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90 満腹と予測

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 夜の城下町は久しぶりだった。ジャスティンが死の効果を調べるまで控えていたせいで、ガルドは久しぶりに見るガス灯の明かりに目を細めた。
 青い椿の植え込みが並ぶ外壁沿いを、話しながら進む。窓が見え、その向こうに扉が見えてくる。重そうな木の扉で、現実側にあったら「一見さんお断り」かと思うような、商売っ気を感じさせない門構えだ。
 視線より上の辺りにぶらんと下がるレリーフがにはエールのジョッキが描かれているが、それ以外にここが酒場だと分かるようなものは無い。
 しかし田岡は、その看板を見つけた。真上のそれを見上げながら聞く。
 「これは何かのロゴのようだが、目的地か?」
 「おう。俺らのイキツケ、青椿亭だ」
 「とりあえず、田岡さんの拠点について少し考えようと思って。ご飯でも食べながら」
 「……お、おおお!」
 夜叉彦の「ご飯」という単語に、田岡は目を輝かせた。道中で田岡は、ガルドにもらったコーラを受け取って数秒後には飲み干していた。それから小脇に抱えられるようにして下山してくる間、なにも口にしていない。
 「食べ物食べたいでしょ。お腹減んないけど」
 メロが勢いよく扉を開けた。そのまま躊躇なく店の中央まで進む。
 「こっちの成果の報告とか、そっちのリフトの加速感覚の件とかいろいろ聞きたいけどさ。そんなことよりまずご飯! んで、田岡さんのおうち決めないと!」
 「う、うう……親切にありがとう、ほんとうに……」
 「おいおい、当たり前のことだろうが」
 「座ってくれ、田岡。何がいい? 最初の晩餐だな。豪華にいこう」
 「そうだな。好き嫌いは無いか? 胃の負担などは考えなくてもいい。肉でも魚でも脂モノでもいいぞ」
 「おお! 酒はどうだ!? とりあえずビールでいいかっ」
 「注文、ビール六。ジンジャーエール、一」
 「はい」
 音もなく立っていたグレイ店員にガルドが注文する。涙で伏せていた田岡が気づかない間にあらかた注文を終え、新たな同士を慰めつつ、ディナーを兼ねた会議が始まった。

 「フレンドに入らないっていうのはさ、この世界はフロキリを元にしてるんだけど、新規ユーザーにアカウントを配布することはできないってことだと思うんだよね」
 「ああ、なんとなく分かる」
 夜叉彦が挙げた予測に、榎本がフィッシュアンドチップスを口に放り込み、熱さに悶えながら続ける。
 「はふアッツ!……この世界はフロキリをパクっただけで、AIやらファストトラベルやらがすっぽぬけてるよな。それと同じように『新規ユーザーに新規アカウントの交付』が出来てないってことか」
 「それもあるんだけどさ……」
 夜叉彦が言い淀んで返事をする。歯切れの悪い態度に、全員が食事の手を止めないまま注視した。
 眉を下げて困った様子の夜叉彦に、ガルドが助けに入る。
 「恐らく逆なんだと思う」
 「……逆?」
 「田岡さんによると、あの部屋は……五年、経ってるらしい」
 「なんだと!?」
 マグナが驚愕して椅子から立ち上がる。
 「ご、五年? うわーまじで?」
 「それは……大変だったなぁ」
 「ずっと一人で、か? 軽い言葉で悪ぃが、気の毒だったな……」
 仲間たちが見つめる先の田岡は、一心不乱にチキンレッグとTボーンステーキを交互に食べ続けている。荒々しく食べる様子は、よっぽど彼が飢えていたのだとガルドたちを悲しくさせた。
 「がふ、がふ!」
 「……いっぱい食え、おかわり頼むから」
 「肉が好きなのか。注文、ソーセージ」
 ガルドの注文に灰色の店員が機械的に答えた。
 「ソーセージ五種盛り合わせ」
 「五年! 前提がくつがえるぞ! お前たち!」
 マグナが興奮状態で熱弁する。テーブルについた手がジョッキを落としかけ、それを隣の夜叉彦がすんでのところでキャッチした。
 「おっと! ……前提って?」
 「この世界はフロキリを元にしたんじゃないんだっ、元あったゲームにフロキリを混ぜたんだ! だろう!」
 「元あった、って……無いだろ」
 「む?」
 榎本がずばり言った。
 「だって五年が本当なら、フルダイブ機の市販開始より前だろうが」
 マグナは無言でストンと椅子に座り直し、隣でジャスティンが「……そうか、四年だからか!」と一拍遅く理解した。
 「困ったねぇ、これじゃ田岡さん家なし子だよ」
 「青椿亭でいいんじゃね?」
 「シャワーとかトイレとかどうすんのぉ」
 「なくても……いや、田岡には必要だな!」
 「お、ジャスがデリカシーを覚えた」
 「あの部屋を見たからな、あれより良い暮らしはさせてやりたいんだ」
 しんみりとした表情でソース串カツを一気に二本食べたジャスティンに、ガルドは頷いて同意した。
 悲しい部屋だ。あそこに数日だと思っていたガルドは、五年と聞いて信じられなかった。窓一つ、バストイレ無しの二十畳一間に五年。食事も無し、水すらない部屋に閉じ込められ、なぜか死ななかった。さぞ辛かっただろう。ガルドは強く、あの場で気づけてよかったと思った。
 「あのままトロッコに乗っていたら、気づかなかった」
 「そうだな。ジャスのくだらない公園の話と、ガルドの耳の良さに感謝だ」
 マグナがそう誉めてくるのを、照れから一言「ん」とだけ返した。先程まで荒ぶっていたマグナが、すんとした態度でジョッキを煽り始める。夜叉彦が笑いながら様子をたずねた。
 「マグナ、落ち着いた?」
 「ああ、もう考えるのをやめた。訳がわからん。田岡の精神的な回復を待ち、調査できるような余裕ができてからにしよう」
 「そうだね、てっきり俺もプレイヤーに出くわすと思ってたから……そうじゃない人たちも来てるはずだよな、考えてみれば」
 「俺たちは、焦って動きすぎたかもしれん」
 「あはは、まあ冷静じゃないよね」
 そう和やかに笑い合うマグナと夜叉彦だったが、どこか無理をしているように見えた。真面目な性格が共通点の二人を助けようとガルドは考え始める。真面目すぎて不必要に責任を負うタイプで、ガルドは最年少の自分をさておき、この二人が一番危ういと心配していた。
 生真面目な人ほど心を病むというのは有名な話だ。田岡も恐らく真面目で正義感の強い人なのだろう。会ってまだ間もないが、彼も心配の一つに入っている。
 アバターやユーザーアカウントの無い田岡は、どうすればここで良い生活を享受できるだろう。閃きに任せてみても浮かばず、理屈で考えてみても、そもそも田岡がなんなのか分からないとどうしようもなかった。
 ガルドは田岡を見た。ひたすら口に食べ物を詰め込んで、人間そのものに見える。アバターというよりは、以前ここに来る直前に自分がなった生身のトレースに近かった。
 「からだが人に近い……」
 「ん? どうした」
 「田岡だ。アバターらしさというか、キャラっぽさが無い」
 「あー、確かに」
 酔いの感覚が再現されて心地よくなっているらしい榎本が、座った目をまっすぐ田岡に向けた。考え込むように眺めた後、ウイスキーをひと回し、口をつけようと運びつつ「あれだな、黒い部屋ん時の俺らみたいな」と言った。
 「ああ」
 「あの短時間でトレースしたのは確かに不思議だったが、俺らもあの姿でここに来てたかもしれねぇな」
 なるほど、と声にはせずにガルドは頷いた。田岡のようにアバターを持たない一般人ならば、そうなっていたのだろう。塔の中で話していたように、フロキリのプレイヤーでもアバターデータがなければ生身トレースで来ているはずだ。
 「犯人、GMは……とにかく拉致したやつを片っ端からトレースキャプチャして、生身そっくりにアバターを作ったんだな。それが必要かどうかを調べる時間だった、とか」
 「黒い部屋の?」
 「ああ、そん時の待機時間。あとやっぱ、空港から安全な場所に運ぶのも兼ねてるだろ」
 「……船か飛行機だと」
 「どっちにしろ、衛星かなんかで送受信しないとフルダイブなんて出来ないだろうからな。それがゲームであれ、別のアプリケーションであれ、だ」
 「うおっ、マグナ。聞いてたのか」
 夜叉彦たちと談笑していたはずのマグナが、榎本の言い出すタイミングを奪うように参加してきた。目は座ってきている。ワインのデキャンタを一人で抱え、グラスになみなみと自分で注ぎながら飲んでいる。
 「この世界は元々ゲームじゃない、などと考えたことなどなかった。元々あったナニカに、俺たちフロキリがエッセンスとして注入された……のかもしれん」
 そう言うと、グラスを一気に飲み干して一息ついた。ガルドもそれに合わせコーラを一口飲む。
 田岡は瓶コーラを、それはそれは美味しそうにイッキ飲みした。ベースになった、元々あったナニカには飲み物がなかったのだろう。田岡はここがフロキリになったからコーラを飲めた。
 それはサルガスの言う「高品質でより良い精神維持活動の支援」だろう。そう考えを巡らせたガルドは、可能性を一つ見つけた。
 「元あるベース世界とフロキリには、どうしても差があると思う。その差が……重力感とか、AIとか、食事再現とか……今まで見つけただけでも、これだけある」
 うまい言い方はできなかったが、ここに来てから驚いてばかりだったフロキリではあり得ないはずの変化を伝えた。榎本が「無くなった機能とかな。ファストトラベルとか」と補足する。
 ガルドは、サルガスの支援という言葉を思い出しながら続けた。
 「そう。これはきっと誤差だ。GMは修正したがってるのかもしれない。方向が分からないんだと思う」
 「方向、ああ。クライアントの意向みたいなものか」
 「アイツはこちらをクライアントだと思っているかもしれない。だと、その例えでいい」
 「アイツ……サルガスか!」
 「誤差を修正するため、こっちの意見を聞こうとしてる……聞き取り、アンケートがヤツの仕事だと思う」
 「アイツは、そうか、フォローアップするためのAIなのか! そういわれると納得だな」
 スッキリした顔になった榎本が、酔いモードのリセットにと店員にチェイサーを注文した。
 もう片方の酔っぱらいは、ワインを手放さずに考え込んでいる。
 「……フォロー……そうか、そうだったのか……いや、そうなると俺たちのサポートというのは間違いだったんだな」
 「ん?」
 マグナが顔をしかめながら呟いた言葉に、ガルドは疑問を持った。俺たちの、という言葉が間違いなのか、サポートという言葉が間違いなのか分からない。
 「どちらだ?」
 「サポートというのは、困っているユーザーを補助する役目のことだ。フォローというのは、出遅れていたり劣っている人間を上位まで引き上げるという意味だ。サルガスはフォローの方だろう」
 「……遅れている方を引き上げる」
 ガルドは言葉を繰り返した。ゲームだったころならば、出遅れているのは進み具合から言ってルーキーのことだ。だがここはゲームではないことがわかった。ベースとなったのはゲームではない別の何かで、何を指して「フォローが必要か」と判断するのが難しい。
 「それ、サルガスが『実験を円滑に進めるためにいる』ってのと絡めると……なんかわかってきそうだな」
 榎本が言ったその解釈に、ガルドはハッとした。新しくわかったことに引きずられ、以前城で出ていた仮説を忘れていたのだ。
 「この世界に閉じ込めて行われているだろう「実験」を円滑に進めるため、遅れている対象を実験の目的に必要な条件まで引き上げる。それが答えだろう」
 「目的……はまだ分かんねぇし、対象は……」
 「それもだ。五年前から田岡はここにいた。五年だぞ。普通、長い間行う実験というのは追跡調査だ。五年も続いた実験を放り出すとは考えづらい」
 「……雑誌でよくある、大学研究チームが三十年の統計を~とかか?」
 「ああ。さらに言えば、SF映画とかではよくこういう単語が出てくる……」
 「フェーズ二に移行」
 「おぉ、なんかそれっぽいな」
 「ガルド、詳しいな」
 「フロキリの前はそういうゲームをしていた」
 「渋いな」
 「……そうか」
 褒められたようでガルドは嬉しくなる。
 「田岡の孤独世界がフェーズ一、俺たちフロキリと田岡のミックスがフェーズ二、さて次は?」
 「……サルガスから聞き取った情報で、この世界が大規模バージョンアップ……に五万越えのミラーシルバー珠」
 唐突にマグナがアイテム名を口にした。たまにあることで、賭けを意味している。レアリティが五万を越えた魔法宝石を賭けるほど、マグナにはこの説に自信があるのだ。
 「おっ、じゃあ俺も。そうだなぁ、もう一つ別のゲームが混ざってくる、に……八万越えのブラカラブラックカラントオニキス!」
 榎本がまた別の説をあげ、マグナより珍しい魔法宝石を賭けた。
 ガルドは個人的に黒い宝石が入り用で、純粋にその賭けられたオニキスが欲しい。
 「ん、マグナに乗る。八万越えの無垢ローゼ」
 「おいおい、いいのかよ。俺が買ったら大損だろ」
 「いい」
 コーラのグラスに刺さったレモンを絞りながら、ガルドは言い切る。
 「くれてもいいから賭けた」
 無垢ローゼは榎本がよく使う魔法宝石で、確かにタダで渡すのは損した気になる程度にレアなものだ。
 だが榎本も同等に貴重なオニキスを賭けている。支援型で宝石がいつも不足しているマグナと、黒い宝石を欲しがっているガルドが乗ることを見越してのことだ。それが分からないガルドではない。
 「……へっ」
 照れながら届いたチェイサーを一気に飲み干す榎本を見て、言葉に出したのは野暮だったかと恥ずかしくなった。
 「お前たち、俺もいるんだがな。目の前でイチャつくな」
 マグナが真顔で文句を言った。
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