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天の配剤
#10
しおりを挟むあぁ……。
「ここにいたい」
ずっと仕舞っておこうと思ったのに、今朝抱いた願いを取りこぼしてしまった。
「ノース?」
本当のことは言ってはいけないのに。
不安や心配をかけないよう強く握っていた手綱から手を離してしまった。
「やめたい、と思っちまったんだ。全部投げ出して、今すぐお前とオリビエと一緒に逃げちまおうかと思った。……一瞬だけな?」
吐露したことは呪いのように、自身とルネに絡みつく。吐き出したら楽になる、なんてことばかりじゃない。むしろ後悔して、もっと苦しくなる時もある。今がそれだろう。
「悪い。忘れてくれ」
ルネの肩を叩き、彼の返答を待つ前にオリビエ達の方へ向かった。
心が揺らぐ前に現実を直視しないといけない。でないとまた振り返ってしまう。
「…………」
ルネは黙ったまま、それ以上何も訊いてこなかった。助かったと安心する傍ら、自虐的に笑ってしまう。
いつだって自分の首を絞めるのは自分のくせに。
「ママ、またお仕事行っちゃうの? 次はいつ帰ってくるの?」
「……ごめんな、まだ全然分からないんだけど……今回の仕事が終わったら帰ってくるよ」
空が薄闇に覆われた夕刻、城門前で不安そうに見つめるオリビエの頭を撫でた。
次いで小さな体を抱き締めた後、複雑な気持ちに苛まれる。ノーデンスの拠点はランスタッドの為、ヨキートに“帰る”というのは微妙な表現だ。
でもオリビエの故郷は完全にこの国になっている。クラウスとマオナもなにかしら思っているだろうが、それについては特に何も言わなかった。
「オリビエ様、お元気で。また一緒に遊んでくださいね」
「うんっ!」
マオナは下に屈んでオリビエに笑いかけ、クラウスはルネとなにか話していた。
「クラウスさん。短い間でしたが、いずれまた……」
「ああ。大丈夫、ちゃーんと見とくよ」
何の件かは分からないが、耳を澄ます前に迎えの車がきた。
「いやー、車は楽でいいよなぁ」
ヨキートが手配した輸送車に乗り込み、クラウスは一番にシートに凭れた。だがマオナが階段を上って乗り込む際は手を引き、手伝っていた。
「じゃ……ルネ、またな」
扉の手摺を掴んで上ろうとする前に、顔だけ振り返った。
完全に振り向いたら、もっときつくなる。
「オリビエを頼む」
「……ああ」
吹き抜ける風で凍えそうだ。ルネとオリビエに早く城内に戻るよう伝え、重厚な扉を閉めた。
「では、発車します」
車が走り出す。横向きのシートに腰掛けた。対面にマオナとクラウスが座っている。
「ノーデンス様、大丈夫ですよ。寂しくなりますが、きっとすぐにヨキートへ戻れますわ」
「そうですね。すみません、辛気臭くなって」
マオナはやはり気にしてくれているようで、気遣う言葉を掛けてきた。反対にクラウスは面倒そうに頭を掻いている。
こんなことで後悔してるなら他国の王族なんかと結婚するな、と言いたいんだろう。自分でもそう思うから死んでも弱音は吐かない。
でも仕方ないんだ。俺は絶対、ルネ以外を好きにはならなかった。
別居してる時だって、彼以外の誰かを強く想ったことは一度もない。結局俺の人生に必要不可欠なのは彼なのだと……気付くのが遅かったことが、一番の悪因だ。
ルネ……。
人目が気になって、伝えたいことも伝えられなかったなぁ。
「ランスタッドまでまだ相当あります。お二人とも、休んでください」
完全に日が傾き、国境からも離れて車は山道に入った。
装甲つきの大きな輸送車の為、走ってる最中もそれなりの音が響く。
「ふぅ……」
ずっと座っているのも中々しんどいもので、時折脚を伸ばして天井を眺めた。目の前の二人もようやく眠りについたようで、肩を並べて俯いている。
こうして見るとお似合いな気がするけど、互いにどう思ってるんだろう。
考えてみたものの、野暮でしかないと首を横に振る。
ランスタッドに着いたらすぐに確認したいことが山ほどあるし、少し仮眠しよう。瞼を伏せて、闇の中に身を投じた。
規則的な振動を感じている。でも、段々落ちていくようだ。緩やかに転がって、誰かの叫び声が近付いてくる。
これは初めてじゃない。そう分かったら突然恐ろしくなって、自分の姿も見えないのに逃げようと駆け出した。
何故逃げるのと何かが追ってくる。耳を塞いでも頭の中で反響して、“それ”はどこまでもついてきた。
逃げられるわけがない。そう……だって、今自分から“向かって”いるのだから。
『おかえり』
耳元で、何十人もの声が重なって聞こえた。
「うわあっ!」
冷たい手が首に触れた気がして、ノーデンスは飛び起きる。ところが後ろは車の壁で、目の前にはマオナとクラウスがいた。
「ノーデンス様? 大丈夫ですか?」
「うなされてたぞ。ったく、寝てる時までうるさい奴だな」
「…………あ」
夢を見ていたらしい。真っ暗な世界で、ひたすらなにかに追われる。
以前もよく見ていたけど、ヨキートでは一度も見なかったから油断していた。額は汗が伝い、手も相当汗ばんでいた。
「もうランスタッドに入りましたよ。王城へ直行しても大丈夫ですか? ノーデンス様は今街の外の邸宅にお住まいなんですよね」
「あぁ……そうです、えっと……先にそこで降ります。後から工場へ向かうので、お二人は乗っててもらえますか」
「はい」
「……了解」
二人の頷きを確認し、小窓のカーテンを開ける。確かに山と小麦畑が広がる光景は、ランスタッドの最果てに戻って来た感覚が強まる。
戻ってきた。
そうため息をついた時、また誰かに「おかえり」と言われた気がした。
「……っ」
さっきから何なんだ。
得体の知れない不快感に臍を噛む。外は朝の光が強まっているのに、どす黒い不安が拭えない。両腕で体を抱き締めるようにし、内から溢れそうななにかを必死に抑え込んだ。
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