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日暮れと出国

#7

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ヨキートでの生活もすっかり慣れてきていた。
オリビエの親としての一日も。……と言いたいところだが、ある日の絵画教室で危うく爆弾を投下してしまいそうになった。


その日ルネは予定が重なっており、ノーデンスが習い事に付き添っていた。このところヨキートには他国の要人の訪問者が増え、ルネも帰国してる以上はその場に出席する必要があった。
だからオリビエのことは心配せず、自分に任せてほしいと伝えた。流れは大体分かってきていたし、ひとりでも楽勝だと思った矢先……。

「オリビエ君のお父様。彼にもう少し画材を寄せるよう言ってくれません? ウチの子の机にまではみ出ていて、製作の邪魔になります」
「えっ」

教室の端で息子を見守っていた時、突然隣にいた細身の青年に睨まれた。
子ども達は四人グループで机をくっつけて作業している。確かに彼の言う通り、オリビエの筆が二本、前の机に飛び出てしまっていた。
と言っても先端だけだ。作業の邪魔になるほどではない気がするけど。
「す、すみません」
よく分からないが、数ミリでもスペースを占領したらキレられる世界なのかもしれない。若い父親に平謝りし、オリビエの方へそっと近付いた。
「オリビエ、他の子の席に画材がいかないようにしような。集中しちゃうと分からなくなっちゃうだろうけど」
「あ。ごめんなさい」
オリビエはすぐに散らかった筆をかき寄せ、再び作業を開始した。ホッとしてその場から立ち去ろうとすると、目の前にいた男の子がこちらに指をさしてきた。
「オリビエ、このひとお前のお母さん?」
「うん」
「へー。帰ってきたんだ。僕の父さんが、お前の母さんは家出したって言ってたから」
んなっ。
年端もいかない子どもに痛いところを突かれた。どう反応すべきか分からず固まったが、すぐにオリビエの表情を確認する。
察しの良い子だから「家出」の意味も何となく分かってるだろう。何とかフォローを入れようと頭を回転させるも、男の子の話は続く。
「父さんは、お前の母さんはもう帰ってこないって言ってたよ。お前のお父さんって王子様なのに可哀想だなあとか」
「キリト。お喋りはやめなさい」
先ほど注意を促した青年が傍に現れた。
まだ幼い子どもによその家庭事情をベラベラ喋りやがって。泣かすぞクソガキ……と心の中で思ったけど、表面上は笑顔でやり過ごす。
「あの、すみませんでした。ちゃんと注意しましたので」
子ども達の机を指し示し、軽く頭を下げる。
「いえいえ、ありがとうございます。キリトも、思ったことをすぐ口に出したらいけないよ。例え本当のことでも言っちゃいけないことがあるんだから」
「…………」
この場に自分と彼以外の人がいて良かった。もしこの空間に自分達しかいなかったら、間違いなく捻り潰してる。

どこの偉い人間か知らないが、これ以上なにか言われたら黙ってられないかもしれない。悪いな、ルネ。早速誓いを破りそう……と心の中で謝っていると、様子に気付いた中年の男性講師がやってきた。
「お母様方、なにかありましたか?」
「あ、いいえ」
「何でもありませんよ。では」
青年はノーデンスよりも先に踵を返し、教室の後ろへ戻った。
「オリビエ様のお母様、大丈夫ですか?」
「あぁはい、すみません。あの、今の男の人も……母親なんですか?」
子どもに聞こえないよう耳打ちすると、講師は即座に頷いた。
「ええ。……貴方はご存知ないかもしれませんが、彼、フラン様の夫はヨキートを代表する画家です。なのでできればですね、なるべく穏便に……」
困り顔でお辞儀をする彼は、要は揉め事を起こすなと言っている。
あいつが穏便にさせないんだろうがと怒鳴ってやってもよかったけど、全ては愛する息子の為。ただでさえ悪評高い俺がここで暴れたらマジでルネもオリビエも居場所を失う。我慢しよう。

それにしてもさすが芸術国家、有名画家の覇権は相当強いらしい。
でも凄いのは夫であって、妻の彼が威張り散らすのはおかしい。

「俺みたいにバリバリ仕事できる人間ならいいけどな」

やっべ声に出ちゃった。

後ろの保護者達に聞こえたかどうかは微妙だが、オリビエとキリトには絶対聞こえた。
「……とか言う人間には絶対なるなよ、オリビエ」
「うん……?」
目を点にしているオリビエの頭を撫で、そそくさとその場から離れる。

ていうか俺もそうだが、男相手にお母さんとか言われると訳分からなくなってくるな。
男二人で参列してる夫婦を見てもどっちが父親でどっちが母親なのか全く分からん。
それにフランは最初に俺のことを「お父様」と言った。父親はルネだって知ってるはずなのに何故……。

謎だけど、父親扱いされたことはちょっと嬉しい。とりあえず今日のことは水に流してやるか。



ところが、それ以降もフランは顔を合わす度になにかと理由をつけて突っかかってきた。ルネと違い、ノーデンスが他の保護者と交流しないこともあった為か、居心地の悪さは最高潮に達していた。

「ノーデンスさんって、今何のお仕事をされてるんです?」

ある日、またひとりで訪れた時にフランに尋ねられた。答える義理はないけど、ひとまず無難なものを用意する。
「今は専業主夫です」
「お仕事をするつもりはないんですか。旦那様は公務を再開されてるようですけど。ずっとここで暮らすならなにか始めた方が」
「この国には俺が役に立てるような仕事はありません。自国でしていた仕事は信頼できる部下に任せているのでご心配なく」
心配などしてないだろうが、これ以上こちらの事情に干渉されたくない。干渉させてはいけない。ここはしたでに出るべきところじゃないと考え、毅然とした態度で一蹴した。

するとフランはふうん、と口角を上げた。
「武器生産……ですよね。さすがご高名な総統様。この国では武力は必要ないと分かってらっしゃる」
他の保護者と距離をとっていたから、会話の内容はここだけにおさめることができた。

とはいえどうしてやろう……。この若造に、そろそろ喧嘩を売る相手を間違えたことを分からせてやった方がいい気がする。

「戦争なんて無益なものに力を入れるのは時代錯誤でしかない。もうこの世界は平和で、オリビエ君だって自身を磨く為に音楽や文芸を主要に頑張ってるじゃないですか。専業主夫でもいいし、もっと普通の人らしい生活を送れば」
「普通って何ですか」

流暢に語る彼の言葉を容赦なく遮った。もう大人しい親を演じるのはやめ、ポケットに手を突っ込む。

「俺は武器を作る家系に生まれた。武器を作ることが普通で、最も自然な生き方なんです。他国の人間と結婚して、平和な生活を送ることは俺の中の“普通”から逸脱した行為だ」

体は正面を向いたまま、隣に佇むフランに振り返った。彼は先ほどより狼狽えた様子で、しかし変わらずに嘲笑する。
「はっ。あなたの周りだけじゃなくて、世間全体で考えてくださいよ。あなたの普通は普通じゃない。武器を作る一族なんて特殊過ぎる」
「別に理解していただかなくて結構ですよ。貴方の考え方が杓子定規に感じて、忠告してあげたくなっただけですから」
最後に微笑んでやると、フランは顔を赤くした。
少しは効いたかと思い離れようとすると、今度は腕を掴んできた。
「ちょっと、まだなにか?」
「……俺の父はランスタッド製の銃で殺されました。武器なんか作らなければ、争いや無意味な人殺しなんて起きなかったんだ!」







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