163 / 196
守るべき人
#1
しおりを挟むずっとここに居るから。祖母はそう言って微笑んだ。
小枝のように痩せこけた指で口元を押さえながら、白希の頭を優しく撫でた。
「ごめんね。もう少し、見てあげたかったんだけどね」
座敷の上に白希を座らせ、徐に抱き締めた。
「おばあちゃん、ちょっと休むけど……白希の傍にいるからね」
────辛いかもしれないけど、ちゃんと生きていくんだよ。
か細いが、心の奥深くに響く声だった。
実家よりも嗅ぎ慣れた畳の匂いがずっと残っている。年季の入った掛け時計に、綺麗に片付けられた本棚。祖母の柔らかい髪が頬に当たっていた。
ものがなくなっていく。それと一緒に、彼女は静かに……どんどん物静かになっていった。
祖母の危篤を知ったのは、それから一週間後のことだ。
家主がいなくなった家はどこか寂しい。どれだけ留まっても音がしなくて、ひたすらに天井を見上げていた。
自分の身体の一部を失ったみたいに、手足が動かせない。流し尽くした涙も乾いて、また部屋に閉じこもった。
この時から、力の暴走は一段酷くなった。納屋にいても父の怒号が聞こえて、それを宥める母の声が聞こえていた。
一家を崩壊させたのは自分だ。
この力さえ制御できれば何も問題なかったのに。自分が不甲斐ないから周りの人を不幸にしてしまった。
この力は病気なんだ。
「ごめんなさい……っ」
不幸を感染させる、悪魔の病。
祖母もいないのに、これ以上生きていたって仕方ない。
自分さえいなければ皆幸せになれるんだ。
だからもう、死にたい。
……そう思ったのに、どうして私は十年も生き延びたんだろう?
生きる意味なんてとっくに失くしていたのに、あの納屋の中で息をし続けた理由は……。
雨がやんだようだ。
長く短いうたた寝の後、白希はベッドから下りた。掌がじんじんと痛むが、さっきの息苦しさはおさまった。
今はひとつの疑問が膨れ上がり、無我夢中で自分の本棚や机を調べた。
なにか手がかりがあるはずだ。自分がここまで生きようと思った理由が……どこかに残されてるはず。
机の一番下の引き出しを開けた時、他のノートとは違う手帳を見つけた。取り出して中を確認してみると、それは日記帳だった。
知らないものだから罪悪感がわずかに生まれるけど、一応自分が書いたものだ。セーフということにして、一頁目から文章を追っていく。
日記は購入した日からではなく、律儀にも宗一と出逢った日からの出来事を記入していた。家が焼けてしまい東京にやってきたこと、宗一に助けられて引き取ってもらったこと。彼に縁談を持ちかけられたことまで、詳細に書かれていた。
上部は箇条書きだけど、下にはその時に感じたことまで書かれている。
意外だったのは喜びや安堵より、ネガティブな感想の方が多く書かれていたことだった。
てっきり能天気に与えられた幸せに浮かれてると思ったのに……十年後の自分は、突然始まった宗一との生活に大きな不安を抱いていた。
こんなに良くしてもらって申し訳ないとか、早く自立して恩返しをしなくちゃとか、幸せになってはいけないだとか。彼は常に自責の念を抱えて生きていたのだと分かった。でも。
最後のページを捲ると、彼の飾り気のない想いが綴られていた。
宗一さんに逢えて良かった。
手紙を書き続けて良かった、と。
「……手紙」
ふと思い出して、日記帳を机に置く。代わりにサイドにあった白の便箋を手にとった。
こんなちっぽけなもので生き延びたとでも言うんだろうか。だとしたら単細胞にも程がある。
「馬鹿みたい」
宗一が手紙を返したのはただの気紛れかもしれないのに。……嬉しくて嬉しくて、……きっと救われてしまったんだ。
彼が優しいことなんて、もうとっくに気が付いてる。でも認めたくなかった。
認めてしまったら、今度こそ自分は全て思い出さなきゃいけなくなる。でも全て思い出すのが怖かった。以前の生活に戻りたいと願いはしても、周りを不幸にしてきた自分がまたそこに馴染めるか分からない。
大切な人だと分かってしまったら……もうこれ以上傷つけることなんてできなくなる。
「……っ」
前に屈み、白希は声を殺して泣いた。
開きっぱなしの日記帳に雫が零れ落ちる。そのページの最後の一文には、生きてて良かった、と綴られていた。
1
お気に入りに追加
176
あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】



ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる