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再撮

#2

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「♪」

車窓から見える景色が緩やかに流れていく。しかしどこまで行っても一面闇。そして街明かりは眩い。

秋はイヤホンで音楽を聴きながら、電車の扉の側に佇んで外を眺めていた。

サークル活動が終わり、電車に乗り込んだところだ。家とは反対の方向へ向かってるせいか、いつもより少し気分が上がる。今彼が向かってる方角は主要駅はほとんどなく、どちらかというと街の外れのため乗降客も少ない。
行きも帰りも、いつもは必ず満員電車。不快感と疲労感を抱えながら仁王立ちをしてるので、今のガラガラな車内は快適だ。
しかし何よりも御機嫌な理由は、これからの予定にある。

今日は久しぶりに“先生”とデートだ……!

秋は扉のガラスに映った自分の顔を見て苦笑した。ひどく嬉しそうな顔をしている。慌てて無表情になるよう意識した。

自分には歳が九つも上の恋人がいる。
加えてかなり特殊だ。まずひとつに同性。もうひとつは高校時代の師でもある。
彼とは大学入学から同じ家に暮らしている。もう気分的には旦那と言い切ってもいいぐらいだった。

今日はその彼と久しぶりに外で待ち合わせて、焼肉を食べる予定だ。彼はもっと静かで落ち着けるレストランへ行こうと言っていたが、秋が肉が食べたいと言い張って強制的に焼肉になった。
お洒落で身なりを気にしなければいけないレストランは、特別な日に行くぐらいで充分。まだ学生の自分は、本当に小さな居酒屋で良かった。詰まるところ、彼と一緒ならどこでもいい。外の立ち飲み屋だってかまわなかった。

目的の駅に到着し、改札口を抜ける。飲み屋が多い駅周り。バスターミナルを抜けて更に先へ進んだ交差点前が待ち合わせ場所だ。
時間的にはそろそろ来てもいい頃だが、スマホはしんとしている。もしかして仕事が長引いてるんだろうか。
近くの電柱に寄りかかり、灰色がかった空を見上げた。暗いけど淀んでいることが分かる。これが都会の空だ。いつもなら何とも思わないが、今は恋人を待ってることもあって逆にテンションが上がった。

ひとりで空を見上げ、感傷に浸る。恥ずかしいことこの上ないのに、何だかちっとも気にならない。
通り過ぎる人々を眺めながら、ポケットに手を入れる。そのとき、ふと昔のことを思い出した。

将来の、夢。
結局、大人になるまで終わらなかった宿題だ。答えを出そうにも方程式すら見つからなかった問題。
あっという間に二十歳を迎えた。

憧れ……ぐらいなら、実はひとつだけあった。でも面と向かって誰かに語るには、無計画で無謀な夢だった。これはきっと、一生胸の中だけに留めておくことになる。
これだけたくさんの人が歩いているけど、みんな子どもの頃の夢を覚えてるんだろうか?

実際にその夢を叶えることができたのは、どれぐらいの人数か─────。

こんな事を考える時点で未練がましいし、卑屈っぽい。秋は首を横に振って俯いた。
子どもの頃はどんなに探しても見つからなかったもの。それを実は、大人になってから手に入れた。

「秋。お待たせ」

視線の先に現れた、男物の革靴。そして喧噪の中でも透き通る声に、秋は慌てて顔を上げる。
「先生!」
「悪いな、帰る直前に他の先生に捕まっちゃって。寒かっただろ」
目の前の青年はかけていた眼鏡を外すと、秋の背中を押して歩き出した。

彼が秋と付き合って三年目になる恋人、矢代光希。現在はこの近くの私立高校で教員をしている。ただでさえ長身なので人目をひくが、何より異性なら彼の顔に見蕩れるだろう。

毎日顔を合わせている秋ですら、見る度に気後れしてしまうような美青年だった。
秋も同世代の中ではモテる方だと自負していたが、彼の場合は初めから立ってるステージが違う。それは歳を重ねないと出せない色気というやつで、今の自分は彼には及ばないと諦めている。
歳も離れているし、恋人に見た目で張り合うのはどうかと思うが、同性だから仕方ない。

秋はバイとして、自分が「カッコいい」と言われる立場に回っていたかった。ところが自分よりずっと(見た目だけ)紳士的な彼が隣にいると、虚しいほど存在感が薄れる。秋は昔から目立ちたがり屋のため、この埋まらない差を少々複雑に感じていた。

しかしやはり、妬み嫉みが転がっているのは一番低い場所だ。それらを下敷きにして頂点に君臨してる感情は、“自慢の恋人”。
彼と誰よりも近く、深いところで繋がっている。誰にも言えないけど、誰も知らなくていい。秘密にしておけば、ずっと二人だけの世界で過ごせる。
少し危険な考えかもしれないけれど、彼を独占しときたい。秋は自分を見失うほど他人に執着した経験はない。しかし矢代は例外だった。

今、秋を奮い立たせている将来の夢は教師。
それは紛れもなく矢代に影響されたものだ。

秋は子どもはもちろん、勉強もそこまで好きじゃない。そんな彼にとって教師は絶対になりたくない職種の代表格だったが、その考えすらひっくり返してしまった。……恋人の存在とは、本当に大きい。

「先生、俺この辺で美味い焼肉屋調べたんだ。飲み放題つけても安いし、そこに行こう」
「それはいいな。じゃ、案内を頼もうか」

秋は笑顔で頷く。矢代と並んで交差点を渡った後、大通りを抜けて細い路地に入った。スマホのナビではさらに右に曲がるよう表示されている。

「えっと、こっちだね。……ん?」

ナビ通りに道を進んでいると目の前に数人、男の影が見えた。遠目だが、皆まだ若い。秋と同じか、下かもしれない。道の真ん中にいる為、通せんぼの状態だ。それだけでも気になったが、すぐに息を飲む。男達は輪になって、地に伏せたひとりの少年を囲んでいたからだ。
とても、楽しく遊んでいる様子ではない。少年は腹をおさえて呻いている。
また、目の前に佇む男が片足を上げ、少年を踏みつけようとした。
「おい! 何してんだ!」
秋は考えるよりも先に、男に向かって叫んだ。声に怯んだのか、男は上げた足を引っ込め、二人の方を振り向く。

「大丈夫?」

すぐに倒れてる少年を抱き起こすと、彼は安心した顔で頷いた。近付いて確信したが、彼らはまだ高校生ぐらいに見える。
怯んでいたのはほんのわずかで、すぐに秋を取り囲んだ。

「おい、関係ないならどっか行けよ。そいつが俺達に喧嘩売ってきたんだ」
「つったって、もう倒れてるじゃんか。大勢でこんなことして恥ずかしくないのかよ」

秋の言葉は、彼らを激昂させるに充分だった。「引っ込んでろ」と、ひとりの少年が秋に殴りかかる。
秋はかわすつもりでいたが、それより先に拳は止まった。少年が意図して止めたのではなく、上から腕を掴まれ押さえつけられていた。
秋を後ろへ庇い、前へ出た矢代によって。

「……高校生かな? 俺はこう見えて教師でね。職業上、暴力行為は見過ごせないんだ。今すぐ警察を呼んでもいいし、……君達の学校を教えてくれたら、先生方にご挨拶に行くけど」

矢代の口元は笑っている。しかし切れ長の瞳は氷のような冷たさだった。彼に腕を掴まれている少年も青い顔で口を噤む。
「は、離せ!」
そして逃げるように彼の手を振りほどき、仲間達に呼びかけて走り去っていた。どうやら、彼があのグループのリーダー的存在らしい。
矢代と秋は襲われた少年を気遣い、駅まで送った。幸いかすり傷程度で、腹を一回蹴られた以外は何ともないという。お礼を言い、しっかりした足取りで帰って行った。

「あぁ良かった。ありがとー先生。庇ってくれて」
「そりゃ、恋人が襲われたら動かないわけにいかないだろ」

二人は来た道を引き返し、再び暗がりの路地に入った。矢代は困ったように笑っているが、自分が飛び込まなくてもあの少年を助けていただろう、と秋は思う。
彼は教師としては間違いなく最低だけど、困ってる人には手を差し伸べる、最低限の正義感は持っている。

「止めに入ったときの先生、わりとかっこよかったよ」
「はいはい。でも秋、これからは考えなしにつっこむのはよせ。お前は別に喧嘩が強いわけじゃないんだから」
「あぁ、わかってる……」

つもり、と言おうとした。しかしその先は言えなかった。

視界の端で何かが光った。それは一瞬のうちに横をすり抜け、真隣の壁に当たって砕け散る。
あまりの大きな音に思考が停止した。突然のことでわけが分からなかったが、足元には割れたビンとその破片が落ちている。

「痛……っ」

え?
隣では、矢代が額から血を流していた。


当然、ビンがひとりでに飛んでくるわけがない。光が見えた方向を確認すると、先程の少年達が笑いながらその場を去っていく様子が見えた。





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