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効能
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「こんなに早く薬の効き目が切れるなんて、聞いておりませんわ! どういうことか説明して!」
薬師はわななく私の手から無言で薬瓶をもらい受けると、栓を開け、たしかめるようにその中身を嗅いでみせる。
そして、おもむろに口を開いた。
「恐れながら侯爵夫人、秘薬の効果は切れてはいないようですが……」
「何を言うの。夫には少しも効いていないじゃないの。そりゃあいっときは素敵な殿方に変身したけれど、いまじゃ何もかも逆戻りの元通りよ」
薬師は私の言葉にかすかに目を見開き、それから何を納得したのか鷹揚にうなずいて答える。
「さようでございましたか。であればやはり、秘薬は効いております」
「わけのわからないことをおっしゃらないで。最初からあやしいと思っていたのよ。だいたい――」
「この秘薬は、旦那様にではなく、あなた自身に効くお薬なのです」
「???? なん……ですって……?」
「事前のご説明が足らず、申し訳ございませんでした。お話を整理いたしましょう――」
思い出してください、侯爵夫人。
私はこの秘薬を、あたたかな飲み物に溶かして使うよう申し上げましたね?
たとえばお茶などをたしなまれるのでしたら、その際に……と。
するとあなたはおっしゃった。
「……そう。ええ、それならちょうどよろしいわ。夫はいつも毎食後にお茶を飲みますのよ」
そこで話は一件落着、侯爵へお出しするお茶を淹れるときに秘薬をお使いするのがよろしかろうということになった。
あのときもう少し詳しいご説明を私からするべきでしたが、何しろ侯爵夫人、あなたはいますぐ秘薬を試したくてたまらず、気もそぞろなご様子でしたので……。
失礼。もったいぶらずに申し上げましょう。
この秘薬は、たちのぼる香りによって、ある効能を発揮するのです。
それは、秘薬を嗅いだ者の望むままに幻覚を瞳に映じさせる、という効能です。
つまり、お茶の湯気とともにたちのぼる秘薬の香りを嗅いだあなたは、あなたの心が求め思い描く夫の姿をその瞳に映し見ることになった。
おそらく数日は、現実離れなほどに魅力を増していく夫の変貌ぶりに、夢中になられたことでしょう。
秘薬を嗅いだあなたがご主人を見るとき、あなたの瞳に映っていたのは、現実のご主人ではなく、あなたの心が夢想するご主人の姿そのものだったのですから。
どうでしょう、何かお心当たりはございませんか?
あなたの目にはたしかにすっかり変身したご主人がいるのに、あなた以外の誰もそのことに気付いていないというような?
まあさておき、ではいったいなぜ、あなたの瞳に映るご主人は再び元の姿に戻ってしまったのか?
「……なぜ、……なぜですの?」
「いえ、何も不思議はございません。秘薬は効いております。あなたはちゃんと、あなたの望むものを見ている」
「…………」
「お気付きのはずです、侯爵夫人。一時の変身に浮かれはしても、あなたが真に望む者の姿、求めているお人は――」
「およしになって。……もうそれ以上、おっしゃらないで……」
つと涙が頬に流れ、私はまぶたを閉じる。
胸に去来するのは、いまでは飽き飽きしている夫の姿と、その愛おしい思い出の数々だ。
どんなときも自分を見守ってきてくれた、覇気のない三白眼。
男らしく引き締まってはいないけれど、結婚後はだらしなくなる一方だけれど、でも変わらぬぬくもりで、もたれかかることを許してくれる体。
女々しいくらいに繊細な、王侯貴族特有の身ぶり手ぶりも、裏を返せばその1つ1つが、こちらへのたゆまぬ気遣いに満ちるものだった。
わかっていた。……本当は、わかっていたのよ。
ただ私は怖かった。そんな大切な何もかもが、当たり前になっていくことが。
当たり前にしか感じられない、自分の心が。……怖くてたまらなかった。
怯えていた。
「侯爵夫人、何もお気になさることはございません。月並みな物言いは控えたいものですが、ご婦人にはよくあることです。それにかような経験を経てこそ、女性はより美しくなられるとも聞きます。どうか顔をお上げください」
抑揚のない薬師の励ましに、どうにか微笑みを返す。
せめて気丈に振る舞わなくては……。
それでもやはり1つだけ、私には気がかりがあった。
「……でも、秘薬の香りを嗅いだのは夫も同じはずでしょう? 毎日あんなに、秘薬を溶かしたお茶を飲んでいたんですもの。ということはここ数日、夫の目にも変身する私が映っていたのではなくて?」
「ふうむ――」
秘薬の小瓶に栓をすると、薬師はそれをヒョイと懐にしまい、頭をかきながら言った。
「いえ、それはないでしょう。所用にてメイブラント卿には毎日お会いしておりますが、人の顔を見るなりあの方はいつもこうおっしゃられます。――『聞いてくれよ。何だか怖くてたまらないんだ。私は幸せすぎると思う。心底愛する女性と結ばれて、毎日この瞳に映るものといえば、出会った時から少しも変わらない、愛しい彼女の姿なんだから』、と」
薬師はわななく私の手から無言で薬瓶をもらい受けると、栓を開け、たしかめるようにその中身を嗅いでみせる。
そして、おもむろに口を開いた。
「恐れながら侯爵夫人、秘薬の効果は切れてはいないようですが……」
「何を言うの。夫には少しも効いていないじゃないの。そりゃあいっときは素敵な殿方に変身したけれど、いまじゃ何もかも逆戻りの元通りよ」
薬師は私の言葉にかすかに目を見開き、それから何を納得したのか鷹揚にうなずいて答える。
「さようでございましたか。であればやはり、秘薬は効いております」
「わけのわからないことをおっしゃらないで。最初からあやしいと思っていたのよ。だいたい――」
「この秘薬は、旦那様にではなく、あなた自身に効くお薬なのです」
「???? なん……ですって……?」
「事前のご説明が足らず、申し訳ございませんでした。お話を整理いたしましょう――」
思い出してください、侯爵夫人。
私はこの秘薬を、あたたかな飲み物に溶かして使うよう申し上げましたね?
たとえばお茶などをたしなまれるのでしたら、その際に……と。
するとあなたはおっしゃった。
「……そう。ええ、それならちょうどよろしいわ。夫はいつも毎食後にお茶を飲みますのよ」
そこで話は一件落着、侯爵へお出しするお茶を淹れるときに秘薬をお使いするのがよろしかろうということになった。
あのときもう少し詳しいご説明を私からするべきでしたが、何しろ侯爵夫人、あなたはいますぐ秘薬を試したくてたまらず、気もそぞろなご様子でしたので……。
失礼。もったいぶらずに申し上げましょう。
この秘薬は、たちのぼる香りによって、ある効能を発揮するのです。
それは、秘薬を嗅いだ者の望むままに幻覚を瞳に映じさせる、という効能です。
つまり、お茶の湯気とともにたちのぼる秘薬の香りを嗅いだあなたは、あなたの心が求め思い描く夫の姿をその瞳に映し見ることになった。
おそらく数日は、現実離れなほどに魅力を増していく夫の変貌ぶりに、夢中になられたことでしょう。
秘薬を嗅いだあなたがご主人を見るとき、あなたの瞳に映っていたのは、現実のご主人ではなく、あなたの心が夢想するご主人の姿そのものだったのですから。
どうでしょう、何かお心当たりはございませんか?
あなたの目にはたしかにすっかり変身したご主人がいるのに、あなた以外の誰もそのことに気付いていないというような?
まあさておき、ではいったいなぜ、あなたの瞳に映るご主人は再び元の姿に戻ってしまったのか?
「……なぜ、……なぜですの?」
「いえ、何も不思議はございません。秘薬は効いております。あなたはちゃんと、あなたの望むものを見ている」
「…………」
「お気付きのはずです、侯爵夫人。一時の変身に浮かれはしても、あなたが真に望む者の姿、求めているお人は――」
「およしになって。……もうそれ以上、おっしゃらないで……」
つと涙が頬に流れ、私はまぶたを閉じる。
胸に去来するのは、いまでは飽き飽きしている夫の姿と、その愛おしい思い出の数々だ。
どんなときも自分を見守ってきてくれた、覇気のない三白眼。
男らしく引き締まってはいないけれど、結婚後はだらしなくなる一方だけれど、でも変わらぬぬくもりで、もたれかかることを許してくれる体。
女々しいくらいに繊細な、王侯貴族特有の身ぶり手ぶりも、裏を返せばその1つ1つが、こちらへのたゆまぬ気遣いに満ちるものだった。
わかっていた。……本当は、わかっていたのよ。
ただ私は怖かった。そんな大切な何もかもが、当たり前になっていくことが。
当たり前にしか感じられない、自分の心が。……怖くてたまらなかった。
怯えていた。
「侯爵夫人、何もお気になさることはございません。月並みな物言いは控えたいものですが、ご婦人にはよくあることです。それにかような経験を経てこそ、女性はより美しくなられるとも聞きます。どうか顔をお上げください」
抑揚のない薬師の励ましに、どうにか微笑みを返す。
せめて気丈に振る舞わなくては……。
それでもやはり1つだけ、私には気がかりがあった。
「……でも、秘薬の香りを嗅いだのは夫も同じはずでしょう? 毎日あんなに、秘薬を溶かしたお茶を飲んでいたんですもの。ということはここ数日、夫の目にも変身する私が映っていたのではなくて?」
「ふうむ――」
秘薬の小瓶に栓をすると、薬師はそれをヒョイと懐にしまい、頭をかきながら言った。
「いえ、それはないでしょう。所用にてメイブラント卿には毎日お会いしておりますが、人の顔を見るなりあの方はいつもこうおっしゃられます。――『聞いてくれよ。何だか怖くてたまらないんだ。私は幸せすぎると思う。心底愛する女性と結ばれて、毎日この瞳に映るものといえば、出会った時から少しも変わらない、愛しい彼女の姿なんだから』、と」
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