176 / 196
重たくも、暖かく
#1
しおりを挟む何度失っても、日常はまた創り出せる。
それを教えてくれたのは、紛れもなく大好きな人。世界で一番誇れる旦那様だ。
「宗一さん。お疲れのところごめんなさい。ひとつ……どうしてもお願いが……!」
とは言え、自分という人間はその対に値する。
人前に出るには恥ずかしくて、足りないものしかない。なにかで補おうにも、人と比べて持ってるものも少ない。
夕食後。白希はソファでウィスキー片手に寛いでる宗一に、両手を合わせて頭を下げた。
「なあに、改まって」
深刻な面持ちの白希と反対に、宗一は可笑しそうに首を傾げる。白希は少しの間迷う素振りをしたが、意を決してパンフレットを取り出した。
「じ……塾に、通いたいんです」
「塾?」
藪から棒とは思ったが、宗一はパンフレットを受け取り、中に目を通した。
どうやら白希は宗一が想像していたよりずっと真剣に、スキルアップについて考えていたらしい。
彼が学校に通っていないことを嘆くことは以前からあったが、その度に人それぞれだからと宥めていた。
実際白希が学校に通えなかったのは、彼というより彼の周りにいる者達の影響が大きかったから……最低限の読み書きさえできれば構わない、というのが宗一の大まかな考えだったのだ。
しかしそれだけではいけないのだと、白希は床に正座して控えめなスピーチを始める。
「中学校を卒業してればいいんですけど、俺の場合小学校の途中から不登校になったので。……小学校すら卒業してないんです。やばいでしょう」
「うーん……でも白希は特殊だからね」
宗一は軽く肩を竦め、上向いて零した。
「学校に行ってないとひと口に言っても、色んな理由があるだろう。人間関係はもちろん、君のように家庭環境が起因することもある。経済的理由だったり、土地柄だったり、持病を抱えてたり、ね」
グラスの底についた水滴を軽くふき取り、テーブルに置く。宗一はパンフレットを膝の上に乗せ、微笑んだ。
「だから安心して、とまでは言わないけど……規格外の私達ですら想像できない理由で、学校に行けなかった人もいる。自分を責めることはしないでほしいな」
「宗一さん……そ、そうですよね。ありがとうございます」
世界は広い。自分よりずっと大変な理由で苦しんでいる人達がいる。
俺はまだ、生活の不安がないだけ幸せなんだ。弱音はもちろん、卑下することも控えよう。
拳をつくり、白希は前に乗り出した。
「後ろ向きな理由で通いたいわけじゃないんです。むしろもっと前向きな理由で、通ってみたい。宗一さんに相応しい人になりたいし、学べなかったことを学んでいきたい」
知らないことがたくさんある辛さ。知らないことを知った時の嬉しさ。
それらは言葉に表せられない感動をもたらす。生きてると実感できるほどの力を持つ。
「正直、普段の読書だってたくさんの感動と学びを得ることができます。でもそれに加えて、もう少し視野を広げてみたいんです。……どうでしょうか?」
「白希……。なんて偉いんだ。私も感動した。よし、行くのはいつでもいいよ。学費は全部出すから心配しなくていい」
「いやいや、俺のわがままですから、お金は自分のバイト代で工面していきます! 問題は、家を空ける時間が増えてしまうことで……申し訳ありません」
深々と頭を下げる。なるべく昼の間に通い、宗一さんが仕事から帰る前には家に居るようにしたい。
貴重な土日はやはり家に居たいし、そうすると平日に集中することになる。
通学型を考えているものの、基本は家庭優先だ。通う塾はこれからゆっくり考えていこう。
「もう、そんなの気にしなくていいから。……それより、よくこんなの見つけてきたね? 誰かから聞いたの?」
「あはは、やっぱりバレちゃいましたか。この前、文樹さんに相談したんです。一般常識というか、義務教育レベルの勉強を始めたい……って」
小中とまともに授業を受けてない為、自身のレベルに合った勉強法を考えないといけない。するとやはり、多少費用はかかっても講師に見てもらえる塾が良いと言われた。
「まずは一から勉強して、中学校レベルの勉強を理解して。そしていつかは、高卒認定をとりたいと思います」
「あぁ、それはいいかもね。もしとれたら、大学受験ができる。勉強したいことが明確に決まったら、私は応援するよ」
「ありがとうございます。でも、大学は色々無理だと思うので……最終目標は、高卒認定試験に合格することにします」
始めてすらいない自分にはまだまだ遠い、見果てぬ夢のようだ。
それでも、やりたいことが見つかったのは嬉しい。わがままに過ぎないけど、宗一さんが快諾し、応援してくれたことも本当に嬉しかった。
いつも彼に支えられている。
パンフレットを受け取り、宗一さんと良さそうな塾をいくつか見比べた。
彼は終始「急がなくていい」と言ってくれた。
俺は俺のペースでいい。……そんなに安心できる言葉もないな、と思った。
1
お気に入りに追加
176
あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】



【書籍化・取り下げ予定】あなたたちのことなんて知らない
gacchi
恋愛
母親と旅をしていたニナは精霊の愛し子だということが知られ、精霊教会に捕まってしまった。母親を人質にされ、この国にとどまることを国王に強要される。仕方なく侯爵家の養女ニネットとなったが、精霊の愛し子だとは知らない義母と義妹、そして婚約者の第三王子カミーユには愛人の子だと思われて嫌われていた。だが、ニネットに虐げられたと嘘をついた義妹のおかげで婚約は解消される。それでも精霊の愛し子を利用したい国王はニネットに新しい婚約者候補を用意した。そこで出会ったのは、ニネットの本当の姿が見える公爵令息ルシアンだった。書籍化予定です。取り下げになります。詳しい情報は決まり次第お知らせいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる