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七賀ごふん@小説/漫画

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四度目の春は寒春だった。暖かい気温に恵まれて散歩……とはいかず、普段から外に出たからない入所者達が、さらに引きこもるようになった。

もちろん風邪をひかれたら困るけど、外の空気を吸わないと精神面に影響が及ぶ。どうしたものかと考えながら、共用スペースを歩いていた。
誰も使っていない電子ピアノに手を伸ばし、聞き慣れた曲を演奏する。
「まさに春ですね。ヴィヴァルディの四季」
幼い子どもを連れて通りかかった女性職員が、微笑みながら声をかけてきた。
「おつかれさまです。あぁ、駿くん? 大きくなったねぇ」
「こんにちはー」
彼女の子どもはすぐ近くの幼稚園に通っている為、預かり保育に迎えに行ったあと顔を出しにくる。小さな子どもがやってくると施設の中も明るい空気に包まれる為、品場にとっても有難かった。
「ピアノもっと弾いて!」
「はは。いいよ」
有名な童謡を選んで弾くと、彼は嬉しそうにその場で跳ねた。
「品場さん、いつもありがとうございます。ほら、駿もちゃんとお礼言いなさい」
「ありがとう! 先生みたい。先生もすごい上手いよ」
「君の先生の方がずっと上手いよ。俺はね、弾きながら歌うことができないから」
楽譜は頭の中にある。しかし弾きながら捲って、さらに歌詞まで捲らなくてはいけない、と言うと至難の業だった。ピアノは三歳から七年近く習っていたが、最後までできなかったことだ。
「良かったら練習に来な。時間あるとき、簡単な曲なら教えられるよ」
「うん!」
彼は満面の笑みで手を振って、女性職員と一緒に帰っていった。これから温かいご飯を食べて、温かいお風呂に入って、父親とゲームをしたりするのだろう。想像しただけで胸の中が温かくなった。ピアノの電源を切り、壁に掛けられた絵画を見上げる。「彼」が最後に描いた……未完成の塔の絵を、指でそっとなぞった。



生きていれば必ず不安な課題を与えられて、心が折れてしまうことがある。それでも、その先に漠然とした希望を見ているから、人は何とか立っていられるのではないか。
楽しみがあれば、辛くても頑張ることができる。人が生きる上で必要なものだ。とても単純だけど、原動力となる気持ち。

「日光を浴びて風にあたる。食べ物を摂取するのと同じぐらい大事なことです。栄養管理された生活は健康な身体を維持できるかもしれませんが、心の健康を保つには不充分です」





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