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天の配剤
#6
しおりを挟む温かい夕刻の風が吹き抜ける。ルネは庭園の門を抜け、城内へ続く廊下を進んだ。
かつて王族として、呪術も当然の如く学ばされた。生物を媒介として呪いをかける方法や、人ならざるものと契約して呪いをかける方法。もしくは、禁忌の呪物を使う方法。
いずれにしても知識が必要で、やり方を間違えれば自身が命を落とす。それだけ呪怨というのは危険で、強力なものなのだ。
呪いを祓う方法も教わりはしたが、あんなものはヤガンジャの人間には通用しないのだろう。そう考えるとやはり恐ろしくて身震いする。
“呪い”という言葉はだいぶ生易しい。結局彼らが主に請け負っている仕事は暗殺だ。頼まれた要人を、病死や事故死に見せかけてあの世へ誘う。
不幸中の幸いは彼らが王族に忠誠を誓っていたことだ。今回のように、王后である母が呪いをかけられた際は祓ってもらうことができる。
それなら私の妻も……一度見てもらうことができないだろうか。
ノースがある日突然王族に激しい憎しみを持ったこと。あれは外的要因があるとしか思えない。
もちろん王族に虐げられた歴史は変わらないが、それでも昔の彼はそれを仕方ないことだと受け入れていた。ところがそんなことなかったかのように、彼は王族を滅ぼすと言って譲らなくなった。
以前のノースなら、オリビエを勝手に連れて行ったら迷わず追いかけてきただろう。だが彼はランスタッドに留まることを選んだ。
武器作りのことだけでなく、ランスタッドから離れられない要因があると思っていた……でも今は何とかヨキートで過ごせている。確かめるには今しかない。
「ただいま」
ドアを開けると、オリビエが裸足のまま駆けてきた。
「パパ、おかえり! 今日のおやつ美味しかったよ」
「本当? 良かった、それならまた作ろう」
今日は出掛ける前にオリビエとノース用に紅茶のケーキを焼いていた。テーブルに置かれたお皿は一枚だけで、何も乗ってないからオリビエのものだろう。
ノースの分は乗っていない。だとしても、オリビエの皿を洗いそうなものなのに。
「オリビエ、ママはおやつ食べなかった?」
「うん。ママね、ずっと部屋で寝てるよ」
奥の部屋を指さし、オリビエは眉を下げた。具合が悪い……とは違うかもしれない。ひとりで遊んでいたオリビエにまず構ってやりたがったが、頭を撫でて奥へ向かう。そしてドアをノックした。
「ノース、起きてる?」
どうせ返事はないと思ったから、ゆっくりドアを開いた。明かりはつけておらず、部屋は真っ暗だった。
「オリビエ、ごめん。ちょっとだけ待っててね」
「うん」
ドアを少しだけ開け、ライトを点灯させる。ベッドの方へ近付くと少し毛布が動いた為、そっと捲った。
「ただいま」
「…………おかえり」
乱れた前髪の隙間から窺える眼は虚ろだ。ずっと寝ていたのか、枕に押し付けていたのか、腫れぼったい。
「具合悪いの?」
一応額に触れるも、彼は首を横に振った。
「ごめん、おやつはあげたけどオリビエのこと見てなかった。しっかりしてるからバグるな……」
彼は上体を起こし、小さなため息をついた。
「親失格だな」
いつかと同じ、自分自身に絶望した瞳。それを見た時に胸が詰まった。
「……フランさんに会いに行ったんだよね」
小さな声で尋ねると、彼は頷いた。
どうだった?とは訊けない。ノースの選択は最悪からは逸れてるかもしれないが、どう謝罪しても許されることではないから。
彼の憔悴ぶりを見てると、やはり言葉が出てこない。代わりに背中に手を回し、自分の方へ抱き寄せた。
「大丈夫。少なくとも、君は逃げずによくやってる」
目を逸らそうと思えばできることを、正面から見据えている。打たれ弱かった少年時代を思えば大きな進歩だ。
でも不安にもなる。今かろうじて繋がってる命綱がぷつんと切れて、彼の心が壊れる時がこないか。
「大丈夫だよ。本当にすまん」
ノースはゆっくり立ち上がり、邪魔そうに髪を掻き分けた。
「夜飯つくるからちょっと待ってて」
「ノース……」
まだ大丈夫という顔には見えなかったけど、オリビエを見た瞬間に別人のように明るくなった。
「ママ、大丈夫?」
「ちょっと寝たら元気になったよ。オリビエ、何食べたい?」
いつも通りに会話し、オリビエのリクエストに一喜一憂している。
幸せなはずなのに落ち着かない。その原因はヴィクトルに言われた呪いのことだけじゃなくて、これから始まる全てに覚えた不安だった。
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