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失くしもの
#8
しおりを挟む上は真紫で、下は橙色。
夕焼けは一色じゃない。ピンクだったり真っ赤だったり、薄青色だったりする。
きっと人の心にもたくさんの色があるんだろう。
ようやく病院から出て、宗一の車に乗った。助手席に乗り、ぼーっと窓の外に流れる景色を眺める。
また夜がくる。暗くて冷たい、暗澹とした世界。
宗一は運転してから一言も喋らなかったが、賑やかな通りに入ると、巨大な建物の地下駐車場に車を停めた。
「ちょっと気分転換でもしようか」
「……?」
彼に続いて車を下りる。どうやらオフィスビルと繋がったショッピングモールのようだ。たくさんの人が楽しそうに歩いていて、活気にあふれていた。
花屋や洋服屋、雑貨屋……きっとこの辺なら当たり前なんだろうけど、狭い屋敷の中で過ごした自分には楽園のように見える。
人を避けて歩くのも大変だ。身長的に宗一の方が歩幅が広く、ついていくのもやっと。距離ができそうになった時、彼は振り返らず後ろに手を伸ばしてきた。
「……っ」
思わず足がすくみそうになる。掴んでいいんだろうか。
彼が心から求めている相手は、私じゃないのに。
迷ってる間に人とぶつかり、バランスを崩した。反射的に宗一の手を掴み、彼の背に思いきり激突する。
「っと……。大丈夫?」
「……」
さっきから醜態ばかり晒している。いたたまれず、すぐに手を離した。
「大丈夫です」
「そ。なら良かった」
宗一はにこっと微笑み、エレベーターへ向かった。最上階まで行くと、またショッピングフロアとは違う空気に包まれていた。
薄暗くてひんやりしている。でも、夜とはちょっと違う。賑やかで、小さな子どももいっぱいいる。
「水族館だよ。今日は本物の海は見せられないから……海の生き物でも見ていこう」
「水族館っ?」
もちろん知ってるけど、実際に来たのは初めてだ。
そうか、だからここにいる人達は特に嬉しそうなんだ。わくわくしてる感じが伝わってくる。
「ほら、おいで」
私が知らない世界……。
足元が覚束ない場所。でも、唯一知ってる人がいる。
今度は何の迷いもなく、彼の手をとっていた。
ビルを外から見ただけでは想像もしなかったけど、水族館の中はそれこそ本当の楽園みたいだった。巨大な水槽に綺麗な魚が無数に泳いでいて、華やかにライトアップされている。
海自体見たことがないから、どの生き物も初めてだ。
「あは。クラゲって面白いですね」
「でも見てると癒されるよね。毒さえなければ触りたいよ」
人混みに飲まれないように、宗一は傍にぴったりついてくれていた。
順路に沿って、ゆっくり解説パネルも読んでいく。奥へ進むと天井も水槽になっていて、見上げると魚が空を飛んでいるようだった。
「綺麗……」
完全に足が止まって、見蕩れてしまった。
広がる波紋に、七色に光る水中。海の中にいるみたいだ。
ずっとここにいたいと思ってしまうほどの、鮮やかな空間にいる。
世界って広いな。正直これが見られただけで、村から出た価値があると思えた。
「綺麗だよね。私も水族館は好きだ」
宗一は近くのガラスにそっと触れ、軽く上を見た。
「何でこんなに泳いでる生き物に惹かれるのか……。私達とは、初めから生きてる世界が違うから、かな」
彼の横顔は、どこか寂しそうにも見えた。
人はなにかを知ろうとする時その対象に近付こうとするけど、それで痛い目に合うことも多い。
宗一にとっての白希も、それに近いはずだ。
生きる世界が違う者に、無理して近付くべきじゃない。
でもどれだけ怪我をしても、彼は自分を手放す気はないのかもしれない。
「本当に……私を村に連れ戻さないんですか?」
知りたくないことを何度も訊くのは、窒息しそうだ。
自ら傷口を広げるところは彼と変わらない。でも、こうでもしないと先に進めないから。……仕方なかった。
この景色が見られただけでも、もう充分過ぎる。
余川白希という人間は幸せだったはずだ。────最期まで。
足元に視線を落とす。けど額を指先で優しく押され、顔を上げた。
「そんな暇はないね。悪いけど、一瞬だって無駄にできないよ。君はまだまだ、私と色んな景色を見に行かなきゃ行けないんだから」
相対する青年の繊細な表情に、目を奪われる。
笑ってるのに泣いてるみたいだ。……自分なんかよりよっぽど心配になる、儚さを秘めた瞳を揺らしている。
でも、分かってしまった。
自分だ。自分が、彼にそんな顔をさせてしまっている。
開きかけた口から、なにか伝えないといけないと思った。胸に手を当て、彼の気持ちに応えようとしたとき……愉快な音楽と共に、館内アナウンスが流れた。
『館内の皆様にお知らせです。十八時三十分、Cフロアで魚達の餌やり体験が……』
大きな音声に掻き消され、口を閉ざした。
仕方ない。そもそも何を言うかも定まってなかった。
眉間を押さえて顔を背けると、宗一はころっと間の抜けた表情を浮かべ、首を傾げた。
「白希、餌やりしたいの?」
「違います。大体それ、子どもがやるやつでしょ」
「君だって今は子どもみたいなもんじゃない」
……。
確かにそうかもしれないけど、素直に頷くのは癪だった。彼の横を通り抜け、先を促す。
「それよりアザラシの方が興味があります。行きましょう」
「はいはい。……やっぱり子どもだなぁ」
宗一は可笑しそうに笑っていたが、無視して先へ進んだ。
涼しい館内、薄青の壁、滑らかな影。
来た時とはまるで違くて、怖いぐらい足取りが軽い。
────楽しい。
宗一より数歩先を行き、白希は密かに笑った。
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