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日暮れと出国

#4

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一年というのは一瞬で、且つとてつもなく長い時間だった。
自分が見ないようにしていたその空白はもう取り戻せない。それに気付き、より後悔の海に沈んでゆく。
信じられないほどの言葉を覚えて、自分の意思で決定して、物事をやり遂げる。息子の成長がこれほど自分の心を揺らがすものだとは思わなかった。
昔はそれでもいいなんて本気で思ってたのに。

「ママ、見て見て! ママ描いたよ!」
「どれどれ……、おおー、オリビエは絵が上手いな」

四つになる息子は溌剌で、身贔屓かもしれないがとても聡い。絵や物作りが大好きなところはルネの影響がありそうだ。

一年ぶりに息子と会えたノーデンスは、朝から部屋にこもって過ごしていた。外は晴天だが、オリビエを連れて出るには大勢の護衛をつけないといけない。外へはいずれ遊びに行くとして、今は息子の傍で、ゆっくり彼の様子を見ていたかった。
「もしかしてこの絵もらってもいいのか?」
「うん。もっともっと描くよ」
「はは、ありがとう。宝物にするよ」
鮮やかに彩られた絵を汚れないようテーブルに置いた。ほぼ棒人間だけど、背景は暖かい色で埋め尽くされてる。後ろにはこの城らしき褐色がある。

オリビエにとっての家は、やはりこの城なのだ。……ならばランスタッドに連れて帰るのは彼に酷い選択をさせることになる。
俺がこの子の為にできることはなにか。今度は間違えず、考えなくては。

「ところでオリビエ。俺のことはママじゃなくてパパって呼んで良いんだぞ」
「でも、それじゃパパが二人になっちゃう」
「じゃあ呼び方を変えよう。俺がパパで、ルネのことはお父さん」

「混乱するよ。君がママでいいだろう。留守の間はずっとそうしていたし」

後ろから声が聞こえ振り向くと、ルネが苦笑しながら部屋に入ってきた。オリビエにはジュース、ノーデンスには紅茶を差し出し、自身もソファに腰掛ける。

確かに産んだのは自分だし、一緒にいたころはママと呼ばせていた。でも少し大きくなったオリビエを見て、謎の焦りが生まれた。
俺はママなんて呼ばれる柄じゃない。家事が得意で落ち着いてるルネの方がよっぽどお似合いだ。
「ノース。……怖い顔してるよ」
「元々だ」
「それは初耳だね。オリビエ、一緒に絵本読もうか」
「うん! これが良い」
二人は床に座り絵本を読み始めてしまった。突如置いてけぼりにされ、何とも言えない気持ちになる。
すぐさま紅茶を置き、ルネの隣にぐいぐい割り込んだ。

「おい、仲間はずれはやめろ。その場にいる全員が楽しめるようにしろよ。お前の行動の一々でオリビエがどんな性格の大人になるか決まってくるんだ」
「そうか。じゃあノース、オリビエが楽しめるように、最大限感情込めて絵本を読んであげてね」

と、渡された本は孤独な少女が優しい王子に出逢うまでのストーリーだった。寂しいとか嬉しいとか、最大限シンプルな言葉で少女の感情が綴られてる。
「最大限?」
「最大限。……私はいつもオリビエに読んでるよ」
そう言うと、オリビエは「ママ読んでー」と抱きついてきた。
こんな風に頼まれては読まないわけにいかない。本の一頁目を押さえ、文字を指で追っていく。オリビエもそれを目で追い、うんうん頷いた。

「えー……なになに。リオは小さな町に暮らす貧しい女の子です。朝から夜までかわいい洋服をつくって町の人に売りに行きますが、自分が着たことはありません。って。大変だな」
「たいへん?」
「しんどいってことだよ」
「しんどい?」
「よし、先に進むぞ」

オリビエを膝に乗せ、次の頁をめくる。
「リオには夢があります。それはいつか自分のお店をひらき、町で一番のお金持ちになることです。オイ大丈夫か? 何か急に俗物になったぞ」
「ぞくぶつ?」
「利益を求める人間のことだよ。で、えーっと……お金持ちになれば、自分のように貧しい女の子に綺麗な洋服をあげることができるからです。あ、やっぱり良い子だった。そりゃそうか。現実は金に溺れるもんだけどそんな終わり方したら子ども向けじゃないもんなウワッ!」
「ノース。君の意見は挟まなくていい」
読み聞かせてる途中だというのに、ルネに襟を掴まれた。あぐらをかいてるせいで危うく後ろに倒れそうになる。

「オリビエが集中して聴いてるんだから良いだろ!」
「どっちかって言うと君の感想に反応してちんぷんかんぷんだと思うけど……」
「感受性を豊かにするには親の意見も取り入れる必要がある!」
「それは時と場合による」
「OK分かった。オリビエ、絵本はお父さんに交代だ。また今度読んでやる。お父さんがいない時に、だ」
「うん!」

本をルネに渡し、オリビエを抱いたまま交代した。幼い息子の前で幼稚な口論をするわけにはいかないので、ここは自分から折れよう。俺も大人になったな。

ルネはため息をつきたい様子だったが、オリビエと一緒に静かに続きを待ってると朗読してくれた。
「……ある日リオは服を売りに、隣の町へ行きました。そこにはとても優しい王子様がいました。彼はリオが持つ服をいくつか買ってくれました」
彼が俯くと、長い睫毛がよく見える。諭すような声音は自然と自分の中にとけこんでいく。彼はやはり読み聞かせが上手い。何度も読んでいるんだろうけど、オリビエもさっきより目を輝かせていた。
そういえば夜泣きした時も、自分は苦戦したけどルネに交代するとすぐに泣き止んでたっけ。俺の抱き方が下手なのか、ルネが上手いのか。……はたまた俺がオリビエに嫌われてるのか、とか色々考えたこともあった。今じゃ何てことない、笑える悩みだ。

「王子様はリオを見て、また会いたいと言いました。何故なのか、リオには分かりません。でもリオも同じことを思いました」

また会いたい、か。
思わず昔の記憶が頭をよぎった。ルネに会いに行ったのは自分。でも次にまた会いたいと言ってきたのはルネの方。
何故なのか分からなかった。子ども向けのお話と同じ内容だ。

「さすが、お父さんはお話を読むのが上手いな」

リオは迎えに来た王子様と無事にハッピーエンドを迎えた。オリビエも満足そうに足をバタバタさせている。
「ところで王子は誰用に服を買ったんだ? リオが作ってた服は女ものだろ? 誰かに売るのかな、それともあげたい相手がいるのか」
「そういうところを気にするのが君らしいよね。それより二人がこれからどんな暮らしをするのか考えてごらんよ。オリビエはどう思う?」
「うーんとね。もうひとつ大きなお城つくって、中にお店もいっぱいつくって、毎日遊ぶの」
両手を広げ、オリビエは笑った。
「毎日遊ぶ、か。良いなぁ」
つい呟いてしまった。子どもの単純で明快な希望は、大人にとって最大の願望だ。
仕事は好きなことを、後はのんびり暮らすなんて、ほぼ全ての人類が望んでいるだろう。

オリビエは迎えに行く側か、迎えに来られる側か。何年も先の話だけど、ほんの少し想像して胸が熱くなった。
何よりも尊く、愛らしい存在。彼の未来から自分達がいなくなっても、彼なりの幸せを見つけて生きてほしい。
「ママ、これから毎日遊んでくれる?」
「ん? んー……」
体を捩り、今度は向かい合う形になる。オリビエは猫のように丸い瞳でこちらを見上げてきた。

「仕事があるから約束できないけど……でもこれからずっと一緒にいるよ。遊べなくても、毎日会える」
小さな掌を包み込み、額にキスをした。
「毎日会いに行く」
「……じゃあ、またどこかに行くの?」
「ええと……」
何だか堂々巡りだ。その瞳から逃げるように視線を逸らした。

はっきり答えられないのは、同じ家に住めるか分からないからだ。自分はランスタッドで仕事しないといけない。その為にはオリビエを連れていくか、それができないなら自分が毎日ヨキートへ戻るしかない。
オリビエが幸せに暮らすには、安全な環境が整っているヨキートの方が良い。祖父母がいるし、寂しい思いもしなくて済む。周りの人が全力でオリビエを助けてくれる。

でも俺は、オリビエに満足な環境を与えてやれる保証がない。家事も育児も中途半端で、一時は仕事をとった。自分から家族を突き放そうとしたこともある。
今こうして一緒にいられるだけでも感謝しないといけないのに、これ以上の我儘なんて言えるか?

「オリビエ、ママはずっと一緒にいるよ」

オリビエの手を握ったまま、大きな掌が重なる。隣にはルネが寄り添っていた。
「どこに行っても、これからは三人で暮らす。だから大丈夫だよ。……ノースもね」






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