169 / 196
守るべき人
#7
しおりを挟む本当はとっくに気がついていたんだ。
“私”は傷ついた彼の代わり。彼を守る為だけに目を覚ました。
でももう大丈夫なんだ。
床も天井も、壁も何もない真っ白な空間で、優しい声が聞こえた気がした。
それはとても短い、感謝の言葉だった。
太陽が一番高い位置に昇っている。涼風に背中を押されながら、賑やかな街中を小走りで駆けていく。
世界は何も変わってないのに、心臓は大袈裟に跳ねていた。自分の気持ちひとつで、この通りは優しくも厳しくもなる。
何てことないと強く言い聞かせて、商業ビルのエスカレーターに乗った。離れていたのは一ヶ月程度だが、ひどく懐かしさを覚える。
「文樹。朝入荷した商品、倉庫に仕舞っておいて」
「はーい」
開店前の楽器店で、文樹は元気よく返事した。どこか空白が目立つ心を隠しながら、店の前に積まれたダンボールを解いていく。下に屈み、重いものから台車に乗せようとした時、ふいに目の前のダンボールが持ち上がった。
「おはようございます。運びますよ」
清流のように鼓膜に透き通る。初めて聞いた時から心地良いと感じていた、中音の声。
文樹は立ち上がり、目の前で微笑む青年に目を奪われた。
「……お久しぶりです。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません、文樹さん」
「白希」
懐かしい匂い。眼差し。
その全てが文樹の時間を止めた。持っていたダンボールを危うく落としかけたが、白希が片手で受け止めてくれた。
「お前、もう体は大丈夫なのか!?」
「はい、おかげさまで。一ヶ月も休んでごめんなさい。俺の家にも来てくださったんですよね?」
「あ、あぁ……?」
何故か疑問形で話す彼に違和感を覚えたが、今はどうでもいい。白希の腕を引き寄せ、髪がぐしゃぐしゃになるまで頭を撫でた。
「とにかく良かった!! あ~~マジで良かった!!」
「あ、ありがとうございます。そんなに喜んでいただけるとは……」
歓喜している文樹の声を聞き、店長の境江がやってきた。彼も白希の姿を認めると、満面の笑みで声をかける。
「白希君! 久しぶり! もう出てこられるの?」
「お久しぶりです、店長。ご迷惑をお掛けして大変申し訳ございませんでした」
白希は深く頭を下げ、顔は上げきらずに続けた。
「私の方から連絡を入れるべきなのに、文樹さんに休みのお願いをしてしまって……無断欠勤と同じことです。今日はそのお詫びと、退職の件で参りました」
お忙しいところすみません、と謝ると、境江は笑いながら手を組んだ。
「ああ、その件なら君の旦那さんからも連絡をもらったよ。幸いシフトの調整も問題なかったし……君さえ良ければ、続けてくれても良いんだけど」
微笑む彼に対し、白希は戸惑いながら顔を上げる。
「で、でも……ここで働くこと自体、たくさんご配慮いただいてたのに」
「しーろき。店長がこんな風に言ってんだぜ? フツーはないだろうけどさ。あと一回だけ甘えてもいいんじゃねえの」
文樹は前屈みになり、悪戯っぽく微笑む。見れば、境江もため息まじりに笑っていた。
「白希君のエプロン、洗ってロッカーに入れておいたからね」
心の芯まで染み入る……優しい言葉。
「ごめんなさい……」
頬を伝い、雫が床に零れる。白希は再び頭を下げ、震える声で返事した。
「本当に、ありがとうございます……っ!」
2
お気に入りに追加
177
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】


【書籍化・取り下げ予定】あなたたちのことなんて知らない
gacchi
恋愛
母親と旅をしていたニナは精霊の愛し子だということが知られ、精霊教会に捕まってしまった。母親を人質にされ、この国にとどまることを国王に強要される。仕方なく侯爵家の養女ニネットとなったが、精霊の愛し子だとは知らない義母と義妹、そして婚約者の第三王子カミーユには愛人の子だと思われて嫌われていた。だが、ニネットに虐げられたと嘘をついた義妹のおかげで婚約は解消される。それでも精霊の愛し子を利用したい国王はニネットに新しい婚約者候補を用意した。そこで出会ったのは、ニネットの本当の姿が見える公爵令息ルシアンだった。書籍化予定です。取り下げになります。詳しい情報は決まり次第お知らせいたします。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

飼われる側って案外良いらしい。
なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。
なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。
「まあ何も変わらない、はず…」
ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。
ほんとに。ほんとうに。
紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22)
ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。
変化を嫌い、現状維持を好む。
タルア=ミース(347)
職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。
最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる