熱しやすく冷めやすく、軽くて重い夫婦です。

七賀ごふん

文字の大きさ
上 下
128 / 196
硝子玉

#16

しおりを挟む



文樹さんは俺の腕を引っ張り、立ち上がらせる。その時目の前にいた一人の男性が小声で呟いた。
「……どういうことだ? 話と違うぞ」
聞き取るのもやっとだったが、確かにそう言った。
話って何のことだ……。何とか立ち上がった時、路肩に停まっていた白いワゴンの扉が開いた。
「おい、早くしろ!」
車の中からもう一人、顔を隠した男性が乗り出して叫んだ。それを合図に、前の三人が迫ってくる。
まずい。
文樹さんだけでも逃がさないと……!
彼の前に出て、力を使ってでも守ろうとした。けどその瞬間、電柱に取り付けられたスピーカーから尋常ではない音量の雑音が流れ、全員その場で硬直した。
「うるさ……っ! な、何だ!?」
男達はもちろん、文樹さんも唇を噛んで両耳を押さえている。
理解できない展開の連続でどうしたらいいのか分からない。

とにかくこの隙に、文樹さんを連れて逃げ出すべきか。
文樹さんも同じことを思ったらしく、俺の手を引いて走り出した。
「逃がすな! 余川白希は捕まえろ!」
余川……。
背後から降りかかる声に意識を持ってかれそうになるが、彼らが自分達を追いかけようとしたとき、さらに凄まじい爆音が鳴り響いた。

頭がいたい。割れそうだ。

「うるさ……いい加減にしろっつうの……!」

文樹さんも顔を歪めていたが、今は走ることを優先した。俺の手を引き、ひたすらに前を走る。
どれほどの距離を走ったのか、どこへ向かって走っていたのかも分からない。人通りの多い広場に出て、ようやくひと息つけた。

「何だったんだ、さっきの奴ら……! 白希、大丈夫か!?」
「は、い……文樹さんは?」
「俺は大丈夫。それより救急と警察を呼ぶぞ」

文樹さんがスマホを取り出した為、慌てて彼の腕を掴んだ。
「ま、待って。まだ大事にしない方がいいです」
「はぁ!? 襲われて拉致られそうになったんだぞ! お前はこのまま家に帰るのも危険だろ!?」
「そうかもしれないんですけど……お、お願いします」
彼の気持ちはよく分かる。実際、警察に通報するのが賢明だろう。でも。

ここで大騒ぎになったら、また宗一さんに迷惑をかけてしまう。

「今の生活を失うかもしれないことが……すみません。怖くて、怖くて仕方ないんです」

掠れた声で零した。
彼の腕を掴みながら、深く頭を下げる。

ようやく宗一さんと新しい一歩が踏み出せたのに、また自分のせいでめちゃくちゃにしてしまうことが、怖い。
でも……俺は既に家族の生活をめちゃくちゃにしてる。こんな風に自分だけ幸せになりたい、なんて思うことも烏滸がましいんだろう。

どうすれば良かったんだ。
やり直そうにも時間が経ちすぎて、どこまで遡ればいいのか分からない。

俺はどこで間違えた。

「白希……」

文樹は息を切らしたまま、俯く白希を見て乱暴に頭をかいた。
「……分かったよ。今すぐにはしない。その代わり宗一さんに連絡しろ」
「……」
「白希!!」
「はい! 分かりました!」
とは言え、彼は仕事中だ。電話を掛けると、案の定留守電になってしまった。

「仕方ないか……。とりあえず、お前の家まで一緒に行く。買い物は中止だ」
「文樹さん……俺といると、貴方まで危険な目に合います。多分あの人達が狙ってるのは俺なので、ここで別れましょう」

語調を強めて言うと、文樹さんは怒りを顕に声を荒げた。
「馬鹿かお前は! さっきみたいに襲われたらどうするんだよっ!!」
「……俺が狙われるのも理由がありまして。俺は、普通の人とちょっと違うんです。詳しいことは言えないんですけど、大丈夫ですよ。家に帰ったら必ずご連絡します」
笑顔をつくって、スマホをちらつかせる。

彼は自分を心配して、それ故に怒ってくれている。
だからこそ、これ以上巻き込みたくなかった。例え、ここで彼に愛想をつかされ、嫌われようとも。

大事な人を傷つけるぐらいなら、何億倍もマシだ。

凍てついた沈黙が流れる。
文樹さんは深いため息と共に、俺の胸を軽く押した。

「お前、何を隠してるんだよ」
「……」

彼のさぐるような瞳に心が揺れそうになった。視線を下げ、首を横に振る。
「俺は……本当は、死ぬまで狭い部屋の中にいなきゃいけない人間だったんです。明確な罪、は犯してないけど……」
周りの人を苦しめた。俺に課されたのは、裁かれない罪だ。
「存在してるだけで、誰かを苦しめてしまう人間もいるんですよ。でもね……それを嘆いて、死にたいと願って……そんな俺が、生きてて良かったって本気で思えた。思わせてくれたのは、文樹さんと宗一さんなんです。だからこれ以上迷惑をかけたくない」




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【書籍化・取り下げ予定】あなたたちのことなんて知らない

gacchi
恋愛
母親と旅をしていたニナは精霊の愛し子だということが知られ、精霊教会に捕まってしまった。母親を人質にされ、この国にとどまることを国王に強要される。仕方なく侯爵家の養女ニネットとなったが、精霊の愛し子だとは知らない義母と義妹、そして婚約者の第三王子カミーユには愛人の子だと思われて嫌われていた。だが、ニネットに虐げられたと嘘をついた義妹のおかげで婚約は解消される。それでも精霊の愛し子を利用したい国王はニネットに新しい婚約者候補を用意した。そこで出会ったのは、ニネットの本当の姿が見える公爵令息ルシアンだった。書籍化予定です。取り下げになります。詳しい情報は決まり次第お知らせいたします。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

飼われる側って案外良いらしい。

なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。 なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。 「まあ何も変わらない、はず…」 ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。 ほんとに。ほんとうに。 紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22) ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。 変化を嫌い、現状維持を好む。 タルア=ミース(347) 職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。 最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

処理中です...