ」
「リアルは確かに、身体がある」
「おう。人間だからな。身体があるから脳があって、そこからゲームがプレイできるんだろうが」
「脳波感受型コントローラは身体の一部と変わらない。脳の処理をデジタル化するのに、昔ほどタイムラグは無い」
「さてはお前、調べたな?」
「少し。リアルの身体が脳の機能へ影響を与える度合いは、このタイムラグでどうせ*おじゃん*、らしい」
「相殺する程度ってことか? だがコンマ数秒の世界だろ。俺らがしてるのはそういう世界の戦いだ」
「だったら……」
 ようやく立ち上がった榎本へ、ガルドはすかさず足を掛ける。
「えい」
「なっ!?」
 少し裾が短いスウェットパンツのせいか、それなりに伸びたスネ毛が見える。男らしい足だが、急所に体重をかけてしまえば転ぶだろう。ガルドは果敢に足を強く引っ掛け、ついでに昔習った柔道を参考に、首元のスウェットパーカーを掴み、背中から榎本を投げんばかりの勢いで持ち上げた。
「むぐぐ……」
 ガルドは努力した。身長でも体重でも、筋肉ですら勝てない大柄な榎本をひっくり返してやろうと奮戦する。しかしビクともしない。
「が、ガルド?」
 余裕そうな声に不満で、弁慶の泣き所目掛けてカカトを打ち込もうと足を振る。
「うわっ、何だよ突然」
 動体視力をなんだかんだ言っていたが、どうやら本人が思っているほど悪く無いらしい。見切られ、榎本は狙われた右足をヒョイと上げ、ガルドに文句を言った。
「身体やリアルスキルがフルダイブVRに影響するなら、榎本に俊敏さで負けるはずがない」
 本心が二割、残りは煽りとしての発言だ。ガルドは相棒を正当に評価している自負があり、実際にゲーム中では榎本に勝てず負けずの均衡状態が続いている。
「んだと? スピードはともかくパワーならこっちが明らかに上だろうが」
 案の定煽った結果見事に釣れ、パーカーの首元を掴んだままのガルドの手首を、榎本がワシリと掴んだ。そのままひっぺがすかと思えば、握ったまま動かない。ガルドはこれ正に好機とばかりに、腕を振りほどいて無理やり背後に回り込み、ヒザ裏目掛けてヒザ小僧を穿うがつ。
「だっ、ヒザカックンやめろ!」
「パワーはアバターに振られた数字パロメータでのコントロールだ。判断力のスピーディさがリアル依存なのは理解できる。動きを決めるのは、意識・無意識関係なく
「だ、やめ、おいヤメろ!」
 半笑いで緩やかな拒否を示した榎本は、ヒザ裏を庇うようにガルドに向かい合った。
「リアル依存でもっと強くなりたければ、反応速度だ。脳を鍛えるしかない」
「避けるのは結局身体だろうが! つぅか、ヒザとかスネとか、急所ばっか狙うのヤメろよ!」
 段々と面白くなってきたガルドは、小さく笑みを浮かべつつローテーブルとソファの間で忙しく榎本を突っつき続けた。狭く、背後に回るだけで一苦労だ。
「人間の判断はAIとは違う。小型の雑魚AIでも、大型種の強いAIでも、自由とは程遠いアルゴリズム。囲碁やチェスとアクションゲームは違う」
「横スクロールならまだしもってか? 言いたいことは分かるが、何もこんな狭いところでやんなくていいだろ!」
「別に、無理やり止めればいい」
向こうゲーム内とは違うんだぞ……」
 意味深に榎本が溜めつつ、ガルドの肩を両手で掴んで一定距離間隔を離した。腕のリーチはガルドよりずっと長く、榎本が腰を引けばスネ蹴りも届かない。オンラインでの姿ならば、とガルドは内心嘆いた。仮想の身体ならば、今の自分より速く足を振り上げ振り下ろし、榎本を盛大にずっこけさせることが出来るだろう。
 やはり、あの世界での自分はで構成されているのだ。
 ガルドが思う自分とは、鼓動打つ心臓含めての身体全て、ではない。榎本が言うリアル依存も、ガルドは全く関係ないと思っている。自我は脳に宿っているのだ。そう思うのはまだ十代で精神的に幼いからだろうか、とガルドは一人照れる。
「勝てない」
「あ? 図体で言えば負けねぇぞ」
「だとしても俊敏さは……せめて一撃入ると思った」
 バランスを崩させることすら出来ずに、しかし悔しくはない。思ったことの証明がこれで確認出来た。目で見たガルドのヒザカックンを、衰えたと自称する榎本は難なく防いだのだ。訓練してきた「行動の先読み」「攻撃を反射するのに必要な角度」がリアルにまで反映されている証拠だ。
「ここまで防ぐとは思わなかった」
「お前、それナメすぎじゃねぇか? 俺だってスポーツぐらいしてるっつうの」
「フットサルか」
「おう、ボール見てゴール見て、咄嗟にパスをカットしたりな。動体視力なら自信あるぞ」
「ん、それも訓練の一つなのは分かる。二週間に一回程度でも、やらないよりは良い」
「う、確かにサボりがちだけどな」
「それでも行動予測の経験値に入るだけで、身体は関係ない」
 ガルドは意見を変えなかった。
「そうだな。お前含めて、リアルと身体が違い過ぎるアバター使ってるやつは総じてスゴいさ」
 榎本は、タレ目がちな目を更に柔らかくして笑った。二人揃って二メートル越えの巨大アバターを操っているが、榎本はリアルと大差なく、ガルドは三十センチ以上身体が伸びている。
「ほら、お前の言う通りリアルの身体スペックは関係なさそうだから。もういいか? ん?」
 からかいを含めつつ、榎本は手をそっとガルドの肩から離した。数秒そのまま立ち尽くしていると、相棒は満足げに頷いてソファに座ろうとする。
 面白くなったガルドは、その座りかけた臀部の下へめがけて箱ティッシュを差し込んだ。
 気持ちのいい破壊音とともに、紙で作られているティッシュ箱が潰れる。
「だっ!」
 慌てて飛び上がった榎本が「潰したぁっ」と悲鳴を上げるのが、何故だか不思議と面白く、ガルドは声を殺して笑った。顔を背け、手で口を隠して吹くように笑う。
「楽しそうだなぁオイ」
「瞬発力無さ過ぎる」
「言ったな? このやろ、遠慮なんかヤメだ!」
 つられたのか、榎本も悪戯を思いついた子どものように笑いながら、ガルドを脇からヒョイと持ち上げた。
「おお……」
 地面から数センチ浮いただけだが、そのままクルリと移動させられる。こうも軽々と持ち上げられることに軽いショックを受けたガルドは、普段なら出来るような軽いジョークも飛ばさず静かに感嘆するしかなかった。
「軽いなぁ」
 榎本はそう笑いながら中心軸となり、ガルドの身体をクルリと回す。決して低いわけではない身長を物ともせず、腕を高く上げ三回転。
「軽くない」
「お、意外と怒らねぇな。子ども扱いされんの嫌だろ?」
「そんなことより、榎本の腕力に驚いてる」
「オッサンだって筋トレすりゃこれくらい出来るさ」
 そしてククッと笑うと、ゲーム内でのことを思い出しながら続けた。
「お前があの*巨体*だったら、流石にこんなこと出来ないぞ? 逆に俺の方が軽いかもな。俺たちのリアルには、こうやって相応の、こっちでしか出来ない体験が出来るっつー価値がある。お前のリアルは必要だ」
 諭しているのか、自分自身にも言い聞かせているのか。榎本は軽薄でペラペラな顔のまま、真面目にそう言った。
「リアルが要らないとは言ってない」
「気持ちは分かるけどな」
 そのままガルドを、榎本は隣の部屋へ持っていった。
 中には借りているベッドと、脳波感受型コントローラに接続して使う専用フルダイブVR再生機が置かれている。フルダイブ機は大きく、アップライトピアノ以上グランドピアノ以下という邪魔にしかならないサイズ感で鎮座している。
 榎本は、ガルドをベッドの上に小さく投げた。
 優しく投げられスプリングで小さくバウンドしたガルドは、呆気にとられつつ榎本を見上げる。相棒はあっという間に視界から消え、戻ってきたときには飲みかけの炭酸ペットボトルを手にしていた。
「ほれ」
「——ん?」
「いるだろ? 水分」
 続けてベッドのヘッドボードに掛けられていたフルダイブ機の受信部分、ヘッドセットを持ち上げる。
「こっちで瞬発力の訓練するくらいなら、向こうで何本かやった方が有意義だろ?」
 寝転がるガルドの頭にヘッドセットを押し当て、頭頂部を二回ぽんぽんと撫でてから、榎本は部屋を出ていった。
「——子ども扱い、されてる」
 言葉にすると、思ったよりずっと怒りを覚えた。
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