熱しやすく冷めやすく、軽くて重い夫婦です。

七賀ごふん

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失くしもの

#2

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悪い冗談か、悪夢ならどれだけ良かっただろう。
きっと泣いて喜んだ。でもこれは現実だ。本当の白希なら、例え嘘でもこんなことは言えない。

記憶喪失────。

冷たい視線に打ちのめされた。彼は今自分を敵と認識し、道源を信頼している。これをどう覆す。
自分が吐く言葉など、全てお為ごかしだと思われるに違いない。
だがそれでも、彼を放っておくという選択は有り得なかった。

「頭を強く打った可能性がある。酷い仕打ちを受けて、精神を壊したかもしれない」
「ああ、ありそうです。弱かったんですもんね、私」
「いや? 私が知る白希は強いよ」

即答すると、彼は興味深そうにこちらを向いた。
「本当に? 十年、屋敷に閉じ込められてたんでしょ? 馬っ鹿みたい……“私”だったらすぐに出てましたよ。一ヶ月は耐えられたけど、もう少しあのままが続いてたら……何をしてでも出てやろうとした」
スキップでもしそうな軽い足取りで、大手を広げる。
「ねぇ宗一さん、力を見せてくださいよ。私、貴方の力はとてもかっこいいと思うんです」
「……?」
言ってる意味が分からず、宗一は眉を顰める。そんな彼に対し、白希は笑顔で目の前の高層ビルを指さした。
そのビルは正面がガラス窓で設計されており、中央には透明のエレベーターがある。夜は明かりがある為、外からは特によく見えた。
今まさに人が数人乗り、上昇している。

「ほら、アレとか! あのエレベーターを加重して、地面まで落としてみせてください」
「……っ!?」

聞き間違いかと思うほどの、悪辣なお願いだった。
当の本人は邪気のない笑顔を浮かべているが、こちらはもう笑みを保つのは不可能だ。

「駄目なんですか? 人が乗ってるから? 全員下りたらやってくれます?」

白希は横に傾き、宗一の顔を覗き込む。
しかしすぐに瞼を伏せ、両手を上げた。

「冗談ですよ。怖い顔しないでください。ね?」
「冗談でも言っていいことと悪いことがある。……教わらなかったかな」
「生憎誰にも。私の親は、当たり前のことは教えてくれませんでした。知ってて当たり前、ってね」

公園の周囲には水路が配置されている。静かな夜間は水の音が心地いいのだが、それも一瞬にしてやんだ。
「私の力は見せましたよ。次は宗一さんの番」
水路が凍結している。
近くまで寄って絶句した。これだけの範囲に、瞬時に力を加えるなんて。以前の白希なら絶対にできない。
困ったことに、十年分の記憶がない白希の方が頭が切れて力のコントロールに卓越している。

「……リクエストに応えられなくて申し訳ないけど、見世物じゃないんだ」

深いため息と共に、両手をポケットに入れる。白希はあからさまに機嫌を損ねた様子で、中央の巨大な噴水まで歩いた。
「そうですか。残念……」
手に持っていたペアリングに目をやり、それから噴水の方へ向いた。
「じゃあこの変なの、捨てときますね。明日の朝まで凍らせておきますから」
ペアリングが宙に放られ、弧を描く。
噴水の中に落ち、白希は吹き上がる水から凍らせようとした。が、
「あれ? おかしいな……」
水は依然として、液体のまま流れ落ちている。戸惑う白希の横を通り抜け、宗一は縁に手をかけた。
「……以前君は、空気を熱したことがあってね。原理も分からなかったが、本当に凄かった」
発想の転換で、力の使い方は無限にあると知った。自分ですら理解してない方式も、イメージ次第で組み立てられるのだと。

「気圧が上がると一定の氷点で凍らなくなることを知らないかな? 私も力の応用を覚えて、圧力を上げる術を学んだんだ。何も物体だけに働きかける必要はないとね」
「え……え、ちょっと」

宗一は円形の縁を乗り越えると、ぬれるのも構わず噴水の中に降り立った。
凍らすことはできなかったが、公園全体の温度を下げている。増して、水の中は息が止まるほどの冷たさだろう。
しかし宗一は表情ひとつ変えず、縁の中に落ちたペアリングを探している。

白希は目を見張り、近くで彼を見つめる。
正直に言って理解不能だった。ガラクタに見えたのに、そんなに大事なものだったんだろうか。
膝までぬらして黙々と水の中に手を入れている。何だか異様な光景だ。知らない人に見られたら通報されそう。
ていうか、寒い。外気の話ではなくて。

「そんなに大事な物なんですか?」
「まあね」
「ぼこぼこに曲がってましたけど」
「形じゃないよ。これの片割れだから」

そう言って微笑み、宗一は左手を差し出した。
その薬指にはシルバーリングがはめられている。

「私の白希が、これをとても喜んでくれたんだ。本当に幸せだって、笑ってくれて……私も、言葉にできないぐらい幸せな気持ちになれた」
「…………」

過去を懐かしむ宗一の横顔は、確かに満たされていた。
それを見て何故か、胸の奥が痛んだ。とても細い針が突き刺さったようだ。
「……貴方が知ってる私は」
ゆっくり言葉を紡ぐ。自分も彼も、白い息を吐いていた。

「貴方のことが好きだったんですか?」

その想いが本当だったとして。きっと、互いに幻想を見ていただけだ。
だって、幸せになるにはあまりに難しい組み合わせだから。彼が自分を始末する気がなかったとしても、傷を舐め合うこともできない。彼は恵まれているけど、自分の境遇はあまりにも酷い。とにかくひたすらに、彼とは釣り合わないと思う。

宗一は袖で前髪を払い、一拍置いて答えた。

「あの笑顔が嘘とは思えない。いや、……思いたくない」




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