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95 ライフリングは無い

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 ノックを二回し終えたロッカーの鍵が開く。数センチ開いて止まった扉に被さるように、白い文字がポップアップで現れた。
 「おお! なんだこれは!」
 田岡の目にのみ見える一文は、ガルドたちが目にするものとは大きく異なっている。シンプルな文章が、フロキリには無いフォントで走っていた。元のフォントを知らない田岡も、その文字を見られないガルドも気付かない。
 ガルドは仲間にチャットで報告をいれた。
 <いいニュース>
 「p、re……プレゼントと書いてあるぞ」
 文字を指差していた田岡が、そのままピンチアウトのジェスチャをする。広げて拡大するはずが、しかし裂いてしまった。文字が弾ける。がピンボールのように飛んでいき、瞬間、田岡の体がほのかに白く発光する。
 「おわぁっ!?」
 慌てて体を手で拭うしぐさをするが、発光は止まらない。ガルドも異様なエフェクトに呆然とした。
 「……なにした」
 「な、な、なんにもしてない! なんだ、これはダメなのか!? 違う?」
 パニックになる白髪の老人を落ち着かせるため、ガルドは虚勢をはった。
 「大丈夫だ、問題ない」
 「嘘だろう、そうだ、これは何かきっと天罰、うわあっ!」
 デスクライト程度の光が徐々に消え、腰の辺りだけを残し沈静化していく。田岡は左サイドの腰回りを触らないよう、両腕をホールドアップしてピタリと止まった。
 「こ、これ! これ、なに!?」
 指だけそこを指している。見るまでもなくガルドがチャットへ報告をいれた。腰のその位置にあるものは、フロキリユーザーならば無い方がおかしい初期機能の一つだ。そのことをGM犯人もわかっていたのだろう。
 <携帯型アイテムボックスアイテム袋、ゲット>
 <おー、ぐっじょぶ>
 <幸先いいじゃん!>
 仲間たちからチャット越しに祝福を受けたことを田岡に報告しつつ、ガルドは「危険物じゃない」ことから説明を始めた。


 腰の袋には回復アイテムと千ダラーが入っていた。フロキリ時代と変わらず、ガルドたちが遠い昔初ログインしたときも同じものが入っていた。ただ、当時はあった初期装備が田岡には無い。
 「ふむ……まぁ微々たる差だな、気にせずいこう」
 慌てて走って帰ろうとする田岡を落ち着かせながら、ガルドは先程の初心者装備店まで戻ってきた。マグナに報告すると、たまに見られる鈍さとも違う彼なりの割り切り方で返答が来た。
 「お、出た。マグナの四捨五入精神」
 「最近はむしろ切り捨てって感じ」
 「夜叉彦は実際切り捨てしてるもんね。仕事で経費とか部下とか」
 「うっ……俺だって、切り捨てたくて人事評価つけてるわけじゃないさ」
 「そうか、君はあれか。そういう立場か」
 「あっ、田岡さん分かってくれます? 仲間?」
 「あはは、残念違うよ」
 「……せっかく理解者が現れたと思ったのにぃ」
 「せっかくだから忘れて楽しめばいい」
 「そうだぞ、せっかく社会と断絶されたというのに!」
 「それせっかくって言わない、望まない結果致し方なく、だから」
 「がはは、だなぁ!」
 ひとしきり笑いあうと、田岡の装備についてマグナが説明を始める。外出先から戻った夜叉彦たちもおとなしく聞き入り、田岡がわからない様子を見ては説明に入っていた。
 「アイコン、出るか?」
 「おお、おお、出るな。これがそうか?」
 「脳波感受で五年暮らしてたんだ、何となくわかるだろ? アイコンっつってもその記号の中をクリックする訳じゃなくて……」
 「わかるぞ、第三の手だな」
 架空のカーソルポインタをそう表現した田岡に、全員が頷く。
 「さすが人生の先輩。飲み込み早い」
 「はは、じいさんだからといってなめるなよ? ほれ」
 掛け声と共に田岡が輝く氷の粒に包まれる。装備変更のアニメーションだ。くだけ散る氷の逆再生が、一気に加速し革素材に変異していった。
 収束すると同時に割れる音、そして色彩が装備を染め上げる。ホワイト基調のクールな服装だ。
 「おー!」
 「いいね、似合ってる。ルーキー装備だけど、さっきまでの白ワンピより断然いいじゃん」
 「細身だから似合ってるんだな」
 仲間たちが口々に褒めるのを、ガルドは鼻を高くして聞いた。選んだのは自分である。ミントグリーンのパンツに合わせ、シリーズの違うスポーティな革ジャケットを選んでいた。現代的なデザインにファンタジーを加えるためか、片方の肩にだけアメフトのようなショルダーガードがついている。
 「ほぉおお、文明を感じるな! 人になったぞ!」
 「そうだねぇ……やっぱり服って大事だねぇ……」
 感想が痛々しく、メロが泣きそうになっている。メンバーで一番文明らしさを大事にしているメロは、田岡に強くその思いを後押しされているらしい。ガルドはそういったことに若干ズボラだったため、配慮をしなければと決意を新たにしていた。
 自分だったら問題ない、ではいけないのだ。他人との密な共同生活で必要な、相手の立場に立つという当たり前のことを思い直す。予測するだけでは足りないだろう。田岡が五年もあの生活をしていたことを、ガルドはまだ詳しく聞けていない。
 「……服と、家と、食べ物。大事だな」
 田岡はそのうち一つしかなかった。だが勝手に与えられた家は、出ることの叶わない牢獄でしかない。今もこの世界そのものが牢獄だが、それでも幸せになる努力をする余地はあった。
 「家だな! よし、さあ田岡! 銃を!」
 元気いっぱいそう叫ぶジャスティンに、田岡が真面目な顔で頷く。
 「わかった。やろう。二十回頑張ろう」
 「どっちがいい? 二つに絞ったが、あとは好みで選ぶといい」
 マグナが指差した先には、ハンドガンともう一つ、マスケット銃のようなレトロなものが一丁置かれていた。


 だだっぴろい白の平野。
 ジャスティンがネズミに一度キルされた場所から、少々南よりに移動した場所。歩きやすい道だが慣れない田岡を心配し、ジャスティンとガルドを先頭にした防御寄りの二列体制で進んでいた。
 「作戦をもう一度。クエスト受注は田岡だけだ。俺たちはそれにサポートで加わる参加者に過ぎない。クエストはスタートさせてからでないとサポに入れないからな、まず田岡が一撃ぶち込んで『交戦状態エンゲージ』する。ここまでは?」
 「あ、ああ。一発撃てばいいんだな」
 ひどく真面目な顔で余裕の無い田岡に、榎本が笑顔で手を広げた。
 「心配すんなって、奴がこっち向いたら俺たち参加できるんだけどな、そうなったら突っ立ってりゃいいから。ジャスがベッタリ付いてるし」
 「おうとも! 俺はっ、田岡から、離れんっ!」
 力コブをつくる真似でひょうきんに笑うジャスティンに、田岡が一段固さを緩めた。
 「遠距離系は持ってないモンスターだ。大丈夫」
 「そーいうのも全部ガルドがパリィするし、ウチがエンチャントで早くしてあげるからね」
 「あとは俺らでぼこぼこにして、Sクリアだ。楽勝!」
 「いえーい!」
 「ああ」
 ロンド・ベルベットはどうしても戦闘が好きなメンバーの集まりで、こういったルーキー支援は娯楽のような意味で好きなクエストだった。一時期の夜叉彦をこうして甘やかし、本人から「俺だって斬りたいの!」と怒らせたこともある。
  「ささ、どうぞ田岡さん。やっちゃってよ」
 夜叉彦が言うのに合わせ、ガルドとジャスティンが道を開ける。先頭を行っていた二人が隠していた敵が、最後尾の田岡にも正面に見えた。白い雪原でその固有色がずんと存在感を露にする。
 「お、おお……」
 斜視でずれた目が真ん丸になり、そのまま驚愕の声も漏れた。ゲームをしない人間からすると、よくわからないなにかに見えるだろう。それか映画を見る人ならば想像できるかもしれない。
 「……田岡さん、ホラーとかパニック映画とか苦手だった?」
 「だ、だ、だいっきらいだっ!」
 若干離れてはいたが、そう遠くない距離にドドメ色の立体物が見える。いかにも臭いそうな色と、遠目でも揺れ動いてるのがわかる粘着質なテカりが特徴だ。
 ガルドたちは嫌悪感など無い。見慣れすぎて全く気にならないのだが、客観的にこれが気持ち悪い物体だということすら忘れてしまっていた。
 「うーん、そっか」
 からりと言う新人・夜叉彦にはまだその感覚が残っていた。まだフロキリ歴一年だからこそ同調できるが、夜叉彦本人はホラーやグロジャンルが得意だったために田岡ほど過剰反応は無い。
 「え、ただのスライムじゃん」
 「だよな」
 「気色悪いっ、何も思わないのか君たち!」
 「初心者向けだからこれがいいかなって……だめだったね」
 「そうなのか?」
 「俺は何てことなかったけど、それはほら、元々ホラゲホラーゲームとかしてたからだよ。フロキリのスライム、結構グロいよね」
 「……そうだったのか」
 ガルドは本気でそう発言した。ゲーム経歴で言えばファンタジー経験皆無だったため、これが普通だと思っていたのだ。
 つい先ほど「相手の立場で考える」と改めたばかりであったが、早々にガルドは下手をうったと反省した。
 「ほら、一発! 一発でいいから!」
 「ああもう、なるようになれだ!」
 習った通りに田岡が銃を向ける。選べと言われて選んだマスケット銃の形をしたそれは、初心者用にターゲットロックのサポートがついている近距離タイプの小銃だ。忠実に「ライフリングがついてない」設定になっており、飛距離と命中度がやたら低い。
 だが田岡には十分だった。距離は希望より少し遠いが、メンタルから考えてここが限度だろう。ガルドは固唾を飲んだ。当たっても当たらなくても、あの初心者用マスケット銃は銃装填リロードが必要だ。一発ずつクールタイムがある。もし外せば、ガルドたちはその時間を稼がなくてはならない。倒さずに。そうなるとパリィガード役・ガルドの出番だ。
 「ふぅ……」
 リアルであれば反動でひっくり返りそうな構え方だが、ゲームのここでは何ら問題がない。田岡は怖がる様子を隠さず、思いきり肩から離して構えた。
 思いきり前へ伸ばした右の人差し指がかろうじてひっかかる程度に離し、そのすぐそばで左手を添える。ガルドにはそれが、震えを押さえるかのように見えた。
 そして田岡が一瞬、完全な無表情になる。怯えもない。息もしていないような無だ。枯れ節立った指に力が入る。その瞬間、聞きなれた銃の発射音が一つ響いた。
 ヒットした際の瞬間的な閃光エフェクトと、びしょぬれのぞうきんを床に叩きつけたような水音が遠くから聞こえた。
 ガルドたちロンド・ベルベットの眼前に「近隣クエスト情報」が表示される。まとめてギルマス業務をしているメロが受理し、サポート参戦がスタートした。それが全員の耳にラッパの音色で伝わる。
 「よっしゃ」
 榎本が先んじて駆け出す。
 「夜叉彦、暴れてこい」
 「ふんも持たないって。ま、行くけど」
 マグナが夜叉彦の背中に攻撃補助の弓矢を打ち込む。それを待ってか待たないかの絶妙なタイミングで、夜叉彦がトップスピードに加速する。
 「メロさんは田岡さんに魔法かけまくるねー」
 南国の鳥がついたいつもの短杖を、メロがくるくると回しながら構える。
 「さて……マラソン開始だ」
 ガルドはその分厚い足をしっかりと踏み出した。背中から愛用する水属性の大剣をずんと抜き、重すぎるそれを肩に担ぐようにして持つ。
 そして駆け出した。
 「俺は、田岡から、離れんからなっ」
 「あ、ああ。ありがたい」
 「……なあ、ちょっとくらいなら投げてもいいか?」
 「投げ、ん? それは?」
 「バクダンだ。味方も吹っ飛ぶ」
 「……やめよう。それは自爆テロだ」
 「だぁはは! そうだな! ていやっ!」
 「ああーっ!? なんてことを!?」
 進むガルドの前方に、炎と爆煙が弾け舞った。
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