熱しやすく冷めやすく、軽くて重い夫婦です。

七賀ごふん

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重たくも、暖かく

#1

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何度失っても、日常はまた創り出せる。
それを教えてくれたのは、紛れもなく大好きな人。世界で一番誇れる旦那様だ。

「宗一さん。お疲れのところごめんなさい。ひとつ……どうしてもお願いが……!」

とは言え、自分という人間はその対に値する。
人前に出るには恥ずかしくて、足りないものしかない。なにかで補おうにも、人と比べて持ってるものも少ない。

夕食後。白希はソファでウィスキー片手に寛いでる宗一に、両手を合わせて頭を下げた。
「なあに、改まって」
深刻な面持ちの白希と反対に、宗一は可笑しそうに首を傾げる。白希は少しの間迷う素振りをしたが、意を決してパンフレットを取り出した。

「じ……塾に、通いたいんです」
「塾?」

藪から棒とは思ったが、宗一はパンフレットを受け取り、中に目を通した。
どうやら白希は宗一が想像していたよりずっと真剣に、スキルアップについて考えていたらしい。
彼が学校に通っていないことを嘆くことは以前からあったが、その度に人それぞれだからと宥めていた。
実際白希が学校に通えなかったのは、彼というより彼の周りにいる者達の影響が大きかったから……最低限の読み書きさえできれば構わない、というのが宗一の大まかな考えだったのだ。

しかしそれだけではいけないのだと、白希は床に正座して控えめなスピーチを始める。
「中学校を卒業してればいいんですけど、俺の場合小学校の途中から不登校になったので。……小学校すら卒業してないんです。やばいでしょう」
「うーん……でも白希は特殊だからね」
宗一は軽く肩を竦め、上向いて零した。

「学校に行ってないとひと口に言っても、色んな理由があるだろう。人間関係はもちろん、君のように家庭環境が起因することもある。経済的理由だったり、土地柄だったり、持病を抱えてたり、ね」

グラスの底についた水滴を軽くふき取り、テーブルに置く。宗一はパンフレットを膝の上に乗せ、微笑んだ。

「だから安心して、とまでは言わないけど……規格外の私達ですら想像できない理由で、学校に行けなかった人もいる。自分を責めることはしないでほしいな」
「宗一さん……そ、そうですよね。ありがとうございます」

世界は広い。自分よりずっと大変な理由で苦しんでいる人達がいる。
俺はまだ、生活の不安がないだけ幸せなんだ。弱音はもちろん、卑下することも控えよう。

拳をつくり、白希は前に乗り出した。

「後ろ向きな理由で通いたいわけじゃないんです。むしろもっと前向きな理由で、通ってみたい。宗一さんに相応しい人になりたいし、学べなかったことを学んでいきたい」

知らないことがたくさんある辛さ。知らないことを知った時の嬉しさ。
それらは言葉に表せられない感動をもたらす。生きてると実感できるほどの力を持つ。

「正直、普段の読書だってたくさんの感動と学びを得ることができます。でもそれに加えて、もう少し視野を広げてみたいんです。……どうでしょうか?」
「白希……。なんて偉いんだ。私も感動した。よし、行くのはいつでもいいよ。学費は全部出すから心配しなくていい」
「いやいや、俺のわがままですから、お金は自分のバイト代で工面していきます! 問題は、家を空ける時間が増えてしまうことで……申し訳ありません」

深々と頭を下げる。なるべく昼の間に通い、宗一さんが仕事から帰る前には家に居るようにしたい。
貴重な土日はやはり家に居たいし、そうすると平日に集中することになる。

通学型を考えているものの、基本は家庭優先だ。通う塾はこれからゆっくり考えていこう。

「もう、そんなの気にしなくていいから。……それより、よくこんなの見つけてきたね? 誰かから聞いたの?」
「あはは、やっぱりバレちゃいましたか。この前、文樹さんに相談したんです。一般常識というか、義務教育レベルの勉強を始めたい……って」

小中とまともに授業を受けてない為、自身のレベルに合った勉強法を考えないといけない。するとやはり、多少費用はかかっても講師に見てもらえる塾が良いと言われた。
「まずは一から勉強して、中学校レベルの勉強を理解して。そしていつかは、高卒認定をとりたいと思います」
「あぁ、それはいいかもね。もしとれたら、大学受験ができる。勉強したいことが明確に決まったら、私は応援するよ」
「ありがとうございます。でも、大学は色々無理だと思うので……最終目標は、高卒認定試験に合格することにします」
始めてすらいない自分にはまだまだ遠い、見果てぬ夢のようだ。
それでも、やりたいことが見つかったのは嬉しい。わがままに過ぎないけど、宗一さんが快諾し、応援してくれたことも本当に嬉しかった。

いつも彼に支えられている。
パンフレットを受け取り、宗一さんと良さそうな塾をいくつか見比べた。
彼は終始「急がなくていい」と言ってくれた。
俺は俺のペースでいい。……そんなに安心できる言葉もないな、と思った。





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