熱しやすく冷めやすく、軽くて重い夫婦です。

七賀ごふん

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失くしもの

#19

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「それじゃ、俺そろそろ帰りますね」

文樹はぐっと腕を伸ばし、置いていた鞄を手に取った。
白希もいち早く反応し、傍へやってくる。宗一は彼と一緒に玄関へ向かい、貰い物にはなるが、果物の盛り合わせを手渡した。

「文樹君、バイトのことなんだけど……すぐに復帰するのは難しいと思うんだ。これ以上迷惑をかけるわけにはいかないから、私から店長さんに一度お会いできないか、連絡させていただきたいんだけど」
記憶喪失の件を誤魔化したまま復帰はできない。かといって顔も見せずに休み続ければ会社にとって損失になる。

あれだけ頑張っていた白希には悪いが、職場の責任者には早めに退職願いの件を伝えた方がいい。
それに白希をバイトに誘ったのは文樹だ。白希が迷惑をかければ、紹介した文樹にも迷惑がかかる。
けれど文樹は首を横に振り、あっけらかんと言い放った。

「ああ! 白希は体調悪くてしばらく来れない、って店長に言ってるんで大丈夫ですよ。……実際、ちょっとバイトすんのはきつそうだし」

言葉を濁しながら、文樹は白希に笑いかける。

「まっ、でも。もしクビになったら、次のバイト先探すの手伝ってやるから心配すんなよ。じゃあな、白希」

文樹はそう言い残し、颯爽と帰っていった。
「……」
白希は宗一がドアの鍵をかける様を眺め、静かに呟いた。

「友人って……バイト先の人だったんですか」
「うん? いや、順番は逆だよ。彼と友達になって、それから今のバイトを紹介してもらったみたい」

二人きりになり、心なしか部屋の温度がわずかに下がった気がする。
白希は小さく息をついた。心細い。なのに、さっきより心が軽い。

矛盾した心情に戸惑いながら、宗一の後を追う。
「記憶喪失ということは多分バレなかったけど、明らかに以前の君と態度や雰囲気が違うから……もっと私を問い詰めたかっただろうに、我慢していた。本当に良い子だね、文樹君は」
「ああ、そうですね。バイトのことも……知らなかったとはいえ、私はひと言も謝ってませんし」
普通なら愛想をつかして距離を置かれても仕方ないことをした。なのに自分に関わってくる人は、皆優しい。

でも彼らが優しいのは、以前の白希に対してだ。今の自分ではない。
それが分かるから虚しい。

家事をしたりバイトをしたり、存外充実していた大人の自分。周りに気にかけてもらい、愛されている。
そんなのおかしい、と思った。だって自分は親にも拒絶され、納屋に閉じ込められていたのに。
「あの人は何で……私なんかに優しく接するんですか?」
それとも、誰に対してもそうなんだろうか。
それなら良いのに。宗一は困ったように眉を下げ、優しく答えた。

「ひとつは、文樹君が優しい子だから。もうひとつは、白希も彼に優しかったから。……だと思うよ」

いやに腑に落ちた。
以前の白希は、今の自分には想像もつかないような性格をしているのだ。臆病で、気が弱くて、だけど誰よりも優しい。
そういう大人になっていた。それ自体は良いことのはずなのに、胸が張り裂けそうになる。
掌や足の裏がどんどん冷たくなっていく。
この冷たさを誰かと共有したい。
わかってほしい。
……そんな勝手な想いばかり膨れ上がる。孤独感に押し潰され、息ができなくなる。

バイトだって復帰は不可能だろうし、やはりこれ以上、ここにはいられない。

「もう、寝てもいいですか。まだ頭がぼーっとするので」
「大丈夫? ちょっと熱を計ろうか。そこに座ってごらん」
「……必要ありません!」

指し伸ばされた手を払い、足早に部屋に戻った。一瞬、宗一の驚いた表情が目に入ったが、どうでもよかった。
熱を計る必要なんてない。“目を覚ました”時からずっと、自分は熱に浮かされてるのだから。

白希は明かりもつけず、布団の中に潜り込んだ。この中なら明暗なんて気にせずに済む。凍るような暗さに怯えることもない。
外に対する不安も無理やり抑え込むことができる……。

でも、どうしようもなく独りだ。

ずっと外に出たいと思っていたのに……知らない人と知らない場所が怖くて、逃げ出したくて仕方ない。
けどここ以外に逃げ場なんてない。村の人間は自分を危険視している。どこへ行ったって逃げ隠れする生活が始まる。
それなら納屋に閉じこもっていた時と何ら変わらない。
あまりの息苦しさに、白希は喉元を掻きむしった。





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