熱しやすく冷めやすく、軽くて重い夫婦です。

七賀ごふん

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失くしもの

#10

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夜はぐっすり眠ることができたが、問題は翌朝。またまた宗一から、理解に苦しむ難題を提示された。
朝食を食べ終えた白希の目の前に、真っ白な便箋が差し出される。怪訝な表情でそれを見下ろす白希に、宗一は笑顔で人差し指を立てた。

「今日の宿題だよ。私にラブレターを書いてみてくれ」

誇張ではなく、正気を疑った。
作り笑いもできずに固まっていると、彼は肩を竦めてネクタイを締めた。
「冗談だよ。まぁ何でもいいから書いてみて。不安や不満、私に対して思ってることや、してほしいこと、全部」
軽くウィンクする彼に、なるほど、と思う。
言葉にはしにくいことも、箇条書きにして綴れば伝えやすい。
でもそれならメモ書きで構わないと思うのだが、宗一は便箋を強く推してきた。

「手紙って、とても素敵で特別なものなんだ。侮っちゃいけないよ?」
「侮ってはいないですけど……」

書く気力がない。不安や不満はもちろんあるが、伝えるほどでもない。彼のリクエストに応えるのは不可能だ。
「お……まずい、もう出ないと。じゃあ白希、戸締りだけはよろしくね」
しかしこちらの意見を聞くこともなく、彼は慌ただしげに仕事に出掛けてしまった。

「手紙か……」

そういえば、あまり書いたことがない。
唯一記憶があるのは、学校の授業で両親に日頃の感謝の手紙を書くよう言われた時だ。期限までに書き上げることに必死で、何を書いたのか全然思い出せなかった。

感謝の気持ち、か……。

まるっきりない、わけじゃない。だがやはり何も思いつかないまま、あっという間に夜を迎えた。

十九時前、インターホンが鳴り玄関へ向かった。扉の前にいたのは宗一だったが、隣には知らない青年が立っていて、軽く首を傾げる。

「白希! ああ、本当に良かった……思ったより元気そうだな」

安堵した表情を浮かべる彼は、自分を知ってるようだ。しかしこちらは彼の名前も分からない。宗一に視線を送ると、彼は困ったように笑った。
「白希、私の友人の雅冬だ。以前はよく家に遊びに来てたんだよ」
「そうですか。雅冬、さん……」
初めまして、と言うと、彼は複雑そうな顔をした。
白希が記憶を失っていることにショックを受けてるようだが、そんな色は一瞬しか見せなかった。すぐに微笑み、持っていた紙袋を翳す。
「今日は、俺が夕飯を作りたいと思って。お邪魔してもいいかな」
彼はとても礼儀正しく、上品に笑った。宗一の美貌は日本人離れしているが、彼の隣に立っても遜色ないほど端整な顔立ちの青年だった。

彼らといると特に見劣りされそうだ。以前の自分は鈍感そうだから、そんなことまるで気付かなそうだけど。

「ありがとうございます。あと私の家ではないので、私に許可をとる必要はありませんよ」

思ったまま答える。雅冬はまた驚いていたが、宗一がすかさずフォローした。
「またまた~。ここは白希の家だからね? じゃ、早く上がろう」
「そ、そうそう。お邪魔します」
どこかぎこちない二人を尻目に、リビングへ戻る。

気を遣ってるのが見え見えだ。
二人には申し訳ないと思う。でも適切な接し方が分からない。話を盛り上げようとしてくれてるのは分かるけど、上手い切り返しができない。
ひたすら無愛想に思われたはずだ。居心地の悪さが最高潮に達して、逆に食が進んだ。雅冬が作ったビーフシチューは、鍋を空にしてしまうほどだった。

「ご馳走様でした」
「いやー、よく食べられたな。嬉しいけど……」

手を合わせて頭を下げる白希に、雅冬が向かいで引き攣った笑顔を浮かべる。
相当食べたというのに、何故かそれほど満腹感がない。
ひとまず美味しかったことを告げると、彼は安心したように頷いた。

「食欲もあるみたいで良かった。……記憶を失くしたって聞いて戸惑ってたけど……俺達なんかより、君の方がずっと混乱してるよな。無理しないで、何でも聞いて頼ってくれ」

雅冬は前で手を組み、優しく微笑む。
……宗一と同じく、良い人そうだ。
以前の自分が好きそうな人間だと皮肉っぽく考えてると、彼は呆れたように苦笑した。

「……にしても、こいつも実はキャパオーバーだったんだな。少し安心した」
「え?」

彼は隣で酔い潰れている宗一に視線を向けている。
宗一はワインを飲み過ぎたようで、テーブルに突っ伏して眠っていた。疲れてるから尚さらだと思っていたのだが、雅冬の話ではどうも違うらしい。
「こいつ、すごい酒豪なんだ。そうそう酔い潰れることなんてないんだけど。今日は無理やり、酔う為に飲んでるみたいだった」
「……!」
彼の言う通りなら、宗一もいっぱいいっぱいだった、ということになる。何ら動じてなさそうな彼も、実は現実逃避がしたかったのか。

「かなり余裕ないみたいだよ。……俺はそれで良いと思うんだけど」

雅冬は瞼を伏せ、ワインを口にする。
白希は驚いていた。自分の前ではあれほど毅然と振舞っていた青年が……。
でも、多分それだけじゃない。

「宗一さんはあなたのことをとても信頼してる。だから気が抜けたんでしょうね」

心を許せる人が近くにいると、安心してしまうものだ。酔って寝ても大丈夫と思えるぐらい、宗一が彼に心を開いている証拠である。

静かに宗一の寝顔を眺めていると、雅冬は可笑しそうに吹き出した。
「何か不思議だな。……白希に初めて会った日のことを思い出した」
彼は目を細めて立ち上がり、宗一をソファに誘導した。白希も別室からブランケットを持ってきて、宗一の体に掛けてやる。
時計を見ると、何だかんだでもう二十二時を過ぎていた。
「あの。今日は泊まっていきますよね?」
何の気なしに尋ねると、彼は慌てて首を横に振り、食器の片付けを始めた。
「まさか、もう帰るよ。家主も寝てるし」
「洗い物は私がやります。部屋も空いてるし、宗一さんはあなたが泊まる方が嬉しいと思います」
「うぇ、それは何と言うか……うん、ちょっと違う。俺と宗一は腐れ縁みたいなもんだから」
雅冬は渋っていたが、なおも見つめていると、彼はため息と共に振り返った。

「……何だ、他になにか意図があるのか?」
「……こんなこと訊かれても困らせてしまうと思うんですけど。手紙って、どんな風に書いたらいいんでしょうか」




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