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守るべき人
#7
しおりを挟む本当はとっくに気がついていたんだ。
“私”は傷ついた彼の代わり。彼を守る為だけに目を覚ました。
でももう大丈夫なんだ。
床も天井も、壁も何もない真っ白な空間で、優しい声が聞こえた気がした。
それはとても短い、感謝の言葉だった。
太陽が一番高い位置に昇っている。涼風に背中を押されながら、賑やかな街中を小走りで駆けていく。
世界は何も変わってないのに、心臓は大袈裟に跳ねていた。自分の気持ちひとつで、この通りは優しくも厳しくもなる。
何てことないと強く言い聞かせて、商業ビルのエスカレーターに乗った。離れていたのは一ヶ月程度だが、ひどく懐かしさを覚える。
「文樹。朝入荷した商品、倉庫に仕舞っておいて」
「はーい」
開店前の楽器店で、文樹は元気よく返事した。どこか空白が目立つ心を隠しながら、店の前に積まれたダンボールを解いていく。下に屈み、重いものから台車に乗せようとした時、ふいに目の前のダンボールが持ち上がった。
「おはようございます。運びますよ」
清流のように鼓膜に透き通る。初めて聞いた時から心地良いと感じていた、中音の声。
文樹は立ち上がり、目の前で微笑む青年に目を奪われた。
「……お久しぶりです。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません、文樹さん」
「白希」
懐かしい匂い。眼差し。
その全てが文樹の時間を止めた。持っていたダンボールを危うく落としかけたが、白希が片手で受け止めてくれた。
「お前、もう体は大丈夫なのか!?」
「はい、おかげさまで。一ヶ月も休んでごめんなさい。俺の家にも来てくださったんですよね?」
「あ、あぁ……?」
何故か疑問形で話す彼に違和感を覚えたが、今はどうでもいい。白希の腕を引き寄せ、髪がぐしゃぐしゃになるまで頭を撫でた。
「とにかく良かった!! あ~~マジで良かった!!」
「あ、ありがとうございます。そんなに喜んでいただけるとは……」
歓喜している文樹の声を聞き、店長の境江がやってきた。彼も白希の姿を認めると、満面の笑みで声をかける。
「白希君! 久しぶり! もう出てこられるの?」
「お久しぶりです、店長。ご迷惑をお掛けして大変申し訳ございませんでした」
白希は深く頭を下げ、顔は上げきらずに続けた。
「私の方から連絡を入れるべきなのに、文樹さんに休みのお願いをしてしまって……無断欠勤と同じことです。今日はそのお詫びと、退職の件で参りました」
お忙しいところすみません、と謝ると、境江は笑いながら手を組んだ。
「ああ、その件なら君の旦那さんからも連絡をもらったよ。幸いシフトの調整も問題なかったし……君さえ良ければ、続けてくれても良いんだけど」
微笑む彼に対し、白希は戸惑いながら顔を上げる。
「で、でも……ここで働くこと自体、たくさんご配慮いただいてたのに」
「しーろき。店長がこんな風に言ってんだぜ? フツーはないだろうけどさ。あと一回だけ甘えてもいいんじゃねえの」
文樹は前屈みになり、悪戯っぽく微笑む。見れば、境江もため息まじりに笑っていた。
「白希君のエプロン、洗ってロッカーに入れておいたからね」
心の芯まで染み入る……優しい言葉。
「ごめんなさい……」
頬を伝い、雫が床に零れる。白希は再び頭を下げ、震える声で返事した。
「本当に、ありがとうございます……っ!」
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