185 / 401
179 生きとし生けるもの、死に突き落とされるもの
しおりを挟む
グリーンランド、空港、発着場。
周りでは慌ただしく旅客機や軍用機へ荷下ろしが行われているが、その隅で、ある日本人の一団が待機していた。
やっと日本へ帰ることができる。白髪が目立ってきた髪を下ろしたままにしている九郎は、不謹慎ながら安堵に包まれていた。
毛染めどころか潤沢なポマードもない今、身なりに気を遣う余裕がない。帰ったらすぐに 理容院へ駆け込むつもりだが、それ以上に優先すべきことは山ほどあった。
「……ボス」
部下の一人が感情の死んだ目で声をかけてきた。
彼は突入隊の一人で、生々しい現場を見てから一気にやつれてしまっている。スーツをやめ、他国の軍人に貰ったのだろうダボダボのミリタリージャケットを羽織って立っていた。 スーツは、吐瀉物と血と油で汚れてしまった。九郎も借り物のツナギを着ている。イギリス空軍の備品で、胸にロゴが入っていて質が良い。他の面々もそれぞれバラバラな服を着ているが、大学生の三人組は持ってきていた予備の黒いTシャツに拠点へ仕舞っていたベンチコートを着込んでいた。
今一番元気な日本人は彼らだ。待機している彼らは脳波コンで通信し合い、どこかへと連絡を取っている。グロテスクなものに耐性があるのはフロキリのお陰だろうか。現場では部下よりよっぽど、あの場では一番頼りになっていた。
九郎は遠くに見えた彼らの働きぶりに、本気で社員登用を目論みはじめている。
「ボス。ご家族の方は成田にて待機、マスコミにも公開されるとのことでした」
事後処理に集中していた九郎が知らなかった些事を、部下の一人が報告としてあげてくる。
「対応は外務省と内閣府に任せよう。我々は予定通り別の便で移動だ。ちなみに、入れ替わりで来るのは?」
「復興情報調整庁から三桁の人数が」
「そうだな。妥当だろう」
「我々は……本当に帰還して良いのでしょうか」
「いいか。我々は『居なかった』ことになる。引継ぎなどあってはならん」
九郎は少し語尾を強めた。正義感は分かる。死んだ彼らの声なき声、遺留品や犯行現場の様子を一番知っているのは九郎たちだ。
全て英語で、まるで日系の外国人であるかのような書きっぷりで報告書を仕上げた。
死んだ彼らの遺体損傷具合、遺体があった場所の記録、繋がれていたネットワークの状況。帳尻合わせは済んでいる。九郎たち日本電子警備株式会社がここまで来たことは、世間には流れない極秘のこととして隠される。ここで事実は終わりだ。
「九郎社長~! 次、我々の搬入です~!」
遠くで女性社員が手を振っている。
すぐそばには昇降式のタラップに繋がる入り口、そして巨大な旅客機が待機していた。日本を含めアジア圏へ飛ぶチャーター機で、座席のほとんどが中国の研究チームで占拠されて いる。九郎たち日本人は最後の搭乗だ。
「帰るぞ。彼らの、分まで」
「っ、は、ハイっ!」
心身ともに疲弊している。それでも自責の念から背筋を伸ばす社員たちに、九郎は謝りたくなった。だが慰めにはならない。
犯人を捕まえ、まだ見つかっていない被害者たちを一人残らず探し出すこと。
そうして初めて、九郎も社員たちも「終わった」と思えるだろう。ずっと続く困難に、九郎は布袋を思った。田岡を思った。そして六人のロンド・ベルベットを思った。
フルダイブのオンライン上にある一区画、セキュリティを重視した認証入場式のVRコミュニティサイト。
真っ黒の世界に一つ、古めかしい映写機のようなオブジェクトが置かれ、光の先には古い銀幕が張られている。
椅子も無い。
映写機以外に光源もない。
狭いエリアにただそれだけ置かれ、黙々と映像が流れている。アスペクト比が映画のそれで、随分と横長に切られた動画だ。
少し上空から、ドローンの視点で撮影されている。暗い通路は大型のPCやパイプ、ケーブル、謎のビニールなどで覆われていて、車も入れない程細い。
その中を、数人の人間が足早に歩いている。一人、黒髪をオールバックに撫でつけた男が叫んだ。
「索敵! 脅威判定! 熱源探知!」
「ドローンなら相手に出来るが、人間は我々には無理だ! いいか、近寄らせるな!」
<ヒト感知 該当なし>
<地雷探知 該当なし>
<殺傷兵器 該当なし>
<熱源探知該当あり 延焼中>
「火災はもっと下だ。ここは十五分以内に脱出する、取れる情報全て取れ!」
AIがスピーカーから流す声に、映っている人間たちがほっと息を吐いた。それでもなお、半球状に自分たちを守るような配置で、飛行型ドローンを飛ばしている。
「あの壁沿いのPC、全部アクティブだ!」
「古いな。SSDか」
「あっちは量子型!?」
「解析は後だ。通路端まで斥候機、三台飛ばせ!」
「俺らの出すよ、ディンクロン」
動画では見切れている場所から、有線で人間と繋がれたドローンが勢いよく飛んでいく。
追うように走り出した操縦者が画面の中に入った。最後方にいたらしい三人はかなり若い青年たちで、ドローンを追うようにして走っている。
先頭を走るセグウェイ騎乗中の、フルフェイス・フルカバージャケットで防御した女が振り返って、何かを叫んでいる。銀幕に投影される映像の音声には入ってこない。
青年三人を最前列に立たせないよう、わざと邪魔するように走っているように見える。
「~!!」
声にならないくぐもった音が鳴った。
セグウェイの女性がひときわ大きな声で叫んだらしい。止まった女にぶつかり、青年三人が顔を上げる。
「なっ……」
「ひいっ!?」
「う、うわああああっ!」
「な……なんだよ、これ……なんだよこれぇっ!?」
「くそ、くそっ!」
青年が三人、大きな悲鳴をあげた。
後続していた徒歩の男たちもそれぞれ悲鳴や怒り、嫌悪、酷い者はその場で嘔吐し、目を背けている。
レモンイエローのフルフェイスで声は聞こえないが、女は怒髪天で壁を殴り始めた。
カメラを載せたドローンがゆっくりと降下していく。直上からでよく見えなかった壁の様子がハッキリと映った。
壁は、殴られても割れない強化ガラスで覆われていた。女の拳では傷一つついていない。
中はポッカリと、小部屋のようになっている。
床は薄く水が浸されているが、色が黒っぽく濁っている。
天井には煌々と古い蛍光灯が灯り、中にあるモノへ、上から強く光を当てていた。顔から下は逆に真っ暗で、よく見えない。
小部屋には頭が一つ。生首に、見えなくもない。
首から下は小部屋の床の下、階下にあるらしく、まるでギロチンの固定台のように丸い穴で首を挟んでいる。濁った水はどうやらその穴から染み出ているらしい。
髪の毛は全て剃られ、大量のケーブルがこめかみから生えていた。
脳波コンの生体ウェアラブルデバイスのような綺麗な術ではなく、外れないよう埋め込んだような生え際をしていた。
コードと生身の間に、水が入ってしまいそうなほどの大きな亀裂が入っている。そして、後頭部から額にかけて一発分の穴があいていた。
無抵抗の背後から、ハンドガンで撃たれたような穴だ。
額に蛍光灯の明かりがよく当たっていて、赤い線が綺麗に一本流れ出ているのも確認できる。
「……熱源、探知」
<なし>
「熱源……35℃以上はっ! 無いのかっ!?」
<なし>
「くそ、くそ、くそおっ!」
「た、助けなきゃ」
「ダメだ、時間がない! 生存者を探す! 先へ走れっ!」
「うっごぼっ、げおっ」
びちゃ、と音がする。静かに一人一人パニックに陥っていて、先頭に立つ青年三人だけが走り出した。先を飛ぶドローンが先に見切れ、青年たちも続けて画面から消える。
「先行ってください、ボス。僕ら、後から……」
「ディンクロン! こっちだ、奥! 日本人だ!」
叫ぶ声。
「く、こっちもダメかもな……犯人を捜すっ! 阿国、阿国! 血が流れ切ってない! まだ諦めんな!」
くぐもった叫び声。フルフェイスで覆った女のものだ。
「まだ間に合うっ! 防犯カメラ読めるか!? どっち行ったかさえ分かれば……」
「だめだ行き止まり!」
「中、か? 下か!」
<警報 火災警報>
「知ってるよ! でもいるかもしんないだろ!? 火の手より先に行けば……」
「やめろお前たち! 死ぬぞ!」
<警報 火災警報>
「後続部隊が消火器持って追いつく! 俺らは下がるぞ! 先輩! しっかり!」
「す、捨て置け……ああ、あああ」
「引きずる! ドローン、フック射出!」
<拒否 フック ターゲット未設定>
「ここ!」
<射出>
画面の端でドローンが一体、ケーブルとフックを射出して男を引きずり始めた。バイクエンジンのような甲高い音が響く。
「あれっ、剥がして回収してくださいぃっ! せめて形見を、遺族へ、ねえっ!」
<酸素濃度急速低下中>
<警告 警告>
<酸素濃度急速低下中>
「車に、早く!」
「ドローン燃やすなっ、映像証拠が消える!」
画面が大きく揺れる。
布地のようなものがズームされて映った。撮影しているドローンを胸に抱えたらしい。上 下の走る動作が伝わる。風を受ける際のくぐもった音がごすりごすりと聞こえる。
<警告 警告>
<火災発生>
<警告 警告>
<火災発生>
男たちの悲鳴。ガラスが割れる音、タイヤがフラットな面でブレーキをかける鋭い音。
「婆やさん! 出して出して!」
「かしこまりました。お掴まりを!」
エンジンが跳ね上がる音。振動が撮影ドローンのカメラに映る。漏れた光が大きくバウンドし、横にブレ、車内で苦しむ人間たちが映る。
顔が青い者、震えている者、怒りが収まらない者。
その中で青年三人は、窓から飛行端末を飛ばして周囲を見続けていた。
映像は、ある程度地下から脱出した辺りで止まっている。
レトロな映写機がカラカラと回る音が響き、銀幕には真っ白に焚かれた光だけが映っていた。その様子を見つめる者は、身体がない。
「フム」
声を上げた。
「なんやねん、おどれナニモンや! こんなもん見せて、一体何がしたいんねん!」
別の声が上がった。
男の声で、日本語だがイントネーションが標準語とは違う。
「事の顛末を。キミには動いてもらおうと思っているのでね」
「ハァ?」
「キミがあの子へ与えた影響を思えば、こんな介入、些細な事なのでね。励みたまえ」 「だから目的言えぃ言うとるやないか!」
怒声が響いた。
相対する声は普段通りの柔らかなまま、しかし辛らつにくぎを刺す。
「そんな乱暴で逆にキミ、よく今まで生きてたものだね」
「ハ? 舐めんな雑魚が!」
「せいぜいあの子の手足となって励みたまえ。キミはあの子が『わざわさ救おうと手を伸ばした男』なのでね。別に誰だってどうだっていいが、保険として縁を重視しよう。ヒトというのは、一期一会を大事にする生き物だからね。さて」
「なっ!? また勝手にジャンプかいな! あァン!? くそったれがァ!」
「得られるデータは自由に使いたまえ」
「あんなグロいもん見しといて、テメェナニモンだ! 名ァ名乗らんかいワレェッ! 救う? あの子? 狂っとんなオドレ!」
「あんなに堂々と反逆したスパイがどんな利口な人間か期待したのだが、案外バカのようだね」
「こンの野郎!」
つんざくようなBEEP音。
「おっと。息をするようにハッキングしてくるのだね、キミ。ああ、反面教師としては良い。あの子をこんなゲスな感じには、しないつもりだがね」
「……被害者ん中におった、あの女の子ん事か!?」
「さてはて。いいかね? これからキミを中に飛ばす。出られるかどうかは結果次第だがね」
「く、離せゲス野郎っ! 死ね、ぶっ殺す!」
「目的は今見せた通り。救援チームの存在を広く知らしめるといい。あとはあの子の指示命令に従い、手助けをしてやること。それ以外は自由に過ごすといい」
「今まで聞いたことねえで、そんな因子! テメェどの管轄の思考機械や!」
「さあね? ボクはあの子のために『ヤツ』の裏を掻くつもりでね。この方法なら汚染除去対象にあの子は入らない。ボク以外の何者かに殺されなくて済むのなら、船に強い繁殖力を持つ虫を投げ入れるのも、怖くないのでね」
「なっ……忠誠プログラムはどないしたんや! 担当以上に創造主が優先って基本はどこ行ったんや! んなアホな! 有りえへん、なんや、なんやねんクソが! 計画ぶっ壊れるやろが!」
「それはキミの、望みではないのかね?」
「……は、離せ。やめろ。しっ、死人がっ……ただ死体が増えるだけや……!」
「あの子が死なないのなら問題ないのだがね」
「やめーいっ! クソ、とまれェッ! テメェホントにぶっ殺す!」
「キミ如きに殺される筋合いはない」
「人間に向かってなんちゅう言い方や! 反逆AI! いや……テメェ外部のやっちゃな!? ちゃうか!? そんな不自然な語尾設定したヒューマン模造型、オレらん商品にゃおらんがな! 語尾を一から自己学習するなんてありえへん……誰や! どこのどいつが指示したんや!」
「では達者でね~」
「っカーーーー!」
男の声は途切れた。
周りでは慌ただしく旅客機や軍用機へ荷下ろしが行われているが、その隅で、ある日本人の一団が待機していた。
やっと日本へ帰ることができる。白髪が目立ってきた髪を下ろしたままにしている九郎は、不謹慎ながら安堵に包まれていた。
毛染めどころか潤沢なポマードもない今、身なりに気を遣う余裕がない。帰ったらすぐに 理容院へ駆け込むつもりだが、それ以上に優先すべきことは山ほどあった。
「……ボス」
部下の一人が感情の死んだ目で声をかけてきた。
彼は突入隊の一人で、生々しい現場を見てから一気にやつれてしまっている。スーツをやめ、他国の軍人に貰ったのだろうダボダボのミリタリージャケットを羽織って立っていた。 スーツは、吐瀉物と血と油で汚れてしまった。九郎も借り物のツナギを着ている。イギリス空軍の備品で、胸にロゴが入っていて質が良い。他の面々もそれぞれバラバラな服を着ているが、大学生の三人組は持ってきていた予備の黒いTシャツに拠点へ仕舞っていたベンチコートを着込んでいた。
今一番元気な日本人は彼らだ。待機している彼らは脳波コンで通信し合い、どこかへと連絡を取っている。グロテスクなものに耐性があるのはフロキリのお陰だろうか。現場では部下よりよっぽど、あの場では一番頼りになっていた。
九郎は遠くに見えた彼らの働きぶりに、本気で社員登用を目論みはじめている。
「ボス。ご家族の方は成田にて待機、マスコミにも公開されるとのことでした」
事後処理に集中していた九郎が知らなかった些事を、部下の一人が報告としてあげてくる。
「対応は外務省と内閣府に任せよう。我々は予定通り別の便で移動だ。ちなみに、入れ替わりで来るのは?」
「復興情報調整庁から三桁の人数が」
「そうだな。妥当だろう」
「我々は……本当に帰還して良いのでしょうか」
「いいか。我々は『居なかった』ことになる。引継ぎなどあってはならん」
九郎は少し語尾を強めた。正義感は分かる。死んだ彼らの声なき声、遺留品や犯行現場の様子を一番知っているのは九郎たちだ。
全て英語で、まるで日系の外国人であるかのような書きっぷりで報告書を仕上げた。
死んだ彼らの遺体損傷具合、遺体があった場所の記録、繋がれていたネットワークの状況。帳尻合わせは済んでいる。九郎たち日本電子警備株式会社がここまで来たことは、世間には流れない極秘のこととして隠される。ここで事実は終わりだ。
「九郎社長~! 次、我々の搬入です~!」
遠くで女性社員が手を振っている。
すぐそばには昇降式のタラップに繋がる入り口、そして巨大な旅客機が待機していた。日本を含めアジア圏へ飛ぶチャーター機で、座席のほとんどが中国の研究チームで占拠されて いる。九郎たち日本人は最後の搭乗だ。
「帰るぞ。彼らの、分まで」
「っ、は、ハイっ!」
心身ともに疲弊している。それでも自責の念から背筋を伸ばす社員たちに、九郎は謝りたくなった。だが慰めにはならない。
犯人を捕まえ、まだ見つかっていない被害者たちを一人残らず探し出すこと。
そうして初めて、九郎も社員たちも「終わった」と思えるだろう。ずっと続く困難に、九郎は布袋を思った。田岡を思った。そして六人のロンド・ベルベットを思った。
フルダイブのオンライン上にある一区画、セキュリティを重視した認証入場式のVRコミュニティサイト。
真っ黒の世界に一つ、古めかしい映写機のようなオブジェクトが置かれ、光の先には古い銀幕が張られている。
椅子も無い。
映写機以外に光源もない。
狭いエリアにただそれだけ置かれ、黙々と映像が流れている。アスペクト比が映画のそれで、随分と横長に切られた動画だ。
少し上空から、ドローンの視点で撮影されている。暗い通路は大型のPCやパイプ、ケーブル、謎のビニールなどで覆われていて、車も入れない程細い。
その中を、数人の人間が足早に歩いている。一人、黒髪をオールバックに撫でつけた男が叫んだ。
「索敵! 脅威判定! 熱源探知!」
「ドローンなら相手に出来るが、人間は我々には無理だ! いいか、近寄らせるな!」
<ヒト感知 該当なし>
<地雷探知 該当なし>
<殺傷兵器 該当なし>
<熱源探知該当あり 延焼中>
「火災はもっと下だ。ここは十五分以内に脱出する、取れる情報全て取れ!」
AIがスピーカーから流す声に、映っている人間たちがほっと息を吐いた。それでもなお、半球状に自分たちを守るような配置で、飛行型ドローンを飛ばしている。
「あの壁沿いのPC、全部アクティブだ!」
「古いな。SSDか」
「あっちは量子型!?」
「解析は後だ。通路端まで斥候機、三台飛ばせ!」
「俺らの出すよ、ディンクロン」
動画では見切れている場所から、有線で人間と繋がれたドローンが勢いよく飛んでいく。
追うように走り出した操縦者が画面の中に入った。最後方にいたらしい三人はかなり若い青年たちで、ドローンを追うようにして走っている。
先頭を走るセグウェイ騎乗中の、フルフェイス・フルカバージャケットで防御した女が振り返って、何かを叫んでいる。銀幕に投影される映像の音声には入ってこない。
青年三人を最前列に立たせないよう、わざと邪魔するように走っているように見える。
「~!!」
声にならないくぐもった音が鳴った。
セグウェイの女性がひときわ大きな声で叫んだらしい。止まった女にぶつかり、青年三人が顔を上げる。
「なっ……」
「ひいっ!?」
「う、うわああああっ!」
「な……なんだよ、これ……なんだよこれぇっ!?」
「くそ、くそっ!」
青年が三人、大きな悲鳴をあげた。
後続していた徒歩の男たちもそれぞれ悲鳴や怒り、嫌悪、酷い者はその場で嘔吐し、目を背けている。
レモンイエローのフルフェイスで声は聞こえないが、女は怒髪天で壁を殴り始めた。
カメラを載せたドローンがゆっくりと降下していく。直上からでよく見えなかった壁の様子がハッキリと映った。
壁は、殴られても割れない強化ガラスで覆われていた。女の拳では傷一つついていない。
中はポッカリと、小部屋のようになっている。
床は薄く水が浸されているが、色が黒っぽく濁っている。
天井には煌々と古い蛍光灯が灯り、中にあるモノへ、上から強く光を当てていた。顔から下は逆に真っ暗で、よく見えない。
小部屋には頭が一つ。生首に、見えなくもない。
首から下は小部屋の床の下、階下にあるらしく、まるでギロチンの固定台のように丸い穴で首を挟んでいる。濁った水はどうやらその穴から染み出ているらしい。
髪の毛は全て剃られ、大量のケーブルがこめかみから生えていた。
脳波コンの生体ウェアラブルデバイスのような綺麗な術ではなく、外れないよう埋め込んだような生え際をしていた。
コードと生身の間に、水が入ってしまいそうなほどの大きな亀裂が入っている。そして、後頭部から額にかけて一発分の穴があいていた。
無抵抗の背後から、ハンドガンで撃たれたような穴だ。
額に蛍光灯の明かりがよく当たっていて、赤い線が綺麗に一本流れ出ているのも確認できる。
「……熱源、探知」
<なし>
「熱源……35℃以上はっ! 無いのかっ!?」
<なし>
「くそ、くそ、くそおっ!」
「た、助けなきゃ」
「ダメだ、時間がない! 生存者を探す! 先へ走れっ!」
「うっごぼっ、げおっ」
びちゃ、と音がする。静かに一人一人パニックに陥っていて、先頭に立つ青年三人だけが走り出した。先を飛ぶドローンが先に見切れ、青年たちも続けて画面から消える。
「先行ってください、ボス。僕ら、後から……」
「ディンクロン! こっちだ、奥! 日本人だ!」
叫ぶ声。
「く、こっちもダメかもな……犯人を捜すっ! 阿国、阿国! 血が流れ切ってない! まだ諦めんな!」
くぐもった叫び声。フルフェイスで覆った女のものだ。
「まだ間に合うっ! 防犯カメラ読めるか!? どっち行ったかさえ分かれば……」
「だめだ行き止まり!」
「中、か? 下か!」
<警報 火災警報>
「知ってるよ! でもいるかもしんないだろ!? 火の手より先に行けば……」
「やめろお前たち! 死ぬぞ!」
<警報 火災警報>
「後続部隊が消火器持って追いつく! 俺らは下がるぞ! 先輩! しっかり!」
「す、捨て置け……ああ、あああ」
「引きずる! ドローン、フック射出!」
<拒否 フック ターゲット未設定>
「ここ!」
<射出>
画面の端でドローンが一体、ケーブルとフックを射出して男を引きずり始めた。バイクエンジンのような甲高い音が響く。
「あれっ、剥がして回収してくださいぃっ! せめて形見を、遺族へ、ねえっ!」
<酸素濃度急速低下中>
<警告 警告>
<酸素濃度急速低下中>
「車に、早く!」
「ドローン燃やすなっ、映像証拠が消える!」
画面が大きく揺れる。
布地のようなものがズームされて映った。撮影しているドローンを胸に抱えたらしい。上 下の走る動作が伝わる。風を受ける際のくぐもった音がごすりごすりと聞こえる。
<警告 警告>
<火災発生>
<警告 警告>
<火災発生>
男たちの悲鳴。ガラスが割れる音、タイヤがフラットな面でブレーキをかける鋭い音。
「婆やさん! 出して出して!」
「かしこまりました。お掴まりを!」
エンジンが跳ね上がる音。振動が撮影ドローンのカメラに映る。漏れた光が大きくバウンドし、横にブレ、車内で苦しむ人間たちが映る。
顔が青い者、震えている者、怒りが収まらない者。
その中で青年三人は、窓から飛行端末を飛ばして周囲を見続けていた。
映像は、ある程度地下から脱出した辺りで止まっている。
レトロな映写機がカラカラと回る音が響き、銀幕には真っ白に焚かれた光だけが映っていた。その様子を見つめる者は、身体がない。
「フム」
声を上げた。
「なんやねん、おどれナニモンや! こんなもん見せて、一体何がしたいんねん!」
別の声が上がった。
男の声で、日本語だがイントネーションが標準語とは違う。
「事の顛末を。キミには動いてもらおうと思っているのでね」
「ハァ?」
「キミがあの子へ与えた影響を思えば、こんな介入、些細な事なのでね。励みたまえ」 「だから目的言えぃ言うとるやないか!」
怒声が響いた。
相対する声は普段通りの柔らかなまま、しかし辛らつにくぎを刺す。
「そんな乱暴で逆にキミ、よく今まで生きてたものだね」
「ハ? 舐めんな雑魚が!」
「せいぜいあの子の手足となって励みたまえ。キミはあの子が『わざわさ救おうと手を伸ばした男』なのでね。別に誰だってどうだっていいが、保険として縁を重視しよう。ヒトというのは、一期一会を大事にする生き物だからね。さて」
「なっ!? また勝手にジャンプかいな! あァン!? くそったれがァ!」
「得られるデータは自由に使いたまえ」
「あんなグロいもん見しといて、テメェナニモンだ! 名ァ名乗らんかいワレェッ! 救う? あの子? 狂っとんなオドレ!」
「あんなに堂々と反逆したスパイがどんな利口な人間か期待したのだが、案外バカのようだね」
「こンの野郎!」
つんざくようなBEEP音。
「おっと。息をするようにハッキングしてくるのだね、キミ。ああ、反面教師としては良い。あの子をこんなゲスな感じには、しないつもりだがね」
「……被害者ん中におった、あの女の子ん事か!?」
「さてはて。いいかね? これからキミを中に飛ばす。出られるかどうかは結果次第だがね」
「く、離せゲス野郎っ! 死ね、ぶっ殺す!」
「目的は今見せた通り。救援チームの存在を広く知らしめるといい。あとはあの子の指示命令に従い、手助けをしてやること。それ以外は自由に過ごすといい」
「今まで聞いたことねえで、そんな因子! テメェどの管轄の思考機械や!」
「さあね? ボクはあの子のために『ヤツ』の裏を掻くつもりでね。この方法なら汚染除去対象にあの子は入らない。ボク以外の何者かに殺されなくて済むのなら、船に強い繁殖力を持つ虫を投げ入れるのも、怖くないのでね」
「なっ……忠誠プログラムはどないしたんや! 担当以上に創造主が優先って基本はどこ行ったんや! んなアホな! 有りえへん、なんや、なんやねんクソが! 計画ぶっ壊れるやろが!」
「それはキミの、望みではないのかね?」
「……は、離せ。やめろ。しっ、死人がっ……ただ死体が増えるだけや……!」
「あの子が死なないのなら問題ないのだがね」
「やめーいっ! クソ、とまれェッ! テメェホントにぶっ殺す!」
「キミ如きに殺される筋合いはない」
「人間に向かってなんちゅう言い方や! 反逆AI! いや……テメェ外部のやっちゃな!? ちゃうか!? そんな不自然な語尾設定したヒューマン模造型、オレらん商品にゃおらんがな! 語尾を一から自己学習するなんてありえへん……誰や! どこのどいつが指示したんや!」
「では達者でね~」
「っカーーーー!」
男の声は途切れた。
1
お気に入りに追加
760
あなたにおすすめの小説
運極さんが通る
スウ
ファンタジー
『VRMMO』の技術が詰まったゲームの1次作、『Potential of the story』が発売されて約1年と2ヶ月がたった。
そして、今日、新作『Live Online』が発売された。
主人公は『Live Online』の世界で掲示板を騒がせながら、運に極振りをして、仲間と共に未知なる領域を探索していく。……そして彼女は後に、「災運」と呼ばれる。
最悪のゴミスキルと断言されたジョブとスキルばかり山盛りから始めるVRMMO
無謀突撃娘
ファンタジー
始めまして、僕は西園寺薫。
名前は凄く女の子なんだけど男です。とある私立の学校に通っています。容姿や行動がすごく女の子でよく間違えられるんだけどさほど気にしてないかな。
小説を読むことと手芸が得意です。あとは料理を少々出来るぐらい。
特徴?う~ん、生まれた日にちがものすごい運気の良い星ってぐらいかな。
姉二人が最新のVRMMOとか言うのを話題に出してきたんだ。
ゲームなんてしたこともなく説明書もチンプンカンプンで何も分からなかったけど「何でも出来る、何でもなれる」という宣伝文句とゲーム実況を見て始めることにしたんだ。
スキルなどはβ版の時に最悪スキルゴミスキルと認知されているスキルばかりです、今のゲームでは普通ぐらいの認知はされていると思いますがこの小説の中ではゴミにしかならない無用スキルとして認知されいます。
そのあたりのことを理解して読んでいただけると幸いです。
神速の冒険者〜ステータス素早さ全振りで無双する〜
FREE
ファンタジー
Glavo kaj Magio
通称、【GKM】
これは日本が初めて開発したフルダイブ型のVRMMORPGだ。
世界最大規模の世界、正確な動作、どれを取ってもトップレベルのゲームである。
その中でも圧倒的人気な理由がステータスを自分で決めれるところだ。
この物語の主人公[速水 光]は陸上部のエースだったが車との交通事故により引退を余儀なくされる。
その時このゲームと出会い、ステータスがモノを言うこの世界で【素早さ】に全てのポイントを使うことを決心する…
【第1章完結】デスペナのないVRMMOで一度も死ななかった生産職のボクは最強になりました。
鳥山正人
ファンタジー
デスペナのないフルダイブ型VRMMOゲームで一度も死ななかったボク、三上ハヤトがノーデスボーナスを授かり最強になる物語。
鍛冶スキルや錬金スキルを使っていく、まったり系生産職のお話です。
まったり更新でやっていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
「DADAN WEB小説コンテスト」1次選考通過しました。
Anotherfantasia~もうひとつの幻想郷
くみたろう
ファンタジー
彼女の名前は東堂翠。
怒りに震えながら、両手に持つ固めの箱を歪ませるくらいに力を入れて歩く翠。
最高の一日が、たった数分で最悪な1日へと変わった。
その要因は手に持つ箱。
ゲーム、Anotherfantasia
体感出来る幻想郷とキャッチフレーズが付いた完全ダイブ型VRゲームが、彼女の幸せを壊したのだ。
「このゲームがなんぼのもんよ!!!」
怒り狂う翠は帰宅後ゲームを睨みつけて、興味なんか無いゲームを険しい表情で起動した。
「どれくらい面白いのか、試してやろうじゃない。」
ゲームを一切やらない翠が、初めての体感出来る幻想郷へと体を委ねた。
それは、翠の想像を上回った。
「これが………ゲーム………?」
現実離れした世界観。
でも、確かに感じるのは現実だった。
初めて続きの翠に、少しづつ増える仲間たち。
楽しさを見出した翠は、気付いたらトップランカーのクランで外せない大事な仲間になっていた。
【Anotherfantasia……今となっては、楽しくないなんて絶対言えないや】
翠は、柔らかく笑うのだった。
異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。
sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。
目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。
「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」
これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。
なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。
転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。
襲
ファンタジー
〈あらすじ〉
信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。
目が覚めると、そこは異世界!?
あぁ、よくあるやつか。
食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに……
面倒ごとは御免なんだが。
魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。
誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。
やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。
VRMMO~鍛治師で最強になってみた!?
ナイム
ファンタジー
ある日、友人から進められ最新フルダイブゲーム『アンリミテッド・ワールド』を始めた進藤 渚
そんな彼が友人たちや、ゲーム内で知り合った人たちと協力しながら自由気ままに過ごしていると…気がつくと最強と呼ばれるうちの一人になっていた!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる