熱しやすく冷めやすく、軽くて重い夫婦です。

七賀ごふん

文字の大きさ
上 下
150 / 196
失くしもの

#8

しおりを挟む



上は真紫で、下は橙色。
夕焼けは一色じゃない。ピンクだったり真っ赤だったり、薄青色だったりする。

きっと人の心にもたくさんの色があるんだろう。

ようやく病院から出て、宗一の車に乗った。助手席に乗り、ぼーっと窓の外に流れる景色を眺める。
また夜がくる。暗くて冷たい、暗澹とした世界。
宗一は運転してから一言も喋らなかったが、賑やかな通りに入ると、巨大な建物の地下駐車場に車を停めた。

「ちょっと気分転換でもしようか」
「……?」

彼に続いて車を下りる。どうやらオフィスビルと繋がったショッピングモールのようだ。たくさんの人が楽しそうに歩いていて、活気にあふれていた。
花屋や洋服屋、雑貨屋……きっとこの辺なら当たり前なんだろうけど、狭い屋敷の中で過ごした自分には楽園のように見える。
人を避けて歩くのも大変だ。身長的に宗一の方が歩幅が広く、ついていくのもやっと。距離ができそうになった時、彼は振り返らず後ろに手を伸ばしてきた。

「……っ」

思わず足がすくみそうになる。掴んでいいんだろうか。
彼が心から求めている相手は、私じゃないのに。

迷ってる間に人とぶつかり、バランスを崩した。反射的に宗一の手を掴み、彼の背に思いきり激突する。
「っと……。大丈夫?」
「……」
さっきから醜態ばかり晒している。いたたまれず、すぐに手を離した。
「大丈夫です」
「そ。なら良かった」
宗一はにこっと微笑み、エレベーターへ向かった。最上階まで行くと、またショッピングフロアとは違う空気に包まれていた。
薄暗くてひんやりしている。でも、夜とはちょっと違う。賑やかで、小さな子どももいっぱいいる。
「水族館だよ。今日は本物の海は見せられないから……海の生き物でも見ていこう」
「水族館っ?」
もちろん知ってるけど、実際に来たのは初めてだ。
そうか、だからここにいる人達は特に嬉しそうなんだ。わくわくしてる感じが伝わってくる。

「ほら、おいで」

私が知らない世界……。
足元が覚束ない場所。でも、唯一知ってる人がいる。
今度は何の迷いもなく、彼の手をとっていた。



ビルを外から見ただけでは想像もしなかったけど、水族館の中はそれこそ本当の楽園みたいだった。巨大な水槽に綺麗な魚が無数に泳いでいて、華やかにライトアップされている。
海自体見たことがないから、どの生き物も初めてだ。
「あは。クラゲって面白いですね」
「でも見てると癒されるよね。毒さえなければ触りたいよ」
人混みに飲まれないように、宗一は傍にぴったりついてくれていた。
順路に沿って、ゆっくり解説パネルも読んでいく。奥へ進むと天井も水槽になっていて、見上げると魚が空を飛んでいるようだった。

「綺麗……」

完全に足が止まって、見蕩れてしまった。
広がる波紋に、七色に光る水中。海の中にいるみたいだ。

ずっとここにいたいと思ってしまうほどの、鮮やかな空間にいる。
世界って広いな。正直これが見られただけで、村から出た価値があると思えた。

「綺麗だよね。私も水族館は好きだ」

宗一は近くのガラスにそっと触れ、軽く上を見た。
「何でこんなに泳いでる生き物に惹かれるのか……。私達とは、初めから生きてる世界が違うから、かな」
彼の横顔は、どこか寂しそうにも見えた。
人はなにかを知ろうとする時その対象に近付こうとするけど、それで痛い目に合うことも多い。

宗一にとっての白希も、それに近いはずだ。

生きる世界が違う者に、無理して近付くべきじゃない。
でもどれだけ怪我をしても、彼は自分を手放す気はないのかもしれない。

「本当に……私を村に連れ戻さないんですか?」

知りたくないことを何度も訊くのは、窒息しそうだ。
自ら傷口を広げるところは彼と変わらない。でも、こうでもしないと先に進めないから。……仕方なかった。

この景色が見られただけでも、もう充分過ぎる。
余川白希という人間は幸せだったはずだ。────最期まで。

足元に視線を落とす。けど額を指先で優しく押され、顔を上げた。

「そんな暇はないね。悪いけど、一瞬だって無駄にできないよ。君はまだまだ、私と色んな景色を見に行かなきゃ行けないんだから」

相対する青年の繊細な表情に、目を奪われる。
笑ってるのに泣いてるみたいだ。……自分なんかよりよっぽど心配になる、儚さを秘めた瞳を揺らしている。

でも、分かってしまった。
自分だ。自分が、彼にそんな顔をさせてしまっている。

開きかけた口から、なにか伝えないといけないと思った。胸に手を当て、彼の気持ちに応えようとしたとき……愉快な音楽と共に、館内アナウンスが流れた。

『館内の皆様にお知らせです。十八時三十分、Cフロアで魚達の餌やり体験が……』

大きな音声に掻き消され、口を閉ざした。
仕方ない。そもそも何を言うかも定まってなかった。
眉間を押さえて顔を背けると、宗一はころっと間の抜けた表情を浮かべ、首を傾げた。
「白希、餌やりしたいの?」
「違います。大体それ、子どもがやるやつでしょ」
「君だって今は子どもみたいなもんじゃない」

……。

確かにそうかもしれないけど、素直に頷くのは癪だった。彼の横を通り抜け、先を促す。

「それよりアザラシの方が興味があります。行きましょう」
「はいはい。……やっぱり子どもだなぁ」

宗一は可笑しそうに笑っていたが、無視して先へ進んだ。
涼しい館内、薄青の壁、滑らかな影。
来た時とはまるで違くて、怖いぐらい足取りが軽い。

────楽しい。

宗一より数歩先を行き、白希は密かに笑った。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

転生したら、最推しキャラの弟に執着された件。 〜猫憑き!?氷の騎士が離してくれません〜

椎名さえら
恋愛
私はその日、途方に暮れていた。 なにしろ生家であるサットン侯爵家が没落し、 子供の頃からの婚約者に婚約破棄されたのだ。 だが同時に唐突に気づいた。 ここはかつて読んでいた某ライトノベルの世界だと! しかもガスはあるし、水道も通ってるし、醤油が存在する まさかのチートすぎる世界だった。 転生令嬢が、氷の騎士(最推しキャラの、弟!)と 呼ばれる男のリハビリを精一杯して ヒロインのもとへ返してあげようとしたら、 ヒーローの秘密(キーは猫)を知った上、 気づいたら執着からの溺愛されて逃げられなくなる話。 ※完結投稿です ※他サイトさんでも連載しています ※初日のみ頻回更新、のち朝6時&18時更新です ※6/25 「23 決戦は明後日」の内容が重複しておりましたので修正しました  すみません(/_;)

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

家族になろうか

わこ
BL
金持ち若社長に可愛がられる少年の話。 かつて自サイトに載せていたお話です。 表紙画像はぱくたそ様(www.pakutaso.com)よりお借りしています。

学園の俺様と、辺境地の僕

そらうみ
BL
この国の三大貴族の一つであるルーン・ホワイトが、何故か僕に構ってくる。学園生活を平穏に過ごしたいだけなのに、ルーンのせいで僕は皆の注目の的となってしまった。卒業すれば関わることもなくなるのに、ルーンは一体…何を考えているんだ? 【全12話になります。よろしくお願いします。】

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

処理中です...